10月9日は、長崎くんちの最後の日だった。間にあった。
くんちとは、陰暦9月9日の重陽の節供で、旧暦9月9日、もしくは19日、29日などの日に、主に北九州から熊本一帯で古くから行われている神社の秋祭りである。行われる日にちは、各地でばらばらである。
2年前、長崎、唐津、伊万里、白石(佐賀)と、初めてくんち巡りをし、地域によって祭りの特色が色濃く出ているのを知り、それ以来、また見たいと思っていた。去年のこの季節は、東京にずっといたので見ることはなかったので、2年ぶりの長崎くんちであった。
長崎くんちの見ものは、市内の古くからある、その年当番のいくつかの町が独自に行う、演(だ)しものである。7年に1回ずつ当番町は交代し、その年当番町の演(だ)しものが、「庭先回り」と言って、町(市)内の氏子の家々を周るのである。
今年の演(だ)しものの目玉は、諏訪町の蛇(じゃ)踊りである。蛇踊りは大きな龍の造りが黄金の玉を追って踊り狂う様(さま)で、長崎くんちの代表格となっていい。
2年前は、「鯨の汐吹き」という大きな鯨が出演したので、その年は蛇踊りは出なかった。
であるので、蛇踊りを見るのは、初めてである。
庭先回りは、長崎港にある「お旅所」という出発点を、第1陣が朝7時に、その後順次各町が出発して諏訪神社に向かい、そして街中を周ることになっている。その街周りは、夜8時ごろまで続けられる。
*くんちの「庭先回り」を追って
肥前山口で乗り換え、朝10時に長崎駅に着いた。
庭先回りのスケジュールと市内地図が1枚になっているくんち案内を、駅ビル内の観光案内所でもらって、くんちを取り仕切る諏訪神社の方に向かった。
長崎は路面電車があるので簡単に行けるのだが、今回は歩くことにした。30分ぐらいで着く距離だ。
どこでも、町を知るには歩くのが一番である。
神社近くまで来ると、笛と太鼓の音がしてきた。その方に行ってみると、西古川町の本踊りであった。笛や太鼓に合わせて、数人の踊り子がシャンシャンシャンと踊る単純な演しものである。
街中を巡って、やっと11時ごろ蛇踊りの一行にぶつかった。
ラッパ、ドラと、金属音を高々と鳴らしながら練り歩いているので、この一行は遠くからでもすぐに分かる。
ほかの町とは桁が違う行列だ。先導の幟(のぼり)を持った人たちのあとに、蛇である龍の一団が、そのあとに赤い中国服を来た女性による長ラッパ、シンバル、ドラと続き、最後部に和式の笛、太鼓がついていく。その間に、ピンクの中国服の女性の一団が同行しているので、なんとも華やかだ。最後部の和風の人たちは、付け足しのようで肩身が狭そうだ。
蛇である龍は、頭と腹から長い棒が出ていて10人で担ぐ。先頭の黄金の玉を持った人がその玉をぐるぐる動かしながら進むと、龍がその玉を追って踊りくねるのである。
蛇は、広い公道から狭い路地まで、氏子のいるところへはどこへでも入っていく。(写真)
その髪と髭をなびかせながら踊る蛇は、まるで生きているようにダイナミックである。蛇の担ぎ手は、支える棒を右に左に、上に下に、前の動きに合わせて動かし、汗だくである。頭と胴体から尻尾まで動きが合ったときは、大きな波のようにうねる。
僕は、蛇踊りの追っかけのように、あるときは頭の方に出たり、あるときは最後尾から見たりと、街中を蛇について行った。
この一行の中で責任者らしい係りの人に訊いたところ、蛇の長さは全長20m。10人で支える蛇の、頭の重さは30kg、後ろの腹の重さは各部10kgぐらいだが、踊りのときは全体が動くので、瞬間的にほかの部位の重さが被い重なってきて、一人にかかる正確の重さは分からないとおっしゃっていた。
町を歩き回っているうちに、新大工町の演じものの一行に出くわし、興福寺に行き着いた。その寺の境内で、詩吟による詩舞が行われた。
歩き疲れた3時に、諏訪神社で、くんち最後の日の目玉である「お上り」が行われるので、神社へ行った。街に下っていた3台の神輿が、「もりこみ」と言って、魂を入れて、神社の最後の石段を、本殿まで一気に駆け上がる行事である。
