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かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

霧の彼方の、「ラ・フォル・ジュルネTOKYO」2019

2019-05-23 19:15:37 | 歌/音楽
 最近、「哀愁の街に霧が降る」(唄:山田真二、作詞:佐伯孝夫、作曲:吉田正)に凝っている、と書いたら、先週のある朝、起きたら世界は霧が充ちていた。
 視界がぼやけているのだ。明らかに眼に異常をきたしている。哀愁の街どころではなく、暗澹とした街に霧が降っていた。
 あいにくその日は日曜日だったので、翌日すぐに病院に行って診療してもらった。
 人生、何が起こるかわからない。年をとると、明日の命も知れない。年をとらなくとも言えることだが。霧の中の、暗い日々を過ごすこととなった。
 「……涙色した霧が今日も降る……」
 ということで、1週間パソコンを見ず本を読まず文字も書かずに過ごしたのだった。
 そして、世界にやっと少し霧が晴れてきた。
 この間、一人暗鬱たる心を晴らすのは音楽だろう。
 こういう暗澹たる気分はベートーヴェンならわかってくれるだろうと思い、この突然の悲運を心に刻もうと、交響曲第5番「運命」を聴くことにした。
 しかし、心に響かない。次に聴いたのが、ピアノ・ソナタ第8番ハ短調「悲愴」。
 「Pathétique」、僕の弱った悲愴な心に沁みたのだった。

 *「Voyageボヤージュ 旅から生まれた音楽」

 書いたまま放置していた、黄金週間のときに行った音楽の祭り、「ラ・フォル・ジュルネTOKYO」2019(会場:東京国際フォーラム)を、遅ればせながら記しておこう。
 この「熱狂の日々」の今年のテーマは、「Voyageボヤージュ 旅から生まれた音楽(ものがたり)」。
 作家には、旅はいろんなインスピレーションと経験を与えるが、音楽家も同じことが言えるようだ。
 モーツァルトはヨーロッパ中を旅しながら名作の数々を遺し、ハンガリーに生まれたリストはコスモポリタンとして音楽活動を行っている。そして、多くの作曲家によって、異国を題材にし、タイトルにした曲が数多く生まれている。
 旅をしていて、国によって音楽の特性が違うのも面白い。このことは、別の機会に譲ることにしよう。

 *9年ぶりに聴いた神尾真由子

 世間では今年は10連休といわれている黄金週間の最中の5月3日、音楽の祭り「ラ・フォル・ジュルネTOKYO」を楽しむために、東京国際フォーラムへ一人ぶらりと出向いた。
 この季節、佐賀に帰ったときは有田の陶器市、柳川の水天宮祭りに行くのだが、東京にいるときは「ラ・フォル・ジュルネTOKYO」がここのところ恒例としている。
 この日、3つの公演を梯子した。

〇「さすらいの音楽」:ロマ&クレズマー×バラライカ!
・16:45 ~ 17:30 、会場:ホールB7
 東欧からロシアまで:流浪の民の多彩な響きがこだまする、エキサイティングな音の旅
 <出演>
 シルバ・オクテット (室内楽)
 アレクセイ・ビリュコフ (バラライカ)
 室内楽団シルバ・オクテットに加えて、ロシアの代表的な弦楽器であるバラライカの奏者による演奏。ロシア民謡やロマ、クレズマー音楽は情熱的でエキゾチックだ。
 バラライカは、ギターに似ているが共鳴胴の部分が三角形をしたもので、バラライカ奏者の表情豊かな顔と演奏は印象深いものだった。

〇「グランド・ツアー」:ヨーロッパをめぐる旅
・18:30 ~ 19:30、会場:ホールB7
 選りすぐりのバロック音楽とともに、18世紀の若者の“自分探しの旅”を追体験!
 <出演>」
 別所哲也 (俳優)
 アンサンブル・マスク (室内楽)
 オリヴィエ・フォルタン (チェンバロ)
 <曲目>
 パーセル、ラモー、マレ、コレルリ、テレマン、バッハ……
 別所哲也の朗読で、物語にのっとった音楽の旅といった構成。18世紀、イギリス貴族の若者たちの間で見聞を広めるため欧州各地を旅する “グランド・ツアー”が流行したという。当時書かれた書簡に着想を得て、ドーバーを発ち、パリ、ディジョン、そしてヴェネツィア、ローマを経てライプツィヒに至るまでの道のりを、音楽とともにたどっていくという趣向が面白い。

