■筆者が生来、安中市北野殿で生活してきた中で、もっとも影響を及ぼしているのが東邦亜鉛安中製錬所の存在です。高校生だった昭和44年ごろにカドミウム公害問題が全国4大公害のひとつとして取りざたされました。
↑先日、朝6時半頃、国道18号線を安中から高崎方面に走行中、直ぐ脇を「いわき」ナンバーの産廃トラックが走っていた。↑
↑見ると「東邦キャリア㈱」とあり、一見して小名浜にある東邦亜鉛子会社の産廃収集・運搬業者であることがわかる。見たところ空荷で小名浜に戻るようすだったので、産廃を小名浜から持ち込んだ可能性があるため、さっそく東邦亜鉛に確認した。担当責任者の話によれば、小名浜製錬所から安中製錬所には、亜鉛鉱石(焼鉱・精鉱)を東邦キャリア所属の産廃用ダンプを使って持ち込むことがあるという。通常は安中貨物とよばれるタンク車12両+無蓋車6両=計18両(日によってこれより車輌数が少ないこともある)の専用貨物列車で亜鉛焼鉱と精鉱を毎日運搬している。しかし、一部は東邦キャリアの産廃トラックを使って持ち込んでいるという。。↑
↑だが、シートが掛けられているので産廃なのかどうか判断することはできない。その懸念を同社に伝えたところ「絶対にルール違反はしていない。また昨年4月に県知事から認可してもらった産廃処分場はまだ産廃を持ち込んでいない」という。その一方、東邦キャリアの産廃トラックは、「安中製錬所の亜鉛製錬工程で出る銀製分を多く含む滓(同社では「含銀滓(がんぎんさい)」と呼ぶ)を小名浜まで運搬するのが主業務だ」という。小名浜に運ばれた含銀滓は一定量が溜まると、船で瀬戸内海に有る契島製錬所に運び銀の製錬原料となるのだという。ならばなぜ安中貨物の帰り便で含銀滓を運搬しないのか。この問いに対して担当者は「それをやると貨車を徹底的に掃除する必要がある。さもないとコンタミ(混合汚濁)となり製錬原料に無用な異種金属が含まれ製品の品質上問題となるので絶対にやらない」という。であれば、なぜ産廃トラックでは鉱石も含銀滓も運ぶのか?疑問は尽きない。このように東邦亜鉛安中製錬所を巡るマテリアル・バランスがどうなっているのか、正確なところは同社幹部しか知りえない情報らしい。↑
それまで、東邦亜鉛安中製錬所といえば、北風が吹く際には、北野殿地区全体が特有の刺激臭に包まれ、口の中が苦くなったものです。とりわけ、昭和32年に中宿の蓮華寺にあるはちす保育園に通い始めた頃から、昭和39年に小学校を卒業するまで、現在は東邦亜鉛安中製錬所の敷地内に取り込まれてしまいましたが、“たての坂”と地元で呼んでいた山道をしょっちゅう歩いて通学していました。
その際、時によっては黄色い煙が低く山肌に立ち込め、息が苦しくなり、地面に顔をつけるようにして坂道を上り下りしたものです。その後、公害訴訟後の立入調査で、このガスが亜鉛鉱石を焼いて中に含まれる硫黄分を除去するための焙焼炉から流れ出た有害な亜硫酸ガスであることを知りました。よくまあ子ども時代に長年にわたり、有害ガスを吸わされたものです。北野殿の年配者には喘息の人が多かったのもそのせいだと思われます。
家業の養蚕でも、東邦亜鉛から排出されるガスが桑の葉に係ると、蚕が水を吐いて死んでしまうため、製錬所に近い畑の桑では蚕を飼う事ができず、耕作放棄をせざるを得なくなりました。東邦亜鉛はそうした土地を買い占めて、どんどん拡がってきたのです。
■当時の我が国は高度成長時代で、生産力の増加が至上主義であり環境問題は二の次でした。ソそのため、未曾有の環境汚染とそれに伴う公害病が各地で発生しました。なかでも、水俣病、イタイイタイ病、カネミ油症、四日市喘息の被害が典型的で、これらは有機水銀、カドミウム、PCB、亜硫酸ガスを起因とする人的災害で、企業犯罪ともいうべきものでした。
実際には四大公害病は、水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市専属を指すことが多いようです。カネミ油症事件は食品公害ともいえるもので、工場から周辺環境を広く汚染したという形態とは異にするものだからです。
東邦亜鉛安中製錬所から排水や排ガスとともに周辺や下流に排出されたカドミウムをはじめとする重金属は、製錬所の操業直後から問題視されてきました。しかし、東邦亜鉛は常に行政とグルになり、政治家も巻き込んでそうした住民らの声を握りつぶしてきました。
いまでも地元の年配者らは、東邦亜鉛安中製錬所のことを「コードコー」と呼ぶのは、同社が1937年の創業にあたって、地元住民に、「この工場は兵隊さんの大切な命を守る鉄兜を作るのに必要な“高度鋼”を製造するのだ」と言って、騙したためです。地元の住民は、同社の体質を後世に伝えるため、あえてそうした呼び方をしているのです。
■学校を卒業すると親はこの地で農業を継げとは言いませんでした。いかにこの公害汚染地で作物を作って生業とすることが困難であるかをしっていたからです。そのため、しばらく都会に出て働いていましたが、やはり生まれ育ったふるさとは愛着があります。
