あれからもう1年が過ぎたのだった。
今まで四国には2度行っているが、愛媛県だけ土を踏んでいないと気がついた僕は、九州の佐賀に帰るのに愛媛を回って帰ろうと思いたって、去年(2011年)の9月、東京駅22時発の寝台特急「サンライズ瀬戸」に乗った。
寝台夜行列車は東海道線を西へ走り、岡山から瀬戸内海を渡って早朝に四国に着くのだった。
僕は、香川県の坂出で降りて予讃線で西へ向かい、丸亀、新居浜に立ち寄り、松山に入り、道後温泉に泊まった。翌日は松山からさらに予讃線で西の先へ向かい、南下して伊予大洲に立ち寄って、予讃線の終着駅宇和島に泊まった。
その次の日は宇和島から予讃線で八幡浜に戻り、そこの港から船で九州・大分の別府に渡り、別府・鉄輪温泉に宿をとった。その翌日は、別府から大分を経て、豊肥線の「九州横断特急」で熊本へ行き、熊本で宿泊。翌日、熊本から大牟田に立ち寄って、佐賀に帰ったのだった。
この去年の愛媛を周った旅で、全47都道府県に足を踏んだこととなった。
*
今年(2012年)もこの秋、佐賀に帰る際、四国を回っていこうと思った。宇和島の鯛飯をもう一度食うのもいいものだと思った。
9月6日、やはり去年と同じく、東京駅22時発の寝台特急「サンライズ瀬戸」に乗った。
寝台車は綺麗で、少し窮屈なホテルのようだ。動きゆくベッドに横になって、時刻表を眺めながら、次の日からの四国周りの予定を考えた。今回は、去年の松山と反対方向の高松から東南に向かって、徳島をへて南の室戸岬を周り、高知を通って宇和島に行こうと考えた。
僕のような成りゆき任せの旅は、大まかな計画がいい。予定が狂っても、縛られないから。面白ければそこに留まっていいし、つまらなければ先へ進めばいい。
東京駅を22時に発った寝台夜行列車は、明け方に岡山を南下し、児島から瀬戸大橋を走り抜け四国へ入った。鉄橋の下に瀬戸内の海が見える。
かつて瀬戸内海は船で行き来していたものだが、いつの間にか本州と四国を結ぶ橋が3つもできた。徳島、香川、愛媛と各県に1個ずつだ。正確には、明石から淡路島を通り鳴門に至る道には島の両端に橋があるのでそこだけで2つだし、福山・尾道から因島を通って今治に至る道にはいくつ橋があるか知らないので、3個ではなく3ヵ所と言うべきだろう。
瀬戸内海から四国に入った列車は、香川県の宇多津から松山とは反対方向の東に向かい、高松には7時27分に着く予定だ。しかし、米原あたりで線路事故により50分ほど遅れていると車内アナウンスがある。
高松で列車を降りると、充分間に合うはずだった高松8時23分発の徳島行き「うずしお3号」の発車ベルが鳴っている。走って飛び乗るや、ドアが閉まって列車は発車した。
高松から高徳線で徳島に9時35分着。
徳島から南下して室戸岬に向かうのだが、地図を見ると岬の突端部分は列車が通っていない。高知県に入った甲浦(かんのうら)で止まっている。
時刻表を見ると、各駅停車は行く先が途切れている。特急はあるにはあるのだが、9時51分発のあとは15時56分なので、徳島市内を散策するのは諦めて、次の特急「むろと1号」に乗ることにした。
つかの間の時間、徳島駅を降りたつと、中央の大通りを挟んでソゴウ(SOGO)と名店街のビルがでんと構えていて、その間の青空にひょろひょろと背の高い椰子の木が10本ほど聳えているのが目に入る。いかにも南国風だ。
徳島9時51分発の「むろと1号」は、四国の東海岸の内側をなぞるような牟岐線を南に走り、牟岐に10時59分着。
