杭州は古都である。しかしそれよりも、この町が観光地として名をなしているのは、湖一つだと言っていい。その湖の名は西湖。
おそらく中国に数多くあるであろう、地理的に西の方にある湖という平凡な名の西湖だが、ただ単に西湖と言えば、ここ杭州の西湖なのである。日本にも、富士五湖の一つに西湖があるが、遥か遠く及ばない。
10月19日、杭州国際青年旅舎で朝起きたら、すぐに西湖に行った。
ここ旅舎からは、目と鼻の先だ。名所の柳浪聞鶯を抜けると、そこは西湖だった。
きれいだと言っても、湖だ。それがきれいと思わせるには、プラスアルファがなければならない。それは、その湖を際だたせるために存在するかのような山や木々や花々があったり、水に生える蓮があったり、泳ぐ魚や亀や、はたまた水鳥がいたりした方がいい。
西湖は、その周辺に木々があり、それも水に似合う柳があり、中国式の建物がここかしこに建っていて、確かにどこかで見た中国の水彩画のようだ。
湖には、いくつかの船が揺れるように走っている。観光客の乗る遊覧船も多い。シンプルな屋形船からきらびやかな建物をした船まで、大きさも様々だ。
ただ単なる静かな湖でなく、こういう船が行き交う風景がいい。自然だけの景観でなく、そこに人がいるという風景がいいのだ。
旅舎から湖に出たところが、ちょうど船着き場だった。2、3隻の船が停まっていた。
まだ疎らな客の船が、客を待って停まっている。停まっている船に乗り込もうとする観光客がいる。
僕も遊覧船にでも乗ろうかと思って、切符売場のところへ行った。受付のところに10人ぐらいの中国人の団体客がいた。窓口で、客と受付の人が何やら言っている。
切符1枚買うのに、何を手こずっているのだろうと覗いてみたら、細長い長方形の紙に何か印刷してある券のようなものを見て、受付の人がしきりに計算したりしている。団体の通しカードのようなものだろうか。誰もがそのカードのようなものを手にしていた。
やっと1人が終わったら、次の人も同じくああだこうだと言っている。こうして、この団体客のすべての事務処理が終わったときは、先ほどまで水辺に停まっていた船はどれも出発していなくなっていた。
窓口で、船の遊覧時間はどのくらいかかるのかと訊いたら、1時間半だという。
腕時計を見ると午前10時である。出発時刻表はなかったので、客が待っていると船は次々に来るのだろうと思っていたら、そうではないようである。今、出発した船が戻ってくるのを待つようだ。
仕方なく、船に乗るのはやめて湖の周りを歩くことにした。周囲は15キロあるので一周はできないが、昼ぐらいまでに戻ることにして、それまで歩くことにしよう。
湖の周囲は道が整備されていて、湖のうねりを活かしてところどころに小さな公園のような空間ができていた。草むらなので、暖かい日なら寝転がってもいい。
そこでは、地元の人たちが、石で造った将棋台の上で、トランプや麻雀をやっている。あるところでは、団体で太極拳を舞っている。あるところでは、二胡にあわせて唄を歌っているおばさんもいる。
西湖は、観光客には観光の場で、地元の人たちには憩いの場なのだ。
西湖は散歩にはちょうどいい。しばらく歩くと、また船着き場があった。ここから出るのは、違う形の船だ。ばらばらにある船着き場によって、船が違うのだ。
ぶらぶら湖畔を歩いて、昼頃ホテルに戻った。
旅舎をチェックアウトし、すぐ近くにあるレストランで昼食をとった。バイキング・スタイルの西洋風料理だ。中国に来て、初めて西洋料理だ。中国料理にはない生野菜のサラダが懐かしい。
中国人は元来、野菜も魚も生は食べないのだ。だから、もともと中国料理に生のものはない。
食べ放題で、58元。この近辺では安い方だが、僕にとっては高いランチだ。
*
昼食後、蘇州へ出発するために杭州駅に行った。
昨日切符を買っておいたので安心なのに、14時発の1時間も前に駅に着いた。いつもぎりぎりに駆け込む僕にしては、異常に早い到着だ。でも、ここでは何が起こるか分らない。
案の定、改札口が分からない。杭州駅は2階建てになっていて、しかも構内に普通の店が並んでいるので、分かりづらい。商店の並ぶその先に切符売場、售票処がある。改札口は検票口である。現地の人に訊くと、2階にあった。