〇「チャイコフスキー ~スイスの湖畔で花開く華麗」
・21:15 ~ 22:05、会場:ホールA
 大の旅好きだったチャイコフスキーがスイス・レマン湖畔で作曲した華麗なる協奏曲
 <出演>
 神尾真由子 (ヴァイオリン)
 タタルスタン国立交響楽団 (オーケストラ)
 アレクサンドル・スラドコフスキー (指揮者)
 <曲目>
 シャブリエ:狂詩曲「スペイン」
 チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調
 今回の音楽祭の僕の目当ての神尾真由子は、諏訪内晶子以来日本人2人目のチャイコフスキー国際コンクール、ヴァイオリン部門優勝者である。
 僕は、当時佐賀に帰っていた2010年2月に佐賀市公会堂にて、日本フィルハーモニー交響楽団と共演した時に、初めて彼女の演奏を聴いたのだが、そのときのインパクトは強烈だった。彼女はまだ23歳で、曲はメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調だったが、彼女の放つ熱気が会場いっぱいに溢れていた。
 今回は、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲ニ長調。今では、彼女はロシア人のピアニストと結婚しサンクトペテルブルグに住んでいて、1児の母だ。

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「ラ・ボエーム」をめぐる、オペラのアリア・コンサート

2018-09-05 02:26:02 | 歌/音楽
 僕は、家ではしょっちゅう音楽を流している。
 朝(だいたいが昼近くだが)起きて、まだ頭も体もぼーっとした状態でお茶を飲んでいるときは主にバロック音楽。机に座って窓の外をぼんやり見ていたり、パソコンに向かって何やら書いているときは、BGMとしてクラシック音楽かFM放送の音楽番組を。
 FMは、ミュージシャンやタレントが他愛ないおしゃべりしながら間に曲をかけるのは聴かないので、聴くのは「音楽遊覧飛行」や「クラシックカフェ」といった番組である。
 夜は、その時分、その頃に夢中になっている音楽、あるいは気紛れに好みの曲(CD)を聴いている。
 青春歌謡を中心とした歌謡曲だったり、アメリカン・ポップスのオールディーズだったり、シャンソンだったり、カンツォーネだったり、ジャズやファドだったり、ときにはガムラン音楽と様々だ。
 だいたい市販されている1枚のCDには、好きな曲があってもあまり聴きたくない、できれば飛ばしたい曲があったりするものだ。だからクラシックは別として、僕は同一アーチストや同一ジャンルの複数のCDから、好きな曲だけを集めて順序も変えるなど編集してCD化している。
 つまり、何回聴いても嫌な気分にならないようにしている。

 オペラやミュージカルに親しくない僕だが、最近、オペラのアリアを集めたCDを聴いていたところだった。
 モーツアルトの「魔笛」や「フィガロの結婚」、ビゼーの「カルメン」、ヴェルディの「リゴレット」、プッチーニの「ラ・ボエーム」などの有名な曲が詰まった、聴いていて心地よいアリア集「Favorite Opera Arias」だ。

 *

 そんなときに偶然の縁で、8月29日、オペラのアリアを聴きにコンサートへ行った。
 現在桜美林大学芸術文化学群音楽教授の小林玲子氏の指導による、「Appoggiamo Vol.5」で、会場は町田市の鶴川駅近くの和光大学ポプリホール鶴川である。
 出演は、岡村実和子、小林可奈、矢野郁子、池田光里、飯森加奈、吉岡いずみ、内田知世、 望月功一、ピアノに岡元史代、ゲストに和下田大典(バリトン)を迎えてである。
 予定曲目に、モ-ツァルト歌劇「フィガロの結婚」、ベッリ-ニ歌劇「カプレ-ティ家とモンテッキ家」などの他に、プッチーニの「ラ・ボエーム」があった。

