花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

入梅と、「金の道ウオーク」のイベントに参加

2018年06月10日 | 街道歩き
関東地方は6月6日に梅雨入りしましたね、例年より2日早かったそうです。
我が家の庭のアジサイがいっそう濃く色付いてきました。



6日に一日だけ雨が降り、その後三日間日中は青空が続いて
今年の梅雨は「陽性型」のような気がします。



鬱陶しい季節には「ビタミンカラー」が恋しくなるので、明るいお花を買ってきて玄関前に植えました

梅雨入り前に、茂りに茂った庭や畑の整備と寝具や衣類など冬物の整理と夏物の準備など
やらなくてはならない事が多々あって・・・

趣味の会のない月末から今月初めの一週間は、連日家と畑の周りでバタバタしていました。
その間お天気に恵まれて仕事もはかどりましたわ

庭木の伐採と小太郎君(6月3日)
6月初めの日曜日「今千葉から帰ってきた所。これから電気ノコギリ持ってそっちに行くから」と
朝息子から電話があり、9時前に我が家にやって来た。

ハクモクレンの木が西側の隣家の屋根近くまで伸びて、風の強い日は
「枝が揺れて隣家の屋根やトイを傷つけるのでは」と、血圧が上昇する思いだった私。

この日息子はお昼過ぎまで脚立に乗って、フェンスから飛び出しそうな木々の枝を電ノコで伐採し
私は夫の剪定ばさみで枝を細かく切り、2人で90Lの大型ゴミ袋7個分をまとめました。

11時過ぎに孫の奈菜ちゃんが、愛犬小太郎を連れてやってきた。

2週間前に来た時は小太郎の足の爪が怖くて抱っこできなかったけど
今ではちゃんと抱けるようになった、両方とも成長したね



一般ごみの日、普通のゴミ袋の倍の大きさの重い袋の4個分をノンちゃんのご主人が集積場に運んでくれた。
有難いです

梅雨前にトマト・ナス・キューリ・ピーマンの苗を、何とか畑に植え付けたらドッと腰に来た~

毎晩入浴の後にシップ貼り、7日のストレッチ体操に参加したら腰の痛みは消えたので
9日土曜日の板橋宿から日本橋までの中山道12キロを歩く「金の道ウォーク・最終区」の参加を決心しました。
(山小屋さん、申し込みが遅くなりスミマセンでした)

昨日歩いた最終区の詳しい行程は主催者側の方のブログで紹介されていますのでご覧下さい。

真夏の暑さと車の多い幹線道路のコンクリート歩きと、参加者80有余人の大行列の信号待ちの調整で
歩数は24000歩でしたが、街中の歩きに慣れない私は山歩きの1.5倍の疲れを感じました

無事フィニッシュを終えた満足感はありますが、下半身が重くて・・・
台風がらみの雨降る今日の日曜日は何処にも出かけず、PC開いて音楽聴いて家でノンビリしていますわ

中山道「蕨宿から板橋宿」まで歩く(5月12日)
ブログ仲間でワンゲルの会でもお世話になっている佐渡出身の山小屋さんの呼びかけで
先月は「佐渡の金山銀山を世界遺産に」というイベント行事の「金の道ウォーク・その②」に参加しました。

中山道「蕨宿」


埼玉県蕨市の名前は知っていましたが、初めて訪ねた街ですね。
私が住む横浜からは東京を横断して行く埼玉の遠い所と思っていましたが、同じ京浜東北線の沿線でした。

東京上野湘南ラインの「高崎行」を使って赤羽で乗り換えて、荒川を渡ればすぐの街でしたね。



蕨市は江戸時代、中山道沿いの宿場町でした。



蕨市立歴史民俗資料館に午前10時50分に集合し出発式です。

「佐渡を世界遺産にする首都圏の会」の役員さんたちが江戸時代の頃の衣装をまとい
佐渡市の副市長さんや、新潟県の県会議員さんや蕨市の市議会議員さんたちの挨拶もありました。



この日の参加者は45人だったとか(内、ワンゲルの会からは7名)・・・
出発時は曇り空でしたが、蒸し暑い日でした。

1時間ほど歩くと東京との県境の「荒川」が望めて、北陸新幹線が通り過ぎて行きました



初めて徒歩で渡った戸田橋です。

渡り切った荒川の東京側の河原で30分の昼食タイムでした



隅田川を渡る金荷を背負う人夫姿は道行く人々の注目を浴びますね。
「佐渡から歩いてきたのですか?」と、後ろを歩いていると問いかけられました。

山小屋さんに「私の母方のルーツは佐渡、真野町にお墓もあるので佐渡まで歩きたい」と言ったら
「二週間かかるよ。群馬県に入ってからが単調で長い」と言われましたわ。

中山道「板橋宿」
国道17号線(中山道)をひたすら歩き、途中薬師の泉が残る総泉寺跡の緑豊かな公園で一休み
更に日本橋方面に50分程歩き、新道脇の旧道に入りました。



いたばし観光ボランティア“もてなしたい”の方6名の出向えを受け、3班に分かれて
「板橋宿」の史跡の説明を受けました。



「縁切り榎」とは
男女の悪縁を切りたい時や断酒をしたい時は、この木の樹皮を削って飲めば悪縁は切れるとの事でした。



鎌倉には縁切り寺(東慶寺)もあるくらいですから・・・
昔から「縁結び」も大事だけど、「縁切り」も大変だったのですね。



石神井川を渡ります。春は桜が綺麗な所だそうです。



この橋が「板橋」、日本橋から10キロちょっとの距離になるようです。

私はこの近所に古い友人のマルさんが住んでいるので、板橋区の雰囲気は知っていましたが
彼女の家のすぐそばが旧宿場町だったとは知りませんでした。



日本橋を出発して、中山道の最初の宿場町だったのですね。



ボランティアさんたちの案内は4時までなので、最後の出発の私たち3班は時間がなくて
サササ~と、はしょっての案内でした。



旧道を通り抜けて、再び国道17号線出でた所で丁度午後4時、解散でした。

この横のファミレスで懇親会があり、28名が参加しました
この日の歩きは23000歩弱・・・

私の座ったテーブルの向かい席にいたのが佐渡市役所から派遣された爽やかな若い男性でした。
この日はこれから新潟市まで帰るとの事、「土曜日なのにお役目ご苦労様」

オバ様達は「ピザもポテトフライも新幹線の中で食べてね」と包んで渡し、すぐに応援団となりました。

我が家近くの鎌倉市で世界遺産の登録認定に向けての話が進んだ時、市役所や観光業界は熱心だったようですが
市民は「これ以上観光客で混雑すると生活が脅かされる」と、反対する人が多かったと聞いています。

東京に近い鎌倉は世界遺産に関係なく、以前から観光客があふれていましたものね。
結局日本初の「武士による幕府政治」を司った場所の遺跡が残っておらず、ユネスコには認められませんでしたが・・・

離島の佐渡は地域活性化のために、佐渡市も島民も首都圏移住組も燃えているのですね。
「佐渡の金山&銀山の世界遺産登録認定実現に向かって、是非とも頑張って~

コメント (12)
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