かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

音楽家の「惨憺たる幸福」と、前橋汀子の多摩公演

2018-04-18 01:51:51 | # 歌/音楽
 「惨憺たる幸福」とモーツァルトやベートーベンの天才音楽家を称したのは、劇画家の池田理代子だった。音楽に恋し、音楽に魅入られた天才たちは、人知れぬ苦悩を背負いながら何を夢見たというのだろうか。
 音楽が好きで子供の頃から一筋に勉強、練習、訓練しても、世に出て自分の演奏で生きていける音楽家はほんの一握りの人間にすぎない。子どもの頃天才と称賛されても、大人になった頃はただの人になっている人は数えきれないほどいることだろう。
 頂に上りつめるためには、才能だけでは足りない過酷ともいえる修練と競争が待ち受けている。それだけではない。努力ではいかんともしがたい運も味方にしないといけない。
 そのあとに待っているのは、至福のときなのか。聴衆に与える感動の拍手と喝采が、最上の代償なのだろうか。

 * 「蜜蜂と遠雷」と「カルテットという名の青春」

 モーツァルトを聴きながら「惨憺たる幸福」を考えているとき、遅ればせながら「蜜蜂と遠雷」(恩田陸著)を読んだ。去年(2017年)、第156回直木賞、それに本屋大賞を受賞したベストセラーだ。
 内容は、3年ごとに開催される国際ピアノコンクールを舞台に、それに挑む若者たちを描いた青春群像小説である。
 かつて天才少女として華々しくデビューしながら、演奏会から逃亡した過去を持つ20歳の音大生、栄伝亜夜。実力・人気ともに前評判の高い長身でハンサムな19歳のジュリアード王子こと、日系三世を母に持つマサル。超人的な耳と音を持つ、学校にも行かないしピアノを持たない、人間離れした自然児の風間塵。それに、大手楽器店に勤める妻子持ちの実力者である28歳の最年長者、高島明石。
 ピアノコンクールの出場するこの4人が主な登場人物で、まるで劇画かアニメのような人物シチュエーションである。彼らの結びつきやコンクールに臨むやりとり、選考会における演奏風景が物語となっている。

 僕はすぐに、この小説がドラマ化されたら、「のだめカンタービレ」(二ノ宮知子による漫画作品)のような作品になるのだろうなと想像した。いや、もっと劇画・漫画的かもしれない。
 それにしても、奏でる音を文にしたものを読むのは、隔靴搔痒の感がするのは否めない。ましてや実際にはいない架空の人物による演奏である。それがこれでもかとばかりに抽象的で過剰な表現になると、食べものについて美味しさをあれこれ説明し過ぎて、逆効果になるのに似ている。
 やはり、音楽は聴くに限ると痛感する。

 そして、「惨憺たる幸福」への思いは、かつて見たドラマを思い出させた。
 それは、世界を舞台に活動する音楽家を夢見て結成した弦楽四重奏団の、4人の若者の生き様を描いたドキュメンタリー番組、「カルテットという名の青春」(2011年、テレビ朝日)である。
 このドキュメンタリーは、ヴァイオリン(第1、2)、ヴィオラ、チェロという弦楽器という共通の素を有しながら、微妙に個性の違う音楽家同士の友情と相克が絡み合って、長く感動を引きずるものだった。
 青春の持つ未来への夢とそれに伴う焦燥、蹉跌の感。彼らのなかに「惨憺たる幸福」を見るのだった。彼らが今、どのような思いを抱き、どのような活動をしているのだろうと、ふと思うことがある。

 * 日本を代表する国際的ヴァイオリニスト、前橋汀子

 彼女が「惨憺たる幸福」かどうか知らないが、ヴァイオリニストの前橋汀子の演奏を聴く機会を得た。
 3月31日、パルテノン多摩にて、「読売日本交響楽団 多摩市民感謝コンサート」が行われた。このコンサートに演奏活動55周年を迎えた前橋汀子が出演したのである。
 今でこそ、国際的に活動する日本人ヴァイオリニストは多くいるけど、前橋汀子はその先駆けと言えるだろう。

 前橋汀子は、少女時代に白系ロシア人音楽教師の小野アンナにヴァイオリンの師事を受け、来日したソビエト連邦(ソ連、現ロシア)のオイストラフの演奏を聴いて、ヴァイオリニストになることを決意する。
 それからソ連に行くためにロシア語を独学で勉強し、17歳の高校生の時にサンクトペテルブルク音楽院(当時はレニングラード音楽院)の創立100周年記念に日本から初めての留学生としてソ連へ留学する。米ソ冷戦のさなかの、1961年のことである。
 その後、アメリカのジュリアード音楽院への留学し、再びヨーロッパに戻ったあと、スイスを拠点に活動する。1980年に帰国し、多くのオーケストラとの共演など、幅広い活動を続け今に至っている。

 その前橋汀子がパルテノン多摩にやって来たので、聴きに行った。
 彼女はそのエキゾチックな容貌からして、若いときからスターだった。萩原健一(ショーケン)と噂になったときは、ショーケンもよくやるなあと少し嫉妬感を抱いたくらいである。
 この日の演奏は、「読売日本交響楽団」(指揮:大友直人)による、モーツァルト:歌劇「魔笛」序曲 のあとだった。
 曲は、3大ヴァイオリン協奏曲の一つとされる、メンデルスゾーン作曲「ヴァイオリン協奏曲 ホ短調」。
 片腕を出した深紅のロングドレスを着て彼女は現れた。年齢を感じさせない若さだ。
 哀愁を湛えたメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲に続き、アンコール曲は一転、バッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ」第3番“ガヴォット”であった。

 このあと、読売日本交響楽団による演奏は次の通りである。
 スメタナ:連作交響詩「わが祖国」からモルダウ。
 ブラームス:「大学祝典序曲」。
 ヴォルフ=フェラーリ:歌劇「マドンナの宝石」間奏曲 第1番。
 エルガー:行進曲「威風堂々」第1番。
 ワーグナー:楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲。

 これまで、国際的に活動するヴァイオリニストでは黒沼ユリ子、諏訪内晶子、庄司沙耶香、神尾真由子、川久保賜、竹澤恭子と聴いてきたけど、前橋汀子が抜けていたのだった。
 もちろん、国際的に有名でなくとも素晴らしい演奏をするヴァイオリニストは数多くいる。最近では、カルテット・エイミーとして演奏した中村ゆか里も印象的だった。
 その差は、素人には分かりづらい紙一重のものと思う。名前にブランドを貼ってくれる一つが、国際コンクールなのである。

 僕は、このように数値で表せない美の価値は、ボルドーのワインのようなものだと思う。格付けの星の数で、値段も味も変わってくる。しかし、偶然に飲んだ初めて知ったワインでもとても美味しいものはあるし、忘れられない味もある。ラベルを剥がされれば、その差はいっぺんに曖昧になるに違いない。
 それでも何に対しても言えることだが、一級、一流と言われているものを味わわないといけない。でないと、その差がわからないからである。
 生の演奏も同じと言えよう。ということは、感動はどこかに転がっていると言える。
 今も、「惨憺たる幸福」なる音楽家が、苦しみのなかの至福感を味わっているだろうことを想像してしまう。

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
« 江島神社から鎌倉への桜行 | トップ | 「薩長土肥」の「肥」の象徴... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

# 歌/音楽」カテゴリの最新記事