さらに南に向かって、牟岐11時5分発、海部(かいふ)11時19分着。海部俊樹という総理大臣になった人がいたが、この地がルーツだろうか。
ここからは阿佐海岸鉄道に乗り換えて、海部11時25分発、終着駅の甲浦11時39分着である。
甲浦からは鉄道が走っていないので、駅前からバスに乗ることになる。
甲浦から海岸線に沿って続く土佐浜街道を南に約1時間近くバスで走って、岬ホテル前で降りた。
バスを降りると、かんかんと照りつける日が眩しい。9月も半ばになろうというのに、残暑が続いている。暑い日差しの下に、いつからか閉まったままのホテルが廃墟のように日に晒されている。
前には、ハイビスカスの花が繁っている。ハイビスカスは僕の好きな花で、東京の家にも鉢植えで数体ある。外の土に植えたこともあるが、東京では冬を越せなかった。
しかしここでは、人の背丈より大きいハイビスカスの木が繁茂していて、まるで南国のようだ。ハイビスカスの先に鯨を描いた建物が見えるのは、公衆トイレだ。
廃墟のようなホテルとハイビスカスの花々と鯨のトイレ。どこか、アニメの国に迷いこんだようだ。
ここから、海岸に沿って作られた遊歩道を歩いた。巨大な根が岩に張り付いた亜熱帯のアコウの木が珍しい。
岬の先端の潅頂ヶ浜からバス道路の方に向かって歩いていくと、正面に銅像が見えてくる。幕末土佐藩士、中岡慎太郎の像である。その後ろに聳える緑の山の頂に、白いものが見えた。展望台かと思えば、灯台だった。(写真)
普通灯台は海の上にあるのだが、ここ室戸岬は山の上にあるのだった。
灯台は、港湾や沿岸にあるのが通常だと思っていたが、岬の先端にあるのが一般的らしい。それにしても、室戸岬の灯台は山の上で高い。ライトを遠くまで送るために巨大なレンズを使用しているとある。
今まで四国には2度行っているが、愛媛県だけ土を踏んでいないと気がついた僕は、九州の佐賀に帰るのに愛媛を回って帰ろうと思いたって、去年(2011年)の9月、東京駅22時発の寝台特急「サンライズ瀬戸」に乗った。
寝台夜行列車は東海道線を西へ走り、岡山から瀬戸内海を渡って早朝に四国に着くのだった。
僕は、香川県の坂出で降りて予讃線で西へ向かい、丸亀、新居浜に立ち寄り、松山に入り、道後温泉に泊まった。翌日は松山からさらに予讃線で西の先へ向かい、南下して伊予大洲に立ち寄って、予讃線の終着駅宇和島に泊まった。
その次の日は宇和島から予讃線で八幡浜に戻り、そこの港から船で九州・大分の別府に渡り、別府・鉄輪温泉に宿をとった。その翌日は、別府から大分を経て、豊肥線の「九州横断特急」で熊本へ行き、熊本で宿泊。翌日、熊本から大牟田に立ち寄って、佐賀に帰ったのだった。
この去年の愛媛を周った旅で、全47都道府県に足を踏んだこととなった。
*
今年(2012年)もこの秋、佐賀に帰る際、四国を回っていこうと思った。宇和島の鯛飯をもう一度食うのもいいものだと思った。
9月6日、やはり去年と同じく、東京駅22時発の寝台特急「サンライズ瀬戸」に乗った。
寝台車は綺麗で、少し窮屈なホテルのようだ。動きゆくベッドに横になって、時刻表を眺めながら、次の日からの四国周りの予定を考えた。今回は、去年の松山と反対方向の高松から東南に向かって、徳島をへて南の室戸岬を周り、高知を通って宇和島に行こうと考えた。
僕のような成りゆき任せの旅は、大まかな計画がいい。予定が狂っても、縛られないから。面白ければそこに留まっていいし、つまらなければ先へ進めばいい。