検問のような改札口を通ると、高く掲げられている電光掲示板を見ることになる。掲示板には、列車番号毎の待合室番号が映しだされている。切符に書いてあるT34次が、僕の乗る列車番号だ。自分の列車番号の列に書いてある待合室で待てということなのだ。
検問を過ぎ進んでいくと、待合室がいくつかあって、それぞれ番号が付けられていた。入ると、小学校の講堂のように大きく、長椅子にいっぱいの人が座っていた。
まるで、終戦直後、引き揚げ列車に乗り込むために待っているようだ(見てきたようなことを言うが、あくまで映画やドラマでのイメージをふまえての思いである)。
でも、ここで待っていていいものか不安になって、僕は待合室を出たり入ったりした。というのも、上海駅と違って、ホームがどこにあるのか見えないのだ。歩き回って注意深く見渡してみても、待合室がいくつかあるだけで、列車とか線路がまったく見えないのだ。
どこからホームに行くのだろうか。どこかで、ホームに繋がっていないといけない。自分の番になったら、行列になった集団となって、どこかにあるそのホームへ引率されて、連れて行かれるのだろうか。そんな疑問が、僕を不安にさせた。
改札口の係員に切符を見せて、どこかと訊いたら、やはりその待合室で待てという返事なので、間違いではなさそうだ。
待っている間、壁に貼ってある時刻表を見ていた。僕の乗る列車T34次は、直接蘇州に行くのではなく上海へ迂回経由のようだ。つまり>の形で、まず北東の方の上海へ行き、また戻るように北西の方の蘇州へ行き、翌朝天津に着く夜行列車のようである。
いや、知っていてよかった。知らずに乗っていたら、まっすぐ蘇州へ着くものと思っていたから、そのうち上海に着いたらびっくりしただろう。
発車30分前を過ぎた頃に、待合室の掲示板に、やっと僕の乗る列車の番号が表示された。
すると、待合室の奥の仕切りが開かれ、並んでいる人が順に切符を見せて、仕切りの奥へ入っていく。こんなところに改札口があったのだ。いよいよ本当の改札が始まったようだ。しかし、改札のある仕切りの奥は、すぐに行き止まりになっている。
僕も、その列の尻に並んで、改札の中に入っていく人を見ていた。改札の奥に入っていく人は、たちまち左右に消えていくのであった。
僕の番になって入っていくと、左右の隅に階段が下りていた。その階段を下りると、そこがプラットホームだった。そんな仕組みだったのだ。
ふーむ。やれ、やれ。
*
列車に乗った。一応、座席は指定されている。
昨日の上海から杭州行きの一等座は、75元だったが、この杭州、上海、蘇州行きは、距離が長いのに44元である。やはり、新幹線「和階号」は高いのだ。といっても、日本とは比較にならないほど安い。
座席は、通路を挟んで2列、3列で、日本の新幹線の座席と同じ格好だ。それが、向かい合わせに組んである。車両の表示に、1両定員118人と記されているから、18両編成だ2000人以上となる。
南両編成か残念なことに数えなかったが、僕の乗った車両が16両(号)で、それ以上あるのは確かで、おそらく18両はあるのだろう。中国は人が多いから、列車も大量人数移送だ。日本の東海道新幹線も、16両編成(N700系)で1328人と多いのだが、それを遥かに凌ぐ。
列車は、14時杭州発で、17時53分蘇州着だ。
僕は2人座席の窓側で、隣の若者はすぐに頭を下げて寝てしまった。前の若者は、中国では珍しい肥満で眼鏡をかけたオタクっぽい印象で、ウォークマンのようなヘッドホンを耳に当て、何やら音楽でも聴いていそうであった。時々神経質そうに小さく独り言を呟くのであった。
斜め前の女性は、通路を挟んで横に座った初老の女性と親子のようで、旅行のようだ。その女性が、車内販売の売り子から地図を買った。車内販売で、地図を売っているのだ。女性が地図を広げたのでのぞき込むと、上海駅で切符を買うのに苦労した「芬(似字)州」と書いてある。僕と同じく蘇州に行くのだ。
上海で、寝ていた隣の若者は降りたが、親子の女性と前の若者は乗ったまま蘇州まで行った。前に座っていた若者も蘇州で降りた。
改札口を出て、駅の外へ出るとき、前に座っていた若者と目が合ったので、目でアバヨと挨拶すると、彼はそれまで見せたことのないニコッとした表情を見せて、人混みへ消えていった。彼は人恋しいのかもしれない。
親子の女性も挨拶を交わして、人混みへ消えた。
