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かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

◇ 侍

2007-12-13 01:21:35 | 映画:日本映画
 郡司次郎正原作 岡本喜八監督 橋本忍脚本 三船敏郎 伊藤雄之助 松本幸四郎 新珠三千代 小林桂樹 1965年東宝

 「人を斬るのが侍ならば、恋の未練がなぜ切れぬ…」という歌は、子どもの頃から聴いて知っていた。昭和初期の歌であるが、戦後も歌謡曲の古典(懐メロ)として、ずっと歌われてきた。
 「侍ニッポン」という題の歌で、作詞は西条八十である。
 侍とは、勇ましいもので恋に悩むものではないといった印象があるが、侍ニッポン という大仰なタイトルの割には何だかロマンチックな内容である。
 その後に続く歌の文句は、「伸びたさかやき寂しく撫でて、新納(しんのう)鶴千代にが笑い」と続く。
 意味が分からないで聴いてきた歌というのは多々あるが、これなど典型だろう。さかやきとは、侍が額から頭の上に剃り上げた部分のことである。漢字で書けば月代で、それが月の形をしていたことからの由来だろうが、意味はおろか読み方さえ難しい。漢字クイズでも超難題の部類に入るだろう。
 さて、新納鶴千代であるが、この人も何ものか知らなかった。歌に謳われているからには、歴史上の有名人かヒーローなのだろうぐらいに考えていた。

 映画「侍」は、三船敏郎主演であるが、「用心棒」や「椿三十郎」のような侍ではない。歌の「侍ニッポン」の侍であった。
 郡司次郎正の原作で、内容の中心は幕末の桜田門外の変であった。つまり、史実に則ったフィクションであった。
 幕末の安政7(1860)年、水戸藩士が密かに時の大老、井伊直弼の暗殺を企てる。浪人の新納鶴千代(三船敏郎)は、ふとしたことで知り合った水戸藩士との縁で、その攘夷の一味に加わることになる。それには、大老の首を切って一躍有名になるという一攫千金の夢もあった。
 そして、雪の降りしきる3月3日、江戸・桜田門の外で暗殺は実行され、鶴千代は大老、井伊直弼(松本幸四郎)の首を切る。しかし、鶴千代は自分の父親を知らずに育ってきたが、実は井伊直弼と妾の間にできた子どもであった。彼は、知らず父親を殺したのだった。

 「侍ニッポン」が、ずっと人気を保っていた理由が分かった。
 時代は激動の幕末で、しかも物語の中核は、そのとき歴史が動いた桜田門外の変である。主人公である新納鶴千代を浪人に追いやったのは、恋した女性との結婚を身分が違うという理由で断わられたからである。しかも、誰の子どもか分からないという侮辱を浴びたのである。実際は、大老の子という高い身分であったのだが。
 やけっぱちで不遇の身になった主人公の前に現れた女性(新珠三千代の二役)は、諦めた女性と瓜二つであった。
 水戸浪士の仲間になった主人公であるが、冷徹な頭目(伊藤雄之助)の指図で、やむを得ず親しい仲間(小林桂樹)をスパイ容疑で斬る。その仲間は家庭を大切にする実直な男で、疑いは濡れ衣であった。
 最後は、父と知らないまま、大老、井伊直弼を斬ってしまう。父の首を槍で高々と掲げて、雄叫びをあげる主人公である。
 このように、恋あり斬り合いありの、結構盛りだくさんの物語である。

 映画では歴代、新納鶴千代を、大河内伝次郎、板東妻三郎、田村高広、東千代之介、そして三船敏郎が演じた。
 「侍ニッポン」の歌では、新納鶴千代は、「しんのう鶴千代」と歌われている。
 それが映画では、確か「にいろ」と呼ばれていた。「にいのう」の間違いではないかと思った。
 調べてみると、実際、薩摩・島津の重臣に新納氏が見られ、確かに「にいろ」と呼ぶ。

 桜田門外の変の暗殺隊の中に、水戸藩士に交じって薩摩の藩士である有村次左衛門兼清の名がある。この有村が、新納鶴千代のモデルに違いない。
 しかしである。「しんのう鶴千代」と歌われたのでは、「にいろ鶴千代にが笑い」である。
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◇ 夕映え少女