 「ラ・ボエーム」は、小林可奈さん(ソプラノ)によるムゼッタが歌う「私が街を歩くと」だ。(写真)
 「私が一人街を歩けば、誰でも私に見とれ、立ち止まる……」と、若さを賛歌する華やかな歌だ。
 実は、このコンサートを聴く前に、プッチーニの「ラ・ボエーム」とモーツアルトの「フィガロの結婚」の全曲CDを初めて聴いた。

 舞台で歌手の人が歌うのを聴いていて、オペラのアリアを歌う声は楽器の一種だと感じた。いや、人が作った楽器がどうやっても追いつけない唯一無二の音でメロディーだと感じた。
 オペラは歌劇と訳されるように、歌と劇のミックスである。劇が言葉だけ聴いても面白みが半減するように、オペラのアリアも実際の舞台を観ていないでCDの曲だけだと感動が沸きあがってこないものだ。
 やはり、オペラのアリアはライブで聴かないと、舞台を観ないと臨場感が伝わってこないと改めて思った。
 特にプッチーニの「ラ・ボエーム」は。

 *

 「ラ・ボエーム」にこだわったのには、理由がある。
 その言葉や曲で、一瞬のうちに過去の一時期や情景を甦らせるものが、誰にでもあるだろう。僕にとってその特別の一つが、「ラ・ボエーム」である。
 「ラ・ボエーム」の歌劇は、アンリ・ミュルジェールによる、フランスのパリで暮らす貧しい若者たちの青春の一情景を描いた小説「ボヘミアン生活の情景」(1849年)から作られた。
 その名の元となる「ボヘミアン」は、ボヘミア人もしくはボヘミア地方(現在のチェコ)から来た流浪の人々のことで、フランスでは定住をしない自由で貧しい若き芸術家の卵を指していた。
 「ラ・ボエーム」あるいは「ボヘミアン」と聞いただけで、僕は若いときに抱いた切ない思いに戻される。

 *

 ぼくは話そう
 はたちにならない人たちには
 わからない時代のことを
  Je vous parle d’un temps
  Que les moins de vingt ans
  Ne peuvent pas connaître

 プッチーニの「ラ・ボエーム」を知らない時に、僕はこのシャルル・アズナブールの「ラ・ボエーム」を知った。ここでは、失われた、夢はあるけど金のない貧しい若者の姿が歌われていた。
 プッチーニの「ラ・ボエーム」と元を同じにする、「ボヘミアン生活の情景」であった。
 
 絵を描き、詩を朗読する。ヌードのモデルになる。安ホテルの貸部屋で、一日おきにしか食事にありつけないけど、君(恋人)は美しく、幸せだった。界隈のカフェや酒場では、僕たちはみんな才能と情熱をあふれさせていたものだ。

 それから月日は流れた。
 ある日、ふらりと昔の住処があったところを見にやって来た。僕の青春を知っている壁も通りもアトリエも、もうない。街はさびしげで、僕の部屋の窓の下で花をつけていたリラも、もう枯れてしまった。

 ラ・ボエーム……
 昔は若くて、血気にはやっていたものだ
 ラ・ボエーム……
 その言葉は、今はもう何の意味もない
  La bohème, la bohème
  On était jeunes, on était fous
  La bohème, la bohème
  Ça ne veut plus rien dire du tout

 若いときは、夢ばかりが膨らむ。しかし、現実を振り返れば、その夢が瞬く間に消えていく儚い泡雪のようなものだと知らされる。ここではない、どこかへ行きたい……
 僕は、いつしか年齢だけが重なっていく、自分がどうなるかわからない不安と焦燥を、アズナブールが歌うボヘミアンの姿に重ねていた。
 ボヘミアン、バガボンド、デラシネ、さすらい人……

 ラ・ボエーム……その言葉は、今は何の意味もない。

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自由だが孤独に「F.A.E.」――木嶋真優のヴァイオリンによせて

