市政をひらく安中市民の会・市民オンブズマン群馬

1995年に群馬県安中市で起きた51億円詐欺横領事件に敢然と取組む市民団体と保守王国群馬県のオンブズマン組織の活動記録

栃木市土地開発公社が債権放棄でついに解散へ…安中市土地開発公社の解散はあと82年後?

2020-11-23 23:52:00 | 土地開発公社51億円横領事件
■東京新聞は2020年4月1日から群馬県と栃木県の地方版ページが統合されました。そのため、栃木県のニュースも見られるようになりました。そうした中で、11月18日(水)の群馬栃木統合版に栃木市土地開発公社が解散手続きを進めているという記事が掲載されました。読んでみると、栃木市が公社に貸し付けた約1億7千万円の債権を放棄するとあり、どのような経緯を辿って、解散に漕ぎつけようとしているのか調べてみました。


2020年4月1日の東京新聞の初の群馬栃木統合版ページ

 まずは、掲載された記事を読んでみましょう。
**********東京新聞2020年11月18日
栃木市 土地開発公社解散へ
12月議会に市、関連議案 債権放棄の方針

 約三億六千万円の未回収債権を抱える栃木市土地開発公社が解散の手続きを進めていることが分かった。既に理事会は解散に合意しており、栃木市は解散関連議案を十二月市議会に提出する方針。市は公社に貸し付けた約一億寧々千万円の債権を放棄する。
 合併前に旧栃木市だった二〇〇九年、同公社が約二億円で同市薗部町の土地(約二ヘクタール)を取得したが翌年、土壌汚染が発覚。公社は一二年、当時の公社理事長(旧栃木氏副市長)と土地を売った会社を相手取り、損害賠償請求訴訟を提訴。一八年、元理事長らに約二億五千万円の賠償を命じた判決が最高裁で確定した。
 判決を受けて元理事長の財産差し押さえなどで約百八十万円を回収したが、会社は清算法人になっており、回収が困難となっている。
 市総合政策部の幹部は「法的強制力のある回収手続きはすべて行った。土地の先行取得業務もなくなり解散の判断をした」と話した。利息を加えた公社の債権約三億六千万円は市が引き継ぎ、回収業務を継続する。
(梅村武史)
**********

■公社が11年前の2009年に約2億円で購入した約2ヘクタールの土地が土壌汚染されていたということで、何やら安中市のスマイルパーク問題を彷彿とさせます。そのほかにもいろいろ曰く因縁がありそうなので、キーワード「栃木市土地開発公社 土壌汚染」で検索してみました。すると、次の記事が出てきました。

**********下野新聞2019年8月24日
損賠訴訟の土地、競売へ 開発公社、9月末入札 栃木
 2009年に栃木市土地開発公社が購入した同市薗部町4丁目のオリン晃電社(現オーケー工業)工場跡地の土地取引を巡り、公社に対する同社と契約時の公社理事長である石橋勝夫(いしばしかつお)旧栃木市副市長の計2億5440万円の損害賠償が確定した問題で、市は公社が9~10月に同所の強制競売を行うことを23日の市議会議員研究会で明らかにした。
 訴訟は公社が土地購入後に発覚した土壌汚染の責任などが争点。二審東京高裁は公社側の請求を退けた一審判決を変更し元副市長の責任を認め、最高裁が18年3月に元副市長側の上告を棄却したため支払いを命じた判決が確定していた。
**********

■さらに調べると、次の報道記事が見つかりました。

**********朝日新聞2010年11月11日
栃木市土地開発公社の用地先行取得問題
 市農林課の依頼を受けた市土地開発公社が昨年6月、同市薗部町4丁目の工場跡地約1・9ヘクタールを2億100万円で取得。国の補助事業を利用し、民間運営による野菜生産工場や直売所、レストランなどを整備しようとしたが、民間の事業主体から今年10月中旬、計画中止の申し入れがあり、工場跡地は売れないまま不良資産となる可能性が出ている。

**********朝日新聞2010年12月24日
栃木市土地開発公社の工場跡地取得問題
 昨年6月、市土地開発公社が同市薗部町4丁目の猟銃工場跡地約1・9ヘクタールを2億100万円で取得。国の補助事業を利用し、民間の運営による野菜生産工場や農産物直売所、レストランなどを整備する計画とされた。計画案は昨年5月に市農林課がまとめ、用地の取得を土地開発公社に委託。だが、今年10月に民間の事業主体が事業の辞退を表明。工場跡地は不良資産の恐れが出ている。
**********

■さらにネットで調べてみると、この猟銃工場跡地というのは、かつて、西部劇で有名なライフル銃やショットガンを製造していたウインチェスター社が、1960年代にライバル社との価格競争と、米国内の製造工場の人件費の高騰やストライキによる低迷状態を打開しようと、人件費が安く技術力の素地がある世界各国の銃器メーカーにライセンス生産を委託する事で生き残りを模索し始めました。

