■群馬高専で繰り広げられた一連の事件に関し、何のけじめも始末も付けず、ちょうど一年前の17年3月末に文科省に逃亡した西尾前校長に代わり、長岡高専輩出の改革者として鳴り物入りで群馬高専校長の座に就いた山崎誠現校長ですが、当初の期待とは裏腹に更に劣悪化した隠蔽路線をひた走っています。その理由の一端を探るため、市民オンブズマン群馬では本年2月10日に国立国会図書館に赴き、群馬高専幹部らのプロフィール調査を行ったことは既報の通りです。
〇2018年2月20日:アカハラと寮生死亡事件に揺れる群馬高専…国立国会図書館での職員名鑑閲覧で見えてきた西尾前校長の作戦↓
http://pink.ap.teacup.com/ogawaken/2566.html
当会によるこうした調査の反響は大きく、その中で、群馬のお隣り長野県にお住いの教育関係者から、群馬高専と高専機構の内情に関わる大変貴重な内部情報をご提供いただきました。群馬高専を他の高専と比較して分析することは、それぞれの学校の体質といったものを客観的な尺度で見ることができるため、こうした他校に関する情報は、大変貴重です。
群馬高専を開かれた明るいキャンパスにするための当会の活動にご協力くださり、厚く御礼申し上げますとともに、ご提供を賜った情報に関しては、今回2つの記事にまとめて、順次ご報告させていただく次第です。本件に関心のある読者・関係者の皆様がたにとって、高専の抱える諸問題の実態を知るうえで、有益となれば幸いです。
↑今回素性が大きく明らかになった猿田智男・群馬高専現事務部長。この経歴を覚えられたし。↑
■群馬高専の異常なまでに頑なな隠蔽姿勢がいったい何によって駆動されているのか? この命題について、当会では様々に分析を重ねてきましたが、提供情報によれば、17年4月から群馬高専事務部長の座にある猿田氏が、そのキーパーソンとなっているようです。
入手した猿田事務部長の経歴を確認すると、14年4月に国立高専機構の総務課長になって3年間勤めたあと、昨年4月から現職にあることがわかります。すなわち機構本部から群馬高専の最高幹部として送り込まれた形となりますが、この目的の一つが、群馬高専の運営に機構本部の意向を反映させる、端的に言えば、支配するためである可能性が高い、というのです。
当会として、猿田氏に関しては、昨年6月の面談時に対面した以外ではこれといって接触する機会もなく、山崎校長の陰でひっそり転属し情報も無かったことから、高卒から蛍雪の功で事務部長に登りつめた人物といった程度の印象しか抱いていなかったため、この視点については完全に盲点でした。
■では、高専機構・各高専の内部運営について都度説明を加えつつ、群馬高専と高専機構、そして猿田氏のウラ事情について詳細を見ていきましょう。
ここで猿田氏を語る上でもっとも大きな要素のひとつが、「信州大学」です。長野県唯一の4年制国立大学として知られますが、猿田氏の経歴を再度見返すと、高校卒業後すぐの1977年4月にここに新規採用され、以後生涯のキャリアの大半をここで過ごしていることがわかります。これは、猿田氏の生まれ故郷が長野県であるからに他なりません。
それから30年後の07年4月には信州大学の課長補佐まで登りつめますが、情報提供者いわく、このあたりから猿田氏のキャリアに「異変」が起こったようです。
■それまで奉職していた信州大学内で猿田智男氏がどのように思われていたかというと、実は評判はあまり芳しくなかったようです。というのも、異様に上昇志向が強く、部下に対して高圧的な態度を取り、上に対しては忠実な“犬”となってゴマをする人物だったためです。
さらに前述のとおり07年には課長補佐にまで登りつめていましたが、ここから信州大の課長になろうと血走り、猿田氏は自ら課長候補として自分を売り込みます。しかし、これが裏目に出てしまったようです。信州大学では上司から声を掛けられて課長(候補)になるのが慣例であるにも関わらず、上昇志向のあまり“犬”であることを珍しく忘れてしまいました。
こうして、慣例を破ってしまった猿田氏は、せっかく取り入ってきた上司からも不興を買ってしまい、結果として信州大で課長になる道は閉ざされてしまいました。
