「水爆怪獣ゴジラ現る」
こういう見出しで書かれているのは、「昭和史全記録」(毎日新聞社刊)のなかの、1954(昭和29)年11月の事項である。(写真)
この年の11月2日には、次のように記されている。
「“水爆大怪獣映画”「ゴジラ」(東宝、監督本田猪四郎)公開。「水爆実験で200万年の眠りからさまされた丸ビル大の原始怪獣だ、口から怪白光を吐きすべてを焼きつくすという」
映画のなかの一場面である写真は、東京の銀座に現われたゴジラである。国電の電車をわしづかみにし、食いちぎっている。後方左手に見えるのは、旧日劇(有楽町マリオン)で、右手に見えるのは、銀座4丁目の服部時計店(和光)である。
丸ビルと比較されているゴジラだが、当時東京駅前の丸ビルは地上9階(地下1階)建てで、まだ今のように超高層ビルがない時代では、昭和30年代までは最も大きな建造物の象徴であった。
現在大きさを表すのに、例えば東京ドーム何個分と言ったりするが、かつて長い間、丸ビル何個分と言っていた。
ゴジラが誕生して60年という。
第1作の映画「ゴジラ」(東宝)公開は、1954(昭和29)年である。
新しいゴジラ映画「ゴジラ」(GODZILLA)が米ハリウッドで作られ、今、日本でも公開されている。ゴジラ映画はアメリカでは1998年以来2作目で、日米合わせて30作だという。いつの間にこんなに作られたのかと思う。
私は子どもの時に見たゴジラの記憶を思い起こすと、最初のゴジラ登場の第1作と、ゴジラと闘うアンギラスが出てくる第2作「ゴジラの逆襲」(1955年)と、ラドンが出てくる映画で、そのあとはもう見ていない。
阿蘇山の火口の地底から飛び立つ翼竜ラドンを覚えているが、この映画「空の大怪獣ラドン」(1956年、東宝)にはゴジラは登場しないので、同じ怪獣映画でもゴジラ映画のシリーズではないようだ。
ゴジラとは、陸のゴリラと海のクジラの合成語である。
*
第1作目の「ゴジラ」(監督:本多猪四郎、特殊技術:円谷英二、音楽:伊福部昭、出演:宝田明、河内桃子、平田昭彦、志村喬)のデジタル復刻版を見た。
映画は、のどかな海を航海する船の上が映し出され、その船が突然閃光を浴びて燃えて沈没するという場面から始まる。当時行われていた水爆実験の被害にあったことを想起させる。
その頃、日本の漁船が米国の水爆実験に巻き込まれて被曝した第五福竜丸事件が起き、そのことが、人々の脳裏に生々しく焼きついていた時代である。
伊豆諸島先の太平洋沖での相次ぐ原因不明の船の遭難、事故に、日本国内は慌てふためき、すぐに調査が行われるが、謎と憶測が不安をかきたてるのであった。
そんな時、遭難からたった一人生き残った男が、筏で島(大戸島)に流れ着き、息たえだえに「やられただ、○○(意味不明)に」とつぶやく。
村の長老は、昔から言い伝えのあるゴジラのせいに違いないとつぶやく。その時は、誰もゴジラの存在など信じていなかった。
しばらくして、島に調査に来た調査団の前に、ゴジラが姿を現す。調査に来た博士は、驚いた顔で、確かにジュラ紀の生物だと言う。
博士は東京に戻った調査報告の席で、この生物を大戸島の伝説にちなんで、仮の呼び名でゴジラと呼ぶ。ゴジラが公になった瞬間だ。
そして、何日か後に、ついに日本本土にゴジラは現われる。
ゴジラ対策が検討され、その年、警察予備隊から保安隊、警備隊をへて自衛隊となった戦闘隊が大砲、戦車などでゴジラに応戦するが歯がたたず、ゴジラは次々と街を破壊する。
ゴジラは、何かに怒り狂っているようだ。
映画では、まだ戦後の風景が色濃い1954(昭和29)年当時の、日本および東京の状景が描かれていて興味深い。
港で、遭難した船の安否を不安でもって海を眺める、島の人たちが映る。筏がたどり着く場面だ。場所は、太平洋上の大島あたりの海辺だろうか。海を見ている地元の人たちのなかに、何人か上半身裸の女性がいる。おそらく海女さんと思われるが、乳房も露出したままで海を見ている。誰もそれを不自然だとは思っていないのだ。
時々、ニューギニアやアマゾンの奥地で原始的生活をしている人種のルポルタージュで、乳房を出した女性が映りだされることがあるが、日本でも戦後もまだ海女さんの生活はそうだったのだろうと少し驚いた。
戦後の東京の街も映し出される。銀座の街も破壊されるし、国会周辺も瓦礫と化す。その火の海と化した瓦礫の先に、議事堂だけが残っているのが印象的である。
実況放送をしているテレビ塔(電波塔)もゴジラの手によって倒される。東京にテレビ塔があったのだ。
テレビ塔に代わって東京タワーができるのは、ゴジラの出現から4年後のことである。
最後に、ゴジラは海の中で死ぬ。
そして、博士の次のようなつぶやきで映画は終わる。
「あのゴジラが最後の一匹だとは思えない。もし、水爆実験が続けて行われるとしたら、あのゴジラの同類が世界のどこかに現われてくるかもしれない」
ゴジラは、理由があって怒っているのだ。