行くと、すでに階段の下から上の本殿まで人でいっぱいだ。上段の桟敷席で見るのは2年前と同じである。
神輿の「お上がり」は、あっという間に終わり、祭りのクライマックスは過ぎた。
終わったあと、諏訪神社の長崎くんち案内書に、「日本三大祭りのひとつ」と書いてあったので、巫女さんに、あとの二つはなんですか、と訊いてみた。
各地の有名どころの祭りが勝手に言っているので、正式な三大祭りはないとのことだった。居合わせた地元の90歳を超える長老に訊いてみても、知らないとのことだったから、はっきりした定説はないのだろう。
ただ三大くんちは、この長崎くんちのほかに、唐津くんち(唐津神社)、博多おくんち(櫛田神社)が定説のようだ。
*中華街のチャンポンの味
10月だというのに、この日は夏の盛りのように暑かった。半日歩き回ったせいもあり、汗が引きもきらない。
諏訪神社の「お上り」を見たあと、喉の渇きと空腹を満たすために、食事をしに行くことにした。胃の中は、すでに朝から考えていたチャンポンを待っている。
2年前、偶然見つけた中華街の江山楼での特製チャンポンの味は忘れられなかった。
諏訪神社から、中島川に沿って新地中華街へ歩くことにした。ほぼ長崎の主な街中を歩くことになる。
途中眼鏡橋などを見ながら歩いていくと、大きなアーケードへ出た。観光道りアーケードと交差する浜町アーケードで、大きく賑やかだ。佐賀市の商店街アーケードはかつての賑やかさは失せて衰退しているのだが、長崎は活発だ。
アーケードを通り過ぎると、銅座橋に出た。
銀座でなく、金座でもなく、銅座というのが渋い。
その先は、新地中華街だ。
ほかの店は目もくれずに、まっすぐ江山楼に入った。
まず、エビ、イカ、肉の3個セットの焼売(シュウマイ)と東坡肉(トンボウロウ)を肴にビールを1本。
東坡肉は角煮饅頭のことで、分厚い肉の角煮とホウレンソウ煮を、ハンバーガーのように、ふっくらとしたマンジュウに挟み、甘く濃いカルメラ味のたれを流し込んで食べる。これが旨い。パン風のマンジュウは、思ったより胃に重くならない軽さだったので安心した。
さて、次はお目当てのチャンポンと紹興酒を熱燗銚子で。
2年前に来たときは、海鮮味の特製チャンポンを食べた。値段は特製が1575円で、並が830円であるが、違いを訊いても店の人は、当然のことながらどちらも美味しいですよと言う。特製は、フカヒレがのっていて、具も20種類と豊富だが、普通のチャンポンとどう違うのか、今回は並みのチャンポンを頼んだ。
並でもエビや貝の海鮮も入っていて、何よりスープが僕が知っているチャンポンと違って、潮の香りと味がする。こちらも、特製に劣るとも勝らない美味しさだ。
チャンポンは、時としてこってり感が残るが、スープを飲み干しても舌にしつこさが感じられず、さっぱりとしているのはいい。
*思案橋ブルース
中華料理店を出るとすでに夜だったので、思案橋の方へ足が向かった。長崎の盛り場である。
僕は酒は好きだがあまり強くはないので、すでにいい加減気持ちよく酔っていたが、せっかくの思案橋である。知っている店など1軒もないが、どの店に行こうかと思案しながら、雑居ビルの中の小さなスナックに入った。
店は開けたばかりで、客は僕が最初だった。その店のカウンターで、佐賀へ帰る終電まで、ウイスキーの水割りを飲んだ。終電といっても早いもので、長崎発21時半の特急である。9時には店を出たいので、そんなに飲む時間はない。
感じのいい店で、そんなときの時間はあっという間に過ぎてしまう。
「長崎くんちを見にきた」と言ったら、帰りに店の女性が、「うちのところの町で出した、くんちの記念のものです」と言って、1枚の手ぬぐいをくれた。
それには、青地に白で、紋様と魚が染め抜かれ、上段に「大漁万祝 恵比寿船」と、下段に「平成二十年くんち奉納 賑町」とあった。くんち奉納踊りの頭領が采配に使ったという、「采」のミニチアの縁起物も付いている。
この日はよく歩いた。
犬も歩けば、棒にあたる。
