かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

◇ ガンジー

2009-04-02 02:43:52 | 映画:外国映画
 リチャード・アッテンボロー製作・監督 ベン・キングスレー イアン・チャールソン マーティン・シーン キャンディス・バーゲン ジョン・ミルズ ロシャン・セス 1982年英=インド

 たった2回の、それもそれぞれ10日間ほどの短い旅だったが、インドはどこの国とも違っている、そして、どこの国よりも深い国であると思った。貧しくて、階級格差の国であるにもかかわらずに。
 そう思わせるのはなぜかという答の一部が、この「ガンジー」にあると思った。

 この映画の最後に、次のようなガンジーの言葉が流れる。
 「絶望に陥ったとき、私は人類の歴史を思う。
 勝つのはいつも真実と愛だ。
 暴君や殺戮者は一時的には無敵に見えても、結局滅びてしまう。
 そのことを忘れてはならない」

 しかし、現代を見ても、人類は歴史に学んでいるとは思えない。何度も同じ過ちを繰り返しているようだ。
 長い間イギリスの植民地であったインドは、第2次世界大戦後の1947年に独立を果たす。その立役者がガンジーで、インド独立の父と呼ばれている。
 若い頃、ロンドンで学んだガンジーは、南アフリカに弁護士として赴任する。そのとき、1等に乗った列車から有色人種であるという理由で放り出される。この日より、ガンジーの白人=大英帝国への抵抗運動が始まる。
 故郷インドへ帰ったガンジーは大英帝国に反抗した英雄として迎えられる。その彼は、イギリスからの独立運動に動き出す。
 彼独特の思想である、非暴力で非協力という武器で。

 ガンジーは、イギリス側との会談で、こう言う。
 「あなた方は、他人の家に主人としている」。そして、インドからのイギリスの撤退を要求する。
 イギリス側は、こう反論する。
 「あなた方インドは、我々イギリスがいないと、ヒンドゥーやイスラムなどがいて混乱してやっていけないでしょう」
 ガンジーはこう答える。
 「人々は外国の良い政府より、悪い自分たちの政府を選びます」
 このやりとりは第2次大戦以前の70年以上前のことだが、まるで現代のアメリカとイラクのようだ。
 
 また、ガンジーはこうも言う。
 「人間の幸せは物ではない。いくら便利でもね。幸せは労働と働く誇りにある」
 こう言って、イギリスから輸入している布のために旧来の仕事がなくなって失業と貧困を招いているインドの現状を憂い、イギリス産の衣服を燃やすよう勧める。服を燃やした彼は上半身裸で生活し、率先して、自分の服のために糸を紡ぐ。
 今日、人間の幸せはすっかり物、すなわち金になってしまった。金のために世界は市場経済のグローバリゼーションになってしまった。何かを生産する歓びより、金を手に入れるために懸命になってしまった。
 
 いくつもの宗教があるインドでは、ヒンドゥーとイスラムの対立が激化し、ガンジーの非暴力運動も虚しく内紛を起こす。そして、結局インドとパキスタンが袂を分かつのである。
 病気で臥しているガンジーのところへやってきたヒンドゥーの男とガンジーの対話は、仏陀の教えのようで示唆に富んでいる。
 男が、「俺は地獄に行くが、お前は生きてくれ」と言いながら、ガンジーにパンを投げ出す。
 男の「俺は地獄へ行く」という言葉に、ガンジーが「なぜ」と聞き返す。
 「男の子を殺した。息子の敵討ちのために」と男は涙ながらに答える。
 その答えを聞いたガンジーは、「地獄に行かない方法がある」と言う。
 その方法とは、
 「男の子を拾って育てなさい。父と母を亡くした子を。それもイスラムの子を」と。
 そのガンジーも、ヒンドゥーの右派にピストルで射殺される。

 ガンジーの遺体の灰は、聖なるガンジス河に撒かれる。
 ガンジス河はキラキラと光りながら、流れていく。まるで、ガンジス河だけは悠久であるかのように。
 
 改めてこの映画を見て、インドは、どこの国にも属さない。インドは、どこの国とも違っていると感じた。
 モハンダス・ガンディー(ガンジー)は、通称マハトマ・ガンディーと呼ばれる。マハトマとは、「偉大なる魂」という意味である。
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□ 甘粕正彦 乱心の曠野

