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かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

◇ ラスト、コーション

2008-12-01 03:04:27 | 映画:アジア映画
 アン・リー監督 トニー・レオン タン・ウェイ ワン・リーホン 2007年米・台湾

 1930年代から40年代への中国は、激動の時期であった。ヨーロッパの植民地政策による侵略と日本による満州国の設立、日中戦争への突入など、外国からの介入とそれに対する反攻で国内は波乱と疲弊の時代を迎えていた。
 そんな時代、中国を舞台にした女スパイといえば、中国清朝の王女として生まれ日本人の養女となった男装の麗人、川島芳子を思い浮かべる。しかし、日本ではあまり知られていないが、もう一人いたのである。
 中国人を母に、日本人を父に持つ、鄭蘋茹(テンピンルー)である。上海、香港を舞台に、彼女は抗日の工作員として密かに活動した女スパイだった。
 彼女を題材にした小説「色・戒」(「傾城の恋」より)が、「ラスト、コーション」の原作である。

 1938年、中国本土の混乱から逃げて香港にやってきたワン・チアチー(タン・ウェイ)は、学生のとき演劇仲間の抗日運動に入り、女スパイになる。敵対する特務機関のリーダー、イー(トニー・レオン)の暗殺を目論見、仲間と協力して上海で実業家夫人になりすまし、首尾よく彼の家に出入りするようになる。イーは、用心深い男で、なかなか正体を見せない男であった。
 そのイーに色仕掛けで接近し、女を武器に陥落させる作戦をとることになる。そのためチアチーは同僚の仲間(ワン・リーホン)を相手に処女を捨て、女を磨く訓練すらする。
 チアチーに疑惑を捨てきれなかった冷静で冷徹なイーだが、彼女の魅力に惹かれ、やがて肉体関係を結ぶ。チアチーにとっては、イーとの肉体関係はイーをおびき寄せる罠である。
 セックスは、彼を油断させ、籠絡させるための手段であるはずのチアチーであるが、死と隣り合わせのイーとの性は、ときに暴力的に激しく、燃え尽きるように熱いものであった。
 それでも隙を見せないイーだったが、チアチーに心が傾き、やがて暗殺の好機が訪れる。そして、見張っているチアチーの同僚による、イー暗殺の絶好の瞬間が訪れる。しかし、そのときチアチーは、思わず彼を助ける行動をとる。
 
 描かれるのは性愛で、問われているのも性愛である。
 あらかじめ愛が捨象された性愛は、愛に昇華するのであろうか。明日をもしれない虚無的な性愛は、動物的な匂いを漂わせ、観念的な同僚との学生時代からの愛を、幼く弱々しく感じさせる。
 肉体による性愛関係は、終局、思想・観念の関係に勝るのだろうか。
 ラスト(Lust)は「色」、コーション(Caution)は「戒め」。「色・戒」とは、何とも深遠な中国的タイトルである。
 ナチの親衛隊と収容所にいたユダヤ女性の退廃的な性愛を描いた「愛の嵐」(リリアーナ・カヴァーニ監督・伊)の、東西の対極にある映画と言える。
 
 主演女優のタン・ウェイ(湯唯)が素晴らしい。清楚ななかに色香が漂う。初めあどけなく、次第に妖艶な女に変わっていく。そのすらりとした容姿を、チャイナドレスが魅力を引き立てている。
 中国ではカットされ7分間短縮されたというトニー・レオンとのセックスシーンは、激しく官能的である。最初のセックスシーンでは、暴力的に、ドレスの下からむき出しになったガーターベルトが欲望を喚起させる。生唾を飲み込むこのようなシーンは、久しぶりだ。
 タン・ウェイは映画初主演だが、「非情城市」(侯孝賢監督・台湾)で、国際俳優に上りつめたトニー・レオンを完全に喰っていた。
 おそらく、国際的女優に成長するであろう大型新人の出現である。
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◇ 燃えよドラゴン