経歴を見ても、08年4月から長野高専総務課長になっており、上も下も敵だらけになった彼が課長のポストを得るため信州大を飛び出ざるを得なかったことがわかるとともに、この時から彼が高専機構に本格的に関わり始めていることがわかります。
■その後14年4月から高専機構の総務課長に抜擢された猿田氏ですが、本人の胸中としては「ふるさとの長野県に帰りたい」という想いがあったようで、部長に昇格するにあたっては信州大か、長野高専への配属を希望したようです。しかしながら、それまで積み重ねてきた所業のせいか、信州大からも長野高専からも人望を完全に失っており、部長として長野県に凱旋する夢は絶たれてしまいました。
長野高専に関しては、彼が2年ほど勤めた時の評判すら散々だったということに加え、職員の大半が彼の本性をよく知る信州大関係者でもあるという事情もあったようで、長野高専関係者の間では猿田氏が部長で来なかったことに安堵していたそうです。
なお、国立大学や高専の人事は、課長補佐以下と課長以上で異動範囲(都道府県内か、そうでないか)が異なっており、前者は近隣異動、後者は広域異動のようです。近隣異動は、主に近隣大学との人事交流によって成り立っています(たとえば、群馬高専であれば群馬大学との交流が主体)。
この場合、多くは数年程度で元いた機関に帰るなどして再度異動となりますが、出元への復帰を期さない一方通行の場合もあります。高専の課長補佐以下の事務員の三分の一から半数近くは近隣大学等からの人事交流によります。このように人材がかなり流動的なため、同県内だと他機関でも職員の評判は筒抜けであるようです。
■閑話休題、こうして行き場をなくしてしまった猿田氏ですが、彼を持て余す形となった高専機構は群馬高専に目を付けました。長野の隣りで、しかもオンブズマン対策のため「上」の命令を忠実に聞く機構の人材が求められる場所であったため、うってつけであったようです。部長ポストを欲していた猿田氏も二つ返事でこれを受け入れ、かくして猿田・群馬高専事務部長が誕生したのでした。
他方、同じく17年4月から群馬高専校長となった山崎誠氏ですが、まだ現職に就いて日が浅いため、オンブズマンへの対応に関しては自分で考えられず、機構とのパイプが深い猿田事務部長の言うがまま、という形になっていることが強くうかがえます。
確かに、教員上がりのまま裁判やオンブズマン対応をやれと言われても、事務方に頼りきりにならなければ厳しい部分もあるでしょう。高専機構もそれを見透かしたうえで今回の配置を行っている可能性があります。
■さらに、山崎校長の一挙手一投足を監視することにより、群馬高専が万が一にでも機構の思惑から逸脱した「独自行動」をしないよう、くびきとして猿田事務部長を充てているという見方もできます。すなわち、現在、群馬高専のオンブズマン対応はじめアカハラ・寮生連続不審死事件等の諸問題の隠蔽行動の軸となっているのは、猿田智男事務部長である可能性が非常に高いということになります。
今から思えば、昨年6月6日の群馬高専でのオンブズマンと山崎新校長らとの会合では、山崎新校長を差し置いて、猿田事務部長がずいぶん丁重な口調で、しかし当会の質問のポイントは適当にはぐらかし、あらかじめ用意していたスカスカな内容の回答を読み上げるなど、対応を実質的に取り仕切っていた感があります。
なお、昨年6月の猿田氏と山崎校長との面談時の様子は次のブログ記事を参照ください。
〇2017年6月15日:【詳報】群馬高専のアカハラ等問題について4月に着任の新校長ら幹部とオンブズマンの会合の一部始終↓
http://pink.ap.teacup.com/ogawaken/2344.html
また、猿田事務部長が櫻井課長にあれこれ指示せず気遣っているように見えたのは、櫻井課長が猿田部長をやっかんでいるからというよりは、実は猿田部長自身が本件を取り仕切るために、櫻井課長には後ろで会話記録をメモさせておき、単に上から目線で下働きをさせておくだけであった、というのが本当のところであったということになります。この点に関しては当会の観察・洞察の不明・不足を恥じ、深くお詫び申し上げたいと思います。
