■群馬高専アカハラ・寮生連続不審死問題への追及活動から野火のように波及して、隣県の長野高専の関係者からも、天下り校長の粗暴な言動や、不正会計、連続自殺、水銀流出隠蔽など告発が相次いだことから、当会では昨年来同校への追及を強めていました。
その甲斐あってか、前年度末をもって文科省からの天下りである石原祐志氏が校長を辞し、前東京高専副校長の土居信数氏が長野高専新校長に就任しました。
↑2019年度から長野高専校長に就任した土井信数氏。長野高専HPより。人物評やいかに……?↑
■新校長となる土居氏の人となりを尋ねてみると、就任当初の下馬評としては賛否両論であったそうです。というのも、東京高専関係者からの情報によれば、前職の東京高専における副校長としての運営手腕は決して褒められたものではなかったようだからです。
曰く、「自分の意見を持っていないため、トップである校長が替わる度にコロコロ方針が変わり、振り回されて大変だった」「東京高専の前校長時代に土居氏を中心に推し進めた事柄について、現校長に替わった途端にあれはよくなかったと180度転換し大混乱したことがある」ということのようで、こうした評判は長野高専の教職員の耳にも事前に届いているそうです。
とはいえ、天下り石原校長に散々苦しめられた長野高専がようやく迎える高専プロパーの校長ですから、期待が高まっているのも事実です。ある長野高専関係者は、「就任当初の挨拶で、『日立製作所に数十年務めた後、東京高専で十年ほどお世話になり、その間寮務主事などになって昨年は筆頭副校長をしておりました』と自己紹介し、教員経験に基づいたことも述べていて、天下りの石原氏より遥かに良い印象を受けた」との感想を抱いたようです。
また、同関係者は、「土居氏が最初にやることは、石原氏の残した負の遺産の後始末ですが、イエスマンの副校長と校長特別補佐をどう扱うかにかかっています」とこれからの課題を述べていました。
とはいえ、校長が変わっても、今まで長野高専で発生した諸事件の清算が済んだわけではありません。長野高専での連続自殺事件とそれを巡る同校の悪質な対応の実態解明が未だになされていないこと、不正会計事件や2017年の水銀流出が未公表のまま事実上隠蔽されていることなど、長野高専にはまだまだ重い課題が残されたままとなっています。さらに、上記の長野高専関係者が危惧する通り、石原氏などの天下り校長らが改悪に改悪を重ねた長野高専の運営システムを健全な形に再建することも急務であるといえます。
■長野高専のこれからに注目が集まる一方で、もうひとつ気になるのが退陣した石原氏のその後の動向です。長野高専関係者からの情報提供によれば、かの「理化学研究所」の部長職として異動したようです。
しかし、話はこれで終わりませんでした。内部情報によれば、石原氏の今回の異動劇は極めて異例で不自然な点が多く、そして実は、理化学研究所と石原氏は少なからぬ因縁があったようです。ひとつひとつ見ていきましょう。
■石原氏の校長辞職の可能性が極めて高いと判明したのは昨年(2018)の11月のことでした。内部情報から11月16日に文科省の人事課を訪れたことが判明し、辞任と異動に関する打ち合わせをした可能性が高いものとみられたからです。そして実際に、3月6日前後に高専機構から校長交代の内示を受けたようです。
しかし、その時点では次の行き先は決定していなかったようです。すなわち、「次の異動先が空欄のまま」、辞任と異動の内示が出されるという異常事態が発生していたようです。11月の段階からすでに話が動いており、決して時間的余裕が無かったわけでもないことも考え合わせると、明らかに奇妙な話です。
そして石原氏の異動先がようやく理研に決定し通知されたのは、3月下旬後半の話でした。明らかに、何らかのトラブルが内部で起こっていたことがわかります。
■視点を変えて、石原氏の経歴を見てみると、約20年前となる平成8(1996)年1月から平成9(1997)年7月にも、理化学研究所に在籍していたことがわかります。
↑石原祐志氏の経歴。約20年前に「理化学研究所大型放射光施設計画推進部付調査役」として在籍し、そして7月という不自然な時期に本庁(当時の科学技術庁)に出戻りしていることがうかがえる。↑
そして、この20年前の理研在籍時代に関して、関係者から衝撃的な内部情報提供がありました。なんと当時、石原氏はここで不正行為をはたらき、相当なペナルティを受けたことがあったようです。また、石原氏自らが辞任直前に「だいぶ前のことなので、気にしなくてもいいのかもしれないけども、前に理研にいたとき、外部から刺されていい思い出がない。本当は理研には行きたくない」と酒の席で漏らしてもいたようです。
■という訳で、上に載せた経歴と各種証言をあわせて考えると、「石原氏はかつて理研時代に懲戒処分相当の不正行為をはたらき、それが外部のはたらきで露見し、結果として7月という中途半端な時期に理研を追われて本庁に引き取られざるを得なかった」という流れが見えてきます。
実際に石原氏がどのような不正をはたらいたのか、どのような経緯でそれが露見したのか、そして実際にどのような処分が下されたのかは現時点では一切不明ですが、このような経緯があったのだとすれば、上述のように異動先の決定においてトラブルがあったことにもある程度の説明がつきます。つまり、このような問題を起こしているので、理化学研究所が受け入れに抵抗し、新年度ギリギリになり、部長職での受け入れということでようやく双方妥協した経緯があったと想像できます。
ここで説明を加えると、内部関係者によれば、高専校長というのは「局長クラス」のポストのようで、そこから部長では事実上の降格扱いとなってしまうようです。ここから、官僚の石原氏としてはこの異動が極めて不本意であったこと、そしてそれでも背に腹は代えられない事情があったことがうかがえます。
(しかしひとつ不思議なのは、異動先の選択肢は本省や他の外郭団体などたくさんあったはずにも関わらず、なぜ人事が理研にこだわり、その部長職しかあてがわなかったのか、ということです。よほどポストに空きが無かったのでしょうか)
■この「20年前に石原氏が理研でしでかした不祥事」については、長野高専で発生した諸事件や同校の抱える問題とは特に関係はありませんが、長野高専関係者らの強い要望を受けて、詳細な調査を試みることにしました。
それに、視点を変えると、石原氏が大変な不祥事を起こしていたとして、そのことを知りながら反省も改心もないまま平然と教育機関の校長職に据えて大迷惑をかけた文科省と高専機構の責任は重大です。
加えて、現在の石原氏の理研での正確なポストが不明だったため、これについても調べを入れることにしました。
■まず、20年前の事件について調べるため、5月8日に理化学研究所(総務部総務課情報公開窓口:埼玉県和光市)に次の内容の情報開示請求書を提出しました。
**********ZIP⇒20190508ljij.zip
平成8年1月~平成9年7月にかけ貴法人に所属していた石原祐志氏について、
(1)当該人物が当時受けた処分等に関する一切の文書。
(2)当該人物の就任および離任に関して発行された一切の文書。
**********
回答を待っていると、5月31日に理研から開示決定書が届きました。しかしそれは、(2)に関して就任辞令等の当たり障りのない文書は開示するものの、処分に関する情報は不開示どころか存否応答拒否とするというものでした。
*****5/31理研からの開示決定書(抜粋)*****ZIP⇒20190531wljm.zip
1.開示する法人文書の名称
平成8年1月~平成9年7月にかけ所属していた石原祐志氏の就任辞令、割愛依頼、離任辞令
2 不開示とした部分とその理由
「当該人物が当時受けた処分等に関する一切の文書」につきましては、法第8条に基づき、存否不応答といたします。割愛依頼と就任、退任に関する辞令の公印印影、辞令内の派遣先については法第5条4号に基づき不開示といたします。また辞令以外の文書については、公にされていない履歴書等の個人情報であること(法第5条1号)に加え、人事管理に係る業務(法第5条4号ヘ)であるため不開示といたします。
**********
※参考「理研とのその他コレポン関連等」ZIP ⇒2019051020190606wra.zip
そして、6月6日に理研から辛うじて開示された辞令等文書は以下のとおりです。
※理研開示文書「割愛依頼、就任辞令、離任辞令」 ZIP⇒20190606j.zip
理研が少しだけ開示した、ほとんど当たり障りのない文書ですが、それでもわずかに読み取れることがありました。離任辞令に、「願により退職を承認する」とあることから、石原氏の自主退職という形になっていることがわかります。やはり、単なる配置転換などではなく、裏で相当な事情があったことがうかがえます。しかし問題なのは、当時のポストこそ判明しているものの、理研が具体的な勤務施設名を黒塗りにしてきていることです。
そこで当時の情報を漁ってみると、理研在籍時に石原氏が書いたと思しき広報資料がWEB上に普通に掲載されていることがわかりました。ZIP⇒23975p37sspring8ul.zip