2009-04-01 19:11:04 | 本/小説:日本
 佐野眞一著 新潮社

 甘粕正彦と言っても、歴史と記憶から遠ざかり、その名も少しずつ薄くなっていく。
 大杉事件。1923(大正12)年、無政府主義者の大杉栄、伊藤野枝、それに、まだ子供である甥が、関東大震災のどさくさの間に虐殺された。
 1931(昭和6)年、満州事変起こる。同年、清朝最後の皇帝愛新覚羅溥儀、天津を脱出。翌年、中国東北部に満州国建国される。
 1939(昭和14)年、新京(長春)にある満州映画協会(満映)理事長就任。
 以上の主人公が、甘粕正彦である。
 溥儀の波乱の生涯を描いたベルナルド・ベルトルッチの『ラストエンペラー』(1987年)では、坂本龍一が演じた男である。

 大杉栄一家を虐殺した憲兵、甘粕正彦は逮捕されたが、3年後に恩赦で出獄する。その後、満州に渡り、溥儀の天津脱出、新京(長春、満州国の首都)入りに関わる。やがて日本軍の後ろ盾により満州国が設立され、執政のちに初代皇帝は溥儀となる。
 満州国生みの親と言われている石原莞爾は早々と日本に帰国し、甘粕は残って協和会総務部長などを歴任し、やがて満映の理事長に就任する。そして、プロパガンダ映画制作に乗り出し、満映を軌道にのせる。
 甘粕は大杉事件の首謀者として冷酷無比な男と恐れられ、満映の理事長になってからは「満州の昼は関東軍が支配し、満州の夜は甘粕が支配する」とまで言われるようになる。戦争終結直後の1945(昭和20)年8月20日、満映理事長室にて服毒自殺した。

 甘粕は大杉虐殺者という見えない看板を背負って、32歳以降を生きていく。周りもそのような目で見、彼を普通の人間ではないような遠巻きにした感がある。死んだのは54歳の時である。
 甘粕は大杉事件について、生前何も語っていないし、何も残していない。
 この書は、大杉を殺したのは甘粕ではないのではないか、という論旨の元に書き進められていく。
 甘粕と共に連座逮捕された彼の部下4名はもちろん、大杉の親族、満州時代の関係者など、緻密な取材が克明に書き込まれていく。
 満州時代の甘粕は、非常に合理主義者で仕事は有能だったと誰もが証言し、彼の人間性を賛美する人が多い。満映の理事長に就任した直後、中国人をはじめスタッフの待遇改善に着手するなど、人望もあった。ただ、生涯ついて回った「主義者殺し」のまなざしには苦しんだようで、孤独のあまり飲酒にも溺れていたようだ。それは、誰にも言えない事件を胸の内に封印していた、と推測される。
 大日本帝国のために犠牲的態度を貫いたといえるが、それ故彼の人生は歴史の表舞台に駆け上がっていくという、波乱が待っている。そして、帝国のために事件は封印したままその生を終える。
 この本では、その誰にも言えなかった甘粕の言葉を引き出している。事件に関しては誰にも言わなかったと書いたが、一人に言ったことがあった、とされる。
 いわゆる「俺は何もやっちゃいないよ」という言葉である。そして、本書では、それ(大杉殺害)をやった男を特定する。
 ただ、甘粕の事件否定の言葉とやった人間を特定したところで、おそらく歴史は書き替えられないであろう。その事件からあまりにも長い年月が過ぎている。
 真実を語るには、その長い年月が必要だったのか。いや、それすら真実とは、誰にも証明できなくなっている。真実とは、過ぎゆく時間の中で風化、消滅していくものだろうか。
 それでも、甘粕正彦の人間性は、巷間言われてきたものとは違うことは分かった。甘粕が言っていたように、歴史とは真実とは違うものかもしれない。

 本書にもあるように、東映は、満州から引き揚げてきた満映の人たちによって戦後設立された映画会社である。詳しくは、東京映画配給が、貸しスタジオの大泉映画と満映残党の映画人による東横映画を吸収合併してできた会社である。
 満映出身の映画監督には、「大菩薩峠」「宮本武蔵」「飢餓海峡」などを撮った内田吐夢、「真田風雲録」「幕末残酷物語」「緋牡丹博徒シリーズ」などの加藤泰がいる。
 満映の大スターだった李香蘭こと山口淑子も、生前の甘粕正彦について語っている。東洋のマタハリ、川島芳子も登場する。
 この本には登場しないが、満州育ちの浅丘ルリ子も幼少時に、新京で甘粕に会って、「大きくなったら女優になりなさい」と勧められたという。

 甘粕正彦は、幻の国満州で、多くの人間に影響を与え、強い印象を残して死んだ。
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