■また、提供情報によると、高専プロパーが高専校長となる場合は、しがらみ(癒着)を無くすため、在籍していた高専の校長にはなれないという暗黙の了解があるそうです。
そうなると以前当会が仮説の一つとして挙げた「長岡高専校長の座を巡るレース」はとくに起こってはいなかったということになります。とすれば、ますます山崎校長が主体的かつ執拗に高専機構・文科省・西尾前校長に忖度する動機が薄くなってきます。
ここで今回の情報提供を踏まえれば、上昇志向が異様に強く、「上」の言う事に極めて従順な猿田氏が、高専機構によって、山崎校長の「サポート」かつ「目付役」として送り込まれ、結果として群馬高専が機構のいいようにされているというのが、現状のひとつの見方なのでしょう。
そしてアカハラ事件不開示訴訟に関する控訴や、「校報」人事情報・弁護士費用情報全面不開示などの異常なまでのオンブズマン敵視・徹底抗戦姿勢は、猿田事務部長が駆動力となっているということになります。
■考えれば、「徹底抗戦」に関しては、群馬高専としても文書作成や関係各所(機構本部や弁護士事務所)との調整、会議など相当な労力を要するはずであり、まして控訴となれば貴重な群馬高専の予算から膨大な額の訴訟・弁護士費用までもが飛んでいく訳です。
我が国の今後を担う若人に使われるべき貴重な教育予算なのに、「なぜ、たかが文書数枚の為に、しかも無理筋な不開示に、ここまでの人的・金銭的リソースを投入できるのか? 素直に開示すれば遥かに楽に済むのではないのだろうか?」ということが群馬高専の異常性を象徴する疑問として長らくオンブズマンの頭の中にありました。
この答えのひとつとして考えられていたのが、西尾前校長が逃げ切るまでの時間稼ぎですが、それだけではないのではないだろうかと思っていた矢先に、もう一つの切り口として猿田事務部長という答えが現れてきたことになります。
つまり、群馬高専が些細な隠蔽にまで人的リソースの投入を躊躇しないのは、猿田事務部長が部下に対し横柄で高圧的で、そして罪悪感を抱かずに「徹底抗戦」のために部下をこき使えるからであって、さらに群馬高専が下らない控訴にまでその貴重な予算を投入できるのは、猿田事務部長にとって群馬高専、ひいては群馬自体がたんに成り行きで来ただけの何の思い入れもない学校であり、土地だからということでしょう。
■さて、“桃太郎”である機構の下、その“犬”として“キジ”の如く飛び回り八面六臂・獅子奮迅の活躍を見せる“猿”田部長ですが、こうなると我々オンブズマンは、(隠蔽・天下り)日本一の高専機構や一人三役をこなす猿田部長はじめ群馬高専職員からしてみれば、さしずめ鬼ヶ島の鬼ということになります。
実は、この見方は冗談ではないようです。というのも、情報提供によれば、群馬高専職員が、「性悪のオンブズマンに噛みつかれているが、大したことは無い」と豪語していたというエピソードがあるようです。あたかも当会の活動を、暴力、威力と詐欺的手法を駆使して経済的利益を追求する反社会的勢力と勘違いしているかのようです。
何人もの人生を歪ませておいてどちらが“性悪”なのか、もはや論評にも値しませんが、あれほど報道までされても自分たちを客観視できずにオンブズマンを「イチャモンをつける性悪集団」扱いしているとなると、どうしようも無いところまで腐敗しきっているとしか言いようがありません。
■そして、猿田事務部長が群馬高専の徹底抗戦の原動力となっているとして、山崎校長はじめ他の群馬高専現幹部らの責任が軽くなるわけではありません。
山崎校長とて、名古屋大学で博士課程まで進み、以後学問の探究者としてその生涯を捧げてきたわけですから、思考停止に陥らされ、薄汚い役人どもの思惑に屈するいわれはまったくないはずです。
だから、山崎校長には、己の倫理観と常識と経験と教育者・研究者としての誇りに基づいて、自らしっかり考えてご行動いただきたい、と強く感じているのは決して当会だけではないはずです。
【市民オンブズマン群馬事務局からの報告・この項続く】⇒「隣県長野からの情報②…隣県も文科省天下り校長で大迷惑?長野高専の実情」↓
https://pink.ap.teacup.com/ogawaken/2603.html
