かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

5月の甘い鯉

2017-05-03 03:21:34 | 気まぐれな日々
 五月風 青空青葉 鯉おどり
   憂いもいずこ 舞い散るらむや
                (沖宿)

 5月の黄金週間に入ってしまった。
 東京・多摩センターの駅から続く道の丘に、鯉のぼりがはためく。道の両サイドにも、小さなお菓子のような鯉がなびいている。(写真)
 今年の黄金週間は、多摩にいることにした。

 この季節、佐賀の田舎は青景色だ。
 自転車で外へ出て、佐賀平野のなかを縦横に切り裂いたような小道を走る。頬に風を受けながら見上げると、360度青空で、長く続く地平線は麦畑の緑が広がる。
 かつて日本語には緑という言葉がなかったので、一面青色と言ったのだろう。空の色も、海の色も、山の色も、畑の色も、みんな青だった。
 この季節、そんな田舎の青景色のなかにポツンポツンと散在する家の庭先に、鯉が舞う。
 僕は止まってその鯉を見ながら、ああこの家は男の子がいるんだと思いを馳せる。それまではなくて、庭先にその年初めて鯉のぼりが立ったら、この家は男の子が生まれたのだとわかるのだった。

 丘の上のビルの狭間に泳ぐ都会の鯉のぼりは、端午の節句という源流も忘れ去さられたかのように思えるが、鯉のぼりが立つこの場に、12月に立てられる樅の木と突端のベツレヘム の星の飾りのように、今は祭り(街の活性化)の象徴なのだろう。それでも古い行事の一端が、どこかしこに残り続けるのを見るのは心が軽やかになる。
 ルーツも云われも無関係に、仮装やコスプレで街を練り歩くハロウィンが、いつの間にか日本で賑やかに取りざたされる時代なのだ。
 近年、渋谷や六本木に出現したハロウィンの仮装やコスプレの集団を見て、40年前に博多でのことを思い出した。
 「ひかりは西へ」のキャッチフレーズのもと、新幹線が東京から博多へ開通した年だったから1975年のことだ。
 博多へ行った時、久しぶりに会った地元の友人が、この草知っている?と、ビルの間に伸びている黄色い花をつけた背の高い草を指して言った。「これはセイタカアワダチソウという外来種で、生命力が強くてこの辺は今すごい勢いで繁殖しているのよ」と言った。
 それ以後、あたかも「セイタカアワダチソウは東へ」というように、あっという間に確かにあちこちで見かけるようになった。

 *

 鯉のぼりを見ていると、子どもの頃、誕生日とか子供の日などの特別な日に親が買ってくれた、懐かしい赤い魚の砂糖菓子を思い出した。大人になってからは食べたことがないが、あれは鯛で、金華糖と言うのを後で知った。
 長崎から佐賀を横切って福岡の小倉に連なる長崎街道は、別名シュガーロードと言って、南蛮菓子と和菓子が折衷されたスイーツが栄えた。先に書いた金華糖や、カステラ、丸ボーロ、小城羊羹、逸口香、金平糖、等々、街道の各地にいろいろな銘菓がある。
 面白いのは、佐賀の家では茶菓子としてよく出される逸口香(いっこうこう)だ。
 古くは、「唐饅」(とうまん)と呼ばれていた饅頭のような形と色をした焼き菓子で、口にするとパリッと香ばしいが中が空洞になっていて、ちょっと肩透かしを食った感じがする。しかし、黒砂糖の甘さと生姜の独特の風味があり、この菓子の良さは分かる人には分かると言っているようで、人知れず人気があるのだ。
 ちなみに、森永製菓の森永太一郎や江崎グリコの江崎利一、ドロップで有名だった新高製菓の森平太郎といった、菓子メーカーの創業者は佐賀県出身だ。

 ビルの中にたなびく多摩の鯉を見ながら、しばし都会と田舎の鯉のぼりの景色の違いに耽ってしまった。
 少し高くなった血糖値を気にして最近甘いものを避けていたけど、久しぶりに羊羹でも食べたくなった。小城羊羹を売っているところを見つけないと。

コメント
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