図書館で戦前に書かれた郷土史を読んだことがあります。それを読むと、北野殿地区は、かつては陸稲や麦が良く獲れて、しかも非常に品質がよかったのいうのです。全国の農産品の品評会でも天皇賞を受賞した人がいたほどです。それはこの地の土壌が非常に肥えて農産物の生育に適していたからです。
現在ではその面影は全くありません。陸稲を作りたくでも、カドミウムを高濃度に含有しているため、作付けそのものが禁止されているためです。確かに現在では養蚕は数軒しかやっていませんが、住民は家庭菜園でとれた野菜や果樹を食べています。井戸水は重金属汚染のため、飲用は勿論生活水としても使うことが禁じられています。また、出荷用のコンニャクやネギなどが一部の畑地で栽培されています。しかし、きちんと重金属の含有量を計測し、食品衛生法によるトレーサビリティの表示を付けたら果たして消費者は買ってくれるのでしょうか。
■昭和40年代に全国的に有名になった四大公害病ですが、イタイイタイ病は、富山県神通川流域がとくに知られています。岐阜県の三井金属鉱業の神岡鉱山の鉱滓から滲み出たカドミウムが陣痛側下流の水田を汚染し、それで栽培された米を食べた人たちから発症したこの奇病は、カドミウムによる腎臓障害の結果、カルシウム代謝に異常を起こして、骨からカルシウムが奪われることで骨がもろくなることです。
重症になると、ちょっとした刺激で、例えば咳をしただけで肋骨が折れたりして、その激痛によりイタイイタイと患者が声を発することからこの名が付けられました。
東邦亜鉛は戦中から戦後まもなくの期間は対馬にある対州鉱山で掘られた亜鉛鉱石を運んできて安中製錬所で製錬してきましたが、やがて資源が枯渇すると海外から亜鉛鉱石を輸入して、内陸に有るこの製錬所で製錬してきました。そのため、神岡鉱山のような鉱山に付随した製錬所ではありませんが、製錬のプロセスは同様なので、カドミウム公害や亜硫酸ガス公害が発生したのです。
安中公害の場合、コメどころの富山県神通川流域地帯と異なり、養蚕業が主体だったためコメの摂取よりも雑穀の摂取のほうが多かったのかどうか分かりませんが、イタイイタイ病患者として認定された人は発生しなかったことになっています。しかし、当時のお年寄りには手足が異常に曲がった人が多く、喘息持ちも多かったように感じます。
我が国にはカドミウム汚染の場所がたくさんあります。富山県婦中町、兵庫県生野、石川県梯川流域、秋田県小坂町細越、長崎県対馬厳原町、そして群馬県安中市野殿地区などです。
このうち富山県婦中町は、前述のように日本で最初に発見された高濃度カドミウム汚染地域であり、20世紀初頭から、岐阜県吉城郡神岡町にある三井金属神岡鉱業所からカドミウムを含む大量の鉱泥・排水が高原川(県境で宮川と合流して神通川)に流され、その下流の富山県神通川流域である富山市の一部や婦負郡婦中町、大沢野町等の灌漑用水、水田土壌が高濃度のカドミウムに汚染されました。
石川県の梯子川は小松市を流れて日本海に注いでいます。この川の上流には江戸時代初期から金などを生産して鉱山があり、1968年にこの流域がカドミウムに汚染されていることが判明しました。
秋田県小坂町細越地区は、明治初年以来操業してきた小坂銅山(同和鉱業小坂鉱業所)からの排煙によりカドミウム汚染を受けた場所です。
長崎県対馬厳原町佐須(樫根、下原、小茂田、椎根の4地区)は、東邦亜鉛対州鉱山からの排水によりカドミウム汚染を受けました。同鉱山は約300年前に我が国で最初に銀を産出したことで有名ですが、第二次大戦前後から本格的な亜鉛の製錬が開始され、1960年代に出鉱のピークを迎えましたが、1973年に操業を停止しました。
カドミウム環境汚染養観察地域として指定されたのは次の場所です。
地域の名称(略称)/指定年月日/関係鉱山・製錬所
・宮城県鉛川・二迫川流域(鶯沢)/44.3.27/細倉鉱業所
・群馬県碓氷川・柳瀬川流域(安中・高崎)/44.4.27/安中製錬所
・長崎県佐須川・椎根川流域(厳原)/44.3.27/対州鉱業所
・大分県奥岳川流域(奥岳川)/44.5.28/豊栄鉱業所
・富山県黒部市三日市精錬所周辺地域(黒部)/45.5.27/三日市製錬所
・福島県磐梯町会津製錬所周辺地域(磐梯)/45.11.9/会津製錬所
・福岡県大牟田地域(大牟田)/46.1.30/三池製錬所
■このように、日本全国にはカドミウム汚染地帯がたくさんありますが、安中公害を除き殆ど汚染除去事業は済んでいます。公害問題が日本中を駆け巡ってから半世紀も経過したのに、未だに東邦亜鉛安中製錬所の周辺だけが手付かずのまま、放置されているのです。
こうした状況のもとに、今年1月17日付で地元住民らに群馬県と安中市に指導により、公害防除特別土地改良事業推進本部役員会名で、公特事業推進に関するアンケート調査が配布されました。何も知らされていない地元住民らは、どうせまた話だけだろうと思いつつ、やはり自分たちの世代でこの問題に決着を付けておく必要があると思っているため、期待を抱いてアンケートに記入して、安中市産業部農林課あてに提出したのでした。