2007-12-11 02:18:09 | 映画:日本映画
 川端康成原作 2007「夕映え少女」製作委員会(東京芸術大学 ジェネオンエンタテインメント)製作 2008年1月下旬、渋谷・ユーロスペース上映予定

 川端康成は、女性を、とりわけ少女を描くことには長けていた。彼は、女性を主人公に日本的叙情性に富んだ小説を多く残した。
 映画化された作品をあげれば、「伊豆の踊子」、「雪国」、「山の音」、「古都」、「眠れる美女」などをはじめ、枚挙にいとまがない。
 要するに、美女、美少女が主演するのに格好の原作なのである。
 川端がノーベル文学賞を受賞したときの受賞原稿の題名が「美しい日本の私」であった。この題名にある「美しい」は、「日本」にかかるのかそれとも「私」にかかるのかといった、少し皮肉混じりの論評もあった。
 もちろん、日本にかかるのであるが、それでも100%ではなく、少しは私にもかかっていると川端は思っていたに違いない。それほど、私、つまり自分自身に対する美意識が高かったことは、彼が自殺したことでも証明された。
 彼の自殺は、同じく美意識の強かった三島由紀夫のような強い思想性ではなく、おそらく純粋な美意識による、老いによる喪失感が最も大きいと思われる。享年72であった。

 川端は、実際でも美女が好きだった。自分好みの美女を見つけたら、あの大きな眼で、じっと凝視したと伝えられている。普段は無口であったが、しばしば雑誌などで美人女優と対談をしたが、その時は饒舌であった。

 この映画は、川端康成の小説を、東京芸大の大学院映像研究科2期生の現役生徒が製作した4話オムニバス映画である。
 この研究科は、北野武、黒沢清らが教授に就任したので話題となった。2007年3月には第1期生を輩出させている。

 1話=「イタリアの歌」 山田咲監督 吉高由里子 高橋和也
 大学の研究室で研究している若い学者と助手の女性は、お互い恋心を抱いている。しかし、実験しているときに火がアルコールに点火して爆発事故が起こり、2人は病院に運ばれる。重い傷を負った男はやがて病院で息を引き取る。生き残った女性は、志していた声楽の道へ進む決意をする。
 第2次世界大戦前夜の緊迫した空気が、2人の間にいる若い看護婦の感情と共に伝わってくる。

 2話=「むすめごころ」 瀬田なつき監督 山田麻衣子 高橋真唯 柏原収史
 女学生である主人公は、同級生でもある親友に自分の許婚(いいなづけ)の男を紹介する。3人のデイトが行われ、友だちも男を気に入ったようであった。友だちと男は急接近したかのように見える。それを見て喜ぶ主人公であったが、嫉妬心も芽ばえて微妙に心が揺れる。そして、男に別れを告げ、新しい生き方を目指す決意をするのであった。
 2人の女と1人の男の不安定な関係が、危うい思春期と相まって、美しい映像となった。

 3話=「浅草の姉妹」 吉田雄一郎監督 波瑠 韓英恵 三村恭代
 浅草の歓楽街で生きている3姉妹のたくましさを描いたもの。活動弁士の声を盛り込み、レトロ調を出している。

 4話=「夕映え少女」 多和田紘希監督 田口トモロヲ 宝積有香
 川端自身を思わせる作家が、1枚の美少女の絵に惹かれ、海辺の町へやって来る。そこには、絵の中の少女がいた。そして、彼女が見つめる先に、病気療養している少年がいた。2人は海辺で遠い彼方を見ていた。そして、悲しい結末が…。
 センチメンタリズム溢れる風景と物語である。

 しかし、東京芸大の学生が、今なぜ川端康成を選んだのだろうかという疑問は、解けずに残ったままだ。
 彼らもまた、「美しい日本の私」を夢みているのだろうか。
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◇ 青い山脈

2007-11-01 22:45:52 | 映画:日本映画
 今井正監督・脚本 石坂洋次郎原作 井出俊郎脚本 原節子 杉葉子 池部良 伊豆肇 小暮美千代 1949年東宝

