STAP細胞という耳新しい研究発表がノーベル賞級と大きな話題となり、やがてその論文への問題疑惑や不正が取りざたされるや称賛がバッシングに暗転し、それらに対する反論と検証が試みられるも混沌としたまま、やがて検証結果を受け論文は撤回となった一連の大騒動は、2014年の1月から始まりその年の12月に一応の終息を見た。
1年にわたったこの騒動は、まるで連続する事件かドラマのように連日マスコミで取り上げられ、そこでは理化学研究所、ハーバード大学、早稲田大学、東京女子医大などの多くの関係者が登場し、その中心にいたのが「リケジョの星」ともてはやされた小保方晴子さんだった。
小保方晴子さんがマスコミに登場しなくなってから1年。STAP細胞の発表からちょうど2年の今年2016年の1月、沈黙していた小保方さんが、あの騒動についての手記を出版した。
題名は「あの日」(講談社刊)。
流れを追う本の内容の「目次」を見てみよう。
1.研究者への夢 2.ボストンのポプラ並木 3.スフェア細胞 4.アニマル カルス 5.思いとかけ離れていく研究 6.論文著者間の衝突 7.想像をはるかに超える反響 8.ハシゴは外された 9.私の心は正しくなかったのか 10.メディアスクラム 11.論文撤回 12.仕組まれたES細胞混入ストーリー 13.業火 14.戦えなかった。戦う術もなかった 15.閉ざされた研究者の道
内容は、いかにして科学者小保方晴子が生まれたか、そして、あの新聞、週刊誌、テレビなどで報じられた一連のSTAP細胞騒動は本当はこうなのよと、彼女の視点で、彼女の見る範囲内で詳細に語られている。
本を読んでいて感じたことは、彼女が普通の女性であること、そして科学者の視点からの文というよりも文学少女が書いた文という印象であった。
まず、「あの日」というタイトルからして文学的、歌謡・詩歌的ではないか。
巻頭の「はじめに」で、彼女は次のように書きだす。
「あの日に戻れるよ、と神様に言われたら、私はこれまでの人生のどの日を選ぶだろうか。一体、いつからやり直せば、この一連の騒動を起こすことがなかったのかと考えると、自分が生まれた日さえも、呪われた日のように思えます」
誰もが人生に満足してはいない。悔いはないと言っても、それは後悔したところで人生は後戻りなんかできないことを知っているからだ。失敗や後悔は、その場に置いていくしかないのである。万全の人生なんてありえないのだ。
それでも、「あの日に戻れたら」と思わずにいられない時がある。
「あの日」という言葉は、想像をかきめぐらす。過去の自分のなかに刻印された、忘れられない日、それが誰にでもある「あの日」なのだ。
*
本書は、科学者を夢見た日から、思わぬ研究者への道が開かれた日、スター誕生のような大反響を浴びた論文発表の日、四面楚歌と思えるなかで精神はおろか肉体までも逼迫、病んでしまった日、大学から博士号を取り消された日などの、小保方晴子さんの「あの日」が綿々と続く。
「論文の撤回が決まったあと、検証の再現実験をすることとなる。
「私は絶対に絶対に逃げない」そう自分に言い聞かせ、弱り切った心にギブスを巻いた。
「私がすべきことも、真実も一つなのだ」と自分に言い聞かせ、気力を保った。」
問題となったSTAP細胞の研究、実験、検証などは、表象部分ではあるのだがかなり詳細に書かれているものの、理・化学の知識に乏しい者にとっては隔靴掻痒の感ではある。しかし、理化学研究所や大学の研究者の本音とも思えるふとした言葉が随所に拾い綴られていて、その白い巨塔の実態が少しは垣間見ることができる。
私は、2年前に現実に起こったことを追体験するかのように、本書を読むことができた。
「「この業界で偉くなる人というのは堂々としていることではなくて細かな根回しを怠らない人たちなのだと感心しました」と私が相澤先生に言うと、「よく気がついたな。それは文としてどこかに残しといたほうがいいぞ」と珍しく褒められた。」
小保方さんは、こう書いている。文中の相澤慎一氏は、理研の検証実験での総括責任者である。
「「科学ってもっと優雅なものと思ってた」と私が言うと、相澤先生は「やっぱりお前はバカだな。こんなどろどろした業界なかなかないぞ。もうやめろ」と言ったことなどを思い出していた。」
どろどろした世界であることは、小保方さんのネイチャー誌への論文執筆を指導した理研の笹井芳樹氏の自殺によってもうかがい知ることができよう。本書では、このことはあまり多くを語っていない。
それにしても笹井氏の突然の死は(そう思えた)、私にとってはSTAP細胞よりも深い謎である。
<追記>