ところが、当会のブログでも報告しているとおり、広大な汚染地域に広がっている農地の汚染土壌を剥ぎ取ったあと、客土をするための安全で安心な表土をどうやって確保するかが重要なのですが、その供給源として安中市鷺宮の元・安中蚕糸高校の演習用桑園跡地が最有力候補に挙がりました。
このことが地元住民らに、今度こそ、行政は本気でこの問題に取り組みそうだという確信を与えたのも事実でした。
■ところが、驚くべきことに、東邦亜鉛から長年にわたり政治献金を受け取ってきた岡田市長が、自ら公社の監事・理事として監督責任があった安中市土地開発公社の巨額横領事件の尻拭いである和解金を捻出するため、群馬県に対して公社が桑園跡地を買い取り、地元の運送業者向けに造成を行うとして、この10町歩もある桑園跡地の大量の表土を、公特事業に使わせないことを決めたのです。
このため、地元住民の期待は一挙にしぼんでしまいました。当会では、この客土確保用の桑園跡地の群馬県から安中市への売却にかかる経緯や、客土確保のために桑園跡地の利用を協議した議事録、さらに公特事業推進事業に関連して、同推進委員会が発足した平成8年以降、同会、行政及び東邦亜鉛との間でどのような協議が行われてきたのかを確認するために、情報開示をしてきました。ところが、群馬県も安中市も、肝心の土壌汚染データ情報を明らかにしようとせず、東邦亜鉛と行政との間で行われた協議の議事録も全部不開示としたのでした。
これでは、一体誰の何のための公特事業なのか意味がわかりません。それと同時に、本当に今回の公特事業を行政や東邦亜鉛は真剣に進めるつもりがあるのかどうか、地元住民らの不安が膨らみ始めたのです。
■そのため、思い悩んだ挙句、公特事業本部役員会の名前で、今度こそ、カドミウム汚染土壌の除染を実現するよう、行政に対して請願書を提出することになりました。汚染土壌の農地を保有し耕作する北野殿の住民ら関係者全員の署名をもって、行政に事業の推進を強く促すのが目的です。
地元住民らによる署名は6月下旬から始まり、既に相当数の署名が集まっていますので、今月中に群馬県知事宛に提出できるものとみられます。請願書の内容は次のとおりです。
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【署名依頼状】
公害防除特別土地改良事業推進に関わる署名の依頼について
岩野谷地区公害防除特別土地改良事業推進本部役員会
代表 木村晴光
他 役員一同
梅雨の候、いかがお過ごしでしょうか。
日頃より、皆様には大変お世話になっております。
さて、公害防除の土地改良事業につきましては、これまで、事業の進め方の問題や、カドミウムの基準値見直しなどの問題により、長年に渡り着手に至りませんでした。
しかし、私達や子孫が暮らしていくこの土地や農地を公害汚染土のままにしておくわけにはいかないと考え、この度、事業主体である群馬県知事宛に事業の推進を要望する事と致しました。
つきましては、関係する皆様にご署名をいただきたくここにお願い申し上げます。
【請願書】
2013年7月 日
群馬県知事 大澤正明殿
請 願 書
貴職におかれましては、口煩より県政の発展並びに県民の安心安全の確保に向け、ご尽力いただいておりますことに心より敬意を表します。
さて、安中市岩野谷地区の一部農地では、昭和12年に当市へ進出した民間企業によるカドミウム汚染が発生し、昭和47年から、49年にかけて安中市分107,72haが農用地土壌汚染防止法に基づき、土壌汚染対策地域の指定を受けました。その後、一部水田につきましては客土等により指定解除となりましたが、畑地につきましては事業内容や国によるカドミウム基準値の見直しなどの問題があり事業が未着手のまま今日に至っています。
しかし、それぞれの問題にも目途が立ち、現在は事業を進められる状況になりました。長い年月が経ってしまいましたが、先祖より受け継いできた土地を汚染土のまま、子や孫に渡すわけにはいきません。
貴職におかれましては、私たち地元住民の切なる思いをお汲み取りいただき、一日も早い事業着手に向け、ご尽力いただきますよう心よりお願い申し上げます。
【関係者署名簿】
住所/氏名/印
群馬県安中市 / /
※この署名は群馬県知事へ提出するほかには使用しません。
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■当会では、上記の請願書ではカドミウム汚染土壌の対象エリアが不十分であると考えて、昭和40年代に行われた水田の客土エリアの外側の農地も、公特事業の対象地とするよう、独自の請願書を作成しました。そして、上記の請願書と一緒に群馬県知事宛に提出することにしました。
**********
2013年7月 日
群馬県知事 大澤 正明 殿
請 願 書
貴職におかれましては、日ごろから県政の発展並びに県民の安心安全の確保に向け、ご尽力いただいておりますことに心より敬意を表します。
