誰にでも人生の黄昏がある。いや、人生の終末がやってくる。
若いときは、そんなことがおこるとは思ってもみない。いつか自分も死ぬとはわかっていても、人生はなぜだかずっと続くと思っている。少しずつ年はとっていくものの、輝いている太陽が地平線に沈みゆくような黄昏時が自分にも来るとは、よもや思わない。
振り返るに、こんなに確実なことが、なぜわからなかったのだろう。いやいや、わかってはいたはずだ。なのに…
いつか必ずやってくるはずのものの正体は、自分では容易に知覚できない「時」なのだ。それは、身近にやってきて初めて感じるものなのだ。
時は、それほど緩やかなように見え、ことさら気づかれないように進んでいる。
しかし、人生の黄昏は誰にでも等しく、いつしかやってくる。ある時、何かの時に、それに気づく。いや、気づかされるのだ。そのとき人は知る。時は速いのだと。
生まれた時から、人は老いに向かって進んでいるのだ。
時は残酷だ。
誰もそれを止めることができない。名誉や金や権力を得た人も、それを避けることができないし、何をもってしてもそのことから逃れることはできないのだ。
*
チャールズ・チャップリンの映画「ライムライト Lime-light」(1952年、米)には、いくつかの人生への箴言が散りばめられていた。
チャップリンが60歳を過ぎた時の、製作・脚本・音楽から監督までした作品だ。
主人公は、かつて脚光を浴び名声を博した老コメディアン(チャールズ・チャップリン)だが、今や舞台では誰も笑ってくれない。昔の名前のよしみで仕事を受けながら、アパートで独りで暮らしている。まるで、ロウソクの火が次第に細くなり消えゆくように。
そんな彼が、同じアパートで自殺を企てた若い女性(クレア・ブルーム)を助ける。彼女はダンサー志望だが、病気になって踊れなくなり、人生に失望したのだった。
老コメディアンは彼女に言う。
「人生は素晴らしい。人生に必要なのは、勇気と想像力だ。そして、少々の金」
彼は、彼女に生きるように激励の言葉を吐く。
「死と同じように生も避けられないのだ」
二人は愛し合う。
病も癒え元気になった彼女は、やがて踊り子として成功する。
老コメディアンは言う。
「時は偉大な作家だ。完璧な結末を招く」
彼女の前に現れた若い作曲家であるピアニストは、彼が売れない貧困の生活をしていたときに心を通わせたその人だった。
それを知った老コメディアンは、そっと二人の前から去る決心をする。舞台の役も降ろされる段取りになろうとしていて、すでに自分の時代は去ったと知る。
「何も失っていない。変わっただけだ」
老コメディアンは、名声もプライドも捨て、人影少ない場末で芸を演じて細々と糊口をしのぐ。
そんな彼を見つけて、今や有名になった踊り子や昔の知り合いが救いの手を差しのべ、彼のための舞台をプロデュースする。
老コメディアンは、昔のように大舞台に立つ。その時(映画)の、チャップリンの共演の老ピアニストは、同じく偉大なコメディアン、バスター・キートン。
ロウソクの火が最後に大きく燃えさかるように、彼は演じ、喝采を得、つかの間ロウソクの火は消える。
誰にでも、日は上(のぼ)り、日は落ちる。
ライムライト(脚光)は儚いのだ。
若いときは、そんなことがおこるとは思ってもみない。いつか自分も死ぬとはわかっていても、人生はなぜだかずっと続くと思っている。少しずつ年はとっていくものの、輝いている太陽が地平線に沈みゆくような黄昏時が自分にも来るとは、よもや思わない。
振り返るに、こんなに確実なことが、なぜわからなかったのだろう。いやいや、わかってはいたはずだ。なのに…
いつか必ずやってくるはずのものの正体は、自分では容易に知覚できない「時」なのだ。それは、身近にやってきて初めて感じるものなのだ。
時は、それほど緩やかなように見え、ことさら気づかれないように進んでいる。
しかし、人生の黄昏は誰にでも等しく、いつしかやってくる。ある時、何かの時に、それに気づく。いや、気づかされるのだ。そのとき人は知る。時は速いのだと。
生まれた時から、人は老いに向かって進んでいるのだ。
時は残酷だ。
誰もそれを止めることができない。名誉や金や権力を得た人も、それを避けることができないし、何をもってしてもそのことから逃れることはできないのだ。
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チャールズ・チャップリンの映画「ライムライト Lime-light」(1952年、米)には、いくつかの人生への箴言が散りばめられていた。
チャップリンが60歳を過ぎた時の、製作・脚本・音楽から監督までした作品だ。
主人公は、かつて脚光を浴び名声を博した老コメディアン(チャールズ・チャップリン)だが、今や舞台では誰も笑ってくれない。昔の名前のよしみで仕事を受けながら、アパートで独りで暮らしている。まるで、ロウソクの火が次第に細くなり消えゆくように。
そんな彼が、同じアパートで自殺を企てた若い女性(クレア・ブルーム)を助ける。彼女はダンサー志望だが、病気になって踊れなくなり、人生に失望したのだった。
老コメディアンは彼女に言う。
「人生は素晴らしい。人生に必要なのは、勇気と想像力だ。そして、少々の金」
彼は、彼女に生きるように激励の言葉を吐く。
「死と同じように生も避けられないのだ」
二人は愛し合う。
病も癒え元気になった彼女は、やがて踊り子として成功する。
老コメディアンは言う。
「時は偉大な作家だ。完璧な結末を招く」
彼女の前に現れた若い作曲家であるピアニストは、彼が売れない貧困の生活をしていたときに心を通わせたその人だった。
それを知った老コメディアンは、そっと二人の前から去る決心をする。舞台の役も降ろされる段取りになろうとしていて、すでに自分の時代は去ったと知る。
「何も失っていない。変わっただけだ」
老コメディアンは、名声もプライドも捨て、人影少ない場末で芸を演じて細々と糊口をしのぐ。
そんな彼を見つけて、今や有名になった踊り子や昔の知り合いが救いの手を差しのべ、彼のための舞台をプロデュースする。
老コメディアンは、昔のように大舞台に立つ。その時(映画)の、チャップリンの共演の老ピアニストは、同じく偉大なコメディアン、バスター・キートン。
ロウソクの火が最後に大きく燃えさかるように、彼は演じ、喝采を得、つかの間ロウソクの火は消える。
誰にでも、日は上(のぼ)り、日は落ちる。
ライムライト(脚光)は儚いのだ。