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かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

◇ ALWAYS 続・三丁目の夕日

2008-11-22 03:35:18 | 映画:日本映画
 西岸良平原作 山崎貴監督 吉岡秀隆 小雪 堤真一 薬師丸ひろ子 堀北真希 須賀健太 小日向文世 2007年

 
 昭和34(1959)年といえば、どんな時代だっただろう。
 前年に、東京タワーが完成し、1万円札が発行されたばかりの年だ。テレビでは、プロレスの力道山が活躍し、若者の音楽では平尾昌章、山下敬二郎、ミッキー・カーチスを頂点とするロカビリー・ブームだった。映画では、石原裕次郎、小林旭、赤木圭一郎の日活ダイヤモンド・ラインが並んだ。
 4月の春の盛りには、皇太子(現天皇)と正田美智子(現皇后)様の結婚パレードが全国を賑わし、これを機にテレビが家庭に普及した。初めての少年マンガ週刊誌「少年サンデー」と「少年マガジン」が創刊され、マンガ読者の大人化への端緒となった。
 日本は、高度経済成長の始まりだった。まだ貧しかったが、夢だけは広がっていた。

 この昭和34年、東京のある下町の3丁目では、淳之介(須賀健太)を引き取った茶川(吉岡秀隆)は、ほそぼそと店を開きながら小説を書いていた。黙って去っていった小料理屋の女ヒロミ(小雪)を思い続けながら、三人で暮らせることを茶川と淳之介の二人は夢みていた。
 そこへ、金持ちの淳之介の実父(小日向文世)が淳之介を引き取りにやってくる。もう少し待ってくれ、もう一度チャンスをくれと言って、茶川は芥川賞を狙って、小説を書く。鈴木オートの一家をはじめ、三丁目の住民はこぞって応援する。そして、最終候補に残り、受賞間違いなしのところまでいき、あとは発表の日を待つのみとなる。

 芥川賞候補作になった、茶川が渾身をふりしぼって書いた小説は「踊り子」。
 それは、前作「ALLWAYS」で展開された、ヒロミとの愛情物語だった。ヒロミに贈った中身のない指輪の箱、そっと見えない指輪をヒロミの指にはめてあげる茶川。借金に追われて、いつしか店をたたみ踊り子になったヒロミ。
 茶川の愛情を感じながらも、自分の境遇に負い目を抱いていたヒロミは、素直に茶川のところには行けないでいた。そして、踊り子を辞めて、大阪の金持ちの男のところに行こうと列車「こだま」に乗ったヒロミは、車中茶川の書いた小説が載っている本を開く。
 
 結局、茶川の芥川賞受賞は、3丁目のみんなの期待も虚しく、落選に終わる。
 ヒロミもいなくなり、淳之介も実父のところは戻さなければいけない状況になって、何もかもなくなったと思った茶川のところへ、大阪へ行ったはずのヒロミが突然姿を現わす。
 本を抱いていたヒロミは、「こんな本読んじゃったら、どこへも行けないじゃない」と茶川に言う。
 「僕は…浮かび上がれるかどうか、もしかしたら一生甲斐性なしだぞ。それでも僕は、男として、君たちを…」と茶川は、ヒロミを抱きながら泣き声で叫ぶ。
 「金で買えないものがある」と、淳之介の実父は黙ってそこを去る。

 夢が広がっていた時代の物語である。いや、夢を追うことができた時代なのである。
 小説家になることも、大臣になることも、科学者になることも、夢はどんなふうにも広がっていた。人も街も、大きく変わろうとしていた。
 昭和30年代、それは時代そのものが少年から青年になろうとしていた時代であった。青春は、もうすぐそこへ来ていた。

 当時の東京駅や羽田空港、日本橋がVFXで再現される。新幹線以前の「東京-神戸」と書かれた特急「こだま」が登場するのも興味深い。
 貧しくも小説家を目指す男の役の吉岡秀隆が、素朴でいい味を出している。堀北真希の東北弁もアンバランスで可愛い。また、単に人情話に終わりそうなのを、鈴木オート家を中心に繰り広げられる子役3人が、物語に厚みを加えている。