 戦後に限らなくとも日本を代表する女優というと、誰を思い浮かべるだろうか。
 年齢によって違うのはもちろんだが、無作為に選んだ映画好きの人間による投票をしたとする。
 散々悩んで、あれやこれやと消したり加えたりして、結局はトップ(あるいはそれに次ぐ順位だとしても)には原節子が残るのではないだろうか。リアルタイムで原節子の映画を観ていなくとも、今ではリバイバル映画館でなくとも、ヴィデオやDVDで観ることができる。
 実際、原節子の映画をリアルタイムで観た人は現在では極めて少数であるに違いなく、その数は減る一方である。私も彼女の映画を観たのは、後の名画座とかテレビ放映でである。
 現在、平成19年だが、少なくとも昭和の時代の代表的女優は原節子だったに違いない。

 そして、戦後の青春文学というと、戦後すぐに石坂洋次郎の「青い山脈」が登場する。こちらは、文学の世界からはすっかり消え失せてしまい、映画の中で生き続けているのみである。
 この「青い山脈」は、戦後、小説はベストセラーとなり、1949年、映画、音楽も大ヒット。三冠王と言っていい。
 この「青い山脈」の女学生役でデビューしたのが杉葉子。当時としては163センチという大柄で、溌剌とした容姿で一躍スターとなった。彼女の男子学生と親しくした行動が、女子生徒の間で問題になる。
 その彼女を擁護し学校の民主化を唱える先生役が、原節子である。
 映画の中で、杉と原の二人が野原でダンスを踊る場面があるが、どちらも遜色ない背格好なので、原節子も当時としてはかなり大柄であることがわかる。
 2代目が、1963年封切りで、女学生役が吉永小百合で、先生役が芦川いづみだった。
 1988年にも映画化されていて、工藤夕貴、梶芽衣子主演である。何と第1回目に男子学生役で主演している池部良が、40年目に特別出演している。
 杉葉子は、その後何本かの映画に出演したが、62年にアメリカ人と結婚して米国へ移住してしまった。

 さて、原節子の話に戻る。
 発売中の12月号の「PLAYBOY」(日本版)は、「最もセクシーな世界の美女100人」の特集である。日本人が1人も入っていないからであろうか(ちなみに中国人はチャン・ツィイー、コン・リーの2人が入っている)、「艶のある日本女優30人」を付録に付けている。
 この日本女優を選んでいるのは芝山幹郎で、団塊の世代である。だから、リアルタイムに原節子を知っているわけではない。しかし、「映画一日一本、DVDで楽しむ見逃し映画365」ほか、映画の著作がある映画好きだ。
 彼はこの付録の小誌で、「日本の女優は艶やかだ。日本の女優は面白い。日本の女優は官能的だ。と書きながら、私はちょっと憂鬱になる。艶やかだった。面白かった。官能的だった。とすべて過去形で書きそうになるからだ」と、書きだしている。そして、日本の女優をワインに例えて論じているのは興味深い。
 ボージョレー・ヌーボーに例える若い女優が登場しないのは惜しいが、かつての女優に比べると小粒なので致し方ないということだろう。
 ここでは、「原節子や京マチ子の艶姿は、ボルドーのグランヴァンを思い出させる」と記して、原節子をボルドー系の女優のトップにあげている。そして、「陰影のなかで底光りした豪華な花」と形容している。

 手元に1990(平成2)年発行の「大アンケートによる、わが青春のアイドル女優ベスト150」(文藝春秋)なる本がある。その前年、つまり20年前に週刊文春のアンケートにより、映画好き249人が選んだものである。
 それによると、ベスト10は、何と、①久我美子、②高峰秀子、③吉永小百合、④原節子、⑤桂木洋子、⑥芦川いづみ、⑦桑野道子、⑧若山セツ子、⑨有田紀子、⑩桑野みゆき、である。
 今でも現役は、吉永小百合だけである。いや、高峰秀子も引退はしていないかもしれない。
 20年という時代を感じさせるが、「わが青春の」という形容詞を付けずに、日本女優とだけしたら、現在でも登場するであろう女優は、吉永小百合、原節子であろうか。
 ちなみに、この時杉葉子は19位である。

 「青い山脈」第1作を観て、その後に続く青春スター、女優を思い浮かべた。
 原節子は、引退後決して人目に曝されないという伝説のもと、戦後の女優の象徴となった。
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◇ フラガール

