ちらしには「ワルシャワの森 古い木の屋敷 愛犬フィラ そして私、91歳」と書いてあるので、もっとほのぼのした映画かと思ってました。
しかし、案外現実的な映画で、最後はホッとする終わり方をするものの、年輩になって一人で住む現実や、あんなにかわいかった息子との思うようにいかない関係、そしてかわいくない孫など、ドキッとする場面が結構ありました。
昔は立派だった家も今ではすっかり古くなり、年輩の女性一人で住んでることもあり、事あるごとに「あばらや」と言われるのです。
「早く壊した方がいい」と言われたり、お隣には「売ってくれないか」と持ちかけられたり、なんだか「立ち退き」を強要されているようなのに、息子に「引っ越してもいいのよ」と話すと「いやいや、それは無理なんだ」とか「きっとうまくいかない」とか「来るな」と言わんばかり。
あげくにこの息子、秘密裏に「自分に譲渡してくれるだろう」と見込んで、さっさと売買契約を結んでしまうのです。
太っちょの孫(女の子)は食べてばかりで下品だし、そのくせ、子供なのに「その指輪が欲しいわ」などとのたまうし。
この映画は誰の立場に肩入れして見るかで、随分印象が違うと思うのです。
息子に共感して見れば「この母親はうるさかっただろうな」とか思えるところもあるし、母親に共感して見れば「つらいだろうなぁ」と思うこともあるし。
それでも、ある一定以上の年齢の人ならば(年齢を気にせず「自分は違う、若い」と思っている人は除く)、たとえば真夜中にヒューズが飛んで、それを直そうとしてもうまくいかず、「まったくいまいましい」とつぶやく彼女の気持ちは理解できると思います。
「あるよなぁ、こんなこと」って思ってしまいました(笑)。
しかし、あまりに現実的なので、「おばあちゃんが木洩れ日の射す庭で座っているようなほのぼの系だと思っていたのに・・・」って戸惑いました。
でも、確かにこのおばあちゃん、チャーミングです。若い頃はさぞかし美人だったのでしょうね。
しかし、案外現実的な映画で、最後はホッとする終わり方をするものの、年輩になって一人で住む現実や、あんなにかわいかった息子との思うようにいかない関係、そしてかわいくない孫など、ドキッとする場面が結構ありました。
昔は立派だった家も今ではすっかり古くなり、年輩の女性一人で住んでることもあり、事あるごとに「あばらや」と言われるのです。
「早く壊した方がいい」と言われたり、お隣には「売ってくれないか」と持ちかけられたり、なんだか「立ち退き」を強要されているようなのに、息子に「引っ越してもいいのよ」と話すと「いやいや、それは無理なんだ」とか「きっとうまくいかない」とか「来るな」と言わんばかり。
あげくにこの息子、秘密裏に「自分に譲渡してくれるだろう」と見込んで、さっさと売買契約を結んでしまうのです。
太っちょの孫(女の子)は食べてばかりで下品だし、そのくせ、子供なのに「その指輪が欲しいわ」などとのたまうし。
この映画は誰の立場に肩入れして見るかで、随分印象が違うと思うのです。
息子に共感して見れば「この母親はうるさかっただろうな」とか思えるところもあるし、母親に共感して見れば「つらいだろうなぁ」と思うこともあるし。
それでも、ある一定以上の年齢の人ならば(年齢を気にせず「自分は違う、若い」と思っている人は除く)、たとえば真夜中にヒューズが飛んで、それを直そうとしてもうまくいかず、「まったくいまいましい」とつぶやく彼女の気持ちは理解できると思います。
「あるよなぁ、こんなこと」って思ってしまいました(笑)。
しかし、あまりに現実的なので、「おばあちゃんが木洩れ日の射す庭で座っているようなほのぼの系だと思っていたのに・・・」って戸惑いました。
でも、確かにこのおばあちゃん、チャーミングです。若い頃はさぞかし美人だったのでしょうね。