*前作「ALWAYS 三丁目の夕日」
http://blog.goo.ne.jp/ocadeau3/e/1935a2047d6d98f4c2cbcb9dbd60c746
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◇ 長崎ぶらぶら節

2008-10-26 01:26:17 | 映画:日本映画
 なかにし礼原作 深町幸男監督 市川森一脚本 鈴木達夫撮影 吉永小百合 渡哲也 高島礼子 原田知世 藤村志保 松村達雄 内海桂子 2000年

 1966年公開の日活作品「愛と死の記録」以来、長年共演することのなかった吉永小百合と渡哲也の共演は、1998年「時雨の起」(中里恒子原作、澤井信一郎監督)に続き、この「長崎ぶらぶら節」で、ブランクを感じさせないコンビぶりを見せた。
 
 原作は、なかにし礼の2000年直木賞受賞作である。
 物語は、長崎の芸者愛八(吉永小百合)と、元大店の旦那十二郎(渡哲也)が、長崎の失われつつある古い歌を探し求める話である。それが、愛八の一生の物語として描かれている。
 なかにし礼は、学生時代からシャンソンの作詞をしていて、作詞家としては天才的感性を持っていると思う。戦後、昭和の新しい歌謡曲は、彼が切り開いたと言っていい。
 それでも彼は、ずっと作詞家から作家への転身を図っていたと思われる。それは、作詞家として世に出た頃から、「花物語」(1970年)という感傷的なロマンチックな小説を書いていることも分かる。
 それにもまして、僕の愛書であるドーデの「サフォー」(「哀愁のパリ」と改題1970年)を翻訳してもいる。この翻訳もとてもすばらしく、彼の才能の一端を知るに十分である。
 彼の多才ぶりは、「時には娼婦のように」(1978年)を原案、脚本、主演したことでも発揮し、驚かされた。この映画は日活ロマンポルノとして封切られ、さほど評価されなかったが、その感性は鋭敏で血が滴るようであった。
 作詞家として生きてきた彼は、その他のジャンルに手を伸ばしながらも、いずれも瑞々しい感性に溢れ、あるときはカミソリの刃のようにきらりと光った。
 しかし、小説家としての才能は、作詞家のそれとは比較にならないと感じる。
 本格的に小説家に転向したあとの作品「兄弟」(1998年)は、兄への愛憎を描いて傑作であったが、満州時代の体験を基にした「赤い月」(2001年)は、大作にもかかわらず技巧的作為が見え隠れしていた。直木賞受賞作のこの映画の原作「長崎ぶらぶら節」は、評価が分かれるところであろう。
 映画は、長崎が舞台であるからであろうか、脚本は長崎出身の市川森一である。 市川は、長崎が舞台の脚本はいくつか傑作を書いていて、その幻想的なロマンチシズムは他の脚本家にない鋭い感性を持っていた。個人的には好きな脚本家である。
 撮影は、「水で書かれた物語」「とべない沈黙」「キューバの恋人」「田園に死す」をはじめその特異なキャメラワークで数々の名作を残している、この人も感性の人鈴木達夫である。
 そして出演を見ると、主演は今では国民的俳優といわれる吉永小百合、相手役は今では石原プロの社長となった渡哲也と申し分ない。
 脇役も、主演クラスの高島礼子、長崎出身の原田知世、さらに松村達雄、岸部一徳、藤村志保、いしだあゆみ、永島敏行など、渋く固めている。
 それなのに、映画は技巧を凝らしすぎて、感動が空回りした感は否めない。
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◇ 愛と死の記録

2008-10-24 16:40:51 | 映画:日本映画
 蔵原惟繕監督 吉永小百合 渡哲也 中尾彬 浜川智子 佐野淺夫 滝沢修 芦川いずみ 1966年日活

 ありきたりの幸せなどつまらない。
 愛は、障害に比例して深くなり、ドラマは縦横に刻まれる。
 愛の障害は様々だ。身分、距離、年齢、病気、生活苦と、些細なものから自分の力ではどうすることもできないものまで限りなく存在するし、乗り越えてもまた新たに生まれてもくる。