2007-10-13 18:02:46 | 映画:日本映画
 *李相日監督 松雪泰子 蒼井優 豊川悦司 岸部一徳 富司純子 2006年

 「逃がした魚は大きい」とは恋に例えられるが、最近「フラガール」を逃して、探していた。最初はメダカのような小魚が、だんだん鯛のようになってきたのだ。
 
 来週後半、仙台、平泉に旅行しようと計画した。その帰りに福島県いわき市に寄って、話題のフラダンスでも見ようと思いたった。それに、常磐炭鉱が閉山した後の街の変容を見たかったのだ。

 1960年代後半、エネルギー革命によって石炭産業は衰退の一途をたどった。いわきの常磐炭鉱も大幅リストラと閉山の危機に見舞われた。
 炭鉱街のその後の復興を背負って、起死回生として受け継いだのが「東北で常夏のハワイ気分を」の謳い文句で1966年オープンした「常磐ハワイアンセンター」(現:スパリゾートハワイアンズ)である。売り物は、街の女性によるハワイアン・フラダンスであった。
 フラダンスを見に行くとしたらその前に、その経緯を映画化した「フラガール」(監督:李相日、主演:松雪泰子)はどうしても観ておきたいと思った。去年公開されたときは観なかったのだ。
 
 ところが、その後インターネットで調べたら、旅行予定日の週末はハワイアンセンターは満室であった。
 ということで、行き先を山形に変更して、フラダンスを見るのは別の機会にしようと思い直した。
 ところが、映画「フラダンス」を観ようという気持ちだけが強く残った。
 
 そんな僕の気持ちを察してか、先週の6日(土)に地上波テレビ(フジ系)で上映されたのだ。それなのに、こともあろうか、その日の夜は飲みに行ってテレビは観なかったし、録画すらしなかった。それどころか、上映されたことすら知らないで、何日かたって友人に、つい最近テレビでやったよと言われて、歯ぎしりしたのであった。
 こうなると、ますます観たくなる。
 11日(木)インターネットで「フラガール」を上映しているところがないか調べたら、1館だけ「上映中」というところがあった。
 「有楽町シネカノン2丁目」で、10月12日(金)夜7時より1回のみで、「プレイベント・ワンコイン(500円)上映」とある。去年公開されているのにプレ(前)とは何のことだろうと訝しく思った。

 12日(金)夜、有楽町に行くとすっかり風景が変わっていて驚いた。有楽町駅の東(銀座)側で、マリオンの裏は、2階建ての古い家並みの、パチンコ店や食堂や商店などが軒を並べていたのだが、それらの家並みはすっかりなくなっていて、駅前は広い空間ができて道も広くなり、お洒落なビルが建っているではないか(ただし、このお洒落なビルの1階にはパチンコ店が入っている)。
 映画館が入っている新しいビルであるIYOCiA(イトシア)に入ってみると、何だか係員がいたるとことに立っていて賑々しい。中にある食堂では、入口で並んでいる人もいる。
 係員に訊いてみると、このビルは本日オープンということだった。
 だから、映画は「プレイベント」だったのだ。

 「フラガール」は、思いのほか素晴らしい映画だった。テレビやDVDではなく、劇場で観てよかったと思った(負け惜しみではなく)。
 この映画は、実際もそうであるが、安っぽい町興しで終わっていないのがいい。 日本の産業構造の変化と個人の生き方、成長とが、1970年代という時代に象徴的に絡み合っているのだ。
 「ALWAYS三丁目の夕日」の昭和30年代の、次の時代の象徴的出来事(物語)と言える。
 
 映画では、炭住(炭鉱集合住宅)が再現されていて、ボタ山(石炭の残りの石を捨ててできた山)も当時のように聳えていた。ボタ山は、炭鉱跡に今も残っているのだろうか。おそらく、CGで再現したのであろう。
 トロッコで採鉱のヤマの中に入っていく場面もあり、炭鉱の姿がかなり忠実に再現されていた。豊川悦司のヤマの男も堂に入っていた。
 松雪泰子の熱演に、不覚にも涙が出そうになるのをこらえた。彼女のあえてさらけ出していた顔の細かい皺が、過去を語らない女の生き様を浮き彫りにしていた。
 強気一辺倒の彼女が、思わず崩れ落ちて涙を出そうとする場面がある。「優しくされるのは慣れていないのよ」と言う。
 この映画で、フラダンスの仕草が、手話と同じく感情を表現しているのを知った。単に手を揺らし腰を振っていたのではないのだ。
 フィナーレの、練習の賜物であるフラダンスの発表も学芸会の演技に終わらず、見せてくれた。これがヘタ(失笑もの)であれば、すべてが台なしになるところであった。
 