〇2018年2月20日:アカハラと寮生死亡事件に揺れる群馬高専…国立国会図書館での職員名鑑閲覧で見えてきた西尾前校長の作戦↓
http://pink.ap.teacup.com/ogawaken/2566.html
当会によるこうした調査の反響は大きく、その中で、群馬のお隣り長野県にお住いの教育関係者から、群馬高専と高専機構の内情に関わる大変貴重な内部情報をご提供いただきました。群馬高専を他の高専と比較して分析することは、それぞれの学校の体質といったものを客観的な尺度で見ることができるため、こうした他校に関する情報は、大変貴重です。
群馬高専を開かれた明るいキャンパスにするための当会の活動にご協力くださり、厚く御礼申し上げますとともに、ご提供を賜った情報に関しては、今回2つの記事にまとめて、順次ご報告させていただく次第です。本件に関心のある読者・関係者の皆様がたにとって、高専の抱える諸問題の実態を知るうえで、有益となれば幸いです。
↑今回素性が大きく明らかになった猿田智男・群馬高専現事務部長。この経歴を覚えられたし。↑
■群馬高専の異常なまでに頑なな隠蔽姿勢がいったい何によって駆動されているのか? この命題について、当会では様々に分析を重ねてきましたが、提供情報によれば、17年4月から群馬高専事務部長の座にある猿田氏が、そのキーパーソンとなっているようです。
入手した猿田事務部長の経歴を確認すると、14年4月に国立高専機構の総務課長になって3年間勤めたあと、昨年4月から現職にあることがわかります。すなわち機構本部から群馬高専の最高幹部として送り込まれた形となりますが、この目的の一つが、群馬高専の運営に機構本部の意向を反映させる、端的に言えば、支配するためである可能性が高い、というのです。
当会として、猿田氏に関しては、昨年6月の面談時に対面した以外ではこれといって接触する機会もなく、山崎校長の陰でひっそり転属し情報も無かったことから、高卒から蛍雪の功で事務部長に登りつめた人物といった程度の印象しか抱いていなかったため、この視点については完全に盲点でした。
■では、高専機構・各高専の内部運営について都度説明を加えつつ、群馬高専と高専機構、そして猿田氏のウラ事情について詳細を見ていきましょう。
ここで猿田氏を語る上でもっとも大きな要素のひとつが、「信州大学」です。長野県唯一の4年制国立大学として知られますが、猿田氏の経歴を再度見返すと、高校卒業後すぐの1977年4月にここに新規採用され、以後生涯のキャリアの大半をここで過ごしていることがわかります。これは、猿田氏の生まれ故郷が長野県であるからに他なりません。
それから30年後の07年4月には信州大学の課長補佐まで登りつめますが、情報提供者いわく、このあたりから猿田氏のキャリアに「異変」が起こったようです。
■それまで奉職していた信州大学内で猿田智男氏がどのように思われていたかというと、実は評判はあまり芳しくなかったようです。というのも、異様に上昇志向が強く、部下に対して高圧的な態度を取り、上に対しては忠実な“犬”となってゴマをする人物だったためです。
さらに前述のとおり07年には課長補佐にまで登りつめていましたが、ここから信州大の課長になろうと血走り、猿田氏は自ら課長候補として自分を売り込みます。しかし、これが裏目に出てしまったようです。信州大学では上司から声を掛けられて課長(候補)になるのが慣例であるにも関わらず、上昇志向のあまり“犬”であることを珍しく忘れてしまいました。
こうして、慣例を破ってしまった猿田氏は、せっかく取り入ってきた上司からも不興を買ってしまい、結果として信州大で課長になる道は閉ざされてしまいました。
経歴を見ても、08年4月から長野高専総務課長になっており、上も下も敵だらけになった彼が課長のポストを得るため信州大を飛び出ざるを得なかったことがわかるとともに、この時から彼が高専機構に本格的に関わり始めていることがわかります。
■その後14年4月から高専機構の総務課長に抜擢された猿田氏ですが、本人の胸中としては「ふるさとの長野県に帰りたい」という想いがあったようで、部長に昇格するにあたっては信州大か、長野高専への配属を希望したようです。しかしながら、それまで積み重ねてきた所業のせいか、信州大からも長野高専からも人望を完全に失っており、部長として長野県に凱旋する夢は絶たれてしまいました。
