郡司次郎正原作 岡本喜八監督 橋本忍脚本 三船敏郎 伊藤雄之助 松本幸四郎 新珠三千代 小林桂樹 1965年東宝
「人を斬るのが侍ならば、恋の未練がなぜ切れぬ…」という歌は、子どもの頃から聴いて知っていた。昭和初期の歌であるが、戦後も歌謡曲の古典(懐メロ)として、ずっと歌われてきた。
「侍ニッポン」という題の歌で、作詞は西条八十である。
侍とは、勇ましいもので恋に悩むものではないといった印象があるが、侍ニッポン という大仰なタイトルの割には何だかロマンチックな内容である。
その後に続く歌の文句は、「伸びたさかやき寂しく撫でて、新納(しんのう)鶴千代にが笑い」と続く。
意味が分からないで聴いてきた歌というのは多々あるが、これなど典型だろう。さかやきとは、侍が額から頭の上に剃り上げた部分のことである。漢字で書けば月代で、それが月の形をしていたことからの由来だろうが、意味はおろか読み方さえ難しい。漢字クイズでも超難題の部類に入るだろう。
さて、新納鶴千代であるが、この人も何ものか知らなかった。歌に謳われているからには、歴史上の有名人かヒーローなのだろうぐらいに考えていた。
映画「侍」は、三船敏郎主演であるが、「用心棒」や「椿三十郎」のような侍ではない。歌の「侍ニッポン」の侍であった。
郡司次郎正の原作で、内容の中心は幕末の桜田門外の変であった。つまり、史実に則ったフィクションであった。
幕末の安政7(1860)年、水戸藩士が密かに時の大老、井伊直弼の暗殺を企てる。浪人の新納鶴千代(三船敏郎)は、ふとしたことで知り合った水戸藩士との縁で、その攘夷の一味に加わることになる。それには、大老の首を切って一躍有名になるという一攫千金の夢もあった。
そして、雪の降りしきる3月3日、江戸・桜田門の外で暗殺は実行され、鶴千代は大老、井伊直弼(松本幸四郎)の首を切る。しかし、鶴千代は自分の父親を知らずに育ってきたが、実は井伊直弼と妾の間にできた子どもであった。彼は、知らず父親を殺したのだった。
「侍ニッポン」が、ずっと人気を保っていた理由が分かった。
時代は激動の幕末で、しかも物語の中核は、そのとき歴史が動いた桜田門外の変である。主人公である新納鶴千代を浪人に追いやったのは、恋した女性との結婚を身分が違うという理由で断わられたからである。しかも、誰の子どもか分からないという侮辱を浴びたのである。実際は、大老の子という高い身分であったのだが。
やけっぱちで不遇の身になった主人公の前に現れた女性(新珠三千代の二役)は、諦めた女性と瓜二つであった。
水戸浪士の仲間になった主人公であるが、冷徹な頭目(伊藤雄之助)の指図で、やむを得ず親しい仲間(小林桂樹)をスパイ容疑で斬る。その仲間は家庭を大切にする実直な男で、疑いは濡れ衣であった。
最後は、父と知らないまま、大老、井伊直弼を斬ってしまう。父の首を槍で高々と掲げて、雄叫びをあげる主人公である。
このように、恋あり斬り合いありの、結構盛りだくさんの物語である。
映画では歴代、新納鶴千代を、大河内伝次郎、板東妻三郎、田村高広、東千代之介、そして三船敏郎が演じた。
「侍ニッポン」の歌では、新納鶴千代は、「しんのう鶴千代」と歌われている。
それが映画では、確か「にいろ」と呼ばれていた。「にいのう」の間違いではないかと思った。
調べてみると、実際、薩摩・島津の重臣に新納氏が見られ、確かに「にいろ」と呼ぶ。
桜田門外の変の暗殺隊の中に、水戸藩士に交じって薩摩の藩士である有村次左衛門兼清の名がある。この有村が、新納鶴千代のモデルに違いない。
