かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

上海への旅⑭ 蘇州の庭園「滄浪亭」をあとにして

2009-12-31 02:00:14 | * 上海への旅
 蘇州の街は、一人歩きに向いている。
 賑やかな通りと古い庭園があちこちにある一方、街中を縦横に走る掘割には古い家並みが寄り添い、郷愁を誘う風景がある。
 「蘇州夜曲」の歌を想わせる掘割の細い夜道を、そっと忍び寄る木犀の香りを感じながら歩いていると、いつしか街の明かりが灯る大通りの十全街に出た。旅舎の近くの、湖北から来た女の子のいる食堂で遅い食事をとったあと、夜の十全街を歩いた。
 十全街は、今は観前街に蘇州の目抜き通りの地位は奪われてしまったが、かつての中心的繁華街の通りである。歩いてみると、日本の地方都市の商店街のような雰囲気がある。
 消費の主な部分はスーパーマーケットやファーストフードなどが集まる国道沿いに移り、街の古くからある商店街はそれに対する対応策をとることもなく、今までの店を今までどおりに守り通しているうちに、いつのまにか昔の栄華よ今いずこという雰囲気が漂い始めている、というのが日本の地方都市の典型である。
 それでも、中国は急激な経済成長の過程だから、新商店街の目覚しい近代化があっても、まだ旧商店街の衰退の兆しはない。商店街は、まだのどかな雰囲気がある。
 夜の十全街は、普通の店は閉まっていたが、ところどころに明かりが灯っていた。扉が開いていて、奥にカウンターが見え、椅子に何人かが座っている。扉の上を見ると、「Bar」と看板がある。
 日本でもよく見かけるバーだ。立ち止まってのぞいてみると、店の女性が何やら声をかけた。疲れていることもあって店には入らずに通り過ぎたけれど、通りには何軒かこのようなバーがあった。
 中国に、こういう普通の酒場があるのが嬉しい。普通かどうかは分からないが。
 中国では、食堂と果物屋と足浴屋が夜遅くまで開いている。それに盛り場では、酒場ももちろん夜の主役になる。上海のように都会だと、酒場はカラオケ店などと同じく、雑居ビルの中に潜んでいる場合が多い。

 *

 翌10月21日、蘇州青年之家旅舎で目が覚めた。
 西部の荒野にひっそりと建つ流れ者の宿屋のような簡素なこの旅舎とも、今日でおさらばである。
 昨晩、十全街の通りの果物屋で買ったバナナとミカンで朝の腹ごしらえをする。
 この日の夕方、蘇州を発って上海へ戻るのだが、その前に蘇州の庭をいくつか見る余裕はあるだろう。昨日は、留園も見逃したし。

