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かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

◇ 山の郵便配達

2006-06-17 03:41:03 | 映画:アジア映画
 霍建起(フォー・チェンチー)監督 トン・ルゥジュン リィウ・イエ 1999年中国制作

 現代の中国映画が本格的に制作されたのは、文革以後の80年代に入ってからといえる。僕が驚いたのは、張芸謀(チャン・イーモー)監督の『紅いコーリャン』(1987年)を観た時である。そこに、国家の監視と圧力の暗い影は見いだせなかったからだ。共産国家の映画とは思えない、人間臭い躍動感が溢れていた。彼は後に、チャン・ツィイを主演にした瑞々しい映画『初恋のきた道』(2000年)を撮った。最近はハリウッドに刺激されてCGを駆使した『HERO』、『LOVERS』と、すっかり没個性的な方向に行ってしまったが。
 
 1980年代後半は、アジアで素晴らしい映画が花開いた時期である。
 中国・台湾の候孝賢(ホウ・シャオエン)は、『風櫃の少年』(1983年)、『童年往事』(1986年)、『恋恋風塵』(1987年)、『非情城市』(1989年)と、次々と名作を発表した。僕は、彼の慎み深くもノスタルジックな映画に心酔した。なぜか、すべてが懐かしく、少年時代を思い起こさせた。
 1991年、僕が台湾を旅したのは、候監督の映画で台湾を好きになったからである。その時、列車で台北から台南へ行き、高雄からバスで最南端の海辺の街である墾丁へ行った。
 
 また、この頃驚いたのがイランのアッバス・キアロスタミ監督が発表した映画である。それまでイラン映画など日本で公開されることもなく、どんな映画を作っているのかまったく知らなかったのだが、『友だちのうちはどこ?』(1987年)は、唐突であった。単に、行方が分からなくなった友だちを探すという単純なストーリーであるが、不思議な余韻が残った。
 その後、キアロスタミ監督は、『オリーブの林をぬけて』(1994年)、『桜桃の味』(1997年)と、話題作を出した。彼の映画は、大きな事件や出来事が起こるのではなく、日常生活の中のふとしたことへの凝視と、そこから発展する心の波風が、とても新鮮だった。

 1980年代から起こった、中国の新しい映画の波の一人である霍監督の『山の郵便配達』は、『初恋のきた道』と同じように、今の日本では撮れない感性の映画である。
 
 中国南部の山岳地帯には、車も通らない急峻な山間に小さな集落が点在している。80年代、1日40キロの山道を3日かけて歩いて郵便を集配する郵便配達人。すでに年とった彼は、長年の過酷な仕事で足を痛め、仕事を引退することにした。その後継者になったのが彼の息子である。父親は、彼以外に誰がこの仕事を継げると言って、息子に決める。
 初めての仕事に、息子は一人で行くつもりであったが、父親と愛犬“次男坊”はついていくことにした。野を越え、川を越え、山を越え、途中途中にある村に寄って、二人と一匹は歩く。
 そこで初めて、息子は父親の過酷な仕事を知る。そして、寄った村々で、いかに父親が村人から親しまれていたかも知る。
 歩きながら、父親は息子に呟くように語る。
 「いいか、覚えておけ。辛くても、こぼすな」
 山の上に住む村人をあとに、息子は父親になぜ人は山に住むのか訊ねる。
 「彼らが仙人の末裔だからさ」
 目の悪いお婆さんに、孫からの手紙を読んでやる父親。このお婆さんは、月一度、父が手紙を持ってくるのも心待ちにしているのだ。この村で初めて大学に行ったのが頭のよかった孫で、彼は都会へ行ったきり帰ってこない。「おばあちゃん、元気ですか。僕も元気で勉学に励んでいます……」。このあとは、おまえが読めと、息子は父親から手紙を渡される。それは、何も書かれていない手紙だった。
 ある村で、婚礼の宴があった。郵便配達さんが来る日に合わせたのと、郵便配達の親子も宴に招待される。トン族という山岳民族の宴であった。その村にいた、明るく美しい少女。父親は、息子に言う。
 「俺は思ったものだ。おまえがあの子に会ったら夢中になると」
 それは、父の若い時の姿だった。父は、山の少女に一目で恋したのだった。それが、息子の母親である。しかし、息子は呟く。
 「僕は、彼女と結婚しない。なぜなら、彼女は山を恋しがるだろう。僕は、母さんが山を恋しがっていたのを知っているんだ」

 映画は、郵便物を背負って山を歩く3日間の中で、父と子の心の通い合い、父の半生が、山間に流れる風のように描き出される。
 父親は、息子があとを継ぐことになった時に言う。
 「郵便配達は公務員だ。特別な仕事なんだ」と、息子に語るとも自分に言い聞かせるともつかないように呟くのだった。そこには、一つの仕事を何十年もこつこつとやってきた、仕事に誇りを持った一人の初老の男がいた。山を吹き抜けた風のような、一つの人生があった。

 郵政民営化が叫ばれている日本では、もうこんな光景も会話も消えていくだろう。いや、とっくに消えているといえる。
 だから、日本では作られない映画である。
コメント
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