2018-06-18 03:10:45 | 歌/音楽
 自由だが孤独に――なんと美しい言葉だろう。
 そして、僕の今の心を映すかのように。

 自由は素敵だ、と思う。自由でありたい、と思う。
 しかし、自由であれば孤独でもある。自由を求めれば孤独が寄り添ってくる。自由の楽しさは長続きせず、それを楽しみたいのなら孤独を楽しむすべを覚えないといけない。
 自由は、結婚に譬えられる「籠の鳥」のようなものだ。
 籠の中の鳥は外に出たがるが、外に出ると外界の広さと空気の冷たさに身を怯(ひる)まされる。

 「F.A.E.ソナタ」は、ロベルト・シューマン、ヨハネス・ブラームス、アルベルト・ディートリヒが、共通の友人であるヴァイオリニストのヨーゼフ・ヨアヒムのために作曲したヴァイオリン・ソナタである。
 曲名の「F.A.E.」とは、ヨアヒムのモットーである「自由だが孤独に」(ドイツ語Frei aber einsam)の頭文字をとったもの。英語で言えば、「Free but lonely」ということか。
 「自由」(frei)と「孤独」(einsam)の間の、「しかし」(aber)が大切なのだ。

 *

 もうずいぶん日にちがたったが、先月の5月27日(日)、八王子市でのコンサートで、木嶋真優は最後の曲に、この「F.A.E.ソナタ」の第3楽章スケルツォ(ブラームス作曲)を選んだ。
 木嶋真優を知ったのは、数年前に偶然に彼女のCD「シャコンヌ」を聴いてからである。
 調べてみると、僕が知らなかっただけかもしれないが、国際的に活動している個性的なヴァイオリニストだった。

 僕がとても気に入ったエピソードは、木嶋真優がこう語っていたことだ。
 彼女は中学生の時にその才能を認められてドイツのケルン音楽大学に留学して、その後ケルンを中心に活動していたが、2013年のこと、週末に友人とパリに旅行に行った。彼女は、このときパリの街にとても刺激を受ける。そして、友人が帰ったあとも、私はもうちょっとここにいると言って、そのままパリにいついたというのだ。
 なんと、彼女の自由な心を表しているではないか。

 ヘミングウェイはこう言っている。
 「もし幸運にも、若者の頃パリで暮らすことができたなら、その後の人生をどこで過ごそうとも、パリはついてくる。パリは移動祝祭日だからだ」

 *

 木嶋真優の簡単な経歴を記しておこう。
 1986年神戸市生まれ。2000年第8回ヴィエニャフスキ国際ヴァイオリン・コンクール・ジュニア部門にて日本人として最年少の13歳で最高位(1位なしの2位)受賞。
 2002年、ケルン国立音楽大学ヤング・コースに入学し、ザハール・ブロンに師事。
 03年、アシュケナージ指揮・NHK交響楽団の「ラヴェルの管弦楽団曲集」において、「ツィガーヌ」のレコーディングに参加した。
 チェリストの巨匠、ロストロポーヴィチに才能を高く評価され、05年、彼の指揮のもとでワシントン・ナショナル交響楽団やロンドン交響楽団など多くの交響楽団との共演を果たした。
 当時ドイツの有力紙「Frankfurter Allgemeine Zeitung」は、「カラヤンがアンネ=ゾフィー・ムターを、マゼールがヒラリー・ハーンを世界的に注目させたように、ロストロポービッチは木嶋真優を世に出した」と評した。
 2008年、初のソロアルバム「シャコンヌ」発売(CDとしては2枚目)。
 2011年10月、ケルン国際ヴァイオリンコンクールにて優勝。
 2012年、3枚目のアルバム「RISE」発売。
 2015年、ケルン音楽大学大学院卒業。
 2016年には第1回上海アイザック・スターン国際コンクールで優勝。
 現在、日本とヨーロッパに拠点を置き活動を行っている。