※参考 URL⇒ http://www.spring8.or.jp/pdf/ja/sp8-info/2-3-97/2-3-97-5-p37.pdf
広報資料はSpring-8に関するもので、石原氏が理研から更に派遣を命じられていたポストは「放射光利用研究促進機構 公益財団法人高輝度光科学研究センター(兵庫県赤穂郡)」の企画調査部企画調整課長であったことがわかります。このように調べればすぐに判明するような情報まで黒塗りにしてくる理研の体質には不信感と憤りを覚えますが、とはいえ重要なのは、では高輝度光科学研究センターをめぐって石原氏が当時何を起こしたのか、ということです。長野高専関係者の中には、「広報資料そのまま、深く関わっていたとみられるSpring-8をめぐって、企画調査に関して不正をはたらいたのでは」と推測する向きもあるようですが、真相は未だ明らかになってはいません。
■上記のとおり、石原氏個人の処分歴については存否応答拒否とされてしまったので、今度は当時に理研が職員全般にどのような処分を行ったのかを調べることにして、以下の情報開示請求書を6月10日に提出しました。
*****理研への追加情報開示請求*****
平成7年度から平成9年度にかけて、貴法人がその職員に対して行った懲戒処分および処
分事由の一覧(処分対象者の氏名情報等は不要であるが、その他一切の情報、すなわち
処分件数、処分日付、処分対象者の職階ないし所属部署、処分事由、処分内容といった
情報の開示を求める)。
**********
この情報開示請求については、この記事を執筆している6月19日現在、理研からの開示決定書待ちとなっています。当会では、その内容が判明次第、この記事への追記もしくは新しい記事として報告することとしています。
■また、当会では、年度末が近づいて石原氏の退任話が飛び交うのと前後して、3月11日に文部科学省に次の内容の情報開示請求書を提出していました。以下の記事もご覧ください。
○2019年3月19日:新年度を間近に控えた群馬高専(+長野高専)…現況やいかに?↓
https://pink.ap.teacup.com/ogawaken/2907.html
**********
2018年11月16日に、貴省から出向中の職員である石原祐志氏が貴省人事課を訪れたことに関して、登庁記録・来庁記録等の一切、加えてこれに関連して作成した文書の一切。
**********
これに対して、3月29日に文科省から返答がありました。しかしそれは、「文書廃棄済、ないし不作成のため不開示」という信じられないものでした。
*****3/29文科省不開示決定書*****ZIP⇒20190329sj.zip
1 不開示決定した行政文書の名称
2018年11月16日に、貴省から出向中の職員である石原祐志氏が貴省人事課を訪れたことに関して、登庁記録・来庁記録等の一切、加えてこれに関連して作成した文書の一切。
2 不開示とした理由
入構の際に一般来庁者に記載頂く面接票兼駐車場一時利用許可申請書の2018年11月16日分については、既に文書の保存期限が過ぎており廃棄済であるため、文部科学省では保有をしていません。また、文部科学省ではこれに関連した文書を作成しておらず、保有していないため不開示としました。
**********
またもや文科省がいつも通りの滅茶苦茶な処分を下してきたので、電話で抗議を行うとともに、懸案事項であった石原氏の現在の正確なポストについて聞くことにしました。5月9日に電話を掛けると、少し取り次ぎがあり、情報開示を担当したという野村職員が応対しました。当会からは以下の点について先方に伝え、調査のうえ回答を用意していただきたいと伝えました。
【質問1】石原氏を「一般来庁者」などとし、一般来庁者の名簿は廃棄済などとしているが、区分は貴省職員(あるいはそれに準ずる扱い)のはずであり、まして世間話をしに行ったとか遊びにいったとかという理由のわけがないのだから、それに関する業務記録が必ず残っているはず。したがって、再調査願いたい。
【質問2】もし記録が残っていないのであれば、それはなぜか、石原氏が当時何をしに貴省人事課に行ったのか、説明願いたい。
【質問3】また、石原氏の異動後の理研でのポストについて確認したい。
その後、6月13日に改めて回答聴取のため文科省に電話を掛けると、野村職員は研修中だということで、代理で磯野職員が応対しました。同職員によれば、
【回答1】オンブズマンさんは、業務記録が必ず残っているはずなので再調査をしてほしいと要請しておられますが、本庁の来庁者記録は保管期限が1か月のため、確認する手段がなく、いろいろ探しましたが結局見つかりませんでした。
【回答2】そのため、オンブズマンさんのもう一つのご質問である石原氏の訪問目的についても、本庁の記録をいろいろ確認しましたが、作成されていないことが判明しており、本当に来省したのかどうかも確認することはできませんでした。
【回答3】石原祐志氏が4月から理研に出向していることは承知していますが、具体的にどの部署のなんの職位なのかは、把握しておりません。もしお知りになりたければ理化学研究所に直接お聞きになってください。
ということで、石原氏を長野高専から「脱出」させるにあたって、証拠となる文書をただの一枚も作成・保存していないことがわかりました。極め付けには、5年も10年も前の話を確認している訳でもないのに、文科省として「本当に11月16日に石原氏が文科省人事課に来ていたのかどうかすらわからない」というブラックボックス・証拠隠滅ぶりを披露されてしまいました。本来であれば、政治がこのような官僚組織の腐敗を正さねばならないのですが、政・官が一体になって「証拠隠滅」に邁進している今ではそれにも期待できません。
そしてさらに、出向元であるはずの文科省は、石原氏の現在のポストすら把握していないと言い、完全に理研に丸投げする姿勢を見せました。仕方がないので、お望み通り、石原氏の現在のポストについて理化学研究所に直接問い合わせることにしました。
■同じく6月13日に理化学研究所に電話をかけると、代表窓口の職員が応対しました。そこで用件を伝えたところ、根掘り葉掘り聞かれたあげく人事課に繋いでもらえました。
人事課の男性職員に用件を伝えると、警戒している様子で応対しました。当会から「文科省の大臣官房人事課から、出向先の人事情報は出向先に聞いてほしいといわれたので、石原祐志氏の所属と職位について教えてほしい」と依頼すると、警戒しながらも「(石原さんは)たしかに在席しています」といい、続いてパソコンの画面をおそらく見ながら、「では申し上げますのでよろしいでしょうか」というので、「はい、お願いします」と返事をすると、「科学技術ハブ推進部」と伝えられました。「職位は、顧問ですか?あるいは研究員?嘱託?」と訊くと、「部長です」と返答がありました。
という訳で、石原氏の現在のポストは「科学技術ハブ推進部部長」であると判明しました。
■しかし話はまだ終わりませんでした。早速理研の組織図を調べてみると、理化学研究所―科技ハブ産連本部―科学技術ハブ推進部という上下構造になっていることがわかりました。
※参考URL「理研組織図(2019/04/01)」↓
http://www.riken.jp/~/media/riken/about/organization/riken-j-20190401.pdf
ZIP⇒rikenj20190401gd.zip
しかし、「科学技術ハブ推進部」でどう検索しても、一部の求人情報以外は広報資料が一切出てこず、実態がまったく不明な部署となっています。2018年6~7月ごろの求人サイト(https://employment.en-japan.com/desc_881387/)の説明を抜粋すると、「現在、科学技術ハブ推進部にはスタッフ13名(男性9名・女性4名)が在籍。その内、企画に携わっているのは6名(男性5名・女性1名)です」とのことで、理研ほどの大組織の「部」としてはかなり小規模であることがわかります。
さらに困惑させられるのは、2017年あたりの資料では、「科技ハブ産連本部―科学技術ハブ推進“室”」という上下構造になっていることです。
※参考URL「理研組織図(2017/09/01)」↓
http://www.riken.jp/~/media/riken/about/organization/riken-j-20170901.pdf
ZIP⇒rikenj20170901gd.zip
こうした情報からわかるのは、「科学技術ハブ推進部」は、2018年度に「科学技術ハブ推進室」をいきなり部にまで昇格させて誕生させたもので、まだ出来立てで極めて小規模な部署(実態はほとんど「室」レベル)であるということです。当会の感想として、この「昇格」は常識的観点から割と無茶なものに感じられます。邪推をすると、「部長」ポストを新設するためにこのような無理やりな「昇格」を行ったのかもしれません。とすれば、今回の石原氏の異動は皮肉にもその「役割」を十二分に果たしたものだったということになります。