人も歩けば、縁起にあたる。
くんちとは、陰暦9月9日の重陽の節供で、旧暦9月9日、もしくは19日、29日などの日に、主に北九州から熊本一帯で古くから行われている神社の秋祭りである。行われる日にちは、各地でばらばらである。
2年前、長崎、唐津、伊万里、白石(佐賀)と、初めてくんち巡りをし、地域によって祭りの特色が色濃く出ているのを知り、それ以来、また見たいと思っていた。去年のこの季節は、東京にずっといたので見ることはなかったので、2年ぶりの長崎くんちであった。
長崎くんちの見ものは、市内の古くからある、その年当番のいくつかの町が独自に行う、演(だ)しものである。7年に1回ずつ当番町は交代し、その年当番町の演(だ)しものが、「庭先回り」と言って、町(市)内の氏子の家々を周るのである。
今年の演(だ)しものの目玉は、諏訪町の蛇(じゃ)踊りである。蛇踊りは大きな龍の造りが黄金の玉を追って踊り狂う様(さま)で、長崎くんちの代表格となっていい。
2年前は、「鯨の汐吹き」という大きな鯨が出演したので、その年は蛇踊りは出なかった。
であるので、蛇踊りを見るのは、初めてである。
庭先回りは、長崎港にある「お旅所」という出発点を、第1陣が朝7時に、その後順次各町が出発して諏訪神社に向かい、そして街中を周ることになっている。その街周りは、夜8時ごろまで続けられる。
*くんちの「庭先回り」を追って
肥前山口で乗り換え、朝10時に長崎駅に着いた。
庭先回りのスケジュールと市内地図が1枚になっているくんち案内を、駅ビル内の観光案内所でもらって、くんちを取り仕切る諏訪神社の方に向かった。
長崎は路面電車があるので簡単に行けるのだが、今回は歩くことにした。30分ぐらいで着く距離だ。
どこでも、町を知るには歩くのが一番である。
神社近くまで来ると、笛と太鼓の音がしてきた。その方に行ってみると、西古川町の本踊りであった。笛や太鼓に合わせて、数人の踊り子がシャンシャンシャンと踊る単純な演しものである。
街中を巡って、やっと11時ごろ蛇踊りの一行にぶつかった。
ラッパ、ドラと、金属音を高々と鳴らしながら練り歩いているので、この一行は遠くからでもすぐに分かる。
ほかの町とは桁が違う行列だ。先導の幟(のぼり)を持った人たちのあとに、蛇である龍の一団が、そのあとに赤い中国服を来た女性による長ラッパ、シンバル、ドラと続き、最後部に和式の笛、太鼓がついていく。その間に、ピンクの中国服の女性の一団が同行しているので、なんとも華やかだ。最後部の和風の人たちは、付け足しのようで肩身が狭そうだ。
蛇である龍は、頭と腹から長い棒が出ていて10人で担ぐ。先頭の黄金の玉を持った人がその玉をぐるぐる動かしながら進むと、龍がその玉を追って踊りくねるのである。
蛇は、広い公道から狭い路地まで、氏子のいるところへはどこへでも入っていく。(写真)
その髪と髭をなびかせながら踊る蛇は、まるで生きているようにダイナミックである。蛇の担ぎ手は、支える棒を右に左に、上に下に、前の動きに合わせて動かし、汗だくである。頭と胴体から尻尾まで動きが合ったときは、大きな波のようにうねる。
僕は、蛇踊りの追っかけのように、あるときは頭の方に出たり、あるときは最後尾から見たりと、街中を蛇について行った。
この一行の中で責任者らしい係りの人に訊いたところ、蛇の長さは全長20m。10人で支える蛇の、頭の重さは30kg、後ろの腹の重さは各部10kgぐらいだが、踊りのときは全体が動くので、瞬間的にほかの部位の重さが被い重なってきて、一人にかかる正確の重さは分からないとおっしゃっていた。
町を歩き回っているうちに、新大工町の演じものの一行に出くわし、興福寺に行き着いた。その寺の境内で、詩吟による詩舞が行われた。
歩き疲れた3時に、諏訪神社で、くんち最後の日の目玉である「お上り」が行われるので、神社へ行った。街に下っていた3台の神輿が、「もりこみ」と言って、魂を入れて、神社の最後の石段を、本殿まで一気に駆け上がる行事である。