さて、安中市岩野谷地区の一部農地では、昭和12年6月に当市へ進出した東邦亜鉛製錬株式会社(昭和16年9月に現在の東邦亜鉛株式会社に社名変更)の安中製錬所から長年にわたり排出され続けている排煙廃液に含まれるカドミウム等重金属による土壌汚染が製錬所周辺や下流地域で発生しています。
東邦亜鉛が進出する以前は、この地域の農地は陸稲や麦類などの収量も高く、品質の良い農作物が収穫できていました。しかし30年余りにわたる安中製錬所の規模拡大、生産量急増の結果、安中公害と呼ばれる深刻な環境問題を引き起こし、周辺住民の生活環境や営農環境等に重大な悪影響を及ぼしたのでした。
その結果、昭和47年から49年にかけて安中市分105.66haが農用地土壌汚染防止法に基づき、土壌汚染対策地域の指定を受けました。その後、一部水田につきましては客土等により指定解除となりましたが、依然として指定対象地域の境界近傍にある一部の圃場(安中市字下山4285-2番地を含む)では0.7ppmを越える濃度のカドミウムを含んだ玄米コメを産出する状況にあります。
また、畑地につきましては、製錬所に近い北野殿や西岩井では土壌中のカドミウム濃度が5ppmを超えるところが珍しくなく、岩野谷地区の北半分でも土壌中カドミウム濃度が1ppm以上の場所が殆どという有様です。ところが、養蚕業の衰退や陸稲作付農家が僅少になっていること等を理由に、安中公害の影響を矮小視する東邦亜鉛や、それに加担する行政関係者らの不作為により、安中公害であれほど環境問題が指摘されたにも拘らず、その後40年を経過した現在に至っても、畑地のカドミウム等重金属汚染土壌の除染対策事業が未着手のまま今日に至っています。
私たちは、安中公害という負の遺産から決別すべく行政による諸事業の推進に期待を表明し協力してきましたが、ことごとく裏切られてきました。そして長い年月が経ってしまいましたが、これ以上この問題を先送りされることで、先祖より受け継いできた土地を重金属汚染土壌にまみれさせたまま、子や孫に引き継がせるわけにはいきません。
貴職におかれましては、私たち地元住民の安全・安心な生活環境と営農環境への切なる思いをお汲み取りいただき、一日も早い農地の除染対策事業の着手に向け、ご尽力いただきますよう心よりお願い申し上げます。
住所/氏名/印
群馬県安中市野殿980/小川賢/押印
**********
■昭和40年代に全国に知られた安中カドミウム公害問題。しかし、実際には半世紀経過しようとするのに、安中製錬所周辺の畑地汚染土壌は手付かずのままです。全国の他のカドミウム汚染指定地域では、ほとんど対策が完了したというのに、この有様です。
一刻も早く除染のための事業を進めるのが常識のはずですが、安中の場合はそうではありません。本来であれば、地元出身で汚染土壌畑地の所有者でも有る岡田義弘市長が先頭に立って、タゴ51億円事件とともに安中の2大負の遺産である安中公害地のクリーン化に励むのが当然です。しかし、岡田市長にはそのような姿勢は全く見られません。むしろ、あらゆる手を使って妨害を図っている始末なのです。
■今回の請願書が提出された場合、どのような事業推進のための促進効果が発揮できるのか、全く予断は許されませんが、地元住民らとしては何らかの意思表示をし続けないと、東邦亜鉛の域のかかった安中市長や、事業推進をしなくてもこうしたアンケートや実効性のない協議を続けているだけで給与が支給されている群馬県の役人らは、直ぐに東邦亜鉛の側に立って、地元住民らが黙っているのは公害に対する問題意識がないからだとして放置してしまうからです。
当会では、この請願書の提出時期を見計らって、国、群馬県、安中市そして東邦亜鉛に対して、事業推進の本気度を確認することにしています。
【ひらく会情報部・東邦亜鉛公害対策調査班】
↑先日、朝6時半頃、国道18号線を安中から高崎方面に走行中、直ぐ脇を「いわき」ナンバーの産廃トラックが走っていた。↑
↑見ると「東邦キャリア㈱」とあり、一見して小名浜にある東邦亜鉛子会社の産廃収集・運搬業者であることがわかる。見たところ空荷で小名浜に戻るようすだったので、産廃を小名浜から持ち込んだ可能性があるため、さっそく東邦亜鉛に確認した。担当責任者の話によれば、小名浜製錬所から安中製錬所には、亜鉛鉱石(焼鉱・精鉱)を東邦キャリア所属の産廃用ダンプを使って持ち込むことがあるという。通常は安中貨物とよばれるタンク車12両+無蓋車6両=計18両(日によってこれより車輌数が少ないこともある)の専用貨物列車で亜鉛焼鉱と精鉱を毎日運搬している。しかし、一部は東邦キャリアの産廃トラックを使って持ち込んでいるという。。↑