 そのため、極東地域では1961年に日本国内でニッコーブランドを展開していた晃電社(ニッコーアームズ)と、ウインチェスター社の子会社で弾薬・商標権管理を担当していたオリン・コーポレーションがそれぞれ50%ずつ出資し、ウインチェスターブランドの元折散弾銃をOEM製造するオリン晃電社を設立しました。

 しかし、1963年から1964年に掛けて殆どの製品ラインナップで大規模なモデルチェンジを断行したものの、構造面でも最終仕上げでも全体的に品質が軽視されたため、ユーザーの不評を買い、1980年代に入り、さらに人件費が経営を圧迫したため、1981年に米国内のウインチェスター直営工場は子会社のU.S.リピーティング・アームズへ売却されてしまいました。

 オリン・コーポレーションはこの間も一貫してウインチェスターブランドの商標権を保持し続けていましたが、日本での合弁会社のオリン晃電社は1979年の銃刀法規制強化に伴う日本国内における銃器販売数半減の影響で、親会社の晃電社が1981年に整理会社となり、その後は1985年に商号をオーケー工業に変更しました。

 オーケー工業の経営権はこの時、米国のオリン社の手から離れ、旧晃電社時代の経営陣に買い戻される形で存続した。そして引き続きクラシック・ダブルス及び国内向けに細々と出荷を続けていたが、結局、1991年(平成3年)に操業停止に追い込まれ、栃木工場は閉鎖された。2010年(平成22年)、旧オーケー工業は清算を完了しましたが、その広大な跡地利用を巡る問題が、その後も「旧オリン晃電社跡地購入問題」として尾を引き、当時の栃木市長だった日向野義幸による栃木市の市政に暗い影を落とす事になったのでした。

■この問題は2011年7月に栃木市内全戸に配布された『市議会だより』に掲載されました。


ZIP ⇒ 201107301sc6.zip
201107302sc6.zip
2011073034sc6.zip  

 そしてオリン晃電者工場跡地問題を巡り4つの裁判が提起されました。1番目は宇都宮地裁での住民訴訟で、第1回弁論は2011年5月26日からスタートし、2015年までに14回の弁論が開かれました。2番目は、原告の栃木市土地開発公社が、被告のオーケー工業と石橋副市長を相手取り損害賠償請求の民事訴訟が栃木市旭町裁判所で定期されました。3番目が、百条委員会での石橋元副市長の偽証罪を告発したもので、4番目が、石橋元副市長を背任罪で刑事告発したものです。

 このように当時、栃木市を揺るがした大きな事件であったことがうかがえます。このことも、安中市土地開発公社を舞台にしたタゴ事件と類似性を感じさせます。ただし、栃木市土地開発公社の事件の場合は約2億円余りですが、安中市土地開発公社の横領事件では約51億円もの途方もない巨額事件となっており、足元にも及びません。

 当時の市議会でのこの事件に関連する質問がYouTubeで視聴できます。

○オリン晃電社工場跡地_土地購入に関する質問2/2
平成22年7月早乙女利夫・栃木市議会議員

https://www.youtube.com/watch?v=F3TTk6NBWuc
2010/10/25

○オリン晃電社工場跡地_土地購入に関する質問_内海議員2/3
平成22年7月内海成和・栃木市議会議員

https://www.youtube.com/watch?v=7ehnM25ZDTQ
2010/10/25

○栃木市議会一般質問 白石幹男市議3

https://www.youtube.com/watch?v=R8vqpxBQ9Qo
2011/06/15
東北地方太平洋沖地震に対する対応について
福島第1原発事故に対する対応について
オリン晃電社工場跡地購入問題について(6:50~13:38)
国民健康保険税の調整について

■当時、栃木市長だった日向野 義幸(ひがの よしゆき)は、2003年から2010年まで旧栃木市長を務めましたが、2010年3月29日に(旧)栃木市が下都賀郡大平町、藤岡町、都賀町と新設合併し現在の栃木市が発足したことに伴い市長を失職しました。合併前の最後の市議会定例会では市の「太平山麓における活性化整備事業計画」に基づく市土地開発公社による工場跡地購入が問題となりました。

 2010年4月25日に新市発足に伴う市長選挙と市議会議員選挙が実施され、市長選挙は日向野と合併前の大平町長の鈴木俊美との一騎討ちとなったものの、日向野は鈴木に約1万4000票差をつけられ敗れました。なお、日向野はその後、栃木県議会議員に鞍替えし、連続3期当選し現在に至っています。

■さて、栃木市土地開発公社による工場跡地購入問題については、この日向野のWikipediaに割合詳しく記されています。

 それによれば、2009年(平成21年)6月に旧栃木市の土地開発公社がレストランや野菜直売所などを整備する目的で工場跡地約1.9ヘクタールを約2億円で購入しましたが、この事業に参加する予定であった業者は2010年10月に撤退を表明しました。購入の経緯や価格について旧市の市議会の平成22年3月定例会で問題となり、調査特別委員会(百条委員会)の設置を求める動議が提出されました。しかし、この時の動議は、賛成9人、反対10人で否決されました。