長野高専に関しては、彼が2年ほど勤めた時の評判すら散々だったということに加え、職員の大半が彼の本性をよく知る信州大関係者でもあるという事情もあったようで、長野高専関係者の間では猿田氏が部長で来なかったことに安堵していたそうです。
なお、国立大学や高専の人事は、課長補佐以下と課長以上で異動範囲(都道府県内か、そうでないか)が異なっており、前者は近隣異動、後者は広域異動のようです。近隣異動は、主に近隣大学との人事交流によって成り立っています(たとえば、群馬高専であれば群馬大学との交流が主体)。
この場合、多くは数年程度で元いた機関に帰るなどして再度異動となりますが、出元への復帰を期さない一方通行の場合もあります。高専の課長補佐以下の事務員の三分の一から半数近くは近隣大学等からの人事交流によります。このように人材がかなり流動的なため、同県内だと他機関でも職員の評判は筒抜けであるようです。
■閑話休題、こうして行き場をなくしてしまった猿田氏ですが、彼を持て余す形となった高専機構は群馬高専に目を付けました。長野の隣りで、しかもオンブズマン対策のため「上」の命令を忠実に聞く機構の人材が求められる場所であったため、うってつけであったようです。部長ポストを欲していた猿田氏も二つ返事でこれを受け入れ、かくして猿田・群馬高専事務部長が誕生したのでした。
他方、同じく17年4月から群馬高専校長となった山崎誠氏ですが、まだ現職に就いて日が浅いため、オンブズマンへの対応に関しては自分で考えられず、機構とのパイプが深い猿田事務部長の言うがまま、という形になっていることが強くうかがえます。
確かに、教員上がりのまま裁判やオンブズマン対応をやれと言われても、事務方に頼りきりにならなければ厳しい部分もあるでしょう。高専機構もそれを見透かしたうえで今回の配置を行っている可能性があります。
■さらに、山崎校長の一挙手一投足を監視することにより、群馬高専が万が一にでも機構の思惑から逸脱した「独自行動」をしないよう、くびきとして猿田事務部長を充てているという見方もできます。すなわち、現在、群馬高専のオンブズマン対応はじめアカハラ・寮生連続不審死事件等の諸問題の隠蔽行動の軸となっているのは、猿田智男事務部長である可能性が非常に高いということになります。
今から思えば、昨年6月6日の群馬高専でのオンブズマンと山崎新校長らとの会合では、山崎新校長を差し置いて、猿田事務部長がずいぶん丁重な口調で、しかし当会の質問のポイントは適当にはぐらかし、あらかじめ用意していたスカスカな内容の回答を読み上げるなど、対応を実質的に取り仕切っていた感があります。
なお、昨年6月の猿田氏と山崎校長との面談時の様子は次のブログ記事を参照ください。
〇2017年6月15日:【詳報】群馬高専のアカハラ等問題について4月に着任の新校長ら幹部とオンブズマンの会合の一部始終↓
http://pink.ap.teacup.com/ogawaken/2344.html
また、猿田事務部長が櫻井課長にあれこれ指示せず気遣っているように見えたのは、櫻井課長が猿田部長をやっかんでいるからというよりは、実は猿田部長自身が本件を取り仕切るために、櫻井課長には後ろで会話記録をメモさせておき、単に上から目線で下働きをさせておくだけであった、というのが本当のところであったということになります。この点に関しては当会の観察・洞察の不明・不足を恥じ、深くお詫び申し上げたいと思います。
■また、提供情報によると、高専プロパーが高専校長となる場合は、しがらみ(癒着)を無くすため、在籍していた高専の校長にはなれないという暗黙の了解があるそうです。
そうなると以前当会が仮説の一つとして挙げた「長岡高専校長の座を巡るレース」はとくに起こってはいなかったということになります。とすれば、ますます山崎校長が主体的かつ執拗に高専機構・文科省・西尾前校長に忖度する動機が薄くなってきます。
