かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

海の街、呼子

2006-05-14 20:02:52 | ゆきずりの*旅
 唐津から玄界灘に沿って、北へバスで30分ぐらい行くと呼子という漁港に着く。いかにも地方の港といった雰囲気のある、この女の子のような名前の街が僕は好きである。
 港には、イカ釣り船や漁船が何艘も停泊していて、海辺では何軒かの家で、魚やイカを干していて、その場で売ってもくれる。料理屋が、民家の間に何軒か看板を掲げている。もちろん、獲りたての魚を料理してくれるのである。港のすぐのところに海に向かって神社があり、海の安全を見守っているかのようである。
 ここは、映画『男はつらいよ』シリーズの第14作目(1974年作)の舞台にもなった。マドンナは十朱幸代である。

 もうずいぶん前のことである。休みで佐賀の実家に帰ったときに、ある晴れた日、初めて僕は呼子に行った。そこで、腹が減っていたので「河太郎」という変わった料理屋に入った。
 注文すると、店の人が、店内にある船のような大きな生簀で泳いでいるイカを掬って調理場へ持っていく。そこで、そのイカをさっと下ろして造りにして出してくれた。薄く切られた身は、まだ透き通っている。足が動いているのを見ながら、その身を食するのだ。 
 その店を出て、海辺を歩いていると、漁船とは違ってやや大きな船が停泊していた。その船舶には「壱岐行き」と書かれていた。ここから、壱岐行きの船が出ていることを知った僕は、思わずそれに飛び乗った。
 壱岐は、のどかな島だった。牧場があり、今はいるかどうか知らないが海女(あま)さんがいて、海に潜って漁をしていた。
 壱岐で1泊して、再び船に乗って呼子へ帰った。午後のけだるい船の甲板で、うつらうつらと眠ってしまった。
 呼子から唐津へ行って、夜そこで飲んで帰ろうとバッグを見たら、財布がない。ポケットもどこを探してもないのだ。どこかで落としたのか、甲板で眠っている間にすられたのか、とにかく1銭もないのだから、飲むどころかわが家にも帰れない。唐津から実家のある駅まで、詳しくは覚えていないがおそらく600円ぐらいかかった。
 仕方なく、唐津の警察署に行き、事情を説明して、お金を借りることにした。千円までは貸してくれるという話を聞いたことがあったのだ。
 僕を応対したのは若い警察官だった。僕が、実家の住所と名前を書くと、その若い警察官は、「かつてその地域の所轄にいたとき、あなたのお父さんにお世話になったので、お宅はよく知っていますよ」と言って、気持ちよく千円貸してくれた。
 警察署を出た僕は、何だかこのまま帰るのが癪になってきた。それで、パチンコで勝って、とりあえずお金を返して帰ろうと思った。あわよくば、飲み代までも浮くかもしれないと考えたのだ。
 そんな虫のいいように、事が運ぶはずがない。用心深く100円ずつ玉を買っていたのだが、あっという間に手の中には百円玉3個しか残っていなかった。僕は、さらに落ち込んだ。自分のふがいなさと言うよりだらしなさに。
 仕方がないと、僕は残った金額分の乗車券を買って、電車に乗った。そして、壱岐で買った焼酎「天の川」を取り出し、ちびりちびり飲んだ。
 車窓からの夜景が切なく、酒はほろ苦くも美味かった。

 今回も、呼子に着くと、海辺の「河太郎」に行った。イカの生き造りは、変わらず美味しい。何より、窓から見える呼子港が旅情をそそる。
 店を出て、魚を干しているところで、アジの味醂干しを買いに行った。呼子に着いたすぐに、家の前でおばさんが魚を干しているのをのぞいたら、とても美味しそうなのだ。
 「いくらね」とおばさんに聞くと、「10匹、500円」と言うので、「イカを食ってきて、帰りによるけん」と言っておいたのである。
 イカを食べたあと、そこへ行くと魚は干してあるが、おばさんがいない。すぐ後ろの家を見ると横の玄関は開いているので、呼んだらおばさんが出てきて、きょとんとした顔で僕を見た。僕がアジを買いにきたと言ったら、やっと思い出してくれた。そして、「イカは美味かったろー、どこの店に行ったね」と訊きながら家を出てきた。
 僕が行った店の名前を言うと、「あそこはうまかろー?」と言いながら、板の上に乗っているアジを見わたした。「こっちが、昨日干したので、あっちが今日干したの。どっちにすっね」と訊いた。僕は、「今日干したの」と言うと、「そいがよかかもしれん」とアジをつかみ始めた。
 アジを数えながら袋に入れているおばさんに、僕が冗談に、「1匹ぐらい間違えて多く入っととやなか?」と言うと、おばさんは笑いながら、「そいじゃ、間違えとこー」と言って1匹多く入れてくれた。そして、「こいも間違えとこー」と言いながら、隣の板で干していた小イワシを3匹袋に入れた。

 呼子のあと、名護屋城を通って、玄海町の原発を見に行った。
 名護屋城は、呼子の先の鎮西町にあり、豊臣秀吉が朝鮮出兵(文禄、慶長の役)の際、拠点として築いた城である。全国の有力各藩の陣地も置かれ、当時は広範囲で大規模な城郭が出現していた。今は、崩れた石垣がわずかに残っているだけである。その哀しげな石垣は、黒澤明の映画『乱』の舞台になった。

 玄海町の原発は、最近計画が持ち上がりながらもストップしている各県に先駆けて、佐賀県がプルサーマル計画に初めて同意して新聞紙上を賑わしたところである。
 原子力発電所というものを一度も見たことなかったので、一度見ておきたかった。施設は、植物庭園が覆うようにして、なかなか見えなかった。近くの小高い丘から、やっと円い半円の建物が見えた。
 それに初めて知ったのだが、不思議なことに、原発の近くに風車が何台か不規則に建てられていた。風車は風力発電で、自然の力を利用する、いわば原子力発電の対極とも言えるものである。そういえば、青森の竜飛岬にも風車があった。青森には原発再処理工場のある六ヶ所村がある。少しでもバランスを取ろうという意図なのであろうか。

 玄海町を出て、日が暮れたので、唐津の湊というところにある海の見える店で、唐津に住んでいるケイさんとビールを飲んだ。海を見ながら飲めるのはいい。
 いつまでもぐだぐだと飲んでいたい気持ちだったが、田舎の終電車は早い。何と僕の家に着く最終電車は、唐津発21時24分なのだ。
 また、夜景を見ながらの列車である。
コメント (1)
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