今年も、裏庭の崖下に、「思い草」の花が咲いた。
こんなところに、奇妙な花が……と、カメラに収め、その正体を確かめたのは、昨秋のことであった。昨年は、わずかに一つだけ咲いていた。
その名は別名「ナンバンギセル(南蛮煙管)」「きせる草」とも言われる。
「思い草」の呼称は、花の姿が、人のもの思いにふける姿を髣髴させるし、「南蛮煙管」の方は、花の形状が、そのものズバリで、なるほどと思わせる。
<ハマウツボ科の一年草の寄生植物。各地の草地のススキ・カヤ・サトウキビ・ミョウガなどの根に寄生する。>とある。(「日本国語大辞典」)
日本には古くから自生した花のようだ。
道の辺の尾花がしたの思ひ草今さらになに物か思はむ<作者未詳>
(「万葉集」巻10-2270)
という歌のあることも、上記辞典の「思い草」の項に紹介されていた。
なんとも思議な花だ。茎がすーと伸びて、その先に横向きの花が咲く。淡いピンク色の花だ。
<果実は球形の果で細かい多数の種子が入っている。>とある。(上記辞典)
この説明を読んですぐ、裏の崖下に行ってみた。
「思い草」は枯れ色にはなっていたが、まだしっかりと、形をとどめていた。
花のつけ根の膨らみに指を当ててみると、そこは硬く、中に実の入っている気配だ。そのうちはじけて、来年はさらにたくさんの花を咲かせてくれるのかも知れない。楽しみである。(今年の花数は、合計十個だった。)
写真は、9月17日に撮影したものである。ちょうどパソコンの修理中で、写真を取り込むことも、ブログに原稿を書くこともできなかった。
今日改めて書き記すことにした。
朝の散歩中にも、歩道の崖に一つだけ咲いているのを一度見かけた。
が、その後、その場所を探しあぐねている。ぼんやり眺めているだけでは、なかなか見つけにくい花である。よく目を凝らせば、あちこちに咲いているのかもしれない。
こんなところに、奇妙な花が……と、カメラに収め、その正体を確かめたのは、昨秋のことであった。昨年は、わずかに一つだけ咲いていた。
その名は別名「ナンバンギセル(南蛮煙管)」「きせる草」とも言われる。
「思い草」の呼称は、花の姿が、人のもの思いにふける姿を髣髴させるし、「南蛮煙管」の方は、花の形状が、そのものズバリで、なるほどと思わせる。
<ハマウツボ科の一年草の寄生植物。各地の草地のススキ・カヤ・サトウキビ・ミョウガなどの根に寄生する。>とある。(「日本国語大辞典」)
日本には古くから自生した花のようだ。
道の辺の尾花がしたの思ひ草今さらになに物か思はむ<作者未詳>
(「万葉集」巻10-2270)
という歌のあることも、上記辞典の「思い草」の項に紹介されていた。
なんとも思議な花だ。茎がすーと伸びて、その先に横向きの花が咲く。淡いピンク色の花だ。
<果実は球形の果で細かい多数の種子が入っている。>とある。(上記辞典)
この説明を読んですぐ、裏の崖下に行ってみた。
「思い草」は枯れ色にはなっていたが、まだしっかりと、形をとどめていた。
花のつけ根の膨らみに指を当ててみると、そこは硬く、中に実の入っている気配だ。そのうちはじけて、来年はさらにたくさんの花を咲かせてくれるのかも知れない。楽しみである。(今年の花数は、合計十個だった。)
写真は、9月17日に撮影したものである。ちょうどパソコンの修理中で、写真を取り込むことも、ブログに原稿を書くこともできなかった。
今日改めて書き記すことにした。
朝の散歩中にも、歩道の崖に一つだけ咲いているのを一度見かけた。
が、その後、その場所を探しあぐねている。ぼんやり眺めているだけでは、なかなか見つけにくい花である。よく目を凝らせば、あちこちに咲いているのかもしれない。