黄金週間も、僕には輝く日もないまま過ぎようとしていた。
例年、佐賀に帰っているのだが、今年は東京にいるのだった。東京で5月2日にたわむれに酒を飲み過ぎ、二日酔いのままだらしなく日が過ぎていくのをただ見逃していたのであった。
この週間には、佐賀に帰ると、決まって有田の陶器市に繰り出し、買うあてもないのに焼き物を飽きるほど見て歩くのだった。そして、柳川の水天宮の、いかにも村の祭りらしさを残した懐かしさを味わいに柳川に出かけ、本吉屋で鰻のせいろ蒸しを食べて帰るのが常だった。
それに、去年は鳥栖で初めて行われたクラシックの音楽の祭り、「ラ・フォル・ジュルネ」に出かけたのだった。
東京でも行われている、というか日本では東京で最初に行われた「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」の、最後の日の5月5日に、日比谷の東京国際フォーラムに出かけた。
「ラ・フォル・ジュルネ」とは、フランス語で「熱狂の日」という意で、一日、音楽に狂おうという音楽の祭りである。であるから、朝から夜まで、日本でもいくつかの会場で、コンサートをやっている。屋外や室内の特設会場では、無料のコンサートも催される。
その気になれば、朝から夜までコンサートの梯子ができるというものだ。
今年のテーマは「サクル・リュス」(ロシアの祭典)で、「チャイコフスキーとロシア音楽展」という催し物もやっていた。
夕方4時過ぎに、日比谷の東京国際フォーラムに着いた。東京国際フォーラムの中庭(空間)はテントや屋台が出ていて、祭りの雰囲気が漂っている。
ふと、去年出かけた鳥栖を思い出した。初めての鳥栖の音楽祭はぎこちなかったけど、可能性に満ちていた。大きくはない、いや全国規模からみたら小さな市だけど、佐賀でこのような祭りが実践できたのが意義深い。
ここ東京国際フォーラムの人混みとは比較にならないけれど、サッカーのサガン鳥栖を思い起こした。
サガン鳥栖は今年やっとJ1に昇格し、並みいる大都市チームを相手に大健闘している。去る5月3日には、現在(5月5日)トップの仙台ベガルタを相手に引き分け、黄金週間ということもあって最高の観客動員数18,000余人を記録した。この人たちの1割でも「ラ・フォル・ジュルネ」に流れたら、さらに活気づくだろう。
この黄金週間は、鳥栖市はサッカーとクラシック音楽をコラボレーションすればいい。
*
「ラ・フォル・ジュルネ」のこの日の演奏の出し物は、予めインターネットで調べておいたとはいえ、チケットは予約していなくて、チケット売り場に行って出たとこ勝負である。これが、祭りの醍醐味であろう。僕の旅と同じ、音楽もゆきずりの出会いを味わおう。
売り場に行くと、多くの出し物が売り切れで、空きは残り3コンサートだけである。すぐに始まる4時30分からの、ラフマニノフの合唱曲を購入。それと、僕の聴きたかった6時45分からのヴァイオリンの演奏は幸運にもまだ空きがあった。演奏者は川久保賜紀(かわくぼたまき)である。両方とも、最も大きなAホールで、収容数は5,008席である。
ラフマニノフの合唱は、カペラ・サンクトペテルブルグの合唱団で、あとウラル・フィルハーモニー管弦楽団をバックに、ヤーナ・イヴァニロヴァ(ソプラノ)、スタニスラ・レオンティエフ(テノール)、パヴェル・パランスキー(バリトン)のソロの歌唱があったが、神曲は日本人には馴染みが薄い。
川久保賜紀のヴァイオリンは、グリンカの「ルスラントリュドミラ」序曲、およびチャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲二長調」である。シンフォニア・ヴァウソヴィアの管弦楽団で、指揮はジャン=ジャック・カントロフ。
ラフマニノフの合唱を聴いたあと、再び会場に行くと、やはりチケットはすでに売り切れであった。