もし手記「あの日」がドラマ化されるとしたら、小保方晴子役は現在NHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」でヒロインを演じている高畑充希が最適だと思う。高畑充希に割烹着を着せて実験用のペピットを持たせたら、小保方晴子と見まちがえてしまう。
1年にわたったこの騒動は、まるで連続する事件かドラマのように連日マスコミで取り上げられ、そこでは理化学研究所、ハーバード大学、早稲田大学、東京女子医大などの多くの関係者が登場し、その中心にいたのが「リケジョの星」ともてはやされた小保方晴子さんだった。
小保方晴子さんがマスコミに登場しなくなってから1年。STAP細胞の発表からちょうど2年の今年2016年の1月、沈黙していた小保方さんが、あの騒動についての手記を出版した。
題名は「あの日」(講談社刊)。
流れを追う本の内容の「目次」を見てみよう。
1.研究者への夢 2.ボストンのポプラ並木 3.スフェア細胞 4.アニマル カルス 5.思いとかけ離れていく研究 6.論文著者間の衝突 7.想像をはるかに超える反響 8.ハシゴは外された 9.私の心は正しくなかったのか 10.メディアスクラム 11.論文撤回 12.仕組まれたES細胞混入ストーリー 13.業火 14.戦えなかった。戦う術もなかった 15.閉ざされた研究者の道
内容は、いかにして科学者小保方晴子が生まれたか、そして、あの新聞、週刊誌、テレビなどで報じられた一連のSTAP細胞騒動は本当はこうなのよと、彼女の視点で、彼女の見る範囲内で詳細に語られている。
本を読んでいて感じたことは、彼女が普通の女性であること、そして科学者の視点からの文というよりも文学少女が書いた文という印象であった。
まず、「あの日」というタイトルからして文学的、歌謡・詩歌的ではないか。
巻頭の「はじめに」で、彼女は次のように書きだす。
「あの日に戻れるよ、と神様に言われたら、私はこれまでの人生のどの日を選ぶだろうか。一体、いつからやり直せば、この一連の騒動を起こすことがなかったのかと考えると、自分が生まれた日さえも、呪われた日のように思えます」
誰もが人生に満足してはいない。悔いはないと言っても、それは後悔したところで人生は後戻りなんかできないことを知っているからだ。失敗や後悔は、その場に置いていくしかないのである。万全の人生なんてありえないのだ。
それでも、「あの日に戻れたら」と思わずにいられない時がある。
「あの日」という言葉は、想像をかきめぐらす。過去の自分のなかに刻印された、忘れられない日、それが誰にでもある「あの日」なのだ。
*
本書は、科学者を夢見た日から、思わぬ研究者への道が開かれた日、スター誕生のような大反響を浴びた論文発表の日、四面楚歌と思えるなかで精神はおろか肉体までも逼迫、病んでしまった日、大学から博士号を取り消された日などの、小保方晴子さんの「あの日」が綿々と続く。
「論文の撤回が決まったあと、検証の再現実験をすることとなる。
「私は絶対に絶対に逃げない」そう自分に言い聞かせ、弱り切った心にギブスを巻いた。
「私がすべきことも、真実も一つなのだ」と自分に言い聞かせ、気力を保った。」
問題となったSTAP細胞の研究、実験、検証などは、表象部分ではあるのだがかなり詳細に書かれているものの、理・化学の知識に乏しい者にとっては隔靴掻痒の感ではある。しかし、理化学研究所や大学の研究者の本音とも思えるふとした言葉が随所に拾い綴られていて、その白い巨塔の実態が少しは垣間見ることができる。
私は、2年前に現実に起こったことを追体験するかのように、本書を読むことができた。
「「この業界で偉くなる人というのは堂々としていることではなくて細かな根回しを怠らない人たちなのだと感心しました」と私が相澤先生に言うと、「よく気がついたな。それは文としてどこかに残しといたほうがいいぞ」と珍しく褒められた。」
小保方さんは、こう書いている。文中の相澤慎一氏は、理研の検証実験での総括責任者である。
「「科学ってもっと優雅なものと思ってた」と私が言うと、相澤先生は「やっぱりお前はバカだな。こんなどろどろした業界なかなかないぞ。もうやめろ」と言ったことなどを思い出していた。」
どろどろした世界であることは、小保方さんのネイチャー誌への論文執筆を指導した理研の笹井芳樹氏の自殺によってもうかがい知ることができよう。本書では、このことはあまり多くを語っていない。
それにしても笹井氏の突然の死は(そう思えた)、私にとってはSTAP細胞よりも深い謎である。
<追記>
もし手記「あの日」がドラマ化されるとしたら、小保方晴子役は現在NHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」でヒロインを演じている高畑充希が最適だと思う。高畑充希に割烹着を着せて実験用のペピットを持たせたら、小保方晴子と見まちがえてしまう。