こういう見出しで書かれているのは、「昭和史全記録」(毎日新聞社刊)のなかの、1954(昭和29)年11月の事項である。(写真)
この年の11月2日には、次のように記されている。
「“水爆大怪獣映画”「ゴジラ」(東宝、監督本田猪四郎)公開。「水爆実験で200万年の眠りからさまされた丸ビル大の原始怪獣だ、口から怪白光を吐きすべてを焼きつくすという」
映画のなかの一場面である写真は、東京の銀座に現われたゴジラである。国電の電車をわしづかみにし、食いちぎっている。後方左手に見えるのは、旧日劇(有楽町マリオン)で、右手に見えるのは、銀座4丁目の服部時計店(和光)である。
丸ビルと比較されているゴジラだが、当時東京駅前の丸ビルは地上9階(地下1階)建てで、まだ今のように超高層ビルがない時代では、昭和30年代までは最も大きな建造物の象徴であった。
現在大きさを表すのに、例えば東京ドーム何個分と言ったりするが、かつて長い間、丸ビル何個分と言っていた。
ゴジラが誕生して60年という。
第1作の映画「ゴジラ」(東宝)公開は、1954(昭和29)年である。
新しいゴジラ映画「ゴジラ」(GODZILLA)が米ハリウッドで作られ、今、日本でも公開されている。ゴジラ映画はアメリカでは1998年以来2作目で、日米合わせて30作だという。いつの間にこんなに作られたのかと思う。
私は子どもの時に見たゴジラの記憶を思い起こすと、最初のゴジラ登場の第1作と、ゴジラと闘うアンギラスが出てくる第2作「ゴジラの逆襲」(1955年)と、ラドンが出てくる映画で、そのあとはもう見ていない。
阿蘇山の火口の地底から飛び立つ翼竜ラドンを覚えているが、この映画「空の大怪獣ラドン」(1956年、東宝)にはゴジラは登場しないので、同じ怪獣映画でもゴジラ映画のシリーズではないようだ。
ゴジラとは、陸のゴリラと海のクジラの合成語である。
*
第1作目の「ゴジラ」(監督:本多猪四郎、特殊技術:円谷英二、音楽:伊福部昭、出演:宝田明、河内桃子、平田昭彦、志村喬)のデジタル復刻版を見た。
映画は、のどかな海を航海する船の上が映し出され、その船が突然閃光を浴びて燃えて沈没するという場面から始まる。当時行われていた水爆実験の被害にあったことを想起させる。
その頃、日本の漁船が米国の水爆実験に巻き込まれて被曝した第五福竜丸事件が起き、そのことが、人々の脳裏に生々しく焼きついていた時代である。
伊豆諸島先の太平洋沖での相次ぐ原因不明の船の遭難、事故に、日本国内は慌てふためき、すぐに調査が行われるが、謎と憶測が不安をかきたてるのであった。
そんな時、遭難からたった一人生き残った男が、筏で島(大戸島)に流れ着き、息たえだえに「やられただ、○○(意味不明)に」とつぶやく。
村の長老は、昔から言い伝えのあるゴジラのせいに違いないとつぶやく。その時は、誰もゴジラの存在など信じていなかった。
しばらくして、島に調査に来た調査団の前に、ゴジラが姿を現す。調査に来た博士は、驚いた顔で、確かにジュラ紀の生物だと言う。
博士は東京に戻った調査報告の席で、この生物を大戸島の伝説にちなんで、仮の呼び名でゴジラと呼ぶ。ゴジラが公になった瞬間だ。
そして、何日か後に、ついに日本本土にゴジラは現われる。
ゴジラ対策が検討され、その年、警察予備隊から保安隊、警備隊をへて自衛隊となった戦闘隊が大砲、戦車などでゴジラに応戦するが歯がたたず、ゴジラは次々と街を破壊する。
ゴジラは、何かに怒り狂っているようだ。
映画では、まだ戦後の風景が色濃い1954(昭和29)年当時の、日本および東京の状景が描かれていて興味深い。
港で、遭難した船の安否を不安でもって海を眺める、島の人たちが映る。筏がたどり着く場面だ。場所は、太平洋上の大島あたりの海辺だろうか。海を見ている地元の人たちのなかに、何人か上半身裸の女性がいる。おそらく海女さんと思われるが、乳房も露出したままで海を見ている。誰もそれを不自然だとは思っていないのだ。
時々、ニューギニアやアマゾンの奥地で原始的生活をしている人種のルポルタージュで、乳房を出した女性が映りだされることがあるが、日本でも戦後もまだ海女さんの生活はそうだったのだろうと少し驚いた。
戦後の東京の街も映し出される。銀座の街も破壊されるし、国会周辺も瓦礫と化す。その火の海と化した瓦礫の先に、議事堂だけが残っているのが印象的である。
実況放送をしているテレビ塔(電波塔)もゴジラの手によって倒される。東京にテレビ塔があったのだ。
テレビ塔に代わって東京タワーができるのは、ゴジラの出現から4年後のことである。
最後に、ゴジラは海の中で死ぬ。
そして、博士の次のようなつぶやきで映画は終わる。
「あのゴジラが最後の一匹だとは思えない。もし、水爆実験が続けて行われるとしたら、あのゴジラの同類が世界のどこかに現われてくるかもしれない」
ゴジラは、理由があって怒っているのだ。