川久保のチャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲二長調」の演奏は、おもむろに始まったようであった。しかし、次第に力強さを増していった。
2階席からであったが、舞台の両サイドに大写しのスクリーンが映し出されるので、演奏者の表情まで見てとれる。
力強さとともに繊細な音色だ。素早く強い演奏が繰り出される。その音を導き出している川久保のむき出しになった、腕と脇筋と華奢ではないのだが鎖骨が浮き出てくる。
超絶技巧を弾き終わったあとの一息、かすかに笑ったような表情になった。ふと上目づかいに指揮者の方を見る。不敵な表情のように見える。
なぜか、ダルヴィッシュ有の姿が頭をよぎった。メジャーの豪傑どもを相手に、一人でマウンドに立っているというふてぶてしい態度がいい。
川久保賜紀の演奏は、誰にもおもねることのない孤の強さが感じられた。彼女は観客も指揮者も相手にしていないような孤立無援の雰囲気を持っていた。
帰りに会場で、彼女のCDを買った。「2002年チャイコフスキー国際コンクール・ライヴ」である。
僕は彼女のことについて全く知らなかったのだが、解説書を見ると、国際的に最も権威のあるチャイコフスキー国際コンクールで2002年、最高位になっているのだ。2位だが、その年1位は無かったので、優勝に等しいといえる。
このコンクールでは、日本人では1990年に諏訪内晶子、2007年に神尾真由子が優勝している。彼女たちと遜色ない実力者であるのだから、演奏が感動的だったのは当然だったのだ。それに、解説書には、使用しているヴァイオリンは1707年製のストラディヴァリ「カテドラル」とあった。
「ラ・フォル・ジュルネ」の熱狂の日を抱いたまま、満月に近い月の夜、日比谷から銀座を通って新橋に出て、再び日比谷まで歩いた。鳥栖の「ラ・フォル・ジュルネ」は、今年、どのような熱狂の日を迎えたのだろうか。
例年、佐賀に帰っているのだが、今年は東京にいるのだった。東京で5月2日にたわむれに酒を飲み過ぎ、二日酔いのままだらしなく日が過ぎていくのをただ見逃していたのであった。
この週間には、佐賀に帰ると、決まって有田の陶器市に繰り出し、買うあてもないのに焼き物を飽きるほど見て歩くのだった。そして、柳川の水天宮の、いかにも村の祭りらしさを残した懐かしさを味わいに柳川に出かけ、本吉屋で鰻のせいろ蒸しを食べて帰るのが常だった。
それに、去年は鳥栖で初めて行われたクラシックの音楽の祭り、「ラ・フォル・ジュルネ」に出かけたのだった。
東京でも行われている、というか日本では東京で最初に行われた「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」の、最後の日の5月5日に、日比谷の東京国際フォーラムに出かけた。
「ラ・フォル・ジュルネ」とは、フランス語で「熱狂の日」という意で、一日、音楽に狂おうという音楽の祭りである。であるから、朝から夜まで、日本でもいくつかの会場で、コンサートをやっている。屋外や室内の特設会場では、無料のコンサートも催される。
その気になれば、朝から夜までコンサートの梯子ができるというものだ。
今年のテーマは「サクル・リュス」(ロシアの祭典)で、「チャイコフスキーとロシア音楽展」という催し物もやっていた。
夕方4時過ぎに、日比谷の東京国際フォーラムに着いた。東京国際フォーラムの中庭(空間)はテントや屋台が出ていて、祭りの雰囲気が漂っている。
ふと、去年出かけた鳥栖を思い出した。初めての鳥栖の音楽祭はぎこちなかったけど、可能性に満ちていた。大きくはない、いや全国規模からみたら小さな市だけど、佐賀でこのような祭りが実践できたのが意義深い。
ここ東京国際フォーラムの人混みとは比較にならないけれど、サッカーのサガン鳥栖を思い起こした。
サガン鳥栖は今年やっとJ1に昇格し、並みいる大都市チームを相手に大健闘している。去る5月3日には、現在(5月5日)トップの仙台ベガルタを相手に引き分け、黄金週間ということもあって最高の観客動員数18,000余人を記録した。この人たちの1割でも「ラ・フォル・ジュルネ」に流れたら、さらに活気づくだろう。
