ぶらぶら人生

心の呟き

石蕗の花、満開

2006-10-22 | 身辺雑記
 静かな秋の一日。
 裏庭に出てみると、石蕗の花が満開だ。
 一本の伸びた茎の上に、放射状に枝分かれした、その頂に、花が咲きそろうと、穏やかな華やぎとなる。
 前庭に回ると、ここも満開。

 12年前、平成6年の今日、やはり石蕗の花が咲いていたのだろうか。
 全く思い出せない。花を眺めるだけの、心のゆとりはなかったのかもしれない。
 すでに居間には電気炬燵を出していた。特別その年が寒かったわけではなく、高齢の父のために、早めに出していたのだろう。
 その朝、顔を洗いに洗面所に立った父が、部屋に帰る途中で廊下にうずくまった。そのまま立てなくなった。30キロに痩せ細ってはいたが、私の力ではどうすることもできず、近所の人の助けを借りて、ベッドに寝かせた。
 かかりつけの医師の往診を受けた。私の目にも、父の衰弱は相当ひどく、お医者様の目には、余命のないことが分かっていたのかと思う。入院をことのほか嫌がる父に、医師はあえてそれを勧めることもされなかった。
 
 数日前から、特に食が細くなっていた。食卓に向かっても、食事が欲しくなそうだった。と同時に、日中も、横臥することが多くなっていた。
 危惧を感じた私は、前夜、兄妹に電話し、最近の容態を知らせた。
 父が立てなくなった日の午後、近くに住む妹が見舞いに来た。炬燵を囲んで、三人で話をした。夕方、帰宅する妹に、父は、「また来てね」と言ったが、父はその日の宵に、息を引き取った。
 私は、数日間、校正の仕事などで、寝不足になっていたので、その夜は早く休もうと、九時過ぎ、「お休み」を言いに父の枕元に行った。
 そのとき、父の命は、すでになかった。あっけないほどの最期だった。

 父は、私に何一つ看病らしいことをさせずに、96歳4か月の生涯を閉じた。
 その父の、今日は祥月命日。
 すでに法要は済ませているが、今日は、亡き父を静かに偲ぶ一日としたい。
 夕方、同じ市内に住む妹夫婦が、お参りに立ち寄ってくれた。

 今日は、詩人、中原中也の命日でもある。
  
コメント
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