 戦後20年たった広島の街で、一つの愛が生まれ、儚く消えた。
 偶然に出会った男(渡哲也)と女(吉永小百合)。いつだって、愛は突然にやってくる。そして、障害が生まれれば、愛はありきたりではなくなってくる。それが死であれば、人はそれにあがなうことはできない。
 出会った男も女も、どこにでもいるような健康そうな若者だ。
 恋心を感じた二人は、男の運転するバイクの後ろに女が乗って、雨の中を疾走する。夢中に男の背中にしがみついている二人を見れば、少しいかれたカップルと思い、トラックに乗っている男たちは冷やかしもしたくなる光景である。
 「一人の女が、俺の身体に運命を賭けようとしている」と、そっと男は呟く。
 「小さい頃から今までで、一番楽しい思い出は?」という女の質問に、男は「現在しか考えられないよ」と、冷たく答える。
 男の行動は、何か隠しているようであり、刹那的にすら受けとれる。
 原爆ドームの下で、男は言う。
 「この空の上で、光った。俺はそれを見た。俺の父も母も」
 二人の愛が高まった頃、男は倒れて入院する。男は、子どもの頃被爆した原爆症が再度発病したのだった。
 男が原爆症と知って、女の家族は、折しも縁談が起こったこともあり付き合いを反対するが、女は愛を貫こうとする。
 しかし、やがて男は死ぬ。

 物語は、ここで終わらない。
 悲しみに打ちしがれながらも、女は生きる意味を見つけようとする。
 男の病気を診断した医師(滝沢修)は、男の病気を知っていながら告げずに社会に再起させた意味を語る。しかし、死と生の意味は自分には分からないし、神にしか分からないと語る。
 やはり同じ病気で療養しながら、強く生きようと決意した女(芦川いずみ)の話も聞くことになる。
 女は、再び強く生き始める。
 そう見えたのだが、彼女は突然自殺する。
 最後も、原爆ドームが映し出される。

 この映画の2年前に、ベストセラーとなった実話の映画「愛と死を見つめて」(吉永小百合、浜田光夫1964年)が大ヒットした。この映画は、女性が不治の病に罹り、死に至る話である。
 この「愛と死の記録」は、「愛と死を見つめて」の男女が逆の物語である。
 
 日活の青春映画としては、吉永の相手役は浜田光夫がになっていた。「愛と死の記録」も「愛と死を見つめて」に続く作品として当然相手役は浜田であったが、直前浜田は傷害事件に巻き込まれ目を負傷し、急遽渡哲也に変わった。
 渡哲也は、日活アクション全盛期から遅れて1965年デビューした。当時の渡は、会社としてもスタンスを決めかねていたのか歌謡映画あたりで様子を見ていた状態であった。
 この吉永との共演で注目を浴びるが、不治の病で死ぬ役にしては恰幅が良く、死が間近に迫って寝ているときにもやつれていないし、浜田の頼りなげな雰囲気もないので、適役とはいいがたい。
 ただ、雨の中をバイクで走る姿に存在感があり、やはりのちにアクションスターとしての位置を予感させた。
 渡が存在感を示すには、その年公開の石原裕次郎作品のリメイク版「嵐を呼ぶ男」まで待つことになる。

 愛と死、後追い心中。
 戦後60年、このような純愛が、今は存在するのだろうか。
 この映画の舞台となった、原爆投下の負の記憶、広島の原爆ドームは、今は世界遺産となった。
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◇ 泥だらけの純情

2008-10-22 00:46:36 | 映画:日本映画
 藤原審爾原作 中平康監督 吉永小百合 浜田光夫 小池朝雄 和泉雅子 1963年日活

 身分違いの恋愛、その行き着く先は死、それも心中。
 「ガラスの中の少女」(1960年)で、初めて本格的にコンビを組んだ吉永小百合と浜田光夫の青春映画は、その純愛心中の原型だった。大学教授の娘と町工場の工員の純愛は、周りの反対で心中という結末で終わる。
 しかし、この映画では、なぜ心中をという疑問が、澱のように心の中に残った。身分の違いとはいえ、男は真面目に働く若者で将来が絶望的では決してない。地道に生きていけば、ささやかな幸せぐらいは掴めただろうし、そんな夢を抱かせる時代でもあったからだ。
 そして、あれから3年後の二人は、さらに大きな隔たりのある関係として出会う。財閥系の大使の娘とチンピラやくざという普通なら出会うことのない二人が偶然に出会い、場違いの恋愛関係に陥り、二進も三進もいかない終末へと進んでいく。
 身分の違いはさらに大きく、二人の環境は溶け合うことのない隔たりがあり、乗り越えなければならない障害はあまりにも現実味を越えている。この関係では、心中もやむをえないという設定になり、愛はより深く、反抗はより強くなった。
 原作者は藤原審爾。無頼派の直木賞作家で、やはり映画化された「秋津温泉」(吉田喜重1962年)は、叙情豊かな彼の代表作。作家としての門弟に、色川武大(阿佐田哲也)、江國滋(江國香織の父)、高橋治などがいる。女優藤真利子は娘である。