この黄金週間は、鳥栖市はサッカーとクラシック音楽をコラボレーションすればいい。
*
「ラ・フォル・ジュルネ」のこの日の演奏の出し物は、予めインターネットで調べておいたとはいえ、チケットは予約していなくて、チケット売り場に行って出たとこ勝負である。これが、祭りの醍醐味であろう。僕の旅と同じ、音楽もゆきずりの出会いを味わおう。
売り場に行くと、多くの出し物が売り切れで、空きは残り3コンサートだけである。すぐに始まる4時30分からの、ラフマニノフの合唱曲を購入。それと、僕の聴きたかった6時45分からのヴァイオリンの演奏は幸運にもまだ空きがあった。演奏者は川久保賜紀(かわくぼたまき)である。両方とも、最も大きなAホールで、収容数は5,008席である。
ラフマニノフの合唱は、カペラ・サンクトペテルブルグの合唱団で、あとウラル・フィルハーモニー管弦楽団をバックに、ヤーナ・イヴァニロヴァ(ソプラノ)、スタニスラ・レオンティエフ(テノール)、パヴェル・パランスキー(バリトン)のソロの歌唱があったが、神曲は日本人には馴染みが薄い。
川久保賜紀のヴァイオリンは、グリンカの「ルスラントリュドミラ」序曲、およびチャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲二長調」である。シンフォニア・ヴァウソヴィアの管弦楽団で、指揮はジャン=ジャック・カントロフ。
ラフマニノフの合唱を聴いたあと、再び会場に行くと、やはりチケットはすでに売り切れであった。
川久保のチャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲二長調」の演奏は、おもむろに始まったようであった。しかし、次第に力強さを増していった。
2階席からであったが、舞台の両サイドに大写しのスクリーンが映し出されるので、演奏者の表情まで見てとれる。
力強さとともに繊細な音色だ。素早く強い演奏が繰り出される。その音を導き出している川久保のむき出しになった、腕と脇筋と華奢ではないのだが鎖骨が浮き出てくる。
超絶技巧を弾き終わったあとの一息、かすかに笑ったような表情になった。ふと上目づかいに指揮者の方を見る。不敵な表情のように見える。
なぜか、ダルヴィッシュ有の姿が頭をよぎった。メジャーの豪傑どもを相手に、一人でマウンドに立っているというふてぶてしい態度がいい。
川久保賜紀の演奏は、誰にもおもねることのない孤の強さが感じられた。彼女は観客も指揮者も相手にしていないような孤立無援の雰囲気を持っていた。
帰りに会場で、彼女のCDを買った。「2002年チャイコフスキー国際コンクール・ライヴ」である。
僕は彼女のことについて全く知らなかったのだが、解説書を見ると、国際的に最も権威のあるチャイコフスキー国際コンクールで2002年、最高位になっているのだ。2位だが、その年1位は無かったので、優勝に等しいといえる。
このコンクールでは、日本人では1990年に諏訪内晶子、2007年に神尾真由子が優勝している。彼女たちと遜色ない実力者であるのだから、演奏が感動的だったのは当然だったのだ。それに、解説書には、使用しているヴァイオリンは1707年製のストラディヴァリ「カテドラル」とあった。
「ラ・フォル・ジュルネ」の熱狂の日を抱いたまま、満月に近い月の夜、日比谷から銀座を通って新橋に出て、再び日比谷まで歩いた。鳥栖の「ラ・フォル・ジュルネ」は、今年、どのような熱狂の日を迎えたのだろうか。
鳥栖の「ラ・フォル・ジュルネ」が、ずっと続くといいね。
「サガン鳥栖」と併せて、「ラ・フォル・サガン・ヴィル」、いわゆる「熱狂のサガン街」を作り出せばいい。
銀座というところは、歩くだけでも心軽やかにしてくれるところです。
パリのシャンゼリゼと同じく。(ちょっと気障かな)
時折、何かの偶然と気まぐれで、店に入ることもありますが。