↑だが、シートが掛けられているので産廃なのかどうか判断することはできない。その懸念を同社に伝えたところ「絶対にルール違反はしていない。また昨年4月に県知事から認可してもらった産廃処分場はまだ産廃を持ち込んでいない」という。その一方、東邦キャリアの産廃トラックは、「安中製錬所の亜鉛製錬工程で出る銀製分を多く含む滓(同社では「含銀滓(がんぎんさい)」と呼ぶ)を小名浜まで運搬するのが主業務だ」という。小名浜に運ばれた含銀滓は一定量が溜まると、船で瀬戸内海に有る契島製錬所に運び銀の製錬原料となるのだという。ならばなぜ安中貨物の帰り便で含銀滓を運搬しないのか。この問いに対して担当者は「それをやると貨車を徹底的に掃除する必要がある。さもないとコンタミ(混合汚濁)となり製錬原料に無用な異種金属が含まれ製品の品質上問題となるので絶対にやらない」という。であれば、なぜ産廃トラックでは鉱石も含銀滓も運ぶのか?疑問は尽きない。このように東邦亜鉛安中製錬所を巡るマテリアル・バランスがどうなっているのか、正確なところは同社幹部しか知りえない情報らしい。↑
それまで、東邦亜鉛安中製錬所といえば、北風が吹く際には、北野殿地区全体が特有の刺激臭に包まれ、口の中が苦くなったものです。とりわけ、昭和32年に中宿の蓮華寺にあるはちす保育園に通い始めた頃から、昭和39年に小学校を卒業するまで、現在は東邦亜鉛安中製錬所の敷地内に取り込まれてしまいましたが、“たての坂”と地元で呼んでいた山道をしょっちゅう歩いて通学していました。
その際、時によっては黄色い煙が低く山肌に立ち込め、息が苦しくなり、地面に顔をつけるようにして坂道を上り下りしたものです。その後、公害訴訟後の立入調査で、このガスが亜鉛鉱石を焼いて中に含まれる硫黄分を除去するための焙焼炉から流れ出た有害な亜硫酸ガスであることを知りました。よくまあ子ども時代に長年にわたり、有害ガスを吸わされたものです。北野殿の年配者には喘息の人が多かったのもそのせいだと思われます。
家業の養蚕でも、東邦亜鉛から排出されるガスが桑の葉に係ると、蚕が水を吐いて死んでしまうため、製錬所に近い畑の桑では蚕を飼う事ができず、耕作放棄をせざるを得なくなりました。東邦亜鉛はそうした土地を買い占めて、どんどん拡がってきたのです。
■当時の我が国は高度成長時代で、生産力の増加が至上主義であり環境問題は二の次でした。ソそのため、未曾有の環境汚染とそれに伴う公害病が各地で発生しました。なかでも、水俣病、イタイイタイ病、カネミ油症、四日市喘息の被害が典型的で、これらは有機水銀、カドミウム、PCB、亜硫酸ガスを起因とする人的災害で、企業犯罪ともいうべきものでした。
実際には四大公害病は、水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市専属を指すことが多いようです。カネミ油症事件は食品公害ともいえるもので、工場から周辺環境を広く汚染したという形態とは異にするものだからです。
東邦亜鉛安中製錬所から排水や排ガスとともに周辺や下流に排出されたカドミウムをはじめとする重金属は、製錬所の操業直後から問題視されてきました。しかし、東邦亜鉛は常に行政とグルになり、政治家も巻き込んでそうした住民らの声を握りつぶしてきました。
いまでも地元の年配者らは、東邦亜鉛安中製錬所のことを「コードコー」と呼ぶのは、同社が1937年の創業にあたって、地元住民に、「この工場は兵隊さんの大切な命を守る鉄兜を作るのに必要な“高度鋼”を製造するのだ」と言って、騙したためです。地元の住民は、同社の体質を後世に伝えるため、あえてそうした呼び方をしているのです。
■学校を卒業すると親はこの地で農業を継げとは言いませんでした。いかにこの公害汚染地で作物を作って生業とすることが困難であるかをしっていたからです。そのため、しばらく都会に出て働いていましたが、やはり生まれ育ったふるさとは愛着があります。
図書館で戦前に書かれた郷土史を読んだことがあります。それを読むと、北野殿地区は、かつては陸稲や麦が良く獲れて、しかも非常に品質がよかったのいうのです。全国の農産品の品評会でも天皇賞を受賞した人がいたほどです。それはこの地の土壌が非常に肥えて農産物の生育に適していたからです。
現在ではその面影は全くありません。陸稲を作りたくでも、カドミウムを高濃度に含有しているため、作付けそのものが禁止されているためです。確かに現在では養蚕は数軒しかやっていませんが、住民は家庭菜園でとれた野菜や果樹を食べています。井戸水は重金属汚染のため、飲用は勿論生活水としても使うことが禁じられています。また、出荷用のコンニャクやネギなどが一部の畑地で栽培されています。しかし、きちんと重金属の含有量を計測し、食品衛生法によるトレーサビリティの表示を付けたら果たして消費者は買ってくれるのでしょうか。
■昭和40年代に全国的に有名になった四大公害病ですが、イタイイタイ病は、富山県神通川流域がとくに知られています。岐阜県の三井金属鉱業の神岡鉱山の鉱滓から滲み出たカドミウムが陣痛側下流の水田を汚染し、それで栽培された米を食べた人たちから発症したこの奇病は、カドミウムによる腎臓障害の結果、カルシウム代謝に異常を起こして、骨からカルシウムが奪われることで骨がもろくなることです。