東京駅を22時に発った寝台夜行列車は、明け方に岡山を南下し、児島から瀬戸大橋を走り抜け四国へ入った。鉄橋の下に瀬戸内の海が見える。
かつて瀬戸内海は船で行き来していたものだが、いつの間にか本州と四国を結ぶ橋が3つもできた。徳島、香川、愛媛と各県に1個ずつだ。正確には、明石から淡路島を通り鳴門に至る道には島の両端に橋があるのでそこだけで2つだし、福山・尾道から因島を通って今治に至る道にはいくつ橋があるか知らないので、3個ではなく3ヵ所と言うべきだろう。
瀬戸内海から四国に入った列車は、香川県の宇多津から松山とは反対方向の東に向かい、高松には7時27分に着く予定だ。しかし、米原あたりで線路事故により50分ほど遅れていると車内アナウンスがある。
高松で列車を降りると、充分間に合うはずだった高松8時23分発の徳島行き「うずしお3号」の発車ベルが鳴っている。走って飛び乗るや、ドアが閉まって列車は発車した。
高松から高徳線で徳島に9時35分着。
徳島から南下して室戸岬に向かうのだが、地図を見ると岬の突端部分は列車が通っていない。高知県に入った甲浦(かんのうら)で止まっている。
時刻表を見ると、各駅停車は行く先が途切れている。特急はあるにはあるのだが、9時51分発のあとは15時56分なので、徳島市内を散策するのは諦めて、次の特急「むろと1号」に乗ることにした。
つかの間の時間、徳島駅を降りたつと、中央の大通りを挟んでソゴウ(SOGO)と名店街のビルがでんと構えていて、その間の青空にひょろひょろと背の高い椰子の木が10本ほど聳えているのが目に入る。いかにも南国風だ。
徳島9時51分発の「むろと1号」は、四国の東海岸の内側をなぞるような牟岐線を南に走り、牟岐に10時59分着。
さらに南に向かって、牟岐11時5分発、海部(かいふ)11時19分着。海部俊樹という総理大臣になった人がいたが、この地がルーツだろうか。
ここからは阿佐海岸鉄道に乗り換えて、海部11時25分発、終着駅の甲浦11時39分着である。
甲浦からは鉄道が走っていないので、駅前からバスに乗ることになる。
甲浦から海岸線に沿って続く土佐浜街道を南に約1時間近くバスで走って、岬ホテル前で降りた。
バスを降りると、かんかんと照りつける日が眩しい。9月も半ばになろうというのに、残暑が続いている。暑い日差しの下に、いつからか閉まったままのホテルが廃墟のように日に晒されている。
前には、ハイビスカスの花が繁っている。ハイビスカスは僕の好きな花で、東京の家にも鉢植えで数体ある。外の土に植えたこともあるが、東京では冬を越せなかった。
しかしここでは、人の背丈より大きいハイビスカスの木が繁茂していて、まるで南国のようだ。ハイビスカスの先に鯨を描いた建物が見えるのは、公衆トイレだ。
廃墟のようなホテルとハイビスカスの花々と鯨のトイレ。どこか、アニメの国に迷いこんだようだ。
ここから、海岸に沿って作られた遊歩道を歩いた。巨大な根が岩に張り付いた亜熱帯のアコウの木が珍しい。
岬の先端の潅頂ヶ浜からバス道路の方に向かって歩いていくと、正面に銅像が見えてくる。幕末土佐藩士、中岡慎太郎の像である。その後ろに聳える緑の山の頂に、白いものが見えた。展望台かと思えば、灯台だった。(写真)
普通灯台は海の上にあるのだが、ここ室戸岬は山の上にあるのだった。
灯台は、港湾や沿岸にあるのが通常だと思っていたが、岬の先端にあるのが一般的らしい。それにしても、室戸岬の灯台は山の上で高い。ライトを遠くまで送るために巨大なレンズを使用しているとある。