波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

物語の顛末Ⅲ

2014年02月20日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo_2【前号から続く】立男が若かった頃、人生に決定的な影響を受けた出来ごとがある。立男は当事者の一人だ。ところが、それと全く関係ない人間が当事者然として振る舞い謝礼までもらっている噂を聞いた。講演や出版もしているのだから始末が悪い。白昼公然、堂々とやるから、「ちょっと変だが、まさか…」とまんまと騙される。実践に謙虚な当事者一同は唖然とし呆れ果てた。立男は根が不良だからケンカしてやると決めた。だがその機会がなかなか来なかった■■■
 
     

 運命というのは怖いもんだ。その決定的な職場に回り回って戻ってしまい、何が事実で何が嘘かを語らざるを得ない立場になってしまった。ケンカせざるを得ないわけだ。そんなこんなしているうちに、一面識もない人から抗議の電話がきた。いわく、「二宮金治郎が本当に立派な人間かどうかはどうでもよい、子どもが立派さを信じて立派な大人にさせるのが教育というものだ、なんでお前は感動的な話をありがたがっている面々に無礼を働くのだ」という内容だった。立男の「事実はこの通り」が流布し始めた実感が湧いた。自分は当事者だから会って話したいというと電話は切れた■■■

 
 騙された鬱憤を晴らしたい気持もわからないではないが…。「物語」で酔わせて欲しい、お前たちが酔わせたんだから責任取って簡単に冷めさせるな、という感じがヒシヒシと伝わる。偽「物語」を演じた偽物先生だけの責任だけとも言えない後味の悪さがある。これにあの偽物作曲家にまつわる話が重なる。何だか可笑しいような、何だか悲しいような、人間にはこんなふうな物語が裏切られても騙されても必要なんだろうなあ。だからいつになっても偽物も求められ続けるのだろうなあ、なんて思った■■■【終わり】


画像は桃の花。花屋でこんなのを見つけると嬉しい。腹ばいで読む「三四郎」にこんなふんわりした感じも「不良老人伝」(東海教育研究所」)、強い人は間違いないが功なり遂げた人ばかりでは書名が泣く。不良の資格は、せこく、無名で、潔くでなければ…。 

Photo_3公式裏ブログ、久しぶりに更新。2/20「青い影」、2/22「かき卵うどん」。

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