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波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

コメの学習帳29頁目

2020年02月25日 | 【保管】こめの学習帳

加齢なる人生

年齢について話す時の「アラ○○」という表現が市民権を得てから14年ほど経過するらしい。初出は女性雑誌での「アラサー」で、必ずしも四捨五入してどちらか、というわけでもなく、±2歳を指す場合もあるとのこと。前者の定義であれば私はアラフォーになる。業界的にはまだ若手なのだが、そろそろ自分の年齢を自覚しながら生活すべきだと感じている。

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新型コロナウイルスが猛威を振るっている。調子の悪い人は無理せず休息を、という注意喚起に対するTwitterの投稿で「おっさんは常にどこかしら調子が悪いので気付かないのだ」に納得。そういえば朝起きた時に常にどこかが痛いし、気分爽快で元気ハツラツ(この表現もおっさんだ)という事は近年記憶にない。全く無意識に過ごしていたが、若かりし頃の好調は過去のものであったらしい。

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最近、仕事中の話しの流れで「私は年相応に見えますか」と27歳の女性に聞かれ大変緊張した。社会人としてそれなりに見えるかという趣旨なのだが、どのような言葉を発してもセクハラになるのではと不安になった。何かを勘違いしないように発言に気を遣うお年頃ということでもある。「中年になったら、若者に対する接近欲求に対して自制が必要」これも同業の方のTwitterから。気を付けよう。若者ではなく、そろそろ親と自分の健康の心配にシフトしようと、そっと心に誓うのであった。


【波風氏談】息子と同年齢のコメさん、彼もこんなふうに感じているのかなあと思った 『コメの学習帳』は来月いっぱいで終了し、残り5回となります。

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コメの学習帳28頁目

2020年02月16日 | 【保管】こめの学習帳

裏切りの記憶

何度も思い出してしまう、気まずかったり恥ずかしかったり失敗したりした記憶がいくつかある。少し前に人の話を聞いている時に思い出した、ある友人との記憶もそのひとつである。

小学校の時のこと。何かの集団競技のチームを決めていた。代表者数人がジャンケンをして、勝った代表者から順番に好きな人を指名していく方法をとった。私は代表者の1人で、ジャンケンの結果、最初に指名できることになった。当然、当時とても仲の良かったその友人を選ぶつもりでいたはずだし、彼もそれを期待して、私がジャンケンに勝ったことを喜んでくれていたと思う。私はその喜ぶ顔を見ながら、クラスで最も運動神経の良かった別の人の名前を口にしていた。

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何度思い出しても、なぜ彼を選ばなかったのか分からない。別の友人の名前を口にした時に「しまった!」と思ったことも、彼の落胆した顔も、その後何度も謝ったこともよく覚えているのだが。小学校の時の話とはいえ、記憶が鮮明なだけに、自分は友情よりも実益を選ぶ人間なのだという気持ちが拭えない。そうありたくないと思っているが、今もそうかもしれない。彼とはその一件から10年以上経った後、全くの別件で絶交されてしまい今に至っても連絡を取ることができない。


【波風氏談】コメさんにしては珍しい内容 このブログで、久しぶりに会った時に笑顔であいさつできる関係でいられることが大事なんだ、みたいな言葉(韓国ドラマ『私のおじさん』のイ・ソンジュンの台詞)を思い出した。ひきつるような笑顔しか作れないだろうと思う人が数人いる。

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コメの学習帳27頁目

2020年02月09日 | 【保管】こめの学習帳

図書館にいこう

図書館に行くと、予定していたよりも時間を使ってしまうことが多い。あらかじめお目当ての本が決まっていても、新着本を眺め、特集の紹介コーナーに目をうばわれ、地域誌を手に取って、と誘惑がたくさんあるからだ。そして何より私にとって図書館は大変落ち着く場所なのである。

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自分の初めての「図書館」体験は、実家近くの公共施設に設けられていた、「図書館」というより「図書室」のような場所であった。『怪人二十面相』を借りたような記憶はあるのだが、本当に読んだかは分からない。こぢんまりとしているのだが天井が高く、お城の隠し部屋のようだった(実際に建物の名前には「城」が入っていた)。市立図書館にもたびたび行っていたが、そこにいるだけで賢くなったような気がして嬉しくなった。