 不良学生に絡まれている真美(吉永小百合)を、たまたま通りかけたチンピラの次郎(浜田光夫)が助けてやる。その時、相手がナイフで次郎を刺したが、自分も誤って刺して死んでしまう。いったんは逮捕された次郎だが、真美の証言で釈放される。
 このときの出会いを弟分に笑いながら語る、次郎の台詞がいい。
 「あの子の瞳の中に、俺がいるんだよ」
 このときは、まだ身分違いの恋に発展するとは露とも思ってもいない。彼には、身分相応のバーの女がいて、それに親分の娘(和泉雅子)も彼に好意を持っているようだ。
 ところが、この事件が縁で、二人はデイトを重ねるようになる。
 環境の違いは、新しい発見でもある。
 真美は、家ではテレビの教養番組を見て、ジュースを飲んで、寝る前にはバイブルを読むと言う。
 次郎は、組のシマである盛り場をうろつき、ウイスキーを飲んで寝る。
 次郎が真美を連れて行くのはボクシングの試合で、真美が次郎を連れて行くのはクラシックの現代音楽のコンサートと、お互い初めてのことばかりだ。
 二人の環境の違いが、二人を強引に引きつけあっていく。
 しかし、次第に二人は、引き裂かれるような運命になっていく。
 真美は、父の赴任先のアルジェリアに行くことになる。次郎は、警察の追求の先手を打って、組のために自首するという段取りになる。
 次郎のやくざの兄貴分である小池朝雄は、日活アクション映画の悪役の常連だが、この映画では悪役ながら人間味のある男として、いい味を出している。

 二人が別れなければならないその日、会った二人は逃げ出す。真美は家から、次郎は組からの逃走だ。つまり、駆け落ちである。
 そして、雪山に行く。
 そこで、無邪気に雪だるまを作る二人の屈託ない愛に満ちた表情は、悲しい行方を暗示させる。
 雪山の楽しい二人のじゃれ合いは儚く、二人の心中を告げる場面へと変わる。
 関係者の台詞が、二人の関係を物語る。
 「いろいろ心中は見てきたが、こんな心中は初めてだ」
 二人は、ここでも(「ガラスの中の少女」と同じく)、肉体関係を結ぶことなく、心中をしたのだ。
 次郎の弟分が呟く。
 「兄貴の気持ち分かる気がするな~。俺だって、もったいなくて寝れない女を持ってみたいもんな」
 最後の葬儀の場面は、大型車が列をなす大葬儀場と、一方はとぼとぼと位牌を手に持って歩く列の対比だ。映画は、最後まで身分の違いを見せて幕を閉じる。

 雪山で、死ぬ前に二人が笑いながら作る雪だるまは、まるで韓国ドラマ「冬のソナタ」を彷彿させる。
 日本の60年代青春映画は、現代の韓国ドラマに受け継がれていたのである。
 監督の中平康は、「狂った果実」(1956年)で、ヌーベル・ヴァーグに影響を与えた奇才だ。この映画では、その片鱗は隠して、抑えた映像を撮っている。
 この「泥だらけの純情」は、山口百恵、三浦友和主演で、1977年に再映画化された。
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◇ ガラスの中の少女

2008-10-21 05:12:39 | 映画:日本映画
 有馬頼義原作 若杉光夫監督 吉永小百合 浜田光夫 信欣三 轟夕起子 1960年日活

 吉永小百合の記念すべき主演第1作である。共演は、その後コンビを組むことになる浜田光夫で、彼も本作品が本格デビュー作である。浜田光夫は、まだこの作品では字幕では本名の浜田光曠となっている。
 この映画は、日活青春映画の、とりわけ吉永、浜田コンビによる作品群の原型として、その後「太陽は狂っている」(1961年)、「キューポラのある街」(62年)、そして「泥だらけの純情」(63年)と続いていく。