2008-07-16 18:51:18 | 映画:アジア映画
 ロバート・クローズ監督 ブルース・リー ジョン・サクソン ペティ・チュン 1973年米=香港

 “伝説のスター”の要素に、夭折をあげなくてはならない。人気も実力もピークを過ぎたあとではなく、年齢を問わず、若すぎる死という意味でだ。そして、その死が劇的であれば、伝説が生まれる。
 すぐに思い浮かべるのは、24歳で自動車事故死したジェームス・ディーンだろう。3本の主演映画でその才能を垣間見せ、これからというときに他界した。
 和製ジェームス・ディーンと言われる赤木圭一郎も、石原裕次郎、小林旭に続く日活第三の男としてデビューしたが、21歳の若さでこの世を去った。やはり、車であるゴーカートによる事故死だった。
 ミュージシャンでいえば、ヴォーカリストのジャニス・ジョプリン、ギタリストのジミ・ヘンドリクスが、その薬物服役に関した死も相まって伝説化している。ともに27歳の若さだった。彼らの映像が残っているが、他に類を見ない劇的な歌唱および演奏だ。天才とはこういう人を言うのだろうと返す言葉もない。
 
 ブルース・リーは、香港映画で何本か主演映画を撮ったあと、ハリウッド映画で本格的に主演した「燃えよドラゴン」の完成直後に、急逝した。死因は薬物といわれていて、まだ32歳だった。
 映画は、世界中で大ヒットした。この映画が日本で公開されたときは、既にブルース・リーは故人になっていた。その後、亜流のカンフー映画が相次いで作成された。
 その意味では、ブルース・リーは、典型的な伝説のスターと言えるだろう。

 映画の内容は、香港の沖の島でカンフーの試合が行われ、その試合に秘密諜報員であるリーは参加する。そこは、ボスか支配する麻薬密売組織の要塞と化していた。リーは、その組織の秘密を嗅ぎつけ、組織およびボスと死闘を繰り返す。
 ストーリーは、大体のアクション映画がそうであるように、特筆するものではない。それより、この映画がハリウッドに与えた衝撃だろう。
 それまでの拳銃や剣や車などの近代機器を駆使したアクションから、ブルース・リーは身体のみのアクションを見せつけたのだ。身体が武器となり飛び回る姿は、美的でもある。
 贅肉をそぎ落とした肉体は、まるで彫刻のようで、モハメド・アリが言うところの「蝶のように舞い、蜂のように刺す」アクションを、リーはこれから完成させようとした矢先だった。
 
 カンフー映画は、その後香港のジャッキー・チェンらに受け継がれ、また、カラテ映画として「ベスト・キッド」(シリーズ4作、ノリユキ・パット・モリタ主演)を生み出した。
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◇ JSA

2008-04-15 17:20:27 | 映画:アジア映画
 パク・チャヌク監督 ソン・ガンホ イ・ビョンホン イ・ヨンエ 2000年韓国

 JSAとは、朝鮮半島を北と南に分断する38度線のあたりの共同警備区域(Joint Security Area )をいう。この軍事国境線には、かの有名な板門店があり、このあたりは緊張感が溢れている。
 朝鮮半島は、第2次世界大戦後の1950年の朝鮮戦争勃発により、北と南に分かれて争われ、1953年北緯38度線を持って境界線となった。北はソ連・中国の、南はアメリカのバックアップのもと、軍事的睨み合いを続けてきた。
 その後東西ドイツは一体化し、ソビエト連邦は崩壊、中国は経済的資本化を進めているが、朝鮮半島はずっと南北に分かれたまま緊張関係を残して今日に来ている。