重症になると、ちょっとした刺激で、例えば咳をしただけで肋骨が折れたりして、その激痛によりイタイイタイと患者が声を発することからこの名が付けられました。
東邦亜鉛は戦中から戦後まもなくの期間は対馬にある対州鉱山で掘られた亜鉛鉱石を運んできて安中製錬所で製錬してきましたが、やがて資源が枯渇すると海外から亜鉛鉱石を輸入して、内陸に有るこの製錬所で製錬してきました。そのため、神岡鉱山のような鉱山に付随した製錬所ではありませんが、製錬のプロセスは同様なので、カドミウム公害や亜硫酸ガス公害が発生したのです。
安中公害の場合、コメどころの富山県神通川流域地帯と異なり、養蚕業が主体だったためコメの摂取よりも雑穀の摂取のほうが多かったのかどうか分かりませんが、イタイイタイ病患者として認定された人は発生しなかったことになっています。しかし、当時のお年寄りには手足が異常に曲がった人が多く、喘息持ちも多かったように感じます。
我が国にはカドミウム汚染の場所がたくさんあります。富山県婦中町、兵庫県生野、石川県梯川流域、秋田県小坂町細越、長崎県対馬厳原町、そして群馬県安中市野殿地区などです。
このうち富山県婦中町は、前述のように日本で最初に発見された高濃度カドミウム汚染地域であり、20世紀初頭から、岐阜県吉城郡神岡町にある三井金属神岡鉱業所からカドミウムを含む大量の鉱泥・排水が高原川(県境で宮川と合流して神通川)に流され、その下流の富山県神通川流域である富山市の一部や婦負郡婦中町、大沢野町等の灌漑用水、水田土壌が高濃度のカドミウムに汚染されました。
石川県の梯子川は小松市を流れて日本海に注いでいます。この川の上流には江戸時代初期から金などを生産して鉱山があり、1968年にこの流域がカドミウムに汚染されていることが判明しました。
秋田県小坂町細越地区は、明治初年以来操業してきた小坂銅山(同和鉱業小坂鉱業所)からの排煙によりカドミウム汚染を受けた場所です。
長崎県対馬厳原町佐須(樫根、下原、小茂田、椎根の4地区)は、東邦亜鉛対州鉱山からの排水によりカドミウム汚染を受けました。同鉱山は約300年前に我が国で最初に銀を産出したことで有名ですが、第二次大戦前後から本格的な亜鉛の製錬が開始され、1960年代に出鉱のピークを迎えましたが、1973年に操業を停止しました。
カドミウム環境汚染養観察地域として指定されたのは次の場所です。
地域の名称(略称)/指定年月日/関係鉱山・製錬所
・宮城県鉛川・二迫川流域(鶯沢)/44.3.27/細倉鉱業所
・群馬県碓氷川・柳瀬川流域(安中・高崎)/44.4.27/安中製錬所
・長崎県佐須川・椎根川流域(厳原)/44.3.27/対州鉱業所
・大分県奥岳川流域(奥岳川)/44.5.28/豊栄鉱業所
・富山県黒部市三日市精錬所周辺地域(黒部)/45.5.27/三日市製錬所
・福島県磐梯町会津製錬所周辺地域(磐梯)/45.11.9/会津製錬所
・福岡県大牟田地域(大牟田)/46.1.30/三池製錬所
■このように、日本全国にはカドミウム汚染地帯がたくさんありますが、安中公害を除き殆ど汚染除去事業は済んでいます。公害問題が日本中を駆け巡ってから半世紀も経過したのに、未だに東邦亜鉛安中製錬所の周辺だけが手付かずのまま、放置されているのです。
こうした状況のもとに、今年1月17日付で地元住民らに群馬県と安中市に指導により、公害防除特別土地改良事業推進本部役員会名で、公特事業推進に関するアンケート調査が配布されました。何も知らされていない地元住民らは、どうせまた話だけだろうと思いつつ、やはり自分たちの世代でこの問題に決着を付けておく必要があると思っているため、期待を抱いてアンケートに記入して、安中市産業部農林課あてに提出したのでした。
ところが、当会のブログでも報告しているとおり、広大な汚染地域に広がっている農地の汚染土壌を剥ぎ取ったあと、客土をするための安全で安心な表土をどうやって確保するかが重要なのですが、その供給源として安中市鷺宮の元・安中蚕糸高校の演習用桑園跡地が最有力候補に挙がりました。
このことが地元住民らに、今度こそ、行政は本気でこの問題に取り組みそうだという確信を与えたのも事実でした。
■ところが、驚くべきことに、東邦亜鉛から長年にわたり政治献金を受け取ってきた岡田市長が、自ら公社の監事・理事として監督責任があった安中市土地開発公社の巨額横領事件の尻拭いである和解金を捻出するため、群馬県に対して公社が桑園跡地を買い取り、地元の運送業者向けに造成を行うとして、この10町歩もある桑園跡地の大量の表土を、公特事業に使わせないことを決めたのです。
このため、地元住民の期待は一挙にしぼんでしまいました。当会では、この客土確保用の桑園跡地の群馬県から安中市への売却にかかる経緯や、客土確保のために桑園跡地の利用を協議した議事録、さらに公特事業推進事業に関連して、同推進委員会が発足した平成8年以降、同会、行政及び東邦亜鉛との間でどのような協議が行われてきたのかを確認するために、情報開示をしてきました。ところが、群馬県も安中市も、肝心の土壌汚染データ情報を明らかにしようとせず、東邦亜鉛と行政との間で行われた協議の議事録も全部不開示としたのでした。