 *

 5月27日(日)、八王子音楽祭2018の初日に、木嶋真優ヴァイオリンリサイタルが八王子市いちょうホールで行われた。
 江口玲:ピアノ
 <プログラム>
 シューベルト: ヴァイオリン・ソナタ第2番 イ短調
 シューマン:3つのロマンス より 第2番 イ長調
 チャイコフスキー: セレナーデ・メランコリック 変ロ短調
 「なつかしい土地の思い出」より第2番、スケルツォ ハ短調
 ---休憩---
 ブラームス: ヴァイオリン・ソナタ第1番 ト長調 「雨の歌」
 ブラームス: F.A.E.ソナタ より第3楽章 スケルツォ
 ※アンコール曲、パラディス:シチリアーノ
 スメタナ:「我がふるさとより」第2番ボヘミアの幻想

 演奏が素晴らしかったのは言うまでもないが、ときおり木嶋真優の個性が顔を現す。
 演奏を始める前、ヴァイオリンを肩にかけて、しばしば支えている左手を放した。ヴァイオリンは肩からまっすぐに宙に浮いたままである。
 見る方としては瞬時ハッとする。ヴァイオリンが落ちることはないが、舞台で演奏家が楽器から支える手を離すことは少ない。
 そして、胸を張りヴァイオリンを高く捧げるようにして弾く。音を他の誰よりも遠くへ飛ばすかのように。
 使用楽器は、ストラディバリウス1700年製 Ex Petri( 上野隆司博士より貸与)。

 演奏後、CDのサイン会が行われた。
 僕はその時、パリに移住した時のエピソードは本当ですかと訊いてみた。彼女は、本当ですと笑顔で答えた。
 アルバム「RISE」表紙とサインを書いてもらったディスク。(写真)

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日比谷での「熱狂の日」

2018-05-11 04:27:00 | 歌/音楽
 雨の外苑 夜霧の日比谷……
    
 黄金週間も、いつの間にか終わった。
 この季節、九州の田舎に帰ることもなく、どこ行くわけでもなく一人東京に居残った僕は、黄金週間も終わろうとする5月4日の午後に、有楽町の東京国際フォーラムに出向いた。
 クラシック音楽祭の「ラ・フォル・ジュルネ(熱狂の日)」をやっているためだ。東京にいるときは、ぶらりとこの音楽祭に出向くのが常である。
 地下鉄日比谷駅から地上へ出て、JR有楽町駅を右に見ながら歩いて旧そごう(ビックカメラ)を過ぎた先に、東京国際フォーラムの会場がある。(写真)
 有楽町駅のJR線の南北に延びるガードを超すと先は銀座であり、有楽町駅から皇居方面一帯を、僕は日比谷と考えている。
 地下鉄の日比谷駅があるからといっても、地図を見ても日比谷というちゃんとした住所表示は千代田区日比谷公園以外どこにもない。僕らが日比谷と言っているところは、有楽町、内幸町で、東京国際フォーラムあたりは丸の内である。
 いわゆる日比谷は、あのあたり一帯の呼び名なのである。

 田舎から出てきた僕には、銀座は何となく敷居が高そうで馴染みにくかったが、日比谷は親しみが持てた。ロードショーの映画館が軒を並べていたし、食べるところも銀座ほど気取っていないが、洒落たレストランや食堂があちこちにあった。時間が余れば、広い日比谷公園を散策できたし、皇居も目の前だ。
 冒頭にあげた詞は、新川二朗が歌った「東京の灯よいつまでも」だが、先の東京オリンピックが開かれたときに流行った歌で、日比谷に来ると懐かしく思い出す。

 * 「ラ・フォル・ジュルネ TOKYO 2018」
 
 「ラ・フォル・ジュルネ」は、フランス西部の港町ナントで誕生したクラシック音楽祭で、日本でも東京をはしめいくつかの都市で開催していて、もうすっかり定着したようだ。「ラ・フォル・ジュルネLa Folle Journee」、つまり「熱狂の日」である。
 5月の3日から5日にかけて、朝から夜までクラシックの演奏会が、いくつも繰り広げられる。日本では滅多に聴けない演奏家や交響楽団がやってきて、入場料も廉価だときている。
 プログラムを見て、自分の聴きたい演奏会を選ぶというのがこの音楽祭の楽しみでもある。そして、1日にいくつもの演奏会を梯子するというのも。僕は、どうしてもヴァイオリンの演奏を主眼に選ぶことになる。

