ネタバレあり
都会で単館上映されていたものが、こうやって田舎にも降りてくるとうれしいものです。
見たい見たいと思いながら、かなわなかったこの作品。田舎ではたった2週間の上映ですが、ギリギリセーフで見ることができました。
主演はアネット・ベニングとナオミ・ワッツ。そしてケリー・ワシントン。お話は、いくつもが並行して描かれます。
まず、アネット。彼女は純粋に恋をして、あまり知識のないままに彼と愛し合い、14歳で妊娠してしまいます。もちろん、相手だってわかっているし、彼も彼女を愛していたのですが、いかんせん14歳。赤ん坊の全権はアネットの母親にゆだねられ、母親は赤ん坊が生まれたその日に養子縁組に出してしまいます。幼いながらも喪失感を味わったアネットは、その後、結婚することもなく母と二人で暮らしてきました。娘の誕生日を忘れることなく。
母とはうまくコミュニケートできません。母は「人生なんて失望の連続よ」などと言ってアネットを眺めるものですから、幼くして妊娠してしまったことや、その後家庭を築けなかったことで母を失望させている、と落ち込むばかりです。
さて、その手放した娘は今や37歳。これがナオミ・ワッツです。彼女は聡明で、弁護士として成功しています。その優秀なキャリアゆえ、採用する方が躊躇するくらいです。ここではサミュエル・L・ジャクソンが上司として登場します。ナオミは養父を12歳くらいで亡くし、養母とはうまくいかなかったために早くから自立して生活しています。実の母を知らない、また母も自分を探そうとしていない・・・そんなこんなで独特の価値観を持ち、美しく、なおかつ自立しているからか、男性とのおつきあいも奔放なようです。サミュエル演じる上司も、自ら手にかけます(彼は数年前に妻を亡くしている)。
次にケリー・ワシントン。愛する人と結婚したにもかかわらず、子供に恵まれず、ついに養子縁組を決心する若夫婦として登場します。これが案外難しいんですね。経済的に安定していて、夫婦仲もよくても、沢山の人たちが順番待ちをしていますし、また子供を養子に出す方の母親(多くは若くして望まぬ妊娠をした女性)とも合意しなければなりません。その過程が描かれます。
ある日、アネットの母が亡くなります。その後、家に来てくれていた家政婦さんから、「お母様は、あなたに申し訳ないことをした、取り返しのつかないことをしてしまった、とおっしゃってました」と伝え聞きます。「どうして・・・。どうして、それを私に言ってくれなかったの。私に言うべきではなかったの・・・」と言って泣き崩れるアネット。家政婦さんは「お母様はあなたが怖かったのよ」と言うのですが・・・。
ここは私もどうかな、と思いました。女が一人で生きてきて、「怖い人」などと言われるのが一番つらいのではないでしょうか。それでなくても、好意を寄せてくれている男性に対して、「私と話すと怖いのね」と言ってしまったりしているのに。自覚していても、「怖い人」などと言われると、すごくイヤな気分になりますよね。
しかし、結論から言うと、めげることなかったこの男性と、アネットは結婚することになるのです。そして、彼の信心深い娘さんから、「手遅れにならないうちに、娘さんを探してみたら」と言われるのです。
かたやナオミ。仕事も順調だったにもかかわらず、ふいに妊娠してしまいます。それを避けるために、わざわざ卵管を縛ってあったにもかかわらず。ドクターには「縛ってあっても、まれに妊娠することがあります」と言われてしまいます。それで、ドクターは産まないのかな、と思っているのですが、どういう気持か、ナオミは産む決心をするのです。いまさら人を頼るわけにもいきません。できていた上司とも別れて、さっといなくなってしまいます。
彼女の胎盤の位置が悪く、移った先のドクターにも帝王切開を勧められますが、彼女は「生まれる瞬間が見たい。眠らせないで」といって譲りません。彼女の気持ちはわかります。しかし、日本では帝王切開でも、半麻酔で意識はあるんですけどね。
で、やはり思うところがあったのか、ナオミも初めて母に手紙を書こうと思い立ち、自分が養子縁組した組織に預けます。このころ、アネットも同じ組織のシスターに手紙を預けてあったのですが、なにかの手違いが起き、お互いの意思があるにもかかわらず、相手には渡らないまま1年が過ぎてしまいます。
そして、その間に、無理して自然分娩したナオミは赤ちゃんの顔を見た後、亡くなってしまっていたのです。この辺はやりきれないほど悲しかったですね。もちろん、ありきたりな予定調和はないだろうと思っていたのですが、やっぱり悲しかったですね・・・。
1年後にシスターからそれを聞いたアネット。悲しさのあまり泣きわめいてしまいます。しかし、そのずっと後、そのまた娘が子供のない母親にもらわれたと聞き、また養母が「会ってもいい」と言ってくれてると聞き、会いに行くのです。その住所は、ほん近所だったのです。
その養母こそがケリー・ワシントン。彼女も、ご主人に「やっぱり俺の血が入った子を」と言われて破局したり、約束していた女性に心変わりされたりして、つらい思いをしながらも突然現れた”身寄りのない子”を心を決めてもらい、育てていた女性。
もちろん、アネットには何を請求する権利もありません。でも、そんなこと、どうでもいいんです。そこに娘の忘れ形見が存在している、それで充分なんですよね。
これがハッピーエンドだったのかどうかはわかりません。でも、「よかった・・・」という気持ちになったことは確かです。
こんな美しい、女性の物語の監督が男性だなんて・・・。これは「めぐりあう時間たち」を見たときにもそう思いました。まぁ、性別で垣根を作ることに意味なんてないですけどね。こんな話が理解できるものなんだなぁ・・・と思っただけです。
ただ、こういう話、嫌いな人は嫌いかもしれません。