以上が、調査によって判明した石原氏のその後に関する事項です。
■ところで、石原氏が去ったあとの長野高専では、いまだに彼をめぐってひと騒動巻き起こっているそうです。というのも、石原氏を長野高専の「名誉教授」に推薦するという話が内部で持ち上がっているのです。
「名誉教授」に推薦されてしまうと、副校長(主事)や校長特別補佐等の石原氏の取り巻きだった者による形式上の審査のみで、石原氏に「名誉教授」の称号が与えられてしまうことになります。つまり、長野高専は役人で在籍出向(天下り)してきただけの石原氏に名誉教授というお土産まで持たせることになってしまうのです。長野高専としても、末代までの恥、国辱ならぬ学辱と言っていいほどの汚点になってしまいます。
というわけで、教職員らからは「何であんなのが名誉教授なのか」と憤りの声が上がるなど、土居氏着任早々から混乱が巻き起こっているようです。
【当会注:
ちなみに当会でも、名誉教授の件については、既に同様の可能性、すなわち西尾前校長に名誉教授の称号が与えられることを危惧し、2年前の山崎校長との面談時に質問項目に載せています(項目(3)のhを参照)。↓↓
https://pink.ap.teacup.com/ogawaken/2308.html
https://pink.ap.teacup.com/ogawaken/2344.html
この際、群馬高専側からは「運営委員会で、規定に基づいて功績を評価し審議のうえ付与する」という役所的な回答があり、オンブズマン側からは付与を控えるよう要求をしています。】
当会としても、何も為していない、それどころか害を為した天下り官僚に「濡れ手に粟」でホイホイ名誉教授の称号を付与してしまうことで、教育機関としての名声と矜持を自ら汚してしまい、そして、真っ当に何十年と奉職して教授・名誉教授へと至った、自学の誇る優秀な教員たちの努力に馬鹿を見させることのないようにしてほしいと、切に願っています。
■このように、長野高専をめぐる問題も新たな局面を迎え、新体制となった長野高専相手に地道に体質改善と過去の問題の清算を求めていくことになります。当会では、石原氏の残した負の遺産を長野高専が払拭できるよう、微力ながらこれからも活動してまいる所存です。
同時に、長野高専関係者らからの強い要望に応じて、石原氏の身辺についてもささやかながら調査を試みる所存です。ひとまず、こちらに関しては情報開示請求の結果を待つこととしています。
■今回、会員多忙のため石原氏のその後の足跡の調査に手間取ってしまい、土居氏就任から2ヶ月以上後のご報告となってしまいました。
そこで新校長となり2ヶ月が経過した長野高専の状況が気になるところですが、先日寄せられた関係者からの感想としては、「ワンマン傾向と種々曰く付きの噂はあるが、石原が酷すぎた為、はるかに改善はされたように感じる。しかし、就任から2ヶ月が経ち慣れてきた頃で、本性を出してくるかもしれないので、引き続き動向の注視が必要」とのことです。
当会としても、土居氏の校長としての資質を慎重に見極めつつ、長野高専への働きかけを行っていくこととしています。
【市民オンブズマン群馬事務局からの報告】
※参考情報1「理化学研究所」
*********Haffingtonpost 2014年04月06日 20時07分 JST | 更新 2014年04月13日 21時53分 JST
https://www.huffingtonpost.jp/2014/04/06/riken_n_5100481.html
理研ってどんな組織? 小保方晴子さんのSTAP細胞で揺れる「科学者の楽園」
STAP細胞を発表した小保方晴子さんが在籍することで、一躍有名になった理化学研究所(理研)。ノーベル賞を受賞した野依良治氏が理事長を務めるなど多数の科学者を擁する日本有数の巨大研究機関だ。大正時代に産声を挙げてから、まもなく創立100年を迎える歴史があるが、実際にはどんな組織なのか。改めて調べてみた。(安藤健二The Huffington Post)
↑「STAP細胞」の論文を巡って、小保方晴子ユニットリーダーの「研究不正」を認定するなど、激震が続く理化学研究所(理研)。ノーベル賞を受賞した野依良治氏が理事長を務めるなど、多数の科学者を擁する日本有数の巨大研究機関だ。WIKIMEDIA↑
大正時代に産声を挙げ、2017年には創立100年を迎える歴史がある。仙台、つくば、名古屋、神戸など全国に8つの主要拠点を持ち職員約3500人。バイオテクノロジーから物理学まで自然科学のあらゆる分野を研究し、兵庫県佐用町には世界最高の性能を誇る大型放射光施設「SPring-8(スプリングエイト)」を擁する。
2013年度予算は約844億円で、人口20万人の自治体に匹敵。その9割以上が税金から捻出されているが、実際にはどんな組織なのか。改めて調べてみた。
⇒PHOTO GALLERY反論会見をする小保方晴子さんSee Gallery
https://www.huffingtonpost.jp/2014/04/06/riken_n_5100481.html#gallery/5c5bd278e4b0e3ab95b2bd55/1
ZIP ⇒ 20140409_q.zip
↑10 / 10 STAP細胞/会見する小保方氏
新しい万能細胞「STAP(スタップ)細胞」の論文問題で、記者会見する理化学研究所の小保方晴子研究ユニットリーダー=2014年4月9日午後、大阪市内のホテル↑
■ビタミン剤から原爆まで研究した「科学者の楽園」
理研の発案者は、アドレナリンの結晶化に初成功したことで世界的な名声を博していた科学者の高峰譲吉だった。1913年(大正2年)、彼は大物実業家の渋沢栄一に次のように訴えたという。
――「今日までの世界は、機械工業の時代であったが、今後は化学工業の競争の時代になる、ドイツはカイザー・ウィルヘルム協会を、アメリカはロックフェラー研究所やカーネギー研究所を設置した。日本も独創的な化学研究をやるためには、研究所を作る必要がある、力になってほしい」――
(「北九州イノベーションギャラリー|Kitakyushu Innovation Gallery & Studio [KIGS]」
http://kigs.jp/db/history.php?nid=646&PHPSESSID=8ab6d96e143c47cdec3a2f9f7 )
これがきっかけとなり、国会の決議を経て、1917年(大正6年)に財団法人「理化学研究所」が東京都文京区に設立された。設立者総代は渋沢栄一。日本の産業発展を目的として、皇室からの御下賜金、政府からの補助金、民間からの寄付金をもとに、半官半民の組織となった。
1921年(大正10年)に第3代所長となった大河内正敏は主任研究員制度を導入。各帝国大学に研究室を置くのも自由とし、理研からの研究費で研究員を採用することを許可した。
その結果、ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹、朝永振一郎など日本を代表する科学者が在籍。様々な研究業績を生み出した。朝永振一郎は後に理研時代を振り返り「科学者の自由な楽園」と評して、次のように書いている。
――科学者というのは、生活面でぜいたくをしようなどという望みはあまりないのである。ぜいたくをするなら、研究面でさせてもらった方がいい。そして、理研には研究の自由があった。具体的にいえば、研究について外から指示命令などもちろんないし、その上講義の義務がない、先生気分にならないですむというありがたい特典があった。しかつめらしいはなしになるが、よくいわれる学閥などというものも見当らない。――
(加藤八千代「朝永振一郎博士、人とことば」共立出版)
しかし、自由な研究をするためには莫大な予算がかかる。そこで大河内所長は一計を案じて、研究成果を積極的に商品化してその儲けを研究費に充当することにした。
――「自由と平等」で組織を活性化した大河内は、そのエネルギーを技術移転による製品開発に向けた。財政難は深刻だ。「理研を食わせる」ためには商売をためらわなかった。鈴木梅太郎門下の研究員・高橋克己がタラの肝油からビタミンAを抽出するのに成功すると、直ちに量産化を命じた。高橋は夜を昼になして研究を重ね、わずか4か月で工業化に成功する。「理研ビタミン」として売り出すと大当たり。大河内は高橋に年額10万円以上の報奨金を与えた。大正末期、総理大臣の年俸が1万2千円ほどだから、10万円は現代の「億」のお金に相当するだろう。成功者には惜しみなく「分け前」を与えた。
研究所とはいえ閉ざされた「象牙の塔」にはほど遠い。理研は、ビタミン剤や合成酒、アルマイト、陽画感光紙といった「ヒット製品」を次々と世に送り出し、傘下に「理研化学興業(株)」を中心とする事業体を抱え、63社、121工場を擁する一大コンツェルンへと成長していく。――
(田中角栄を歩く | Web草思)
このときに生まれた理研系のメーカーは理研コンツェルンと呼ばれ、戦前の15財閥の1つに数えられた。現在も続いているメーカーには、事務機器メーカーの「リコー」、「ふえるわかめちゃん」で有名な「理研ビタミン」、ピストンリングの「リケン」などがある。
