湊かなえ原作、中島哲也監督・脚本 松たか子、木村佳乃、岡田将生 2010年
告白とは、秘密の開示である。
告白するということは、それによってする方とされる方の関係が変わることを前提にしている。何の意味もない、何の効力もない告白は、告白とは言えないだろう。それは、呟きとも独り言ともとられかねない、単なる吐露である。
だから、威力ある告白は、緊迫した中で、表面は静かに行われる。
中学校の教室における、ホームルームでの担任の女教師の話で、「告白」は始まる。
生徒は、ひそひそと話していたり、メールを打っていたり、自分の席を離れて動き回っている者もいる。教師の話を半分も生徒たちは聞いてはいない。教師の話に、時々生徒が茶々を入れる。
これが学校の教室かと愕然とする。学級崩壊などの話を聞くが、これでは教師もたまったものではない。映画だから極端に描いたと言えるのだろうか。これに似た光景が、実際にどこかの教室で行われているのかもしれない。
先日の新聞報道によると、教師の途中退職する数が年間1万2千人と発表されていた。退職率は1.5%である。関西や首都圏の都市部ほど、退職率が高い。
ざわめく教室の中で、「告白」の教師は、静かに!と怒鳴ることもなく、話を続ける。
その騒がしい教室が、静まりかえったのは、教師の次のような言葉を発したときである。
「私の娘は、皆さん知ってのように死にました。プールでの事故死となっていますが、本当は殺されたのです。その犯人が、この教室にいます」
教師は犯人の実名は言わないが、すぐにその生徒は状況推定により特定される。
「私は、その生徒に私自身の手で罰を与えました」
こうして、悲劇の第2幕は切り落とされる。
第1幕は、既に行われた教師の娘の死、生徒による少女殺人であった。
原作は、湊かなえの小説である。
この本に対する文は、「告白」(6月15日、ブログ)で読んでほしい。
映画は、原作に忠実に、淡々と、ときにはダイナミックな映像で展開されていく。
主人公の生徒たちは、普通の生徒をオーディションの中から選んだという。
娘を殺された女教師に松たか子が扮し、表情を変えることなく復讐する女を淡々と演じている。
犯人の生徒の母親役の木村佳乃も、エキセントリックな女を演じて新境地を見せた。
原作では、現在の少年法によって、少年の犯罪が過剰に保護されていると訴えていた。映画では、少年の母親への愛情憧憬とコンプレックスの方が前面に出ていたように感じたが、それが事件の鍵となっている。
とはいえ、原作と同様、現在の日本映画で秀でた作品であることは疑いない。
見終わった後、モノクロ映画ではなかったかと思わせた。それほど、女教師の精神が、復讐という1点に集約された、いわゆるモノトーンの映画であった。
映画館を出たら、そこは渋谷の雑踏だった。
俗称スペイン坂からセンター街を経て、道玄坂に向かった。若者サブカルチャーの最も象徴的な、若者がたむろする街を歩きながら、日本の学校の現状の一部(暗部)を覗いたようで、心の底に暗い澱が残っているのを感じた。
告白とは、秘密の開示である。
告白するということは、それによってする方とされる方の関係が変わることを前提にしている。何の意味もない、何の効力もない告白は、告白とは言えないだろう。それは、呟きとも独り言ともとられかねない、単なる吐露である。
だから、威力ある告白は、緊迫した中で、表面は静かに行われる。
中学校の教室における、ホームルームでの担任の女教師の話で、「告白」は始まる。
生徒は、ひそひそと話していたり、メールを打っていたり、自分の席を離れて動き回っている者もいる。教師の話を半分も生徒たちは聞いてはいない。教師の話に、時々生徒が茶々を入れる。
これが学校の教室かと愕然とする。学級崩壊などの話を聞くが、これでは教師もたまったものではない。映画だから極端に描いたと言えるのだろうか。これに似た光景が、実際にどこかの教室で行われているのかもしれない。
先日の新聞報道によると、教師の途中退職する数が年間1万2千人と発表されていた。退職率は1.5%である。関西や首都圏の都市部ほど、退職率が高い。
ざわめく教室の中で、「告白」の教師は、静かに!と怒鳴ることもなく、話を続ける。
その騒がしい教室が、静まりかえったのは、教師の次のような言葉を発したときである。
「私の娘は、皆さん知ってのように死にました。プールでの事故死となっていますが、本当は殺されたのです。その犯人が、この教室にいます」
教師は犯人の実名は言わないが、すぐにその生徒は状況推定により特定される。
「私は、その生徒に私自身の手で罰を与えました」
こうして、悲劇の第2幕は切り落とされる。
第1幕は、既に行われた教師の娘の死、生徒による少女殺人であった。
原作は、湊かなえの小説である。
この本に対する文は、「告白」(6月15日、ブログ)で読んでほしい。
映画は、原作に忠実に、淡々と、ときにはダイナミックな映像で展開されていく。
主人公の生徒たちは、普通の生徒をオーディションの中から選んだという。
娘を殺された女教師に松たか子が扮し、表情を変えることなく復讐する女を淡々と演じている。
犯人の生徒の母親役の木村佳乃も、エキセントリックな女を演じて新境地を見せた。
原作では、現在の少年法によって、少年の犯罪が過剰に保護されていると訴えていた。映画では、少年の母親への愛情憧憬とコンプレックスの方が前面に出ていたように感じたが、それが事件の鍵となっている。
とはいえ、原作と同様、現在の日本映画で秀でた作品であることは疑いない。
見終わった後、モノクロ映画ではなかったかと思わせた。それほど、女教師の精神が、復讐という1点に集約された、いわゆるモノトーンの映画であった。
映画館を出たら、そこは渋谷の雑踏だった。
俗称スペイン坂からセンター街を経て、道玄坂に向かった。若者サブカルチャーの最も象徴的な、若者がたむろする街を歩きながら、日本の学校の現状の一部(暗部)を覗いたようで、心の底に暗い澱が残っているのを感じた。