蘇州駅前は、観光地らしく人が多く、混雑していた。
おそらく中国に数多くあるであろう、地理的に西の方にある湖という平凡な名の西湖だが、ただ単に西湖と言えば、ここ杭州の西湖なのである。日本にも、富士五湖の一つに西湖があるが、遥か遠く及ばない。
10月19日、杭州国際青年旅舎で朝起きたら、すぐに西湖に行った。
ここ旅舎からは、目と鼻の先だ。名所の柳浪聞鶯を抜けると、そこは西湖だった。
きれいだと言っても、湖だ。それがきれいと思わせるには、プラスアルファがなければならない。それは、その湖を際だたせるために存在するかのような山や木々や花々があったり、水に生える蓮があったり、泳ぐ魚や亀や、はたまた水鳥がいたりした方がいい。
西湖は、その周辺に木々があり、それも水に似合う柳があり、中国式の建物がここかしこに建っていて、確かにどこかで見た中国の水彩画のようだ。
湖には、いくつかの船が揺れるように走っている。観光客の乗る遊覧船も多い。シンプルな屋形船からきらびやかな建物をした船まで、大きさも様々だ。
ただ単なる静かな湖でなく、こういう船が行き交う風景がいい。自然だけの景観でなく、そこに人がいるという風景がいいのだ。
旅舎から湖に出たところが、ちょうど船着き場だった。2、3隻の船が停まっていた。
まだ疎らな客の船が、客を待って停まっている。停まっている船に乗り込もうとする観光客がいる。
僕も遊覧船にでも乗ろうかと思って、切符売場のところへ行った。受付のところに10人ぐらいの中国人の団体客がいた。窓口で、客と受付の人が何やら言っている。
切符1枚買うのに、何を手こずっているのだろうと覗いてみたら、細長い長方形の紙に何か印刷してある券のようなものを見て、受付の人がしきりに計算したりしている。団体の通しカードのようなものだろうか。誰もがそのカードのようなものを手にしていた。
やっと1人が終わったら、次の人も同じくああだこうだと言っている。こうして、この団体客のすべての事務処理が終わったときは、先ほどまで水辺に停まっていた船はどれも出発していなくなっていた。
窓口で、船の遊覧時間はどのくらいかかるのかと訊いたら、1時間半だという。
腕時計を見ると午前10時である。出発時刻表はなかったので、客が待っていると船は次々に来るのだろうと思っていたら、そうではないようである。今、出発した船が戻ってくるのを待つようだ。
仕方なく、船に乗るのはやめて湖の周りを歩くことにした。周囲は15キロあるので一周はできないが、昼ぐらいまでに戻ることにして、それまで歩くことにしよう。
湖の周囲は道が整備されていて、湖のうねりを活かしてところどころに小さな公園のような空間ができていた。草むらなので、暖かい日なら寝転がってもいい。
そこでは、地元の人たちが、石で造った将棋台の上で、トランプや麻雀をやっている。あるところでは、団体で太極拳を舞っている。あるところでは、二胡にあわせて唄を歌っているおばさんもいる。
西湖は、観光客には観光の場で、地元の人たちには憩いの場なのだ。
西湖は散歩にはちょうどいい。しばらく歩くと、また船着き場があった。ここから出るのは、違う形の船だ。ばらばらにある船着き場によって、船が違うのだ。
ぶらぶら湖畔を歩いて、昼頃ホテルに戻った。
旅舎をチェックアウトし、すぐ近くにあるレストランで昼食をとった。バイキング・スタイルの西洋風料理だ。中国に来て、初めて西洋料理だ。中国料理にはない生野菜のサラダが懐かしい。
中国人は元来、野菜も魚も生は食べないのだ。だから、もともと中国料理に生のものはない。
食べ放題で、58元。この近辺では安い方だが、僕にとっては高いランチだ。
*
昼食後、蘇州へ出発するために杭州駅に行った。
昨日切符を買っておいたので安心なのに、14時発の1時間も前に駅に着いた。いつもぎりぎりに駆け込む僕にしては、異常に早い到着だ。でも、ここでは何が起こるか分らない。
案の定、改札口が分からない。杭州駅は2階建てになっていて、しかも構内に普通の店が並んでいるので、分かりづらい。商店の並ぶその先に切符売場、售票処がある。改札口は検票口である。現地の人に訊くと、2階にあった。
