大好きな寺元美保子さんが亡くなられました。寺元さんは元中学校英語の教員で、〈アジア教育支援の会〉の事務局長をしておられました。その他にも活動は幅広いのですが、私とはNGOつながりです。いろんな話をするようになったのは、寺元さんが訳された「立ち上がるネパールの女性たち」(1996年)を手にとってから。留学生をご自身の家でお世話をされていました。私の親しいインドネシアからの女性もそうで、「日本のお母さん」と。
会う度に温かな笑顔で励ましてくださり、私が少しピラピラの服を来ていたら、「鬼木さんはNGOの広告塔なんだから…、そんな服は着ないで」と。定期的に送る〈虹色メール通信〉を見て、ときたまメールでお励ましやコメントをくださっていました。
ご近所なのに、気になりながらお会いできていなかったのですが、まさかこんな形で対面するとは、残念でなりません。「選挙の投票所の津島小学校は坂の上にあるから、高齢者の皆さんは選挙にいけないのよ。善処してくださいね」と言われて、「なかなか難しいのです」と電話でお答えしたのが最後になりました。
そんなあんなのたくさんの宿題をいただいていますね。いつまでもお力添えをくださいますように。
会う度に温かな笑顔で励ましてくださり、私が少しピラピラの服を来ていたら、「鬼木さんはNGOの広告塔なんだから…、そんな服は着ないで」と。定期的に送る〈虹色メール通信〉を見て、ときたまメールでお励ましやコメントをくださっていました。
ご近所なのに、気になりながらお会いできていなかったのですが、まさかこんな形で対面するとは、残念でなりません。「選挙の投票所の津島小学校は坂の上にあるから、高齢者の皆さんは選挙にいけないのよ。善処してくださいね」と言われて、「なかなか難しいのです」と電話でお答えしたのが最後になりました。
そんなあんなのたくさんの宿題をいただいていますね。いつまでもお力添えをくださいますように。