太平洋戦争直前から、理研は原爆開発に着手していたが1945年の東京大空襲の結果、研究続行は不可能になった。まもなく広島と長崎にアメリカ製の原爆が投下。日本は終戦を迎えた。
――昭和16年4月、日米開戦を目前にした陸軍は、当時、東京駒込にあった理化学研究所仁科研究室に原子爆弾の開発を正式に依頼する。仁科研究室には後にノーベル賞を受賞する朝永振一郎をはじめとする優秀な科学者が集まる。この極秘プロジェクトは仁科の頭文字から“二号研究”と名付けられた。――
(テレビ朝日|原爆 63年目の真実)
■財閥解体も税金投入で復活
旧日本軍に協力していた理研は、当然のごとくGHQに目をつけられた。1946年に財閥解体をされたことで、理研コンツェルンはバラバラになった。大河内も戦犯として巣鴨拘置所に収容され、公職追放を受けて所長を辞任した。
理研本体もいったんは解散。1948年に株式会社「科学研究所」に改組する。その後、紆余曲折を経て当時の研究部門だけが分離し、1958年に特殊法人「理化学研究所」として以前の名前が復活した。2003年に文部科学省の管轄下にある独立行政法人となった。
現在では、全国に8つの主要拠点を持ち職員数は約3500人。蓮舫・参院議員が「2位じゃだめなんでしょうか?」と発言したことで話題となったスーパーコンピューター「京(けい)」も理研のプロジェクトだ。年間約800億円の巨額の予算が投じられているが、その90%以上を税金から賄っているのが実態だ。MSN産経ニュースは以下のように報じている。
――本部の埼玉県和光市では脳科学、横浜ではゲノム解析、神戸ではSTAP論文筆頭著者の小保方(おぼかた)晴子研究ユニットリーダー(30)らが所属する発生・再生科学総合研究センターでバイオなどを研究。大型放射光施設「スプリング8」(兵庫県佐用町)も理研の施設だ。研究者ら3557人を擁し、予算は、年間約834億円(26年度)もの巨額が投じられている。――
(MSN産経ニュース『窮地に立つ「科学者の楽園」 批判続々、他研究にまで“疑惑の目”』2014.4.2 12:58)
研究成果を商品にして売るのではなく、税金から捻出することで戦前のような「科学者の楽園」を復活させた理研。政府が最高レベルの研究を目指して新設する「特定国立研究開発法人」に指定される見込みだった。これは、研究者に対してこれまで以上に高額な報酬を支払うことができる制度だが、STAP細胞の論文に捏造問題が浮上したことで暗雲が持ち上がっている。自民党の望月義夫氏は党本部で以下のように答えた。
――望月氏は理研の調査委員会が新型万能細胞「STAP細胞」の論文の不正を認定したことを受け、「指定により国民の税金が相当使われることになる」と指摘。理研の今後の対応を見極めた上で判断すべきだとの考えを示した。――
(MSN産経ニュース『理研の特定法人指定「今国会は困難」 自民行革本部長』2014/04/03 18:56 )
小保方さんとSTAP細胞をめぐる問題は、創立100年を前に「理研」という巨大組織の屋台骨を揺るがしている。
**********
※参考情報2「特定国立研究開発法人」
**********Wikipediaより
国立研究開発法人のなかでも、特に世界トップレベルの成果が期待される法人、具体的には理化学研究所と産業技術総合研究所に対しては「特定国立研究開発法人(スーパー法人)」として、特例法を設け特別な措置が取られる予定であったが、いわゆるSTAP細胞論文問題によって先送りとなった。
2015年(平成27年)12月18日、総合科学技術・イノベーション会議は「特定国立研究開発法人(仮称)の考え方の改訂(案)」を公表し、これまでの「総合的な研究機関」のほか「特定分野で卓越した研究機関」を追加した。これに伴い上記2機関の他に物質・材料研究機構を加えるとした。選定に際しては「研究成果の質」「研究分野の広がり」「研究成果の実用化」「自ら主体的に創造的な研究開発活動を行うことを主たる業務とする」の4条件が考慮された。2016年(平成28年)5月には、これら3機関を特定国立研究開発法人に指定する新法が成立し、同年10月1日より施行となった。
特定国立研究開発法人の特徴として、理事長の裁量によって研究者の給与を高額に設定することができるほか、日本国政府が特定の研究の実施を法人に要求することができること、また研究成果が十分でない場合には、監督省庁の国務大臣が理事長を解任する権限を持つことなどが規定されている。
類似の制度として、国立大学法人においては指定国立大学法人制度が整備されてきている。特定国立研究開発法人に指定される機関が法律で定められているのに対し、指定国立大学法人は文部科学大臣が指定する制度となっており、指定先の追加や廃止は法改正が不要となっている。
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※参考情報3「長野高専関連記事(抜粋)」
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以下の記事をご覧ください。
http://pink.ap.teacup.com/ogawaken/2603.html
http://pink.ap.teacup.com/ogawaken/2678.html
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その甲斐あってか、前年度末をもって文科省からの天下りである石原祐志氏が校長を辞し、前東京高専副校長の土居信数氏が長野高専新校長に就任しました。
↑2019年度から長野高専校長に就任した土井信数氏。長野高専HPより。人物評やいかに……?↑
■新校長となる土居氏の人となりを尋ねてみると、就任当初の下馬評としては賛否両論であったそうです。というのも、東京高専関係者からの情報によれば、前職の東京高専における副校長としての運営手腕は決して褒められたものではなかったようだからです。
曰く、「自分の意見を持っていないため、トップである校長が替わる度にコロコロ方針が変わり、振り回されて大変だった」「東京高専の前校長時代に土居氏を中心に推し進めた事柄について、現校長に替わった途端にあれはよくなかったと180度転換し大混乱したことがある」ということのようで、こうした評判は長野高専の教職員の耳にも事前に届いているそうです。
とはいえ、天下り石原校長に散々苦しめられた長野高専がようやく迎える高専プロパーの校長ですから、期待が高まっているのも事実です。ある長野高専関係者は、「就任当初の挨拶で、『日立製作所に数十年務めた後、東京高専で十年ほどお世話になり、その間寮務主事などになって昨年は筆頭副校長をしておりました』と自己紹介し、教員経験に基づいたことも述べていて、天下りの石原氏より遥かに良い印象を受けた」との感想を抱いたようです。
また、同関係者は、「土居氏が最初にやることは、石原氏の残した負の遺産の後始末ですが、イエスマンの副校長と校長特別補佐をどう扱うかにかかっています」とこれからの課題を述べていました。
とはいえ、校長が変わっても、今まで長野高専で発生した諸事件の清算が済んだわけではありません。長野高専での連続自殺事件とそれを巡る同校の悪質な対応の実態解明が未だになされていないこと、不正会計事件や2017年の水銀流出が未公表のまま事実上隠蔽されていることなど、長野高専にはまだまだ重い課題が残されたままとなっています。さらに、上記の長野高専関係者が危惧する通り、石原氏などの天下り校長らが改悪に改悪を重ねた長野高専の運営システムを健全な形に再建することも急務であるといえます。
■長野高専のこれからに注目が集まる一方で、もうひとつ気になるのが退陣した石原氏のその後の動向です。長野高専関係者からの情報提供によれば、かの「理化学研究所」の部長職として異動したようです。
しかし、話はこれで終わりませんでした。内部情報によれば、石原氏の今回の異動劇は極めて異例で不自然な点が多く、そして実は、理化学研究所と石原氏は少なからぬ因縁があったようです。ひとつひとつ見ていきましょう。
■石原氏の校長辞職の可能性が極めて高いと判明したのは昨年(2018)の11月のことでした。内部情報から11月16日に文科省の人事課を訪れたことが判明し、辞任と異動に関する打ち合わせをした可能性が高いものとみられたからです。そして実際に、3月6日前後に高専機構から校長交代の内示を受けたようです。
しかし、その時点では次の行き先は決定していなかったようです。すなわち、「次の異動先が空欄のまま」、辞任と異動の内示が出されるという異常事態が発生していたようです。11月の段階からすでに話が動いており、決して時間的余裕が無かったわけでもないことも考え合わせると、明らかに奇妙な話です。
そして石原氏の異動先がようやく理研に決定し通知されたのは、3月下旬後半の話でした。明らかに、何らかのトラブルが内部で起こっていたことがわかります。