これでは、一体誰の何のための公特事業なのか意味がわかりません。それと同時に、本当に今回の公特事業を行政や東邦亜鉛は真剣に進めるつもりがあるのかどうか、地元住民らの不安が膨らみ始めたのです。
■そのため、思い悩んだ挙句、公特事業本部役員会の名前で、今度こそ、カドミウム汚染土壌の除染を実現するよう、行政に対して請願書を提出することになりました。汚染土壌の農地を保有し耕作する北野殿の住民ら関係者全員の署名をもって、行政に事業の推進を強く促すのが目的です。
地元住民らによる署名は6月下旬から始まり、既に相当数の署名が集まっていますので、今月中に群馬県知事宛に提出できるものとみられます。請願書の内容は次のとおりです。
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【署名依頼状】
公害防除特別土地改良事業推進に関わる署名の依頼について
岩野谷地区公害防除特別土地改良事業推進本部役員会
代表 木村晴光
他 役員一同
梅雨の候、いかがお過ごしでしょうか。
日頃より、皆様には大変お世話になっております。
さて、公害防除の土地改良事業につきましては、これまで、事業の進め方の問題や、カドミウムの基準値見直しなどの問題により、長年に渡り着手に至りませんでした。
しかし、私達や子孫が暮らしていくこの土地や農地を公害汚染土のままにしておくわけにはいかないと考え、この度、事業主体である群馬県知事宛に事業の推進を要望する事と致しました。
つきましては、関係する皆様にご署名をいただきたくここにお願い申し上げます。
【請願書】
2013年7月 日
群馬県知事 大澤正明殿
請 願 書
貴職におかれましては、口煩より県政の発展並びに県民の安心安全の確保に向け、ご尽力いただいておりますことに心より敬意を表します。
さて、安中市岩野谷地区の一部農地では、昭和12年に当市へ進出した民間企業によるカドミウム汚染が発生し、昭和47年から、49年にかけて安中市分107,72haが農用地土壌汚染防止法に基づき、土壌汚染対策地域の指定を受けました。その後、一部水田につきましては客土等により指定解除となりましたが、畑地につきましては事業内容や国によるカドミウム基準値の見直しなどの問題があり事業が未着手のまま今日に至っています。
しかし、それぞれの問題にも目途が立ち、現在は事業を進められる状況になりました。長い年月が経ってしまいましたが、先祖より受け継いできた土地を汚染土のまま、子や孫に渡すわけにはいきません。
貴職におかれましては、私たち地元住民の切なる思いをお汲み取りいただき、一日も早い事業着手に向け、ご尽力いただきますよう心よりお願い申し上げます。
【関係者署名簿】
住所/氏名/印
群馬県安中市 / /
※この署名は群馬県知事へ提出するほかには使用しません。
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■当会では、上記の請願書ではカドミウム汚染土壌の対象エリアが不十分であると考えて、昭和40年代に行われた水田の客土エリアの外側の農地も、公特事業の対象地とするよう、独自の請願書を作成しました。そして、上記の請願書と一緒に群馬県知事宛に提出することにしました。
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2013年7月 日
群馬県知事 大澤 正明 殿
請 願 書
貴職におかれましては、日ごろから県政の発展並びに県民の安心安全の確保に向け、ご尽力いただいておりますことに心より敬意を表します。
さて、安中市岩野谷地区の一部農地では、昭和12年6月に当市へ進出した東邦亜鉛製錬株式会社(昭和16年9月に現在の東邦亜鉛株式会社に社名変更)の安中製錬所から長年にわたり排出され続けている排煙廃液に含まれるカドミウム等重金属による土壌汚染が製錬所周辺や下流地域で発生しています。
東邦亜鉛が進出する以前は、この地域の農地は陸稲や麦類などの収量も高く、品質の良い農作物が収穫できていました。しかし30年余りにわたる安中製錬所の規模拡大、生産量急増の結果、安中公害と呼ばれる深刻な環境問題を引き起こし、周辺住民の生活環境や営農環境等に重大な悪影響を及ぼしたのでした。
その結果、昭和47年から49年にかけて安中市分105.66haが農用地土壌汚染防止法に基づき、土壌汚染対策地域の指定を受けました。その後、一部水田につきましては客土等により指定解除となりましたが、依然として指定対象地域の境界近傍にある一部の圃場(安中市字下山4285-2番地を含む)では0.7ppmを越える濃度のカドミウムを含んだ玄米コメを産出する状況にあります。