 地図を見ていたら、蘇州四大園林の1つのである「滄浪亭」が、十全街の北西の方向にある。
 まずは、その庭園、滄浪亭に行くことにした。十全街から旅舎の前を通って南に行くと竹輝路にぶつかる。その竹輝路をまっすぐ西へ行くと滄浪亭の近くへ行くことになる。
 竹輝路のバス停からバスに乗って、工人文化宮の前で下りて滄浪亭に向かった。ゆったりとした堀に沿って病院があり、その先に庭園はあった。
 滄浪亭は、北宋の時代(11世紀)に造られた、蘇州で最も古い庭園である。堀に沿って造られ、屈源の詩、「滄浪の水」という魚歌から名づけられたという。
 日本の城の外堀を思わせる、水をふくよかに湛えた堀に架かる石橋を渡ると、庭園の入口に連なる。
 入場料は20元。昨日最初に行った拙政園が70元で高いと思ったら、次に行った獅子園が30元で、ここ滄浪亭が20元である。同じ四大園林でも格差がある。
 入口を入ると、目の前に築山が見え、道は左右に分かれて回廊になっている。その回廊から中庭を歩くと小高い築山に出た。その頂には四阿(あずまや)風の亭が設けられている。ここで、一服しながら四方の景色を見回すといった趣だ。
 さらに前方に建物や、ところどころ木々や花々の群生が見える。それらは白い塀の回廊で結ばれている。
 ここは、他の庭園と違って起伏に富んでいる。
 回廊を歩いているとき、ふと何かが足りないような気がした。バッグも心持ち軽い気がする。ふっと気づいた。さっきまで手に持っていたガイドブックはどこに置いたのだろう。と思って、バッグを底までひっくりかえして探したのだが、ない。
 園の入口に入ったときには、手にしていたガイドブックに入場券を挟み、バッグの中にしまわなければと思った。それがバッグに入れずに、そのあと、どこかの片隅に置いたままできたのかもしれない。
 今まで歩いた道を、辺りを見回しながら駆け足で戻った。見つからないので、園内を見学している人に、「日本語の旅行ガイドブックを見ませんでしたか?」と、訊いてみる。見学者はそう多くない。しかし、誰もが知らないと言う。
 僕は、また園内をくまなく歩いた。この滄浪亭は拙政園と違ってこぢんまりとした庭園なので、隅から隅まで歩き回ったところでそう時間はかからない。それでも見つからないので、入口の係りの人にも訊いてみるが、ないとの返事である。
 三たび、庭園を周ってみる。まるでとり逃がした犯人を追う刑事のように、執拗に周りの岩陰や茂みも見て回った。それでも、出てこなかった。
 受付で、再び落し物として出てこなかったかと訊いて、ないとの返事を受けて、諦めることにした。
 諦めたところで、何だかほっとした。ガイドブックは「上海・杭州・蘇州編」で、いつも持ち歩き、ガイドブックに頼りすぎていた。それに、あと2日で旅は終わるし、上海の中国語版地図はあるので、そう不便はないだろう。
 それにしても、短時間にこれほど密度の濃い、1箇所の庭園回りをした人間はいないだろう。おかげで滄浪亭の配置が頭に刻まれて、詳しくなった。
 滄浪亭は、白い壁の回廊が続き、その回廊には様々に装飾された通し窓が刻まれていた。その飾り窓は、季節の花々も描かれていて、その先には花々や木々が植えてあった。(写真)
 とことどころにある洒落た建物の中には、テーブルと椅子が置いてあり、団体の憩いの場となるであろうし、会議ができる威厳のある雰囲気も持っていた。
 中央の小高い築山からは、庭園を囲む堀の水を眺めることができたし、外からは水に浮かぶ庭園が楽しめた。

 *

 このあと、昨日その場へ行ったのだが見られなかった留園に行こうと思った。
 しかし、留園は遠く、また苦労してバスを探して行ったとしても、時間がない。もうとっくに昼を過ぎている。ガイドブック探しに時間をかけすぎたようだ。
 ひとまず旅舎に戻ることにした。
 竹輝路に出て、バス停を探した。なかなか見つからないので歩いている人に尋ねたが、ちゃんとした答えが出てこない。何人目かの若いカップルが真剣に思案してくれたので、地図を見せながら大通りを歩いていると、右に細い道が延びた三叉路に出た。いったん止まって、ゆっくり足を伸ばしたらゴツンと音がした。
 何が起こったのかと顔を上げると、目の前のバイクに乗った男と目が合った。男も、何が起こったのかという顔をした。一緒にバス停を探していたカップルも、何か起こったという顔をしている。
 バイクが僕の膝に当たったのだった。
 一瞬分からなかったのだが、僕の膝にバイクがぶつかった音だった。痛くなかったので、なんの音か分からなかったのだ。でも、事態はそうだった。
 僕が、何でもないというジェスチャーをしたので、みんなの緊張がほぐれ、何でもないのだという雰囲気になり、また元の状態に収まった。バイクの運転手も表情を崩し、事故でも何でもなかった、それでいいんだという顔をした。
 中国では、道路を横断するときは注意しないといけない。みんなの意識として、車が優先なのだ。だから、信号が青でも、注意しながら渡らないといけない。信号のないところでは、尚更である。
 アジアの国では、たいていの国で信号を信頼してはいけない。例外は日本である。日本人は、世界で最も信号を守る国民であろう。