 5月4日 、この日は3つの演奏会を聴いた。
□ 14:30 ~ 15:15
 <出演>
 アレクサンドラ・コヌノヴァ (ヴァイオリン)
 シンフォニア・ヴァルソヴィア (オーケストラ)
 廖國敏(リオ・クォクマン) (指揮者)
 <曲目>
 ・ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 op.61
 アレクサンドラ・コヌノヴァは、1988年モルドヴァ生まれの新鋭ヴァイオリニスト。ハノーファー(ドイツ)のヨハヒム国際コンクール優勝、2015年チャイコフスキー国際コンクール第3位。

□ 17:45 ~ 18:30
 <出演>
 アンサンブル・メシアン (室内楽)
 <曲目>
 ・ストラヴィンスキー:組曲「兵士の物語」(ヴァイオリン・クラリネッ ト・ピアノ版)
 ・ストラヴィンスキー:クラリネット独奏のための3つの小品
 ・ストラヴィンスキー:イタリア組曲(チェロとピアノのための)
 アンサンブル・メシアンは、クラリネット奏者のR.セヴェールが、パリ国立音楽院の同窓生たちと結成したピアノ、ヴァイオリン、チェロ、クラリネットの四重奏。イタリア組曲のチェロ演奏が素晴らしかった。

□19:15 ~ 20:00
 <出演>
 アレーナ・バーエワ (ヴァイオリン)
 クルージュ・トランシルヴァニア・フィルハーモニー管弦楽団 (オーケストラ)
 カスパル・ゼンダー (指揮者)
 <曲目>
 ・チャイコフスキー:イタリア奇想曲 op.45
 ・コルンゴルト:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 op.35
 アレーナ・バーエワは、1985年ソ連生まれの新鋭ヴァイオリニスト。2001年ヴィエニャフスキ国際コンクール、2004年パガニーニ・モスクワ国際コンクール、2007年仙台国際音楽コンクールの覇者。
 ヴァイオリン協奏曲の作曲家コルンゴルトは、ナチスを逃れてハリウッドに求められ、映画音楽を手がけ、アカデミー賞も受賞している。
 アレーナの演奏は、躍動的で情熱溢れるものだった。

 * 夜の日比谷の艶めかしい過去

 演奏を聴き終え会場を後にして、食事を求めて夜の日比谷へ。
 ビルの地下に潜ってみたところは、日比谷シャンテのレストラン街だった。
 中華料理の「梅梅」(めいめい)という店名が目についたで入ってみる。こういう何か主目的のない場合は、どうしても中華になってしまう。
 夜は更けているのに、店内はほぼいっぱいだが、隅に空いている席が見える。入り口を入って、人差し指を1本さりげなく上に立てると、ウエイターがすぐに席に案内してくれた。
 メニューを見て、無難なコースを注文する。

 食事をしてビルの外へ出てみると、日比谷の街が普通と違う景色だ。
 ゴジラの像が明かりで輝いている。前にあったのより高い位置にあるし、ちょっと見ない間にずいぶん大きくなったような気がする。ゴジラも成長しているようだ。
 日比谷シャンテの前には、これもいつの間にか大きなビルの「東京ミッドタウン日比谷」が聳えている。この日、このビルの前の空間で、何やらオープンのイベントがあったようだ。
 ここは、かつて僕が好きだったアールデコ建築の「三信ビルディング」があったところだ。三信ビルは残してほしかったが、もはや懐かしい幻のビルとなってしまった。
 この一帯は、すっかり変わってしまった。
 大きなビルの向こうは、日比谷公園が広がる。