しかしである。「しんのう鶴千代」と歌われたのでは、「にいろ鶴千代にが笑い」である。
「人を斬るのが侍ならば、恋の未練がなぜ切れぬ…」という歌は、子どもの頃から聴いて知っていた。昭和初期の歌であるが、戦後も歌謡曲の古典(懐メロ)として、ずっと歌われてきた。
「侍ニッポン」という題の歌で、作詞は西条八十である。
侍とは、勇ましいもので恋に悩むものではないといった印象があるが、侍ニッポン という大仰なタイトルの割には何だかロマンチックな内容である。
その後に続く歌の文句は、「伸びたさかやき寂しく撫でて、新納(しんのう)鶴千代にが笑い」と続く。
意味が分からないで聴いてきた歌というのは多々あるが、これなど典型だろう。さかやきとは、侍が額から頭の上に剃り上げた部分のことである。漢字で書けば月代で、それが月の形をしていたことからの由来だろうが、意味はおろか読み方さえ難しい。漢字クイズでも超難題の部類に入るだろう。
さて、新納鶴千代であるが、この人も何ものか知らなかった。歌に謳われているからには、歴史上の有名人かヒーローなのだろうぐらいに考えていた。
映画「侍」は、三船敏郎主演であるが、「用心棒」や「椿三十郎」のような侍ではない。歌の「侍ニッポン」の侍であった。
郡司次郎正の原作で、内容の中心は幕末の桜田門外の変であった。つまり、史実に則ったフィクションであった。
幕末の安政7(1860)年、水戸藩士が密かに時の大老、井伊直弼の暗殺を企てる。浪人の新納鶴千代(三船敏郎)は、ふとしたことで知り合った水戸藩士との縁で、その攘夷の一味に加わることになる。それには、大老の首を切って一躍有名になるという一攫千金の夢もあった。
そして、雪の降りしきる3月3日、江戸・桜田門の外で暗殺は実行され、鶴千代は大老、井伊直弼(松本幸四郎)の首を切る。しかし、鶴千代は自分の父親を知らずに育ってきたが、実は井伊直弼と妾の間にできた子どもであった。彼は、知らず父親を殺したのだった。
「侍ニッポン」が、ずっと人気を保っていた理由が分かった。
時代は激動の幕末で、しかも物語の中核は、そのとき歴史が動いた桜田門外の変である。主人公である新納鶴千代を浪人に追いやったのは、恋した女性との結婚を身分が違うという理由で断わられたからである。しかも、誰の子どもか分からないという侮辱を浴びたのである。実際は、大老の子という高い身分であったのだが。
やけっぱちで不遇の身になった主人公の前に現れた女性(新珠三千代の二役)は、諦めた女性と瓜二つであった。
水戸浪士の仲間になった主人公であるが、冷徹な頭目(伊藤雄之助)の指図で、やむを得ず親しい仲間(小林桂樹)をスパイ容疑で斬る。その仲間は家庭を大切にする実直な男で、疑いは濡れ衣であった。
最後は、父と知らないまま、大老、井伊直弼を斬ってしまう。父の首を槍で高々と掲げて、雄叫びをあげる主人公である。
このように、恋あり斬り合いありの、結構盛りだくさんの物語である。
映画では歴代、新納鶴千代を、大河内伝次郎、板東妻三郎、田村高広、東千代之介、そして三船敏郎が演じた。
「侍ニッポン」の歌では、新納鶴千代は、「しんのう鶴千代」と歌われている。
それが映画では、確か「にいろ」と呼ばれていた。「にいのう」の間違いではないかと思った。
調べてみると、実際、薩摩・島津の重臣に新納氏が見られ、確かに「にいろ」と呼ぶ。
桜田門外の変の暗殺隊の中に、水戸藩士に交じって薩摩の藩士である有村次左衛門兼清の名がある。この有村が、新納鶴千代のモデルに違いない。
しかしである。「しんのう鶴千代」と歌われたのでは、「にいろ鶴千代にが笑い」である。