 その後、新市発足に伴う市長選・市議選を経て、市議会の平成22年6月定例会において再び百条委員会の設置を求める動議が提出され、今度は全会一致で可決されました。

 跡地購入当時の市長であった日向野は2011年(平成23年)3月31日に百条委員会に出席して証言しました。この工場跡地については土壌が汚染されている可能性があったものの、土地の鑑定評価をした不動産鑑定士は「土地開発公社から汚染のないことを前提に土地を鑑定評価するよう求められた」と百条委員会で証言していました。

 また、百条委員会が別の不動産鑑定士に土地の鑑定評価を依頼したところ、汚染のないことを前提としても9,300万円の評価額であることが判明しており、さらに2011年6月には工場跡地の一部から環境基準を超える鉛などや跡地の地下水から環境基準を超えるトリクロロエチレンが検出されたことを土地開発公社が公表しています。

 2011年3月2日には市民161人が日向野ら工場跡地購入の関係者に対して跡地購入費用の弁済や計画策定費用の返還を求める住民監査請求を行ないましたが、同年5月に市の監査委員が請求の一部を認め市に対して計画策定費用計98万7千円を関係職員に返還させることを勧告しました。

 この時、跡地購入費用の弁済の請求については認められなかったため、住民訴訟となり、2011年7月20日に宇都宮地方裁判所で第1回口頭弁論が行われました。原告側は跡地購入費用と適正価格との差額1億800万円を日向野ら当時の関係者に請求することを鈴木俊美市長に求めており被告側は争う意向を明らかにしていました。

 なお、2011年6月20日に百条委員会が決定した報告書では、工場跡地購入当時の副市長(土地開発公社理事長)の背任罪での刑事責任追及、日向野ら当時の関係者に対しての損害賠償請求などを鈴木市長に求めていました。また、2012年(平成24年)1月31日には土地開発公社が元副市長と土地の売主業者に損害賠償を求めて宇都宮地方裁判所に提訴しました。

 2015年(平成27年)1月27日、住民訴訟の原告団が記者会見し、工場跡地の徴税事務を担当した職員2人が100万円ずつ市に寄付することで被告側と和解し、同月9日付で訴訟を取り下げたことを発表しました。市税の滞納で差し押さえられていた工場跡地を職員が担保を取らずに差し押さえを解除したためにその売買代金を確保できなかったとされています。

 訴訟の取り下げは職員側からの申し出で、裁判で明らかにされた問題に真摯に市が対応することを条件に原告側は申し出を受諾しました。市も訴訟の取り下げに同意し、鈴木市長は徴税事務に不適切な処理があったことに対する遺憾の意と再発防止を表明しました。

 2015年9月17日、土地開発公社が元副市長と土地の売主業者に損害賠償を求めた訴訟で、宇都宮地方裁判所は土地開発公社の請求を棄却しました。すると同月29日、土地開発公社は判決を不服として東京高等裁判所に控訴しました。

 2017年(平成29年)3月29日、東京高等裁判所は地裁判決を変更し土地開発公社の請求を認める判決を言い渡しました。同年4月12日、元副市長と土地の売主業者は判決を不服として最高裁判所に上告しましたが、2018年(平成30年)3月16日、最高裁判所は元副市長と土地の売主業者の上告を棄却しました。

 こうして、元副市長(元公社理事長)らに約2億5千万円の賠償を命じた犯稀有が最高裁で確定したことを受けて、冒頭の東京新聞の記事のとおり、栃木市土地開発公社は元副市長(元公社理事長)の財産差し押さえで約180万円を回収しましたが、会社は清算法人になっていて、債権回収が困難になってしまっています。

■こうしてみると、土地開発公社を巡り利権目当ての様々な動きが水面下で蠢くことが、各地の自治体で頻繁に起きていることがよくわかります。それでも、栃木市土地開発公社の不祥事件の場合は、元理事長やその関係企業の責任を栃木市と同土地開発公社が曲がりなりにも法廷で追及しています。

 ところが、安中市の場合は、市や公社の事件関係者は、この前代未聞、空前絶後の巨額横領事件であるにもかかわず、単独犯とされた元職員のタゴの他には誰も何も責任を取らずに現在に至っています。その元職員タゴでさえも、毎月1万円ずつ返済ということで、昨年12月に公社の専務理事がタゴと口頭で交わした口約束に基づき、タゴが毎月下旬に公社の取引金融機関である群馬県信用組合の指定口座に振り込ませているだけで、それ以上の取り立ては安中市からも公社からも求められていません。

 このような異常な事態があと82年間も続くと思うと、いたたまれません。安中市民・納税者として黙ってこの状態を見過ごしていてよいはずがありません。

【ひらく会情報部】

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする