東京・多摩市の隣町であるということからか八王子市の図書館でも会員になれるので、最近隣町の南大沢(八王子市)に行くこともある。
先日、その京王相模原線の南大沢駅の構内の宣伝パンプレットやチラシを並べてある棚を見ていたら、「自由気ままな都市 高雄の個人旅行」という見出しの小冊子が目についた。
同じ京王線にある八王子市だから宣伝しているのだろうと思ったが、何か引っかかった。
確かに京王線の終点にある八王子市にあるタカオ山は、最近外国人に人気があるとはいえ自由気ままな都市と言えるほど発展したのだろうか。駅のふもとに温泉ができたとは聞いたが、僕も食事をしようと駅周辺を散策したことがあるが都市と形容されるほどそう賑やかな界隈ではない。
そして、それよりも引っかかった根源は地名の漢字である。タカオ山で有名なタカオは、高雄でなく高尾だったはずだ。おやおや、こんな大きなミスをしていると思って、その冊子を手に取った。
中をめくってみると、何とタカオは台湾の高雄だった。となると、字は高雄でいいのだ。
それにしても、高尾にそう遠くはない駅で高雄とは紛らわしい。冊子の表紙には台湾の文字がないから、てっきり高尾と思い込む人もあろう。そういうことを狙ったのだとしたら、手が込んでいる。
いやはや、高雄(台湾)のPR誌が八王子(高尾)にあるなんて、グローバルな時代になったものだ。リブ・ゴーシュ(パリ・セーヌ左岸)のPR誌が、佐賀と鳥栖(サガン)にあるようなものというのは言い過ぎか。
ちなみに、後者のサガンは、「佐賀の…」の訛った表現で、「佐賀ん(サガン)町は嘉瀬川の左岸に広がっているので、パリのセーヌ左岸(サガン)のリブ・ゴーシュと似たようなものだ」と言ったりする(実際に、こんなことを言う人はいないが)。
*
台湾の候孝賢(ホウ・シャオエン)の監督する映画が好きだ。
「風櫃(ふんくい)の少年」、「童年往事 時の流れ」、「恋恋風塵」などは、いつ見ても、未知なる将来にもがき悩んでいた、いまだ瑞々しい時代を思い起こさせ、心を滲ませる。
候孝賢の自伝的映画である「風櫃の少年」は、小さな島の漁港で育った少年が台北に次ぐ大都会である高雄に行って生活する物語である。
1991年、僕は台湾を旅した。
台北から列車に乗って南に向かい、台南に1日寄って高尾に着いた。高雄の駅を降り、この町に泊まって街中を歩こうと思った。しかし、街の匂いと雰囲気が情緒に薄い工業都市のようで、歩きまわる気が起きなかったので、僕はすぐに駅前からバスに乗って、さらに南端に向かったのだった。
あれから、高雄の街の匂いや風景は変わったのだろうか。
*
1980年代から90年代、候孝賢とともに台湾のニューシネマの代表と称されたのが「牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」の楊德昌(エドワード・ヤン)である。
エドワード・ヤンが1985年に撮りあげた作品で、日本では上映されていなかった2作目の作品、「台北ストーリー」(青梅竹馬)が渋谷で上映されたので、見に行った。
主役は何とヤンの盟友であった候孝賢である。脚本も担当した候孝賢は、このときすでに「風櫃の少年」、「冬冬の夏休み」などを発表していて監督として注目されていたのだが、ヤンの映画製作のために尽力していた。
相手役のヒロインは、台湾で人気歌手の蔡琴(ツァイ・チン)。
親の家業を継いでいる主人公のアリョン(候孝賢)は、幼馴染みの恋人アジン(ツァイ・チン)と、マンションの空き室を見ながら、将来のことを語っている。
アリョンは元少年野球をやっていて将来を嘱望されていた。しかし今は、その夢が断たれたのか何となく鬱屈しているように見える。一方アジンはバリバリのキャリアウーマンで、活動的な生活を送っているように見える。
しかし、アジンの勤めていた会社が買収され、突然アジンは解雇される。アジンは、アリョンの義兄を頼ってアメリカへ行こうと提案するが、アリョンは踏ん切りがつけられないでいる。
そんななか、ある事件が起きる。
蔡琴(ツァイ・チン)の存在感が眩しい。
この映画撮影の頃、監督のエドワード・ヤンと結婚している。しかし、その後離婚。エドワード・ヤンは再婚し、10年前に没した。
*
映画「台北ストーリー」が終わったのは、夜9時半過ぎ、10時近くだった。
劇場を出て、食事する店を探しながら渋谷の駅の方に歩いた。さすが若者の町渋谷である。まだまだ人通りは多く、あちこちに夜はこれからですよとばかり飲食店の看板やネオンが明かり輝いている。
すると、待っていましたとばかりに歩いている通りに、「台湾料理、故宮」という看板が目についた。僕の頭の中は台湾モードだったから、誘われるようにその店のある雑居ビルに入った。
扉を開き中に入ると、入口のすぐの壁に「台北ストーリー」のチラシが貼ってある。映画館の近くだから、台湾繋がりで関係者が貼っていったのかな。
店の中は、こんな時間でも客がいっぱいで、騒々しい嬌声が聞こえてきた。テーブル席はほぼ埋まっていて、一人客は僕だけのようで、誰も座っていない3、4人も座ればいっぱいになる小さなカウンターに座った。
遅い時間だといっても、いつもの僕の食事時間と変わらない。
中華料理のメニューを見るのは、その味を空想させて楽しい。
頼んだのは、炒蛤蜊(アサリ・バジル炒め)、羊肉青菜(羊肉と青菜炒め)、水餃子、米粉(ビーフン)、それに台湾ビールの「王牌」を1本。
アサリは日本語の漢字では「浅蜊」で、メニューに使ってある「蛤」は、日本ではハマグリだよね。中国語では両方「蛤」を使うのかな。
ここの水餃子は、丼のような碗の中のスープに浸かっていて、餃子というより小籠包に近く、スープも旨い。
料理を持ってきた、渡辺直美を半分ぐらいスリムにしたような小姐に「台北ストーリー」のチラシを見せたら、「映画見てきたの? 私まだ見てない。主役の蔡琴(ツァイ・チン)は台湾でとても人気あるよ」と言った。
「中国語の原題は「青梅竹馬」だけど、どういう意味?」と訊いてみた。
彼女が「幼馴染み」と答えたので、「日本でも、“竹馬の友”という言葉があるから「竹馬」はわかるけど、「青梅」はどういう意味?」と重ねて訊いた。
彼女は、「甘酸っぱい……」と言って、「う~ん、少し難しい」と考えた。そして、スマホを開いて何やら打ち込んでいたが、すぐに「李白、知ってる?」と言うので、「うん、李白や杜甫は日本でも有名だよ。高校の漢文で習うしね」と答えると、「「青梅竹馬」は李白の詩から来ている。ほら、ここ」と言って、スマホの画面を見せた。
そこには、中国語の字が並んでいた。李白の「長干行」という詩だ。
そして、彼女は付け加えた。「ただ、「青梅」は男と女の間にしか使わない」と。
僕は、台湾の啤酒(ピージウ)を飲みながら、「青梅」という語には、幼いなまめかしさが潜んでいると思った。「青い梅」でもいいタイトルの響きではないか。「青い麦」に低通するものがあるし。
それにしても、つい少し食い過ぎてしまったようだ。
先日、その京王相模原線の南大沢駅の構内の宣伝パンプレットやチラシを並べてある棚を見ていたら、「自由気ままな都市 高雄の個人旅行」という見出しの小冊子が目についた。
同じ京王線にある八王子市だから宣伝しているのだろうと思ったが、何か引っかかった。
確かに京王線の終点にある八王子市にあるタカオ山は、最近外国人に人気があるとはいえ自由気ままな都市と言えるほど発展したのだろうか。駅のふもとに温泉ができたとは聞いたが、僕も食事をしようと駅周辺を散策したことがあるが都市と形容されるほどそう賑やかな界隈ではない。
そして、それよりも引っかかった根源は地名の漢字である。タカオ山で有名なタカオは、高雄でなく高尾だったはずだ。おやおや、こんな大きなミスをしていると思って、その冊子を手に取った。
中をめくってみると、何とタカオは台湾の高雄だった。となると、字は高雄でいいのだ。
それにしても、高尾にそう遠くはない駅で高雄とは紛らわしい。冊子の表紙には台湾の文字がないから、てっきり高尾と思い込む人もあろう。そういうことを狙ったのだとしたら、手が込んでいる。
いやはや、高雄(台湾)のPR誌が八王子(高尾)にあるなんて、グローバルな時代になったものだ。リブ・ゴーシュ(パリ・セーヌ左岸)のPR誌が、佐賀と鳥栖(サガン)にあるようなものというのは言い過ぎか。
ちなみに、後者のサガンは、「佐賀の…」の訛った表現で、「佐賀ん(サガン)町は嘉瀬川の左岸に広がっているので、パリのセーヌ左岸(サガン)のリブ・ゴーシュと似たようなものだ」と言ったりする(実際に、こんなことを言う人はいないが)。
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台湾の候孝賢(ホウ・シャオエン)の監督する映画が好きだ。
「風櫃(ふんくい)の少年」、「童年往事 時の流れ」、「恋恋風塵」などは、いつ見ても、未知なる将来にもがき悩んでいた、いまだ瑞々しい時代を思い起こさせ、心を滲ませる。
候孝賢の自伝的映画である「風櫃の少年」は、小さな島の漁港で育った少年が台北に次ぐ大都会である高雄に行って生活する物語である。
1991年、僕は台湾を旅した。
台北から列車に乗って南に向かい、台南に1日寄って高尾に着いた。高雄の駅を降り、この町に泊まって街中を歩こうと思った。しかし、街の匂いと雰囲気が情緒に薄い工業都市のようで、歩きまわる気が起きなかったので、僕はすぐに駅前からバスに乗って、さらに南端に向かったのだった。
あれから、高雄の街の匂いや風景は変わったのだろうか。
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1980年代から90年代、候孝賢とともに台湾のニューシネマの代表と称されたのが「牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」の楊德昌(エドワード・ヤン)である。
エドワード・ヤンが1985年に撮りあげた作品で、日本では上映されていなかった2作目の作品、「台北ストーリー」(青梅竹馬)が渋谷で上映されたので、見に行った。
主役は何とヤンの盟友であった候孝賢である。脚本も担当した候孝賢は、このときすでに「風櫃の少年」、「冬冬の夏休み」などを発表していて監督として注目されていたのだが、ヤンの映画製作のために尽力していた。
相手役のヒロインは、台湾で人気歌手の蔡琴(ツァイ・チン)。
親の家業を継いでいる主人公のアリョン(候孝賢)は、幼馴染みの恋人アジン(ツァイ・チン)と、マンションの空き室を見ながら、将来のことを語っている。
アリョンは元少年野球をやっていて将来を嘱望されていた。しかし今は、その夢が断たれたのか何となく鬱屈しているように見える。一方アジンはバリバリのキャリアウーマンで、活動的な生活を送っているように見える。
しかし、アジンの勤めていた会社が買収され、突然アジンは解雇される。アジンは、アリョンの義兄を頼ってアメリカへ行こうと提案するが、アリョンは踏ん切りがつけられないでいる。
そんななか、ある事件が起きる。
蔡琴(ツァイ・チン)の存在感が眩しい。
この映画撮影の頃、監督のエドワード・ヤンと結婚している。しかし、その後離婚。エドワード・ヤンは再婚し、10年前に没した。
*
映画「台北ストーリー」が終わったのは、夜9時半過ぎ、10時近くだった。
劇場を出て、食事する店を探しながら渋谷の駅の方に歩いた。さすが若者の町渋谷である。まだまだ人通りは多く、あちこちに夜はこれからですよとばかり飲食店の看板やネオンが明かり輝いている。
すると、待っていましたとばかりに歩いている通りに、「台湾料理、故宮」という看板が目についた。僕の頭の中は台湾モードだったから、誘われるようにその店のある雑居ビルに入った。
扉を開き中に入ると、入口のすぐの壁に「台北ストーリー」のチラシが貼ってある。映画館の近くだから、台湾繋がりで関係者が貼っていったのかな。
店の中は、こんな時間でも客がいっぱいで、騒々しい嬌声が聞こえてきた。テーブル席はほぼ埋まっていて、一人客は僕だけのようで、誰も座っていない3、4人も座ればいっぱいになる小さなカウンターに座った。
遅い時間だといっても、いつもの僕の食事時間と変わらない。
中華料理のメニューを見るのは、その味を空想させて楽しい。
頼んだのは、炒蛤蜊(アサリ・バジル炒め)、羊肉青菜(羊肉と青菜炒め)、水餃子、米粉(ビーフン)、それに台湾ビールの「王牌」を1本。
アサリは日本語の漢字では「浅蜊」で、メニューに使ってある「蛤」は、日本ではハマグリだよね。中国語では両方「蛤」を使うのかな。
ここの水餃子は、丼のような碗の中のスープに浸かっていて、餃子というより小籠包に近く、スープも旨い。
料理を持ってきた、渡辺直美を半分ぐらいスリムにしたような小姐に「台北ストーリー」のチラシを見せたら、「映画見てきたの? 私まだ見てない。主役の蔡琴(ツァイ・チン)は台湾でとても人気あるよ」と言った。
「中国語の原題は「青梅竹馬」だけど、どういう意味?」と訊いてみた。
彼女が「幼馴染み」と答えたので、「日本でも、“竹馬の友”という言葉があるから「竹馬」はわかるけど、「青梅」はどういう意味?」と重ねて訊いた。
彼女は、「甘酸っぱい……」と言って、「う~ん、少し難しい」と考えた。そして、スマホを開いて何やら打ち込んでいたが、すぐに「李白、知ってる?」と言うので、「うん、李白や杜甫は日本でも有名だよ。高校の漢文で習うしね」と答えると、「「青梅竹馬」は李白の詩から来ている。ほら、ここ」と言って、スマホの画面を見せた。
そこには、中国語の字が並んでいた。李白の「長干行」という詩だ。
そして、彼女は付け加えた。「ただ、「青梅」は男と女の間にしか使わない」と。
僕は、台湾の啤酒(ピージウ)を飲みながら、「青梅」という語には、幼いなまめかしさが潜んでいると思った。「青い梅」でもいいタイトルの響きではないか。「青い麦」に低通するものがあるし。
それにしても、つい少し食い過ぎてしまったようだ。