 かつて日比谷公園は、お金のない若いアベック(男女のカップルを当時はそう呼んでいた)のデイトコースで、日の暮れた宵闇ではキスやペッティング(この言葉も今はあまり聞かなくなった)の温床だった。今では考えられないが、公然と猥褻な行為が横行していたのだった。
 「愛の空間」(井上章一著、角川書店)によると、日比谷公園の近くの皇居前広場は、野外で性交をしあう場所だったとある。第2次世界大戦の敗戦後のことだから、さほど遠い昔のことではない。
 まだラブホテルなどが巷に行き届いていなかった頃は、全国的にも野外で愛しあうカップルは多かったのだが、都会では公園だったのである。
 皇居前広場から流れてきたのか日比谷公園も一時期、そうだったのである。今思えば、大らかな時代があったのだ。今の日比谷公園を思えば、そんな過去があったなどとは不思議な気がする。

 雨の外苑 夜霧の日比谷
 今もこの目に やさしく浮かぶ……
      「東京の灯よいつまでも」

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音楽家の「惨憺たる幸福」と、前橋汀子の多摩公演

2018-04-18 01:51:51 | 歌/音楽
 「惨憺たる幸福」とモーツァルトやベートーベンの天才音楽家を称したのは、劇画家の池田理代子だった。音楽に恋し、音楽に魅入られた天才たちは、人知れぬ苦悩を背負いながら何を夢見たというのだろうか。
 音楽が好きで子供の頃から一筋に勉強、練習、訓練しても、世に出て自分の演奏で生きていける音楽家はほんの一握りの人間にすぎない。子どもの頃天才と称賛されても、大人になった頃はただの人になっている人は数えきれないほどいることだろう。
 頂に上りつめるためには、才能だけでは足りない過酷ともいえる修練と競争が待ち受けている。それだけではない。努力ではいかんともしがたい運も味方にしないといけない。
 そのあとに待っているのは、至福のときなのか。聴衆に与える感動の拍手と喝采が、最上の代償なのだろうか。

 * 「蜜蜂と遠雷」と「カルテットという名の青春」

 モーツァルトを聴きながら「惨憺たる幸福」を考えているとき、遅ればせながら「蜜蜂と遠雷」(恩田陸著)を読んだ。去年(2017年)、第156回直木賞、それに本屋大賞を受賞したベストセラーだ。
 内容は、3年ごとに開催される国際ピアノコンクールを舞台に、それに挑む若者たちを描いた青春群像小説である。
 かつて天才少女として華々しくデビューしながら、演奏会から逃亡した過去を持つ20歳の音大生、栄伝亜夜。実力・人気ともに前評判の高い長身でハンサムな19歳のジュリアード王子こと、日系三世を母に持つマサル。超人的な耳と音を持つ、学校にも行かないしピアノを持たない、人間離れした自然児の風間塵。それに、大手楽器店に勤める妻子持ちの実力者である28歳の最年長者、高島明石。
 ピアノコンクールの出場するこの4人が主な登場人物で、まるで劇画かアニメのような人物シチュエーションである。彼らの結びつきやコンクールに臨むやりとり、選考会における演奏風景が物語となっている。

 僕はすぐに、この小説がドラマ化されたら、「のだめカンタービレ」(二ノ宮知子による漫画作品)のような作品になるのだろうなと想像した。いや、もっと劇画・漫画的かもしれない。
 それにしても、奏でる音を文にしたものを読むのは、隔靴搔痒の感がするのは否めない。ましてや実際にはいない架空の人物による演奏である。それがこれでもかとばかりに抽象的で過剰な表現になると、食べものについて美味しさをあれこれ説明し過ぎて、逆効果になるのに似ている。
 やはり、音楽は聴くに限ると痛感する。

 そして、「惨憺たる幸福」への思いは、かつて見たドラマを思い出させた。
 それは、世界を舞台に活動する音楽家を夢見て結成した弦楽四重奏団の、4人の若者の生き様を描いたドキュメンタリー番組、「カルテットという名の青春」(2011年、テレビ朝日)である。
 このドキュメンタリーは、ヴァイオリン(第1、2)、ヴィオラ、チェロという弦楽器という共通の素を有しながら、微妙に個性の違う音楽家同士の友情と相克が絡み合って、長く感動を引きずるものだった。
 青春の持つ未来への夢とそれに伴う焦燥、蹉跌の感。彼らのなかに「惨憺たる幸福」を見るのだった。彼らが今、どのような思いを抱き、どのような活動をしているのだろうと、ふと思うことがある。