ここで今回の情報提供を踏まえれば、上昇志向が異様に強く、「上」の言う事に極めて従順な猿田氏が、高専機構によって、山崎校長の「サポート」かつ「目付役」として送り込まれ、結果として群馬高専が機構のいいようにされているというのが、現状のひとつの見方なのでしょう。
そしてアカハラ事件不開示訴訟に関する控訴や、「校報」人事情報・弁護士費用情報全面不開示などの異常なまでのオンブズマン敵視・徹底抗戦姿勢は、猿田事務部長が駆動力となっているということになります。
■考えれば、「徹底抗戦」に関しては、群馬高専としても文書作成や関係各所(機構本部や弁護士事務所)との調整、会議など相当な労力を要するはずであり、まして控訴となれば貴重な群馬高専の予算から膨大な額の訴訟・弁護士費用までもが飛んでいく訳です。
我が国の今後を担う若人に使われるべき貴重な教育予算なのに、「なぜ、たかが文書数枚の為に、しかも無理筋な不開示に、ここまでの人的・金銭的リソースを投入できるのか? 素直に開示すれば遥かに楽に済むのではないのだろうか?」ということが群馬高専の異常性を象徴する疑問として長らくオンブズマンの頭の中にありました。
この答えのひとつとして考えられていたのが、西尾前校長が逃げ切るまでの時間稼ぎですが、それだけではないのではないだろうかと思っていた矢先に、もう一つの切り口として猿田事務部長という答えが現れてきたことになります。
つまり、群馬高専が些細な隠蔽にまで人的リソースの投入を躊躇しないのは、猿田事務部長が部下に対し横柄で高圧的で、そして罪悪感を抱かずに「徹底抗戦」のために部下をこき使えるからであって、さらに群馬高専が下らない控訴にまでその貴重な予算を投入できるのは、猿田事務部長にとって群馬高専、ひいては群馬自体がたんに成り行きで来ただけの何の思い入れもない学校であり、土地だからということでしょう。
■さて、“桃太郎”である機構の下、その“犬”として“キジ”の如く飛び回り八面六臂・獅子奮迅の活躍を見せる“猿”田部長ですが、こうなると我々オンブズマンは、(隠蔽・天下り)日本一の高専機構や一人三役をこなす猿田部長はじめ群馬高専職員からしてみれば、さしずめ鬼ヶ島の鬼ということになります。
実は、この見方は冗談ではないようです。というのも、情報提供によれば、群馬高専職員が、「性悪のオンブズマンに噛みつかれているが、大したことは無い」と豪語していたというエピソードがあるようです。あたかも当会の活動を、暴力、威力と詐欺的手法を駆使して経済的利益を追求する反社会的勢力と勘違いしているかのようです。
何人もの人生を歪ませておいてどちらが“性悪”なのか、もはや論評にも値しませんが、あれほど報道までされても自分たちを客観視できずにオンブズマンを「イチャモンをつける性悪集団」扱いしているとなると、どうしようも無いところまで腐敗しきっているとしか言いようがありません。
■そして、猿田事務部長が群馬高専の徹底抗戦の原動力となっているとして、山崎校長はじめ他の群馬高専現幹部らの責任が軽くなるわけではありません。
山崎校長とて、名古屋大学で博士課程まで進み、以後学問の探究者としてその生涯を捧げてきたわけですから、思考停止に陥らされ、薄汚い役人どもの思惑に屈するいわれはまったくないはずです。
だから、山崎校長には、己の倫理観と常識と経験と教育者・研究者としての誇りに基づいて、自らしっかり考えてご行動いただきたい、と強く感じているのは決して当会だけではないはずです。
【市民オンブズマン群馬事務局からの報告・この項続く】⇒「隣県長野からの情報②…隣県も文科省天下り校長で大迷惑?長野高専の実情」↓
https://pink.ap.teacup.com/ogawaken/2603.html
長野高専在職中、総務課長だった猿田氏が、「実際には自殺だった事案を、遺族の意向をうけてどのように“急病死”として処理し、事実を隠蔽して、職員にさえも、事実でない事案として認識させることができたのか、は確かに貴重な経験として、群馬高専の隠蔽体質の継続性に貢献していると言えると思います。
ところで、「元関係者」さんは、どのようにして自殺とわかったのか、そのあたりの顛末を、左下のメッセージBOX、もしくは「拍手欄」のコメント欄でご教示をお願いできれば幸いです。
市民オンブズマン群馬事務局より