かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

□ ツアー1989

2007-01-16 18:22:52 | 本/小説:日本
 中島京子著 集英社

 香港へ行ったことのある人なら、その猥雑な街から、ここなら路地に入って出てこなくなっても不思議じゃないなと考えたことがあるだろう。油麻地(ヤウマティ)から旺角(モンコク)、さらにその先あたりは混沌としている。それが、中国に復帰される1997年前であれば、なおさらだった。
 正確な数字は知らないし、最近はそういう話は聞かないが、かつて噂としてはその最たる街(国)は、モロッコということであった。行ったきり戻ってこない、いつの間にやら消息不明といった話だ。
 そして、日本人が行ったきり住み着いてしまう最たるところはタイのバンコクである。ある雑誌が「そとこもり」という表現をしていたが、物価が安いという大前提の元に、旅をするでなく、また観光をするでなく、ただぶらぶらと長居している街といえばバンコクがダントツである。カオサン辺りには、そんな日本人がたくさんいる。

 その香港とバンコクを組み合わせた小説が「ツアー1989」である。
 1980年代末から90年代初めに、「迷子つきツアー」なるものが旅行会社で企画された。影の薄い誰かをツアーに参加させ、最後はいなくなる。他のツアー参加者は日本に帰ったあと「なんか置き忘れてきた、誰かいなくなった、しかしそれが誰だか思い出せない」という不思議な余韻を味わえるという企画だ。行き先は、香港である。
 ブログでふと知った、この「迷子」を探しに、香港へ行き、最後はバンコクへ行きつくという物語だ。
 
 ツアーの旅で、現地で誰かが戻ってこず、そのまま帰国したという話は、ありえないことではないし、実際あったこともあるだろう。
 面白い発想だ。旅好きの読者は、つい引き込まれてしまう。話は、ミステリーのように謎に包まれたまま、進展していく。
 あの『イトウの恋』の、中島京子の新境地かと思った。しかし、設定にいくつかの無理が目についた。結末も、ミステリーが陥りがちな尻すぼみになってしまった。
 最後は、著者が目論んでいるのは『インド夜想曲』か、と思った。この小説は、失踪した知人を探し求めてインドにいくが、探していたのは自分自身だったというアントニオ・タブッキの小説だ。
 
 ミステリー仕立てに結論を言うのは野暮である。
 この本で、もう少し香港とバンコクを味わいたかった。読んだあと、何か食べ足りない、何か食べ残した、そうした余韻が残った。
コメント
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