■視点を変えて、石原氏の経歴を見てみると、約20年前となる平成8(1996)年1月から平成9(1997)年7月にも、理化学研究所に在籍していたことがわかります。
↑石原祐志氏の経歴。約20年前に「理化学研究所大型放射光施設計画推進部付調査役」として在籍し、そして7月という不自然な時期に本庁(当時の科学技術庁)に出戻りしていることがうかがえる。↑
そして、この20年前の理研在籍時代に関して、関係者から衝撃的な内部情報提供がありました。なんと当時、石原氏はここで不正行為をはたらき、相当なペナルティを受けたことがあったようです。また、石原氏自らが辞任直前に「だいぶ前のことなので、気にしなくてもいいのかもしれないけども、前に理研にいたとき、外部から刺されていい思い出がない。本当は理研には行きたくない」と酒の席で漏らしてもいたようです。
■という訳で、上に載せた経歴と各種証言をあわせて考えると、「石原氏はかつて理研時代に懲戒処分相当の不正行為をはたらき、それが外部のはたらきで露見し、結果として7月という中途半端な時期に理研を追われて本庁に引き取られざるを得なかった」という流れが見えてきます。
実際に石原氏がどのような不正をはたらいたのか、どのような経緯でそれが露見したのか、そして実際にどのような処分が下されたのかは現時点では一切不明ですが、このような経緯があったのだとすれば、上述のように異動先の決定においてトラブルがあったことにもある程度の説明がつきます。つまり、このような問題を起こしているので、理化学研究所が受け入れに抵抗し、新年度ギリギリになり、部長職での受け入れということでようやく双方妥協した経緯があったと想像できます。
ここで説明を加えると、内部関係者によれば、高専校長というのは「局長クラス」のポストのようで、そこから部長では事実上の降格扱いとなってしまうようです。ここから、官僚の石原氏としてはこの異動が極めて不本意であったこと、そしてそれでも背に腹は代えられない事情があったことがうかがえます。
(しかしひとつ不思議なのは、異動先の選択肢は本省や他の外郭団体などたくさんあったはずにも関わらず、なぜ人事が理研にこだわり、その部長職しかあてがわなかったのか、ということです。よほどポストに空きが無かったのでしょうか)
■この「20年前に石原氏が理研でしでかした不祥事」については、長野高専で発生した諸事件や同校の抱える問題とは特に関係はありませんが、長野高専関係者らの強い要望を受けて、詳細な調査を試みることにしました。
それに、視点を変えると、石原氏が大変な不祥事を起こしていたとして、そのことを知りながら反省も改心もないまま平然と教育機関の校長職に据えて大迷惑をかけた文科省と高専機構の責任は重大です。
加えて、現在の石原氏の理研での正確なポストが不明だったため、これについても調べを入れることにしました。
■まず、20年前の事件について調べるため、5月8日に理化学研究所(総務部総務課情報公開窓口:埼玉県和光市)に次の内容の情報開示請求書を提出しました。
**********ZIP⇒20190508ljij.zip
平成8年1月~平成9年7月にかけ貴法人に所属していた石原祐志氏について、
(1)当該人物が当時受けた処分等に関する一切の文書。
(2)当該人物の就任および離任に関して発行された一切の文書。
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回答を待っていると、5月31日に理研から開示決定書が届きました。しかしそれは、(2)に関して就任辞令等の当たり障りのない文書は開示するものの、処分に関する情報は不開示どころか存否応答拒否とするというものでした。
*****5/31理研からの開示決定書(抜粋)*****ZIP⇒20190531wljm.zip
1.開示する法人文書の名称
平成8年1月~平成9年7月にかけ所属していた石原祐志氏の就任辞令、割愛依頼、離任辞令
2 不開示とした部分とその理由
「当該人物が当時受けた処分等に関する一切の文書」につきましては、法第8条に基づき、存否不応答といたします。割愛依頼と就任、退任に関する辞令の公印印影、辞令内の派遣先については法第5条4号に基づき不開示といたします。また辞令以外の文書については、公にされていない履歴書等の個人情報であること(法第5条1号)に加え、人事管理に係る業務(法第5条4号ヘ)であるため不開示といたします。
**********
※参考「理研とのその他コレポン関連等」ZIP ⇒2019051020190606wra.zip
そして、6月6日に理研から辛うじて開示された辞令等文書は以下のとおりです。
※理研開示文書「割愛依頼、就任辞令、離任辞令」 ZIP⇒20190606j.zip
理研が少しだけ開示した、ほとんど当たり障りのない文書ですが、それでもわずかに読み取れることがありました。離任辞令に、「願により退職を承認する」とあることから、石原氏の自主退職という形になっていることがわかります。やはり、単なる配置転換などではなく、裏で相当な事情があったことがうかがえます。しかし問題なのは、当時のポストこそ判明しているものの、理研が具体的な勤務施設名を黒塗りにしてきていることです。
そこで当時の情報を漁ってみると、理研在籍時に石原氏が書いたと思しき広報資料がWEB上に普通に掲載されていることがわかりました。ZIP⇒23975p37sspring8ul.zip
※参考 URL⇒ http://www.spring8.or.jp/pdf/ja/sp8-info/2-3-97/2-3-97-5-p37.pdf
広報資料はSpring-8に関するもので、石原氏が理研から更に派遣を命じられていたポストは「放射光利用研究促進機構 公益財団法人高輝度光科学研究センター(兵庫県赤穂郡)」の企画調査部企画調整課長であったことがわかります。このように調べればすぐに判明するような情報まで黒塗りにしてくる理研の体質には不信感と憤りを覚えますが、とはいえ重要なのは、では高輝度光科学研究センターをめぐって石原氏が当時何を起こしたのか、ということです。長野高専関係者の中には、「広報資料そのまま、深く関わっていたとみられるSpring-8をめぐって、企画調査に関して不正をはたらいたのでは」と推測する向きもあるようですが、真相は未だ明らかになってはいません。
■上記のとおり、石原氏個人の処分歴については存否応答拒否とされてしまったので、今度は当時に理研が職員全般にどのような処分を行ったのかを調べることにして、以下の情報開示請求書を6月10日に提出しました。
*****理研への追加情報開示請求*****
平成7年度から平成9年度にかけて、貴法人がその職員に対して行った懲戒処分および処
分事由の一覧(処分対象者の氏名情報等は不要であるが、その他一切の情報、すなわち
処分件数、処分日付、処分対象者の職階ないし所属部署、処分事由、処分内容といった
情報の開示を求める)。
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この情報開示請求については、この記事を執筆している6月19日現在、理研からの開示決定書待ちとなっています。当会では、その内容が判明次第、この記事への追記もしくは新しい記事として報告することとしています。
■また、当会では、年度末が近づいて石原氏の退任話が飛び交うのと前後して、3月11日に文部科学省に次の内容の情報開示請求書を提出していました。以下の記事もご覧ください。
○2019年3月19日:新年度を間近に控えた群馬高専(+長野高専)…現況やいかに?↓
https://pink.ap.teacup.com/ogawaken/2907.html
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2018年11月16日に、貴省から出向中の職員である石原祐志氏が貴省人事課を訪れたことに関して、登庁記録・来庁記録等の一切、加えてこれに関連して作成した文書の一切。
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これに対して、3月29日に文科省から返答がありました。しかしそれは、「文書廃棄済、ないし不作成のため不開示」という信じられないものでした。
*****3/29文科省不開示決定書*****ZIP⇒20190329sj.zip
1 不開示決定した行政文書の名称
2018年11月16日に、貴省から出向中の職員である石原祐志氏が貴省人事課を訪れたことに関して、登庁記録・来庁記録等の一切、加えてこれに関連して作成した文書の一切。
2 不開示とした理由
入構の際に一般来庁者に記載頂く面接票兼駐車場一時利用許可申請書の2018年11月16日分については、既に文書の保存期限が過ぎており廃棄済であるため、文部科学省では保有をしていません。また、文部科学省ではこれに関連した文書を作成しておらず、保有していないため不開示としました。