行くと、すでに階段の下から上の本殿まで人でいっぱいだ。上段の桟敷席で見るのは2年前と同じである。
神輿の「お上がり」は、あっという間に終わり、祭りのクライマックスは過ぎた。
終わったあと、諏訪神社の長崎くんち案内書に、「日本三大祭りのひとつ」と書いてあったので、巫女さんに、あとの二つはなんですか、と訊いてみた。
各地の有名どころの祭りが勝手に言っているので、正式な三大祭りはないとのことだった。居合わせた地元の90歳を超える長老に訊いてみても、知らないとのことだったから、はっきりした定説はないのだろう。
ただ三大くんちは、この長崎くんちのほかに、唐津くんち(唐津神社)、博多おくんち(櫛田神社)が定説のようだ。
*中華街のチャンポンの味
10月だというのに、この日は夏の盛りのように暑かった。半日歩き回ったせいもあり、汗が引きもきらない。
諏訪神社の「お上り」を見たあと、喉の渇きと空腹を満たすために、食事をしに行くことにした。胃の中は、すでに朝から考えていたチャンポンを待っている。
2年前、偶然見つけた中華街の江山楼での特製チャンポンの味は忘れられなかった。
諏訪神社から、中島川に沿って新地中華街へ歩くことにした。ほぼ長崎の主な街中を歩くことになる。
途中眼鏡橋などを見ながら歩いていくと、大きなアーケードへ出た。観光道りアーケードと交差する浜町アーケードで、大きく賑やかだ。佐賀市の商店街アーケードはかつての賑やかさは失せて衰退しているのだが、長崎は活発だ。
アーケードを通り過ぎると、銅座橋に出た。
銀座でなく、金座でもなく、銅座というのが渋い。
その先は、新地中華街だ。
ほかの店は目もくれずに、まっすぐ江山楼に入った。
まず、エビ、イカ、肉の3個セットの焼売(シュウマイ)と東坡肉(トンボウロウ)を肴にビールを1本。
東坡肉は角煮饅頭のことで、分厚い肉の角煮とホウレンソウ煮を、ハンバーガーのように、ふっくらとしたマンジュウに挟み、甘く濃いカルメラ味のたれを流し込んで食べる。これが旨い。パン風のマンジュウは、思ったより胃に重くならない軽さだったので安心した。
さて、次はお目当てのチャンポンと紹興酒を熱燗銚子で。
2年前に来たときは、海鮮味の特製チャンポンを食べた。値段は特製が1575円で、並が830円であるが、違いを訊いても店の人は、当然のことながらどちらも美味しいですよと言う。特製は、フカヒレがのっていて、具も20種類と豊富だが、普通のチャンポンとどう違うのか、今回は並みのチャンポンを頼んだ。
並でもエビや貝の海鮮も入っていて、何よりスープが僕が知っているチャンポンと違って、潮の香りと味がする。こちらも、特製に劣るとも勝らない美味しさだ。
チャンポンは、時としてこってり感が残るが、スープを飲み干しても舌にしつこさが感じられず、さっぱりとしているのはいい。
*思案橋ブルース
中華料理店を出るとすでに夜だったので、思案橋の方へ足が向かった。長崎の盛り場である。
僕は酒は好きだがあまり強くはないので、すでにいい加減気持ちよく酔っていたが、せっかくの思案橋である。知っている店など1軒もないが、どの店に行こうかと思案しながら、雑居ビルの中の小さなスナックに入った。
店は開けたばかりで、客は僕が最初だった。その店のカウンターで、佐賀へ帰る終電まで、ウイスキーの水割りを飲んだ。終電といっても早いもので、長崎発21時半の特急である。9時には店を出たいので、そんなに飲む時間はない。
感じのいい店で、そんなときの時間はあっという間に過ぎてしまう。
「長崎くんちを見にきた」と言ったら、帰りに店の女性が、「うちのところの町で出した、くんちの記念のものです」と言って、1枚の手ぬぐいをくれた。
それには、青地に白で、紋様と魚が染め抜かれ、上段に「大漁万祝 恵比寿船」と、下段に「平成二十年くんち奉納 賑町」とあった。くんち奉納踊りの頭領が采配に使ったという、「采」のミニチアの縁起物も付いている。
この日はよく歩いた。
犬も歩けば、棒にあたる。
人も歩けば、縁起にあたる。