
佐賀に古湯温泉があるというのは知ってはいたが、行ったことはなかった。そこは福岡県に接する佐賀の北の方の富士町にあり、山間の鄙びた温泉だということであった。
この温泉が少し知られるようになったのは、作家の笹沢佐保が住み着いたことも大きい。彼が講演か何かの用だったと思うが佐賀に来た折に、この温泉の富士町に行き、そこを一目ぼれして、この地を終の棲家と思った。
東京生まれの笹沢はずっと首都圏で生活していて、佐賀とは縁もゆかりもない。彼の半生は自伝的小説『詩人の家』に詳しい。
彼の富士町に対する思いが本気だったのは、その思いを抱いてから程なくの1988年から、本当に住み着いたことである。佐賀の市街からも離れた山間の地である。
そこで彼は小説を書き、九州さが大衆小説賞を創設したりした。選考委員は、彼のほかに、彼と親交の深かった森村誠一、福岡在住の夏樹静子などが担い、現在は唐津出身の北方謙三が務めている。
笹沢は晩年まで富士町に住み着いた。
彼がその地を好きになったのは、その鄙びた風景と温泉だったのだろうが、その近くに三日月町というのがある。現在は、町村合併により小城市になっているが、佐賀に来た際、三日月町に少し感慨を抱いたのではなかろうかと推測した。
というのは、笹沢の大ヒット作の『木枯らし紋次郎』の出生地が三日月村であるからである。
地元の友人が、温泉にでも行こうと誘いに来た。
武雄温泉か最近できた大町温泉にでも行くかという話になったが、いや、どうせ行くなら行ったことのない古湯温泉に行こうということにした。
多久から小城を通って、里山の富士町に入ったところに、熊の川温泉が出てきた。何軒かの旅館が並んでいる。そこから川沿いの山間部に登ったところの谷あいに古湯温泉はあった。
名前の通り、古い温泉町の典型のような風景であった。
川沿いに今は動いていない水車があり、その近くに斎藤茂吉の歌碑がある。
「ほとほとに ぬるき温泉(いでゆ)を 浴(あ)むるまも
君が情(なさけ)を 忘れておもえや」
さらに奥まったところには、戦前日本に留学し、反日運動、戦後の中国革命、文化大革命を通して、波乱万丈の生涯を送った中国の文人で要人の郭沫若の碑もある。一時期、ここに隠れ住んだという。
この温泉のルーツは、案内看板によると、2200年前の「徐福」によって見つけられたとあるが、徐福伝説は日本国中あちこちにあるので、眉唾入りであろう。
温泉街の真ん中にある「古湯温泉センター」に行ってみた。大衆的な温泉センターである。
湯は、透明で温泉独特の匂いもなくぬるい。湯船の中で、飲める温泉湯も流してある。飲んでみたが、まあ白湯のようなものである。
風呂はあまり熱くないので、ゆっくり長く入った。このようなさらりとした湯は、銭湯気分で毎日来ても飽きないだろう。
風呂場の隣りには、うたた寝ができる大広間があり、そこで食事をして、古湯をあとにした。
古湯温泉の富士町から北西の方向の七山村に向かい、観音の滝で車をとめて渓谷を歩いた。滝としてはさほど大きくないが、渓谷に挟まれていて、橋からの眺めは絶景である。日本の滝100選とある。
ここから唐津の浜玉町に出て、帰ることにした。
田舎は車社会なので、道路が隅々まで整備されている。人があまりいない山間の中まできれいな道が続く。道ができるのはいいことなのだが、複雑な心境だ。
この温泉が少し知られるようになったのは、作家の笹沢佐保が住み着いたことも大きい。彼が講演か何かの用だったと思うが佐賀に来た折に、この温泉の富士町に行き、そこを一目ぼれして、この地を終の棲家と思った。
東京生まれの笹沢はずっと首都圏で生活していて、佐賀とは縁もゆかりもない。彼の半生は自伝的小説『詩人の家』に詳しい。
彼の富士町に対する思いが本気だったのは、その思いを抱いてから程なくの1988年から、本当に住み着いたことである。佐賀の市街からも離れた山間の地である。
そこで彼は小説を書き、九州さが大衆小説賞を創設したりした。選考委員は、彼のほかに、彼と親交の深かった森村誠一、福岡在住の夏樹静子などが担い、現在は唐津出身の北方謙三が務めている。
笹沢は晩年まで富士町に住み着いた。
彼がその地を好きになったのは、その鄙びた風景と温泉だったのだろうが、その近くに三日月町というのがある。現在は、町村合併により小城市になっているが、佐賀に来た際、三日月町に少し感慨を抱いたのではなかろうかと推測した。
というのは、笹沢の大ヒット作の『木枯らし紋次郎』の出生地が三日月村であるからである。
地元の友人が、温泉にでも行こうと誘いに来た。
武雄温泉か最近できた大町温泉にでも行くかという話になったが、いや、どうせ行くなら行ったことのない古湯温泉に行こうということにした。
多久から小城を通って、里山の富士町に入ったところに、熊の川温泉が出てきた。何軒かの旅館が並んでいる。そこから川沿いの山間部に登ったところの谷あいに古湯温泉はあった。
名前の通り、古い温泉町の典型のような風景であった。
川沿いに今は動いていない水車があり、その近くに斎藤茂吉の歌碑がある。
「ほとほとに ぬるき温泉(いでゆ)を 浴(あ)むるまも
君が情(なさけ)を 忘れておもえや」
さらに奥まったところには、戦前日本に留学し、反日運動、戦後の中国革命、文化大革命を通して、波乱万丈の生涯を送った中国の文人で要人の郭沫若の碑もある。一時期、ここに隠れ住んだという。
この温泉のルーツは、案内看板によると、2200年前の「徐福」によって見つけられたとあるが、徐福伝説は日本国中あちこちにあるので、眉唾入りであろう。
温泉街の真ん中にある「古湯温泉センター」に行ってみた。大衆的な温泉センターである。
湯は、透明で温泉独特の匂いもなくぬるい。湯船の中で、飲める温泉湯も流してある。飲んでみたが、まあ白湯のようなものである。
風呂はあまり熱くないので、ゆっくり長く入った。このようなさらりとした湯は、銭湯気分で毎日来ても飽きないだろう。
風呂場の隣りには、うたた寝ができる大広間があり、そこで食事をして、古湯をあとにした。
古湯温泉の富士町から北西の方向の七山村に向かい、観音の滝で車をとめて渓谷を歩いた。滝としてはさほど大きくないが、渓谷に挟まれていて、橋からの眺めは絶景である。日本の滝100選とある。
ここから唐津の浜玉町に出て、帰ることにした。
田舎は車社会なので、道路が隅々まで整備されている。人があまりいない山間の中まできれいな道が続く。道ができるのはいいことなのだが、複雑な心境だ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます