**** 出島の不思議空間
長崎くんちは、初の体験だった。出しものを求めて、街を歩いた。路地や商店街の通りで、踊りや山車の出し物に出くわした。終日のメイン行事、諏訪神社の「もりこみ」も見た。
時計を見ると、夕刻4時である。まだ出し物は、6つのうちの2つを見ていないが、今年の目玉、「鯨の潮ふき」を見たことだし、よしとすることにして、少し早いが、中華街へ夕食を食べに行こうと思って路面電車に乗った。
路面電車はいい。料金は、どこまで行っても均一100円だ。まるで、アムステルダムの路面電車のようだ。
電車を降りる段になって財布を見たら、100円硬貨がなかったので、両替しようと思って一番前の運転席の方へ行った。しかし、両替機が置かれていない。運転手に、両替お願いしますと千円札を渡すと、薬袋のような四角いセロハンの袋を2つ手渡された。袋をあけると、中に100円硬貨が5枚入っていた。
う~ん、こんな優しい街はほかに知らないなあ。
電停の築町から、中華街の反対側の港の方に行くと出島の跡である。以前行ったことがあるが、夕食にはまだ早いので、出島の方に歩いてみた。人通りは少なく、ひっそりとしている。通りの右側が出島商館跡で、左側には古い建物が並んでいる。
年代を少し巻き戻したような雰囲気が漂っている。
なぜかモノクロのような通りを歩いていると、灰色のコンクリートの建物に、「出島診療所」という表示が貼ってあるのが目に入った。いったんは通り過ぎたのだが、少し気になって、また戻ってよくその建物を見た。
シンプルだが、謂れのあるような3階建ての建物で、「出島診療所」の表示の横に、小さく「精神相談受け付けます」とある。それに、表示の横に、道からいきなりコンクリートの階段が上に続いている。何だか意味ありげな診療所だ。階段の上を見上げると薄暗く、廃墟のようだが、つい誘われるように登ってしまった。
2階は、外の明かりも途絶えて薄暗い。着いた階段の先に、いきなり蛇口が2つ並んだ洗面所があった。暗い洗面所は不気味だということを、初めて知った。
それにしても、何という造りだろう。横を見ると、戸口がある。中は明るいので、おそるおそる戸を開いた。
すると、「いらっしゃい」と、受付らしい若い女性が笑顔を見せた。僕は患者ではないので、「ちょっと」と会釈しながら、中を見渡した。単に好奇心で、覗きに来たまでなのだ。
中は、病院のようでいて、何だかそうではなさそうでもある。奥には机があり、向かい合って椅子が置かれてあるが、誰もいない。医者は不在なのかもしれない。
いや、窓辺にはフラスコなどが置かれているが、机の上に陶器やガラス瓶などが並んでいて、どう見ても普通の病院ではなさそうだ。狐につままれたような顔をしている僕の表情を見て、受付の女性は微笑んでいる。
横溝正史の小説か、つげ義春の漫画の世界に入り込んだようだ。
「ここは?」という僕の質問に、女性は「お店です」と言った。お店ということは、入っていいのだ。僕は、何のお店か分からないまま、入って部屋の中を見回した。机のある奥には、古い婦人雑誌が積んである。お店ということは、ここに置いてあるものが売り物なのだ。
「出島診療所ではないのですか?」と言う僕の質問に、女性は、「それは1階です」とやはりうっすらと笑って答えた。
やはり、診療所は営業しているのだ。しかし、どう見ても診療所、病院には見えない。どんな医者が、どんな診療をやっているのか想像できないでいた。
「上の3階もあるのですか?」と訊くと、女性は、「ええ、上はギャラリーです」と、変わらず微笑みながら答えた。
3階に上っていくと、やはり暗い洗面所にぶつかった。人の気配がするので振り向くと、戸を半分開いて中に入ろうとしている女性と目が合った。中はトイレのようだった。女性は、「入りますか?」と、鼻をかみながら僕に訊いた。僕は、「いいえ」と言いながら、トイレではない、奥にある別の戸口の方へ行って、中を開いた。
そこは、確かにギャラリーだった。工芸の作品が並んでいて、その作家の女性もいた。ここで制作もし、作品を販売もしているとのことだった。
ギャラリーの作家は、この空間が気に入っているようだった。僕も決して嫌いではなかった。惹かれると言うのではなく、誘い込まれるといった雰囲気があった。
僕が、この建物は不思議な雰囲気を持っていることを告げると、その場にいた作家の友人たちも、同じような印象を持っていると告白した。この建物の醸し出す異次元の雰囲気、つまり奇妙な存在感について、結論のない話は熱く続いたのであった。
ギャラリーを出て帰るとき、階段の踊り場に当たる洗面所のところに来ると、来るときは気づかなかったが、僕が上ってきた反対側からも、対のように階段が下りていた。それに、建物の真ん中に吹き抜けの空間があるようだった。
あとで想像するに、外観は平坦な箱型のビルだが、中は相似形の2つのビルが寄り添っているように思えた。いや、コの字型になっているようにも思えてきた。どうして、このような造りにしたのだろう。設計図を描けば、どのような構造になっているのだろう。
何気ない静かな出島通りに、つい見逃してしまいそうな不思議な建物があり、中に入ると、足を止めてみたい不思議な店があった。
きっとあなたも、その建物の前を通ったら、違った空気が流れているのを感じるだろう。それを感じて、誘われて建物の中に入ると、そこはもう異空間である。
今度そこへ行ってみたら、そんな建物はどこにもなくなっているのではないかと思えてきた。
出島通りを出て、新地中華街に向かった。まだ、夕刻5時だった。
<この項続く>
長崎くんちは、初の体験だった。出しものを求めて、街を歩いた。路地や商店街の通りで、踊りや山車の出し物に出くわした。終日のメイン行事、諏訪神社の「もりこみ」も見た。
時計を見ると、夕刻4時である。まだ出し物は、6つのうちの2つを見ていないが、今年の目玉、「鯨の潮ふき」を見たことだし、よしとすることにして、少し早いが、中華街へ夕食を食べに行こうと思って路面電車に乗った。
路面電車はいい。料金は、どこまで行っても均一100円だ。まるで、アムステルダムの路面電車のようだ。
電車を降りる段になって財布を見たら、100円硬貨がなかったので、両替しようと思って一番前の運転席の方へ行った。しかし、両替機が置かれていない。運転手に、両替お願いしますと千円札を渡すと、薬袋のような四角いセロハンの袋を2つ手渡された。袋をあけると、中に100円硬貨が5枚入っていた。
う~ん、こんな優しい街はほかに知らないなあ。
電停の築町から、中華街の反対側の港の方に行くと出島の跡である。以前行ったことがあるが、夕食にはまだ早いので、出島の方に歩いてみた。人通りは少なく、ひっそりとしている。通りの右側が出島商館跡で、左側には古い建物が並んでいる。
年代を少し巻き戻したような雰囲気が漂っている。
なぜかモノクロのような通りを歩いていると、灰色のコンクリートの建物に、「出島診療所」という表示が貼ってあるのが目に入った。いったんは通り過ぎたのだが、少し気になって、また戻ってよくその建物を見た。
シンプルだが、謂れのあるような3階建ての建物で、「出島診療所」の表示の横に、小さく「精神相談受け付けます」とある。それに、表示の横に、道からいきなりコンクリートの階段が上に続いている。何だか意味ありげな診療所だ。階段の上を見上げると薄暗く、廃墟のようだが、つい誘われるように登ってしまった。
2階は、外の明かりも途絶えて薄暗い。着いた階段の先に、いきなり蛇口が2つ並んだ洗面所があった。暗い洗面所は不気味だということを、初めて知った。
それにしても、何という造りだろう。横を見ると、戸口がある。中は明るいので、おそるおそる戸を開いた。
すると、「いらっしゃい」と、受付らしい若い女性が笑顔を見せた。僕は患者ではないので、「ちょっと」と会釈しながら、中を見渡した。単に好奇心で、覗きに来たまでなのだ。
中は、病院のようでいて、何だかそうではなさそうでもある。奥には机があり、向かい合って椅子が置かれてあるが、誰もいない。医者は不在なのかもしれない。
いや、窓辺にはフラスコなどが置かれているが、机の上に陶器やガラス瓶などが並んでいて、どう見ても普通の病院ではなさそうだ。狐につままれたような顔をしている僕の表情を見て、受付の女性は微笑んでいる。
横溝正史の小説か、つげ義春の漫画の世界に入り込んだようだ。
「ここは?」という僕の質問に、女性は「お店です」と言った。お店ということは、入っていいのだ。僕は、何のお店か分からないまま、入って部屋の中を見回した。机のある奥には、古い婦人雑誌が積んである。お店ということは、ここに置いてあるものが売り物なのだ。
「出島診療所ではないのですか?」と言う僕の質問に、女性は、「それは1階です」とやはりうっすらと笑って答えた。
やはり、診療所は営業しているのだ。しかし、どう見ても診療所、病院には見えない。どんな医者が、どんな診療をやっているのか想像できないでいた。
「上の3階もあるのですか?」と訊くと、女性は、「ええ、上はギャラリーです」と、変わらず微笑みながら答えた。
3階に上っていくと、やはり暗い洗面所にぶつかった。人の気配がするので振り向くと、戸を半分開いて中に入ろうとしている女性と目が合った。中はトイレのようだった。女性は、「入りますか?」と、鼻をかみながら僕に訊いた。僕は、「いいえ」と言いながら、トイレではない、奥にある別の戸口の方へ行って、中を開いた。
そこは、確かにギャラリーだった。工芸の作品が並んでいて、その作家の女性もいた。ここで制作もし、作品を販売もしているとのことだった。
ギャラリーの作家は、この空間が気に入っているようだった。僕も決して嫌いではなかった。惹かれると言うのではなく、誘い込まれるといった雰囲気があった。
僕が、この建物は不思議な雰囲気を持っていることを告げると、その場にいた作家の友人たちも、同じような印象を持っていると告白した。この建物の醸し出す異次元の雰囲気、つまり奇妙な存在感について、結論のない話は熱く続いたのであった。
ギャラリーを出て帰るとき、階段の踊り場に当たる洗面所のところに来ると、来るときは気づかなかったが、僕が上ってきた反対側からも、対のように階段が下りていた。それに、建物の真ん中に吹き抜けの空間があるようだった。
あとで想像するに、外観は平坦な箱型のビルだが、中は相似形の2つのビルが寄り添っているように思えた。いや、コの字型になっているようにも思えてきた。どうして、このような造りにしたのだろう。設計図を描けば、どのような構造になっているのだろう。
何気ない静かな出島通りに、つい見逃してしまいそうな不思議な建物があり、中に入ると、足を止めてみたい不思議な店があった。
きっとあなたも、その建物の前を通ったら、違った空気が流れているのを感じるだろう。それを感じて、誘われて建物の中に入ると、そこはもう異空間である。
今度そこへ行ってみたら、そんな建物はどこにもなくなっているのではないかと思えてきた。
出島通りを出て、新地中華街に向かった。まだ、夕刻5時だった。
<この項続く>