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またもや文科省がいつも通りの滅茶苦茶な処分を下してきたので、電話で抗議を行うとともに、懸案事項であった石原氏の現在の正確なポストについて聞くことにしました。5月9日に電話を掛けると、少し取り次ぎがあり、情報開示を担当したという野村職員が応対しました。当会からは以下の点について先方に伝え、調査のうえ回答を用意していただきたいと伝えました。
【質問1】石原氏を「一般来庁者」などとし、一般来庁者の名簿は廃棄済などとしているが、区分は貴省職員(あるいはそれに準ずる扱い)のはずであり、まして世間話をしに行ったとか遊びにいったとかという理由のわけがないのだから、それに関する業務記録が必ず残っているはず。したがって、再調査願いたい。
【質問2】もし記録が残っていないのであれば、それはなぜか、石原氏が当時何をしに貴省人事課に行ったのか、説明願いたい。
【質問3】また、石原氏の異動後の理研でのポストについて確認したい。
その後、6月13日に改めて回答聴取のため文科省に電話を掛けると、野村職員は研修中だということで、代理で磯野職員が応対しました。同職員によれば、
【回答1】オンブズマンさんは、業務記録が必ず残っているはずなので再調査をしてほしいと要請しておられますが、本庁の来庁者記録は保管期限が1か月のため、確認する手段がなく、いろいろ探しましたが結局見つかりませんでした。
【回答2】そのため、オンブズマンさんのもう一つのご質問である石原氏の訪問目的についても、本庁の記録をいろいろ確認しましたが、作成されていないことが判明しており、本当に来省したのかどうかも確認することはできませんでした。
【回答3】石原祐志氏が4月から理研に出向していることは承知していますが、具体的にどの部署のなんの職位なのかは、把握しておりません。もしお知りになりたければ理化学研究所に直接お聞きになってください。
ということで、石原氏を長野高専から「脱出」させるにあたって、証拠となる文書をただの一枚も作成・保存していないことがわかりました。極め付けには、5年も10年も前の話を確認している訳でもないのに、文科省として「本当に11月16日に石原氏が文科省人事課に来ていたのかどうかすらわからない」というブラックボックス・証拠隠滅ぶりを披露されてしまいました。本来であれば、政治がこのような官僚組織の腐敗を正さねばならないのですが、政・官が一体になって「証拠隠滅」に邁進している今ではそれにも期待できません。
そしてさらに、出向元であるはずの文科省は、石原氏の現在のポストすら把握していないと言い、完全に理研に丸投げする姿勢を見せました。仕方がないので、お望み通り、石原氏の現在のポストについて理化学研究所に直接問い合わせることにしました。
■同じく6月13日に理化学研究所に電話をかけると、代表窓口の職員が応対しました。そこで用件を伝えたところ、根掘り葉掘り聞かれたあげく人事課に繋いでもらえました。
人事課の男性職員に用件を伝えると、警戒している様子で応対しました。当会から「文科省の大臣官房人事課から、出向先の人事情報は出向先に聞いてほしいといわれたので、石原祐志氏の所属と職位について教えてほしい」と依頼すると、警戒しながらも「(石原さんは)たしかに在席しています」といい、続いてパソコンの画面をおそらく見ながら、「では申し上げますのでよろしいでしょうか」というので、「はい、お願いします」と返事をすると、「科学技術ハブ推進部」と伝えられました。「職位は、顧問ですか?あるいは研究員?嘱託?」と訊くと、「部長です」と返答がありました。
という訳で、石原氏の現在のポストは「科学技術ハブ推進部部長」であると判明しました。
■しかし話はまだ終わりませんでした。早速理研の組織図を調べてみると、理化学研究所―科技ハブ産連本部―科学技術ハブ推進部という上下構造になっていることがわかりました。
※参考URL「理研組織図(2019/04/01)」↓
http://www.riken.jp/~/media/riken/about/organization/riken-j-20190401.pdf
ZIP⇒rikenj20190401gd.zip
しかし、「科学技術ハブ推進部」でどう検索しても、一部の求人情報以外は広報資料が一切出てこず、実態がまったく不明な部署となっています。2018年6~7月ごろの求人サイト(https://employment.en-japan.com/desc_881387/)の説明を抜粋すると、「現在、科学技術ハブ推進部にはスタッフ13名(男性9名・女性4名)が在籍。その内、企画に携わっているのは6名(男性5名・女性1名)です」とのことで、理研ほどの大組織の「部」としてはかなり小規模であることがわかります。
さらに困惑させられるのは、2017年あたりの資料では、「科技ハブ産連本部―科学技術ハブ推進“室”」という上下構造になっていることです。
※参考URL「理研組織図(2017/09/01)」↓
http://www.riken.jp/~/media/riken/about/organization/riken-j-20170901.pdf
ZIP⇒rikenj20170901gd.zip
こうした情報からわかるのは、「科学技術ハブ推進部」は、2018年度に「科学技術ハブ推進室」をいきなり部にまで昇格させて誕生させたもので、まだ出来立てで極めて小規模な部署(実態はほとんど「室」レベル)であるということです。当会の感想として、この「昇格」は常識的観点から割と無茶なものに感じられます。邪推をすると、「部長」ポストを新設するためにこのような無理やりな「昇格」を行ったのかもしれません。とすれば、今回の石原氏の異動は皮肉にもその「役割」を十二分に果たしたものだったということになります。
以上が、調査によって判明した石原氏のその後に関する事項です。
■ところで、石原氏が去ったあとの長野高専では、いまだに彼をめぐってひと騒動巻き起こっているそうです。というのも、石原氏を長野高専の「名誉教授」に推薦するという話が内部で持ち上がっているのです。
「名誉教授」に推薦されてしまうと、副校長(主事)や校長特別補佐等の石原氏の取り巻きだった者による形式上の審査のみで、石原氏に「名誉教授」の称号が与えられてしまうことになります。つまり、長野高専は役人で在籍出向(天下り)してきただけの石原氏に名誉教授というお土産まで持たせることになってしまうのです。長野高専としても、末代までの恥、国辱ならぬ学辱と言っていいほどの汚点になってしまいます。
というわけで、教職員らからは「何であんなのが名誉教授なのか」と憤りの声が上がるなど、土居氏着任早々から混乱が巻き起こっているようです。
【当会注:
ちなみに当会でも、名誉教授の件については、既に同様の可能性、すなわち西尾前校長に名誉教授の称号が与えられることを危惧し、2年前の山崎校長との面談時に質問項目に載せています(項目(3)のhを参照)。↓↓
https://pink.ap.teacup.com/ogawaken/2308.html
https://pink.ap.teacup.com/ogawaken/2344.html
この際、群馬高専側からは「運営委員会で、規定に基づいて功績を評価し審議のうえ付与する」という役所的な回答があり、オンブズマン側からは付与を控えるよう要求をしています。】
当会としても、何も為していない、それどころか害を為した天下り官僚に「濡れ手に粟」でホイホイ名誉教授の称号を付与してしまうことで、教育機関としての名声と矜持を自ら汚してしまい、そして、真っ当に何十年と奉職して教授・名誉教授へと至った、自学の誇る優秀な教員たちの努力に馬鹿を見させることのないようにしてほしいと、切に願っています。
■このように、長野高専をめぐる問題も新たな局面を迎え、新体制となった長野高専相手に地道に体質改善と過去の問題の清算を求めていくことになります。当会では、石原氏の残した負の遺産を長野高専が払拭できるよう、微力ながらこれからも活動してまいる所存です。
同時に、長野高専関係者らからの強い要望に応じて、石原氏の身辺についてもささやかながら調査を試みる所存です。ひとまず、こちらに関しては情報開示請求の結果を待つこととしています。
■今回、会員多忙のため石原氏のその後の足跡の調査に手間取ってしまい、土居氏就任から2ヶ月以上後のご報告となってしまいました。
そこで新校長となり2ヶ月が経過した長野高専の状況が気になるところですが、先日寄せられた関係者からの感想としては、「ワンマン傾向と種々曰く付きの噂はあるが、石原が酷すぎた為、はるかに改善はされたように感じる。しかし、就任から2ヶ月が経ち慣れてきた頃で、本性を出してくるかもしれないので、引き続き動向の注視が必要」とのことです。
当会としても、土居氏の校長としての資質を慎重に見極めつつ、長野高専への働きかけを行っていくこととしています。
【市民オンブズマン群馬事務局からの報告】
※参考情報1「理化学研究所」