 * 日本を代表する国際的ヴァイオリニスト、前橋汀子

 彼女が「惨憺たる幸福」かどうか知らないが、ヴァイオリニストの前橋汀子の演奏を聴く機会を得た。
 3月31日、パルテノン多摩にて、「読売日本交響楽団 多摩市民感謝コンサート」が行われた。このコンサートに演奏活動55周年を迎えた前橋汀子が出演したのである。
 今でこそ、国際的に活動する日本人ヴァイオリニストは多くいるけど、前橋汀子はその先駆けと言えるだろう。

 前橋汀子は、少女時代に白系ロシア人音楽教師の小野アンナにヴァイオリンの師事を受け、来日したソビエト連邦(ソ連、現ロシア)のオイストラフの演奏を聴いて、ヴァイオリニストになることを決意する。
 それからソ連に行くためにロシア語を独学で勉強し、17歳の高校生の時にサンクトペテルブルク音楽院(当時はレニングラード音楽院)の創立100周年記念に日本から初めての留学生としてソ連へ留学する。米ソ冷戦のさなかの、1961年のことである。
 その後、アメリカのジュリアード音楽院への留学し、再びヨーロッパに戻ったあと、スイスを拠点に活動する。1980年に帰国し、多くのオーケストラとの共演など、幅広い活動を続け今に至っている。

 その前橋汀子がパルテノン多摩にやって来たので、聴きに行った。
 彼女はそのエキゾチックな容貌からして、若いときからスターだった。萩原健一(ショーケン)と噂になったときは、ショーケンもよくやるなあと少し嫉妬感を抱いたくらいである。
 この日の演奏は、「読売日本交響楽団」(指揮:大友直人)による、モーツァルト:歌劇「魔笛」序曲 のあとだった。
 曲は、3大ヴァイオリン協奏曲の一つとされる、メンデルスゾーン作曲「ヴァイオリン協奏曲 ホ短調」。
 片腕を出した深紅のロングドレスを着て彼女は現れた。年齢を感じさせない若さだ。
 哀愁を湛えたメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲に続き、アンコール曲は一転、バッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ」第3番“ガヴォット”であった。

 このあと、読売日本交響楽団による演奏は次の通りである。
 スメタナ:連作交響詩「わが祖国」からモルダウ。
 ブラームス:「大学祝典序曲」。
 ヴォルフ=フェラーリ:歌劇「マドンナの宝石」間奏曲 第1番。
 エルガー:行進曲「威風堂々」第1番。
 ワーグナー:楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲。

 これまで、国際的に活動するヴァイオリニストでは黒沼ユリ子、諏訪内晶子、庄司沙耶香、神尾真由子、川久保賜、竹澤恭子と聴いてきたけど、前橋汀子が抜けていたのだった。
 もちろん、国際的に有名でなくとも素晴らしい演奏をするヴァイオリニストは数多くいる。最近では、カルテット・エイミーとして演奏した中村ゆか里も印象的だった。
 その差は、素人には分かりづらい紙一重のものと思う。名前にブランドを貼ってくれる一つが、国際コンクールなのである。

 僕は、このように数値で表せない美の価値は、ボルドーのワインのようなものだと思う。格付けの星の数で、値段も味も変わってくる。しかし、偶然に飲んだ初めて知ったワインでもとても美味しいものはあるし、忘れられない味もある。ラベルを剥がされれば、その差はいっぺんに曖昧になるに違いない。
 それでも何に対しても言えることだが、一級、一流と言われているものを味わわないといけない。でないと、その差がわからないからである。
 生の演奏も同じと言えよう。ということは、感動はどこかに転がっていると言える。
 今も、「惨憺たる幸福」なる音楽家が、苦しみのなかの至福感を味わっているだろうことを想像してしまう。

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