検問のような改札口を通ると、高く掲げられている電光掲示板を見ることになる。掲示板には、列車番号毎の待合室番号が映しだされている。切符に書いてあるT34次が、僕の乗る列車番号だ。自分の列車番号の列に書いてある待合室で待てということなのだ。
検問を過ぎ進んでいくと、待合室がいくつかあって、それぞれ番号が付けられていた。入ると、小学校の講堂のように大きく、長椅子にいっぱいの人が座っていた。
まるで、終戦直後、引き揚げ列車に乗り込むために待っているようだ(見てきたようなことを言うが、あくまで映画やドラマでのイメージをふまえての思いである)。
でも、ここで待っていていいものか不安になって、僕は待合室を出たり入ったりした。というのも、上海駅と違って、ホームがどこにあるのか見えないのだ。歩き回って注意深く見渡してみても、待合室がいくつかあるだけで、列車とか線路がまったく見えないのだ。
どこからホームに行くのだろうか。どこかで、ホームに繋がっていないといけない。自分の番になったら、行列になった集団となって、どこかにあるそのホームへ引率されて、連れて行かれるのだろうか。そんな疑問が、僕を不安にさせた。
改札口の係員に切符を見せて、どこかと訊いたら、やはりその待合室で待てという返事なので、間違いではなさそうだ。
待っている間、壁に貼ってある時刻表を見ていた。僕の乗る列車T34次は、直接蘇州に行くのではなく上海へ迂回経由のようだ。つまり>の形で、まず北東の方の上海へ行き、また戻るように北西の方の蘇州へ行き、翌朝天津に着く夜行列車のようである。
いや、知っていてよかった。知らずに乗っていたら、まっすぐ蘇州へ着くものと思っていたから、そのうち上海に着いたらびっくりしただろう。
発車30分前を過ぎた頃に、待合室の掲示板に、やっと僕の乗る列車の番号が表示された。
すると、待合室の奥の仕切りが開かれ、並んでいる人が順に切符を見せて、仕切りの奥へ入っていく。こんなところに改札口があったのだ。いよいよ本当の改札が始まったようだ。しかし、改札のある仕切りの奥は、すぐに行き止まりになっている。
僕も、その列の尻に並んで、改札の中に入っていく人を見ていた。改札の奥に入っていく人は、たちまち左右に消えていくのであった。
僕の番になって入っていくと、左右の隅に階段が下りていた。その階段を下りると、そこがプラットホームだった。そんな仕組みだったのだ。
ふーむ。やれ、やれ。
*
列車に乗った。一応、座席は指定されている。
昨日の上海から杭州行きの一等座は、75元だったが、この杭州、上海、蘇州行きは、距離が長いのに44元である。やはり、新幹線「和階号」は高いのだ。といっても、日本とは比較にならないほど安い。
座席は、通路を挟んで2列、3列で、日本の新幹線の座席と同じ格好だ。それが、向かい合わせに組んである。車両の表示に、1両定員118人と記されているから、18両編成だ2000人以上となる。
南両編成か残念なことに数えなかったが、僕の乗った車両が16両(号)で、それ以上あるのは確かで、おそらく18両はあるのだろう。中国は人が多いから、列車も大量人数移送だ。日本の東海道新幹線も、16両編成(N700系)で1328人と多いのだが、それを遥かに凌ぐ。
列車は、14時杭州発で、17時53分蘇州着だ。
僕は2人座席の窓側で、隣の若者はすぐに頭を下げて寝てしまった。前の若者は、中国では珍しい肥満で眼鏡をかけたオタクっぽい印象で、ウォークマンのようなヘッドホンを耳に当て、何やら音楽でも聴いていそうであった。時々神経質そうに小さく独り言を呟くのであった。
斜め前の女性は、通路を挟んで横に座った初老の女性と親子のようで、旅行のようだ。その女性が、車内販売の売り子から地図を買った。車内販売で、地図を売っているのだ。女性が地図を広げたのでのぞき込むと、上海駅で切符を買うのに苦労した「芬(似字)州」と書いてある。僕と同じく蘇州に行くのだ。
上海で、寝ていた隣の若者は降りたが、親子の女性と前の若者は乗ったまま蘇州まで行った。前に座っていた若者も蘇州で降りた。
改札口を出て、駅の外へ出るとき、前に座っていた若者と目が合ったので、目でアバヨと挨拶すると、彼はそれまで見せたことのないニコッとした表情を見せて、人混みへ消えていった。彼は人恋しいのかもしれない。
親子の女性も挨拶を交わして、人混みへ消えた。
蘇州駅前は、観光地らしく人が多く、混雑していた。