*********Haffingtonpost 2014年04月06日 20時07分 JST | 更新 2014年04月13日 21時53分 JST
https://www.huffingtonpost.jp/2014/04/06/riken_n_5100481.html
理研ってどんな組織? 小保方晴子さんのSTAP細胞で揺れる「科学者の楽園」
STAP細胞を発表した小保方晴子さんが在籍することで、一躍有名になった理化学研究所(理研)。ノーベル賞を受賞した野依良治氏が理事長を務めるなど多数の科学者を擁する日本有数の巨大研究機関だ。大正時代に産声を挙げてから、まもなく創立100年を迎える歴史があるが、実際にはどんな組織なのか。改めて調べてみた。(安藤健二The Huffington Post)
↑「STAP細胞」の論文を巡って、小保方晴子ユニットリーダーの「研究不正」を認定するなど、激震が続く理化学研究所(理研)。ノーベル賞を受賞した野依良治氏が理事長を務めるなど、多数の科学者を擁する日本有数の巨大研究機関だ。WIKIMEDIA↑
大正時代に産声を挙げ、2017年には創立100年を迎える歴史がある。仙台、つくば、名古屋、神戸など全国に8つの主要拠点を持ち職員約3500人。バイオテクノロジーから物理学まで自然科学のあらゆる分野を研究し、兵庫県佐用町には世界最高の性能を誇る大型放射光施設「SPring-8(スプリングエイト)」を擁する。
2013年度予算は約844億円で、人口20万人の自治体に匹敵。その9割以上が税金から捻出されているが、実際にはどんな組織なのか。改めて調べてみた。
⇒PHOTO GALLERY反論会見をする小保方晴子さんSee Gallery
https://www.huffingtonpost.jp/2014/04/06/riken_n_5100481.html#gallery/5c5bd278e4b0e3ab95b2bd55/1
ZIP ⇒ 20140409_q.zip
↑10 / 10 STAP細胞/会見する小保方氏
新しい万能細胞「STAP(スタップ)細胞」の論文問題で、記者会見する理化学研究所の小保方晴子研究ユニットリーダー=2014年4月9日午後、大阪市内のホテル↑
■ビタミン剤から原爆まで研究した「科学者の楽園」
理研の発案者は、アドレナリンの結晶化に初成功したことで世界的な名声を博していた科学者の高峰譲吉だった。1913年(大正2年)、彼は大物実業家の渋沢栄一に次のように訴えたという。
――「今日までの世界は、機械工業の時代であったが、今後は化学工業の競争の時代になる、ドイツはカイザー・ウィルヘルム協会を、アメリカはロックフェラー研究所やカーネギー研究所を設置した。日本も独創的な化学研究をやるためには、研究所を作る必要がある、力になってほしい」――
(「北九州イノベーションギャラリー|Kitakyushu Innovation Gallery & Studio [KIGS]」
http://kigs.jp/db/history.php?nid=646&PHPSESSID=8ab6d96e143c47cdec3a2f9f7 )
これがきっかけとなり、国会の決議を経て、1917年(大正6年)に財団法人「理化学研究所」が東京都文京区に設立された。設立者総代は渋沢栄一。日本の産業発展を目的として、皇室からの御下賜金、政府からの補助金、民間からの寄付金をもとに、半官半民の組織となった。
1921年(大正10年)に第3代所長となった大河内正敏は主任研究員制度を導入。各帝国大学に研究室を置くのも自由とし、理研からの研究費で研究員を採用することを許可した。
その結果、ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹、朝永振一郎など日本を代表する科学者が在籍。様々な研究業績を生み出した。朝永振一郎は後に理研時代を振り返り「科学者の自由な楽園」と評して、次のように書いている。
――科学者というのは、生活面でぜいたくをしようなどという望みはあまりないのである。ぜいたくをするなら、研究面でさせてもらった方がいい。そして、理研には研究の自由があった。具体的にいえば、研究について外から指示命令などもちろんないし、その上講義の義務がない、先生気分にならないですむというありがたい特典があった。しかつめらしいはなしになるが、よくいわれる学閥などというものも見当らない。――
(加藤八千代「朝永振一郎博士、人とことば」共立出版)
しかし、自由な研究をするためには莫大な予算がかかる。そこで大河内所長は一計を案じて、研究成果を積極的に商品化してその儲けを研究費に充当することにした。
――「自由と平等」で組織を活性化した大河内は、そのエネルギーを技術移転による製品開発に向けた。財政難は深刻だ。「理研を食わせる」ためには商売をためらわなかった。鈴木梅太郎門下の研究員・高橋克己がタラの肝油からビタミンAを抽出するのに成功すると、直ちに量産化を命じた。高橋は夜を昼になして研究を重ね、わずか4か月で工業化に成功する。「理研ビタミン」として売り出すと大当たり。大河内は高橋に年額10万円以上の報奨金を与えた。大正末期、総理大臣の年俸が1万2千円ほどだから、10万円は現代の「億」のお金に相当するだろう。成功者には惜しみなく「分け前」を与えた。
研究所とはいえ閉ざされた「象牙の塔」にはほど遠い。理研は、ビタミン剤や合成酒、アルマイト、陽画感光紙といった「ヒット製品」を次々と世に送り出し、傘下に「理研化学興業(株)」を中心とする事業体を抱え、63社、121工場を擁する一大コンツェルンへと成長していく。――
(田中角栄を歩く | Web草思)
このときに生まれた理研系のメーカーは理研コンツェルンと呼ばれ、戦前の15財閥の1つに数えられた。現在も続いているメーカーには、事務機器メーカーの「リコー」、「ふえるわかめちゃん」で有名な「理研ビタミン」、ピストンリングの「リケン」などがある。
太平洋戦争直前から、理研は原爆開発に着手していたが1945年の東京大空襲の結果、研究続行は不可能になった。まもなく広島と長崎にアメリカ製の原爆が投下。日本は終戦を迎えた。
――昭和16年4月、日米開戦を目前にした陸軍は、当時、東京駒込にあった理化学研究所仁科研究室に原子爆弾の開発を正式に依頼する。仁科研究室には後にノーベル賞を受賞する朝永振一郎をはじめとする優秀な科学者が集まる。この極秘プロジェクトは仁科の頭文字から“二号研究”と名付けられた。――
(テレビ朝日|原爆 63年目の真実)
■財閥解体も税金投入で復活
旧日本軍に協力していた理研は、当然のごとくGHQに目をつけられた。1946年に財閥解体をされたことで、理研コンツェルンはバラバラになった。大河内も戦犯として巣鴨拘置所に収容され、公職追放を受けて所長を辞任した。
理研本体もいったんは解散。1948年に株式会社「科学研究所」に改組する。その後、紆余曲折を経て当時の研究部門だけが分離し、1958年に特殊法人「理化学研究所」として以前の名前が復活した。2003年に文部科学省の管轄下にある独立行政法人となった。
現在では、全国に8つの主要拠点を持ち職員数は約3500人。蓮舫・参院議員が「2位じゃだめなんでしょうか?」と発言したことで話題となったスーパーコンピューター「京(けい)」も理研のプロジェクトだ。年間約800億円の巨額の予算が投じられているが、その90%以上を税金から賄っているのが実態だ。MSN産経ニュースは以下のように報じている。
――本部の埼玉県和光市では脳科学、横浜ではゲノム解析、神戸ではSTAP論文筆頭著者の小保方(おぼかた)晴子研究ユニットリーダー(30)らが所属する発生・再生科学総合研究センターでバイオなどを研究。大型放射光施設「スプリング8」(兵庫県佐用町)も理研の施設だ。研究者ら3557人を擁し、予算は、年間約834億円(26年度)もの巨額が投じられている。――
(MSN産経ニュース『窮地に立つ「科学者の楽園」 批判続々、他研究にまで“疑惑の目”』2014.4.2 12:58)
研究成果を商品にして売るのではなく、税金から捻出することで戦前のような「科学者の楽園」を復活させた理研。政府が最高レベルの研究を目指して新設する「特定国立研究開発法人」に指定される見込みだった。これは、研究者に対してこれまで以上に高額な報酬を支払うことができる制度だが、STAP細胞の論文に捏造問題が浮上したことで暗雲が持ち上がっている。自民党の望月義夫氏は党本部で以下のように答えた。
――望月氏は理研の調査委員会が新型万能細胞「STAP細胞」の論文の不正を認定したことを受け、「指定により国民の税金が相当使われることになる」と指摘。理研の今後の対応を見極めた上で判断すべきだとの考えを示した。――
(MSN産経ニュース『理研の特定法人指定「今国会は困難」 自民行革本部長』2014/04/03 18:56 )
小保方さんとSTAP細胞をめぐる問題は、創立100年を前に「理研」という巨大組織の屋台骨を揺るがしている。
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※参考情報2「特定国立研究開発法人」
