総門の脇にこぢんまりとした小さなお堂がある。解説によれば「弁財天を祀る勧請年代は不明だが、元禄年間の建立と寺伝にある。内外丹塗りの宝形造りのお堂は、成田山境内では最古の建築物である。成田山の弁財天は財福・智慧・音楽をつかさどる仏さまとして、多くの方に信仰される。毎年、6月の第2土・日に祭礼が行われ、商売繁昌・芸能事を祈るご信徒が訪れる。隣接する藤棚は4月下旬~5月上旬頃の開花」とある。小さいが、宝形の建物はその古い由緒を思わせる。と、昨年にも載せているので再度同じ内容を載せる。1月13日、成田市内で撮影。
成田山のHPによれば「1861(文久元)年に建立された重要文化財で、1986(昭和61)年に修復されました。御信徒から奉納された額や絵馬などをかける建物で、江戸時代に 奉納された貴重な絵馬や、様々なモチーフの彫刻は、目を見張るものであります。また、額堂には、七代目市川團十朗丈が寄進された石像があります」という。中々雰囲気のある建物で、堂内にはたくさんの扁額がおかれており、歴史の深さを感ずる。1月13日、成田市内で撮影。
成田山のHPによれば「1701(元禄14)年に建立された国の重要文化財です。釈迦堂の前の本堂であり、江戸時代中期における貴重な建物です。大日如来、愛染明王、不動明王が奉安 されています。後方には奥之院の洞窟があり、毎年祇園会の時に開扉されます。また、毎年5月には、光明堂前の特設舞台にて成田山薪能が上演されます」という。古いが故に小振りというか、古い時代のお寺という感の深い親しみのあるお堂である。1月13日、成田市内で撮影。
成田山の平和大塔は、巨大な二重塔だ。小高い丘の上にあり、石段を登っている人影と比較すれば、その大きさがわかる。成田山新勝寺のHPによれば「1984(昭和59)年に建立された平和の大塔は、真言密教の教えを象徴する塔です。総高は58mで、一階は大塔入口、成田山の歴史展、写経道場各種受付 があります。二階の明王殿には、大塔の御本尊不動明王、四大明王、昭和大曼荼羅、真言祖師行状図が奉安され、三・四階の経・法蔵殿には、御信徒による掛 仏、五階の金剛殿には五智如来が奉安されています」という。私も一度入ったことがあり、中は五階建てになっており、ぐるぐると回廊を上って行くようになっていたように記憶している。1月13日、成田市内で撮影。
成田山新勝寺のHPによれば「1992(平成4)年に建立、2007(平成19)年に修復されました。日本の仏教興隆の祖である聖徳太子の理念にもとづき、世界平和を願って建てられました。堂内には、大山忠作画伯の壁画が6面に渡り描かれてあり、聖徳太子像が奉安されています」という。成田山は小高い丘の上にあるので、背景は空ばかりで、中々目立つ建物ではある。
成田山の境内で、ひときわ派手やかで目に付くのはこの三重塔だ。成田山のHPによれば「1712(正徳2)年に建立された重要文化財です。総高は25mで、塔内には大日如来を中心に五智如来が奉安され、周囲には「十六羅漢」の彫刻がめぐらされています。雲水紋の彫刻がほどこされた各層の垂木は一枚板で作られた珍しいもので、一枚垂木と呼ばれています」という。何しろ豪華絢爛で大変美しい。1月13日、成田市内で撮影。
仁王門をくぐり、そこからまた急な階段を上ると成田山の境内に至る。そこにはすぐ目の前に線香を揚げるところがあり、大勢の人たちがおのおの選考をくべてその煙を浴びようと集まっている。自分の具合の悪いところへ煙を手でたぐり寄せて浴びせ、無病息災を祈るのだ。その先には大きな本堂があり、右手には三重塔や一切経堂や鐘楼がある。左に行けば元本堂であった釈迦堂などが連なっている。1月13日、成田市内で撮影。
成田山の仁王門を過ぎると池があり、そこからまた急な階段を上って境内に至るのだが、その階段の登り口の両側のこのブロンズ製の大きな狛犬がある。このブロンズ狛犬は江戸っ子狛犬と呼ばれる。この狛犬は嘉永3年(1859)に鋳造奉納されたもののようだ。黒い胴体に金色の巻き毛が大変豊かだ。数年ごとに塗り替えられているようで、いつだったか塗り替え直後のこの狛犬を見たことがあるが、それはそれは豪華なものだった。1月13日、成田市内で撮影。
成田山新勝寺仁王門に大きな提灯が下がっている。これについてFEEL成田というサイトによれば「「魚がし」と書かれた大提灯は、東京・築地の魚河岸の旦那衆が、昭和43年に奉納したものです。紙張りのように見えますが骨部分は砲金(青銅の一種)製で、重量が1.5トンにもなります。魚河岸が仁王門に大提灯を奉納するのは古くからの伝統で、安政6年(1859年)に二代目広重が描いた「下総成田山境内図」にも、「魚河岸」と書かれた大提灯が描かれています。このようなことからも、江戸の多くの人々の信仰を、成田山が一心に集めていたことが覗われます」とのことである。ちなみに、浅草の浅草寺の仁王門の提灯は 重さ 400kg。 日本橋小舟町奉賛会より平成15年 (2003)10月奉納掛け換え(3回目)とのことだ。1月13日、成田市内で撮影。
成田山のHPによれば「1830(文政13)年建立の国指定重要文化財。門の左右に密迹金剛、那羅延金剛の二尊が奉安され、昔から成田山の門を守ってきました。また、裏仏として、広目天、多聞天の二天が奉安されています。中央の「魚がし」の文字が大きく目立つ大提灯は、魚河岸講の奉納によるものです」とある。古くから慣れ親しんだというか、成田山の入口の門として長くその役割を果たしてきた仁王門だ。仁王門に至るには総門を抜けて、30mほど参道を行き、そこから急な石段を上る。かなり急な石段なので、今では上り専用階段となっている。1月13日、成田市内で撮影。