また、畑地につきましては、製錬所に近い北野殿や西岩井では土壌中のカドミウム濃度が5ppmを超えるところが珍しくなく、岩野谷地区の北半分でも土壌中カドミウム濃度が1ppm以上の場所が殆どという有様です。ところが、養蚕業の衰退や陸稲作付農家が僅少になっていること等を理由に、安中公害の影響を矮小視する東邦亜鉛や、それに加担する行政関係者らの不作為により、安中公害であれほど環境問題が指摘されたにも拘らず、その後40年を経過した現在に至っても、畑地のカドミウム等重金属汚染土壌の除染対策事業が未着手のまま今日に至っています。
私たちは、安中公害という負の遺産から決別すべく行政による諸事業の推進に期待を表明し協力してきましたが、ことごとく裏切られてきました。そして長い年月が経ってしまいましたが、これ以上この問題を先送りされることで、先祖より受け継いできた土地を重金属汚染土壌にまみれさせたまま、子や孫に引き継がせるわけにはいきません。
貴職におかれましては、私たち地元住民の安全・安心な生活環境と営農環境への切なる思いをお汲み取りいただき、一日も早い農地の除染対策事業の着手に向け、ご尽力いただきますよう心よりお願い申し上げます。
住所/氏名/印
群馬県安中市野殿980/小川賢/押印
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■昭和40年代に全国に知られた安中カドミウム公害問題。しかし、実際には半世紀経過しようとするのに、安中製錬所周辺の畑地汚染土壌は手付かずのままです。全国の他のカドミウム汚染指定地域では、ほとんど対策が完了したというのに、この有様です。
一刻も早く除染のための事業を進めるのが常識のはずですが、安中の場合はそうではありません。本来であれば、地元出身で汚染土壌畑地の所有者でも有る岡田義弘市長が先頭に立って、タゴ51億円事件とともに安中の2大負の遺産である安中公害地のクリーン化に励むのが当然です。しかし、岡田市長にはそのような姿勢は全く見られません。むしろ、あらゆる手を使って妨害を図っている始末なのです。
■今回の請願書が提出された場合、どのような事業推進のための促進効果が発揮できるのか、全く予断は許されませんが、地元住民らとしては何らかの意思表示をし続けないと、東邦亜鉛の域のかかった安中市長や、事業推進をしなくてもこうしたアンケートや実効性のない協議を続けているだけで給与が支給されている群馬県の役人らは、直ぐに東邦亜鉛の側に立って、地元住民らが黙っているのは公害に対する問題意識がないからだとして放置してしまうからです。
当会では、この請願書の提出時期を見計らって、国、群馬県、安中市そして東邦亜鉛に対して、事業推進の本気度を確認することにしています。
【ひらく会情報部・東邦亜鉛公害対策調査班】
隣接市の高崎市では平成25年7月1日より
「高崎市土砂等の堆積の規制に関する条例」が施行されました。
この条例が施行されたことに伴って、いままで高崎の土建業者が受け入れてきた首都圏発生の残土(汚染残土等)が、今まで以上に近隣市町村に拡散する事態が発生すると思われます。念のため報告いたします。
久しぶりにコメントをくださりありがとうございます。
「群馬県土砂等による埋立て等の規制に関する条例」については、ようやく群馬県が、関東地方で一番遅れて、いわゆる「残土条例」がようやく平成25年10月1日から施行されることになりました。
群馬県の今月号の広報ぐんまによれば、この条例は「県民の生活環境を保全し、県民の安全を確保することを目的に、土砂など(土砂に混入または付着している物を含む)の埋め立てや堆積について、必要な規制をするもの」とされています。
土砂などの汚染に関する基準(土壌基準)に適合していない土砂などを使っての、埋め立てや堆積(特定事業)をしようとするときは、県知事の許可を受けなければならなくなります。しかし、実際に10月から施行されたとしても、県の職員OBなどを顧問に据えて、インサイダーで手続きをすれば(あるいは手続きをしなくても)、裏ではどうにでもなることでしょう。
「特定事業を行う場所に土砂などを搬入しようとするときは、10日前までに県知事に届け出なければなりません。また、届け出の際に、搬入する土砂などの排出元と性状を証する書芽の予備土壌基準に適合していることを証する書面を添付しなければなりません。」とありますが、群馬県の職員が実際に現場でチェックするつもりはありませんから、ただのペーパーワークに過ぎません。
条例施行日は10月1日とされています。
特定事業の許可申請は9月2日(月)から、群馬県廃棄物・リサイクル課(電話027-226-2865、FAX027-223-7292)で受け付ける予定で、特定事業を10月1日(火)以前からしている、又は、しようとする場合は、9月30日(月)までに申請する必要があり、申請手数料として5万3千円を支払う必要があります。
この手数料を原資に、さらに県職員の天下り先確保のために業者との癒着が強まることが懸念されます。
まして、サンパイ業者に狙われている我らが安中市は、おそらく残土条例は県内自治体でも最後の最後になるのではないでしょうか。