 そして、何事もないように僕は歩き出した。
 結局、一つ先のバス停まで歩いて、旅舎に着いた。さっきは何ともなかった膝が押さえると少し痛いので、ズボンをたくして見てみると、そこが赤くなっている。やはり、衝撃があったのだ、と感じた。

 *

 駅に行く前に、遅い昼食をとるために、十全街の例の食堂に入った。相変わらず、主人は入口のカウンターにいたが、湖北から来たというウエイトレスの子猫のような少女はいなかった。
 夜だけの勤めだろうか。今頃、普通の女の子のように彼氏とデイトでもしているのだろうか。それだったら、いいのだが。
 しっかり者の奥さん(想像)は店内にいたし、厨房にいた男の人も顔を出した。
 それにしても、中国の食堂は店の人が多い。厨房や裏口から顔を出したり、店内を横切ったりするので、ああこの人も店の人かと思うのだが、何人いるのか正確には分からない。大して大きくもない食堂に、結構な人がいる。なかには、何の役割か分からない人もいる。
 上海の西安食堂は主人が厨房で鍋を握って料理を作っていたが、大体が店の主人は入口のカウンターの中で、愛想笑いをしながら金の計算をするだけだ。主人は、多くの時間を横に置いてあるテレビを見て過ごしている。主人の奥さん(らしい人)も、似たようなものである。年齢も幅が広く、子供も店内をうろついたりする。
 地方から来て都会で食堂を開いた人は、地方にいる同族を呼び寄せるようなので、みんな家族のようなものなのだ。
 日本のファーストフードの店のように、ぎりぎりの人数で効率よくとは考えていない。だから、店の雰囲気は何だか和やかだ。
 食事は麺にした。店のお姉さんに説明を聞き、6種類の食材の具が入った米麺というのを頼んだ。15元。細いうどんのような麺だ。うどん好きの僕としては、さっぱりした味でちょうどいい。

 *

 15時54分の列車で上海へ戻るので、旅舎を出て3時に大通りへ出た。
 バスは駅までは分かりづらいし、どのくらい時間がかかるか知れないので、タクシーに乗ることにした。ところが、空車がなかなか来ないではないか。
 すると、僕の待ち受けている道路の前方に、つまり車が来る方に1人の女性が現れてきて、彼女もタクシーをつかまえようとしているではないか。僕が先に通りに着たが、彼女が先にタクシーをつかまえる位置にいる。
 案の定、彼女が手を振ったところに、タクシーが着て停まった。すると、後ろから男が大きなキャリーバッグを持ってタクシーのところに走ってきた。どこか旅行にでも行くカップルだったのだ。彼らは荷物をトランクに入れると、僕に向かって手を振って招いた。
 驚く僕の前にタクシーを停めて、乗れとドアを開けた。僕がタクシーに乗ると、あなたも駅に行くと分かっていたよと言わんばかりに、当然のごとく「蘇州駅」と言った。
 そして、女性が僕に切符を見せた。それは、蘇州駅発15時15分発だった。もう15時10分であるから、かなり厳しい時間だ。急ぐのは当然だ。僕も自分の切符を見せた。僕のは15時54分発なので余裕である。
 駅に着いたところで、彼らは料金を運転手に払って、僕に18元払ってと言って、走りながら駅の中に消えた。時計を見ると、15時13分だ。間に合うといいのだが。
 僕が言われるまま運転手にお金を払うと、運転手は領収書をくれた。領収書は僕の払った18元より少しだけ多い額だった。しっかりしたカップルだ。
 僕はいつになく時間に余裕があるので、ゆっくりと駅に行き、大きな待合室で列車を待った。
 そして、蘇州発上海行きの列車に乗り、再び上海へ向かった。
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