 1999年、11発の発砲が起こり、2人の北朝鮮の兵士が射殺される事件が起こった。現場にいた北朝鮮兵士(ソン・ガンホ)と韓国兵士(イ・ビョンホン)が、事情徴集を受ける。この事件を円満に解決するため、中立監査委員会より女性の責任捜査官(イ・ヨンエ)が派遣される。
 供述は、お互い喰い違っている。そして、死体に撃ち込まれた銃弾からも不審な点が多い。
 映画は、その発砲事件が起きた騒乱になる日までの、北と南の兵士を映し出す。兵士たちに何が起きていたのか。
 実は、一触即発の境界線の中の、暗闇の奥で、北と南の兵士の間に交流が秘やかに行われていた。それも、友情にまで昇華する交流が。
 映画は、それでも重苦しい雰囲気を保って進んでいく。頻繁に映し出される兵士のタバコに火をつけるライターの明かりが、2国の間にたちこめる暗雲の空気の中の一筋の明かりを象徴しているかのようである。
 映画は、現在と過去が錯綜して分かりづらいが、迫力ある映像で、最後まで引きつけていく。
 そして、最後は意外な結末が待っている。その静止した画像が余韻を残す。

 人は、国のために命をかけるのであろうか? 
 それとも、友情のために?
 いや、自分の真実を貫くために?
 人が、命をかけられるのは、何なのだろう。

 韓国映画は、この映画によって奥行きが深くなったと言っていい。その後、興味深い、素晴らしい映画やドラマを作り続けている。
 北朝鮮の兵士を演じた兄貴格のソン・ガンホがいい演技をしている。南の若い兵士イ・ビョンホンはこの映画のあと韓国を代表する人気俳優へと上りつめていった。
 中立監査委員の責任捜査官のイ・ヨンエが、最初はあの「チャングムの誓い」の彼女とは分からなかった。清楚で凛々しく美しい。
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◇ 大統領の理髪師

2007-11-06 00:42:01 | 映画:アジア映画
 イム・チャンサン監督 ソン・ガンホ ソン・ムリ 2004年韓国

 1960年代の韓国といえば、第二次世界大戦後勃発した朝鮮戦争後続いた独裁政権李承晩大統領の退陣後の、朴正煕大統領による長期政権の時代である。しかし、南北問題や韓国軍のベトナム戦争出兵などもあり、まだまだ政局は不安定であった。
 そんな時代、大統領官邸のある町で理髪店を営む普通の男が、ふとしたきっかけで、大統領の専属理髪師になった。
 映画は、その男と一家の物語である。

 映画の初め、男の妻が妊娠する。出産を渋る妻に対して、男は四捨五入の論理で妻を説得する。男は、「4か月目はいいとしても、5か月目に入ったら何としても生まなければいけない」と言い張る。理由は、四捨五入で決まっているのだ、憲法でもそうだろうと、分かったような分からない理屈で妻を押し切る。
 そのことより、生まれた子供は、「四捨五入のナガン」と呼ばれるようになる。
 その息子ナガンの独白で映画は進む。
 主人公の理髪師、ソン・ガンホのほのぼのとした感じの亭主役がいい。その夫を支える妻のソン・ムリの勝ち気な下町の女房役といいコンビになっている。
 
 町には情報部員が、住民を見張っている。スパイ容疑にされたり、北朝鮮の思想に感染した例えとして下痢に罹ったと言って逮捕が続く。本当の下痢に罹った理髪師の息子のナガンが逮捕されるという時代を彷彿させる冤罪逮捕の比喩もあるが、その時代の痛々しさと登場人物のユーモラスな感じが上手くミックスされて、ある種の哀感すら漂わせる。
 アメリカ・ニクソン大統領と朴大統領の共同宣言(推測だが)の歴史的映像に、理髪師の男が居並ぶなど、アメリカ映画トム・ハンクスの「フォレスト・ガンプ/一期一会」を想起させる場面もある。韓国映画も懐が深くなったものだと感心させられる。
 60年代当時では決して映画化されなかっただろう映画である。しかし、政治を皮肉るばかりの映画ではなく、巧みにかつ温かく家族愛の映画に仕立てられている。
 
 中国では、60年代の文化革命下の人々の生活を描いた映画制作され始めた。粉飾のない毛沢東や周恩来の伝記も書かれている。
 やっと、戦後からの政治の混乱期を冷静に振り返ることができる時代になったのだ。
 日本でも、「ALWAYS」、「フラガール」や「佐賀のがばいばあちゃん」など、50年代、60年代を振り返る映画が脚光を浴びている。
 過去を懐古する余裕が出てきたのか、それとも現実に対する諦念であろうか。
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◇ 誰にでも秘密がある