 高校生になった靖代(吉永小百合)は、中学のときラブレターを貰った陽一(浜田光夫)と偶然再会する。陽一は、家が貧しく、中学を出て町工場で働いていた。
 二人は、密かにデイトするようになり、愛し合うようになる。しかし、厳格な靖代の大学教授(まだ助教授であるがすぐに昇進する)の父は、彼女が男と交際するのに反対している。
 靖代は、養父である父の愛情に疑問を抱く。陽一も、働かないで酒を飲んでいる父のいる家庭にうんざりして家を出ていき、働いている工場でもうまくいっていない。
 二人は孤立し、精神的に追いつめられていく。そして、死を選ぶ。

 いわば身分の違う二人が心中を選ぶというテーマであるが、その後、チンピラと大使に娘という「泥だらけの純情」(藤原審爾原作63年)に、繋がっていく。
 この「ガラスの中の少女」は、その前段階、揺籃期の作品と言っていい。
 身分の違い、つまり格差社会。親に対する抵抗。社会に対する反抗。愛と性。死の選択。すべては、まだオブラートに包まれている。それらが、どこから生じてきて、自分たちはどこにいるのかがはっきりと描かれていない。つまり、二人はそれらのことを把握するには幼すぎる年齢と精神だったと言える。
 映画公開当時、吉永小百合まだ15歳、浜田光夫16歳である。

 この映画では、大学教授の娘に対し、男もまだ真面目に働く工員である。二人は、高校生と勤労者という違いはあれ、あくまで前を向いている。社会は絶望的ではないし、彼らも社会に反抗はしていない。
 そして、愛はプラトニックの域を脱しない。心中をするにもかかわらず、肉体関係を結ばず、死ぬまで純潔を通したという純情な関係で完結している。愛も、性を抜きにした未熟のままで終わらせている。
 心中も、心中とはいえないほどの、偶然の流れの出来事となっている。二人は、客観的には死ぬほどには追いつめられてはいず、それは甘いセンチメンタリズムをも漂わせている。
 しかし、陽一が最後に言う「何のために生きているのか分からなくなっちゃった」という言葉は、先が見えない未来(今日のことであるが)の若者を先取りしているかのようだ。

 この映画の公開された年は、1960(昭和35年)年である。
 この年、安保反対闘争で日本国中が揺れ、学生デモ隊の中で東大生樺美智子が死んだ。三池闘争では総労働対総資本の闘いといわれる労働争議が起きた。
 その後、日本は経済発展をたどり、ほとんどが中産階級意識へと成長していく。
中学卒業者が労働力として重宝された時代であるが、その後学歴も年々高くなり、大学は増加し今では大半の人間が大学に進学するようになり、その分水増しされた学生の中身は薄くなり、大学生の価値は暴落することになる。
 60年といえば、社会格差が出てきた頃だ。映画の中でも、大学教授の家(山の手風の一軒家)と失業した父の工員の家(下町風の長屋)は、すでに歴然としている。
 
 しかし、この半世紀の間に、最も変わったのは愛の形かもしれない。
 この映画の底流に流れているのが、父親の娘に対する愛情で、繰り返し次のような言葉が繰り返される。
 女性の幸福は、いい人を見つけて、その人と結婚することだ。それまで、つまり結婚するまで純潔でなければいけない。
 純潔とは処女のことで、もはや今では誰もそのことに価値を置かなくなっている。むしろ、友人や同級生に後れをとらないようにと、女性たちは喪失を急ぐ風潮すらある。
 裸や性は、ますますオープンになっていく傾向だ。
 経済が成長すれば、性は開放的になり、処女性が失われるのであろうか。
 熱帯や東南アジアの国を見ると、そうともいえない。一方、アラブやインドの上流階級では、今でも処女性は重んじられている。文化や宗教にも関係してくる問題でもある。
 
 愛と性の変貌や変遷に関しては、一筋縄ではいかない。別の機会に取り組むことになろう。
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