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本を買うことが多くなってからは、図書館からは足が遠のいていた。最近は物を減らす必要に迫られているため読みたい本を買おうか迷っていたが、図書館のHPで検索したら揃っていたので久しぶりに行ってみた。休日で人が多かったが、時折元気な子どもの声が聞こえる他は当然ながら静かである。マナーということもあるのだろうが、読書は私的というか、「個人的なこと」だから特に喋る必要がないのだよな、と改めて思う。こうやって、そこにいる人が「思い思いの一人の時間」を過ごしているところが好きなのかもしれない。


【波風氏談】画像は、腹ペコブログで使ったもの。ここ最近、ずうっとそうしているのは、コメさん一家とのことを思い出すことが多くなったから。懐かしいことが次々と浮かんでくる 今、珈琲を注文した。だいたい月に1度になってきた。

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コメの学習帳26頁目

2020年02月02日 | 【保管】こめの学習帳

感情の湧きどころ

目に入れても痛くない、とか、耳にたこができる、とか、体の一部を使った表現は数多くあるが、私はどうしても自分の身体感覚と一致するかどうかを考えるため、基本的に使えない。つまり、当たり前だが本当に目に入れたら痛いし、どんなに同じ話を聞いても耳にたこはできないのである。首も長くならないし、うでは鳴らない。しかし、「腹」については何となくわかる。

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つい最近、とある人に対してしばらく我慢していたのだが、あるやりとりをきっかけにどうにも許せなくなってしまったことがあった。自然と浮かんできた言葉は、「腹に据えかねる」である。身体感覚とぴったりであった。腹に据えかねるという以外に表現しようがなかった。今自分は腹に据えかねている状況なのだと分かるだけで多少は落ち着くことができたが、据えかねていたのであちこちに発散させていただいた。それは余談である。

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怒りの感情はもちろん脳が処理しているのだろうし、頭にくるという表現もあるが、先の言葉には「どうしても飲み込み切れない」というニュアンスを感じる。腸は第2の脳であるともいうが、そういう事とも関係があるのかもしれない。せっかくの大きい腹なのだからもう少し許容量を増やしたいが、据えてしまった脂肪が邪魔をしている。


【波風氏談】こんな風に感情露わな記事がコメ氏から送られくるのは珍しい。波風氏は「盗人から手紙貰うよりは、腹に据えかねるの方がまだマシではありませんか」と返信した。  ※参考ブログ → 1/20公式裏ブログ「盗人から手紙貰う

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コメの学習帳25頁目

2020年01月26日 | 【保管】こめの学習帳

(前回からの続き)

「暮らす」論への研究ノート(2)

日々をどう暮らすかを考えるときに、どういう生活をするのが「カッコいいのか」を考えてしまうのは、モデルが着ている服を着たいと思うのと似ているだろうか。無数の参考事例がネット上にある時代だから、モデルには困らない。困るのは、そうやって暮らし方を決めると物が増え、混乱することだ。

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ちょっと気になっているのが「ミニマリスト」と言われる人たち。家具や服などを極端に減らして生活している。ふとんもベッドも使わず寝袋で寝る人もいるし、鍋やフライパンを使わずキャンプ用の鍋1つで自炊する人もいる。そこまで極端でなくていいのだが、イメージはホテルの部屋。そこに自分の物が少しあったらどうだろう。自分の持っている数少ない大切な物に集中できるだろうか。

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19頁目の「黒い塊」とも関係するのだろうが、自分は自宅で落ち着いて過ごしたい、1つのことを終わらせてから次のことをしたい、でも自分の性格に任せていてはできない、だから集中できる環境にしたい、と思っているようだ。今のところそのような環境下にあったことはない。ぜひ試してみたいが、やろうと思うたびに物の多さに途方に暮れる。「暮らす」論の確立への道は長い。


【波風氏談】コメ氏の『暮らす論』、波風氏にも大きな課題。「もの」を持たない暮らしと、「こと」を最小限にする暮らしは両立できない。それをわかった上で、シンプルに暮らしたいとずーっと思い続けている。

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