2006-07-06 02:42:40 | 映画:アジア映画
 チャン・ヒョンス監督 イ・ビョンホン チェ・ジウ キム・ヒョジン 2004年、韓国

 そう、誰にでも秘密がある。僕にも、そして、あなたにも。
 その秘密は、男と女の関係? 隠さなければいけないことこそ、快感の元でもあり、隠すことが重大であればあるほど、味わう快楽も大きい。隠すことの重圧と、そこから引き出される後ろめたさは、苦しさの裏返しである快感に比例する。

 三人姉妹の末っ子は、男性に対して積極的なクラブ歌手だ。内気で学究肌の次女は、男性をまだ知らない大学の研究生だ。長女は、もう結婚していて夫とはいささか倦怠期だ。
 その末っ子、キム・ヒョジンが、金があって格好もいい男、イ・ビョンホンをつかまえて、結婚することになる。その男は、末っ子と婚約したにもかかわらず、3姉妹すべてと関係してしまう。
 複雑な事態に陥った女は、困ったあげく男に詰問する。その度に、その男は言う。
 「誰にでも秘密がある」
 「人間は、一度に一人の人間しか愛せないわけではないんだ」
 初めて男に恋した次女、チェ・ジウは、夢みるようにそっと呟く。
 「泥棒のように私の心に浸入してきた愛」

 映画の中で、挿入される箴言が憎い。
 まず、最初に、三女に。――男の最後の愛が、女の初恋を満足させる――バルザック
 次に、秘やかに、次女に。――愛は雷のように近づき、霧のように去っていく――トップラー
 最後は、淫らに、長女に。――自由よ! その名で罪が犯されるのだ――ロマン・ロラン

 このような映画を僕は嫌いではない。特に、散りばめられた愛の台詞(ディスクール)が僕は好きだ。
 しかし、この映画の元は、1960年代から70年代にかけて話題作を連発した、イタリアのパゾリーニの作品『テオレマ』だろう。
 ある裕福な家庭に、謎の青年が舞い込んでくる。彼は、家族のすべての人間と関係を持つ。男性たちも含めた家族の誰もが、彼に心と身体を奪われる。その中で、家族は崩壊していく。主演は、『コレクター』で特異な演技を発揮したテレンス・スタンプだ。

 家族の誰もが虜になる存在、この普通の人間を超えた“超人”を登場させ、それを現代に置き換え、そして『テオレマ』とは逆に、ハッピー・エンドに仕立てたのが、この『誰にでも秘密がある』だ。
 しかし、この普通の人間を超えた魅惑的な人間の役は、韓流人気俳優のイ・ビョンホンといえども説得力に欠けると言わざるを得ない。美男でなくても、もっとミステリアスさがなくてはいけないのだ。

 ともあれ、以前から思っていたのだが、この映画もそうだが、韓国映画はなんてタイトルのつけ方が上手いのだろう。
 「膝と膝の間」、「三度は短く、三度は長く」、「猟奇的な彼女」と並べると、妄想を、いや想像をたくましくしてしまう。しかし、内容は僕らが想像するようなものではない。いたって真面目で、タイトルが巧妙で思わせぶりなのだ。
 最近のでは、チェ・ジウ主演で、『連理の枝』というのがある。恋愛ものとしては、究極のタイトルだ。『冬のソナタ』などという甘いものではない。内容は見ていないので知らないが、どうも純愛もののようだ。しかし、タイトルから言えば、我を忘れたどろどろの愛欲の物語だ。渡辺淳一の小説『愛の流刑地』をも勝るものだろう。
 『連理の枝』と来れば、姉妹編として『比翼の鳥』も、韓国映画として作ってほしい。願わくば、『オールイン』のソン・ヘギョ主演で。

 ――人生で最も楽しい瞬間は、誰でも分からない二人だけの言葉で、誰にも分からない二人だけの秘密や楽しみを、ともに味わっている時である――
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