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国立研究開発法人のなかでも、特に世界トップレベルの成果が期待される法人、具体的には理化学研究所と産業技術総合研究所に対しては「特定国立研究開発法人(スーパー法人)」として、特例法を設け特別な措置が取られる予定であったが、いわゆるSTAP細胞論文問題によって先送りとなった。
2015年(平成27年)12月18日、総合科学技術・イノベーション会議は「特定国立研究開発法人(仮称)の考え方の改訂(案)」を公表し、これまでの「総合的な研究機関」のほか「特定分野で卓越した研究機関」を追加した。これに伴い上記2機関の他に物質・材料研究機構を加えるとした。選定に際しては「研究成果の質」「研究分野の広がり」「研究成果の実用化」「自ら主体的に創造的な研究開発活動を行うことを主たる業務とする」の4条件が考慮された。2016年(平成28年)5月には、これら3機関を特定国立研究開発法人に指定する新法が成立し、同年10月1日より施行となった。
特定国立研究開発法人の特徴として、理事長の裁量によって研究者の給与を高額に設定することができるほか、日本国政府が特定の研究の実施を法人に要求することができること、また研究成果が十分でない場合には、監督省庁の国務大臣が理事長を解任する権限を持つことなどが規定されている。
類似の制度として、国立大学法人においては指定国立大学法人制度が整備されてきている。特定国立研究開発法人に指定される機関が法律で定められているのに対し、指定国立大学法人は文部科学大臣が指定する制度となっており、指定先の追加や廃止は法改正が不要となっている。
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※参考情報3「長野高専関連記事(抜粋)」
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以下の記事をご覧ください。
http://pink.ap.teacup.com/ogawaken/2603.html
http://pink.ap.teacup.com/ogawaken/2678.html
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今勤めている部署の係長が主任含めて部下12人です。
今の勤務先は2000人規模です。
3500人規模の部長で部下13人は異常です。
うちに当てはめると3階級以上の降格で係長に見えます。
本科に在学中、廊下で挨拶をしても無視されました。
あれでは、部下の扱いもろくに出来ないと思うので、13人の部下が可哀想です。
部下13人の部長に高い給料を払うこと自体が税金の無駄遣い。
何処ぞの中小企業なら部下13人の部長もわかるが、ここは税金が投入されている天下の理化学研究所である。
しかもこんな輩がこの後天下りをして高額の退職金を貰って、更にのうのうと年金貰うのにも憤りを感じる。
これ以上の天下りを阻止するため、20年前の不祥事を明らかするだけでなくて、天下りの材料になり兼ねないお手盛りの名誉教授も阻止しないといけない。
記事アップ直後より早速、長野高専も含めた高専・教育関係者のかたがたから多大な反響を続々頂いており、本件の注目度の高さに驚かされます。
長野高専の正確な教職員数は存じ上げておりませんが、群馬高専の場合、全教職員数は120名程度といったところでした。長野高専はじめ全国の国立高専も似たような規模かと思います。
高専の校長となるということは、これを率いるトップとなるのみならず、学生1000名超(親まで含めれば3000名!)に絶大な影響力を及ぼす訳ですから、まさに大任と言って差し支えないものでしょう。
今回、石原氏がそこから引き摺り下ろされて、たった13名の名ばかり「部」にまで行く事になったのは、明らかに尋常ではない背景事情の存在を匂わせます(そもそも、キャリア官僚は基本的に係長スタートである事を考えると、もはや30年以上前のスタート地点にまで巻き戻されたと言っていいほどの左遷ぶりです)。
すなわち、文科省の人事が、彼に何らかの事情で「重職に不適」という烙印を押したことが伺えますが、最終的に何がそう判断させたのか、裏で何が蠢いていたのか、記事内でもお伝えしたとおり全て闇に葬られていて我々は結果しか知ることができません。
今後も、長野高専の改善へと微力ながら活動いたす所存ですので、引き続き本件推移にご注目下さるようよろしくお願い申し上げます。
市民オンブズマン群馬事務局より
そうじゃなければ、こんな尋常じゃない左遷もしないし、校長交代の内示の時に次の先が決まってないなんてことはないです。
こんな状態なら理化学研究所でも、石原某の監視役がいるかもしれません。
次の天下り先を無くすためにも、他の方のコメントのようにお手盛りの名誉教授は阻止しておかないと不味いかもしれないです。
阻止しておかないと、折角文科省が石原某に対してダメ出ししたのに、名誉教授を材料にして、弱小私立大学に潜り込まないとも限りません。
貴殿のご指摘の通り、文科省内部で何らかの思惑が蠢いていたことは事実ですが、西尾氏の逃亡の経緯に関する調査や今回の記事の文科省へのヒアリングでもお分かりのとおり、こうした人事情報については連中は一切の証拠を残しませんので、中で、誰が主導して(すなわち誰の責任で)、どのような事態が起こっていたのか、推し量ることもできません。以下の記事もご覧下さい。
https://pink.ap.teacup.com/ogawaken/2849.html
したがって、これまた貴殿のご指摘の通り、お手盛りの名誉教授就任を阻止するなど、これ以上の高専悪用を阻止するための「未来指向」な活動に重点を置くことになります。
なお、先だってのコメントで言及した「キャリア官僚は係長スタート」の部分には語弊があり、実際にはいわゆる「キャリア官僚」は厳密には入省から2~4年程度で全員が係長に昇進しますが、ここまでは誰でも横並びで辿り着くものであり、この最初の数年は事実上の「研修期間」とも見てとれることから、敢えてこのような書き方をしましたことをこの場を借りて申し上げます。
引き続き本件についてご支援を賜れば幸いです。
市民オンブズマン群馬事務局より
うちの校長だった西尾も石原のように尋常でない左遷にして欲しかったです。
最終学歴で比較すると西尾は京都大学法学部卒、石原は早稲田大学大学院理工学研究科修了。
西尾は国立大学卒、石原は当時では珍しい大学院出だとしても私立大学出で、文科省も守る価値無しと切り捨てたと分析出来るかも知れません。
そうでないと、あの西尾が守られて、石原が尋常でない左遷になった説明出来ないです。
別に石原の良くない情報が何らかのルートで文科省に伝わっていて、西尾の追求に懲りた文科省が火の粉が飛んでこないように、石原を文科省の閑職にすらせず、外の閑職に出して切り捨て守りに入った可能性もあります。
どうせなら、西尾も守らず切り捨てて欲しかったですが、学歴がそうしたのでしょうか。
石原の例を見る限り少しは文科省も学習したのかも知れません。
それでも結果は分かるので、ある程度推測出来るのが、まだ救いです。
それがこれ以上の高専悪用を阻止など未来志向の活動にも繋がると思います。
「キャリア官僚は係長スタート」の部分も、数年で係長になるなら、大した違いは無いと思います。
他の官庁の知り合いに聞いた話で、群馬高専支援者さんの言うように、学歴が色々なところで影響するそうです。
一番強いのは東大法学部卒、最低でも国立大卒でないと、差別的なものがあるそうです。
後は時々の政治が影響することもあって、聞けば聞くほど中々の伏魔殿ぶりです。
コメントをお寄せくださりありがとうございます。
ご指摘の通り西尾前校長と石原前校長との離任後の扱いには歴然とした違いがあります。両名とも教育者としての資質に欠け、不祥事件を隠蔽したことでは共通しているのに、この違いはやはり、ご指摘の通り文科省内のみならず依然として役所内に蔓延る学歴評価体質に一因すると分析出来ると思います。
無能な役人がのさばっている現在の役所の縮図が、ここにも表れているのだと思います。この是正がオンブズマン活動の目的の一つです。
市民オンブズマン群馬事務局より
その中でも特に印象に残った発言がありました。
だいぶ時間が経っているので完璧には思い出せませんが、着任の挨拶の中で「学生、教職員だけでなくてその御家族までお預かりしている」という発言が印象に残っています。
家族まで預かっているという発言に驚かされると共に、いい職場環境にしたいという気持ちの表れだと感じて、教員経験があるからこその発言だと感じ石原氏とは違うと感じました。
教員会議で恫喝したり処罰を持ち出して職場環境を悪化させた石原氏にはない発言でした。
土居氏が、石原氏が残した副校長や校長特別補佐に取り込まれないか心配ですが、教員会議を見ている限り、今のところ大丈夫なようです。
まだ、何も知らない土居氏が副校長に唆されて、そのまま石原氏を名誉教授にしないかが当面の心配事です。