 映画を見終わった後、機会をみて、本物のフラガールを見てみたいと改めて思った。「常磐」が「常夏」に変わった実際の姿を。
 

*炭鉱関係のブログについては、
http://blog.goo.ne.jp/ocadeau3/e/a63711392527e0975d293e4ce0492b30
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◇ かもめ食堂

2007-09-22 23:40:47 | 映画:日本映画
 荻上直子監督 群ようこ原作 小林聡美 片桐はいり もたいまさこ 2006年

 日本にいると、とりわけ東京にいると、時間が慌ただしく過ぎていく。
 そして、何もせずに日を過ごすと、焦りや不安が襲うことがある。日本人は、時間に追われているのだと感じる。
 だから、時々静かな街で、何気なく(時間に追われることなく)過ごしたいと思う。

 1人の女性(小林聡美)が、フィンランドのある街に食堂を開いた。日本食と言えば、寿司とかすき焼きだが、できれば普通の和食の食堂にしたいと思っている。
 そこに、何となく1人の日本人女性(片桐はいり)がふらりとやってきて、店を手伝わせてくれということになった。
 しかし、この店にやってくる客は日本オタクの若者ただ一人で、なかなか客がやって来ない。あまりにも暇なので何とか客を呼ぼうと考えるのだが、結局何かをやるでなくそのままで行くことにする。
 そこへ、またふらりと1人の女性(もたいまさこ)がやって来て、彼女も店を手伝うことになる。
 そのうち、次第に客が増えてくるという話である。別に、大きな事件や恋物語があるわけではない。
 3人の日本女性による、フィンランドの1件の食堂の物語である。

 この映画の舞台は別にフィンランドでなくてもいいのだが、なぜフィンランドなのか。そのような誰もが持つ疑問には、さりげなく答えている。
 食堂にふらりと入ってきた片桐はいりが、店をやっている女性、小林聡美の、どうしてここへ来たのと言う質問に、こう答える。
 「どこでもよかったのです。どこかへ行こうと思い、世界地図を広げて、目をつぶって指さしたところがここ(フィンランド)だったのです」
 確かに、この映画はフィンランドでなくてもいい。特別に、フィンランドの観光地が出てくるわけでも、ことさらフィンランドを意識した映像もない。ノルゥエーでもアラスカでも、日本の田舎町でもいいだろう。
 本当に、作者が目をつぶって指さして決めたと言っても疑問にも不自然にも思わないだろう。

 どうして、この国の人はゆったりとしているように見えるのかしら、と言う日本人の質問に、現地のフィンランドの人は、こう答える。
 「森があります」
 
 3人のうちの1人のもたいまさこが、そのうち日本に帰国することになる。それを聞いた片桐はいりが小林聡美に、「もしもですよ、私が帰国するとなると聡美さんは1人になりますよね、寂しいですよね」とおそるおそる聞く。
 確かに3人でそれなりに楽しくやってきたのが、1人になると寂しいだろう。誰もが、そのことを想像する。
 聡美さんは、やって来るかもしれないその日の寂しさを払うように、答える。
 「そうですよね。ずっと同じではいられないですよね」
 そして、一呼吸置いて、
 「人は変わっていくものだから」と、自分に言い聞かせるように答える。
 そして、結局帰国するのを延期したもたいも戻って、また3人で食堂をやるのだった。
 
 何となく人が集まって、何となく時が過ぎていく。そこには、何も起こらない。たんたんと時が流れる。車も登場しない。現代の都会の喧噪さもない。
 こういう時間を日本人は忘れているのでは、とこの映画で思わせる。そういう意味では、「かもめ食堂」は、日本ではいけなかったのだ。フィンランドでよかったのだ。
 
 監督は、誰もが決まったおかっぱ頭にされる村の少年たちを描いた「バーバー吉野」の荻上監督。この人らしさがでている映画である。
 CGを使ったアクションや脂っこい映画が氾濫するなかで、この水彩画のような映画はなんだかほっとする。
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