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かたり、たかり:惨

(前回の続き)
別の事業所から、社内移動してきたこともあり。
本来、残業扱いされるシフトオーバ―について、疑問に思ったもの。

職場の同僚たちには、ほとんど反応がなかった。
5分や10分程度のシフトオーバでは、“お金”もでないというのは、
一見すると、大きな問題に思えなかったのかも知れない。
しかし、誰にとっても面白いことではなく。
明らかに、やる気と士気(モチベーション)を下げており。
「カネにもならないのに、やっていられるかよ」ともなっていた。
これは「自分さえ良ければいい」という人たちにも、都合がよく。
手抜きやサボりは、当たり前だと考えるものも出てくる。
手間取りそうな仕事に関わるような人員は減り。
その弊害で、また負担を受ける人員が出てくる。
粗雑(ザッパ)な対応も目立ち、「信頼」というものが失せていた。
仕事というものには、明記されてなくても、
“常識”や“業界内で暗黙の了解”となってもいる“取り決め” もあり。
これが不明確であれば、都合の悪いことがあったとき
“言い逃れ”が出来てしまう。

こんな大事なことが解決していないから、支障や弊害があり。
こちらの意思や都合にも関わらずに起こるトラブルも生まれる。
だから、シフト時間をオーバーするような事案が、
毎回、発生するという悪循環となっていた。



ある日、昼食どきの休憩時間中にもかかわらずトラブルで
呼び出されることとなった。
かなり手間のかかる案件だったこともあり、
片付いたときには、別のシフトと交代時間だった。
この時間帯に昼食が取れないと、
シフト上、夕方まで食事をとれる余裕はなく。
仕方なく、上司に相談してみたところ、
「シフトはズラせない」というものだった。
少し考えてから…、
「ちょっとよろしいでしょうか。休憩時間中での対応に加えて、
食事もとらないで、次の仕事に入れというのはツラいものがあります」
「なんとかなりませんか?」
この言葉に考えさせられたのか、上司は、現場長のデスクへ相談に向かった。
しばらくして、現場長が目の前にやってきた。
「また、お前か!」
面白くもないことを聞かされているという表情だった。
「これは仕事なんだから、ツライだろうけど仕方がないだろう」
今、思えば、ここで黙っていることもできた。
しかし、“仕方がない”の一言で済ませられるという意識と態度は、
無視できないものがあった。
そうでなくても、ハラが減ってイラついていたこともある。
「以前にも相談させていただきましたが、
超過勤務(残業)として扱えないのですか?」

この「残業」という言葉に、過剰な反応をするのは分かっていた。
その理由は、今も分からないけど。
今、思えば、このようなイレギュラーな業務での対応や手順について、
ほとんど知識を持ち合わせていなかったのかも知れない。
自分本位で虚栄心の強い人物だったので、
自分が知らないことを「分からないから教えてください」と、
本社の経理担当などに聞けなかったのかも知れない。
事実、数年後、彼が本社の人間とも折り合いが、
悪かったことを知るのだけど。
当時は、そこまで察することはできなかった。
「またかよ。人の善意はお金には代えられないだろう」
この言葉を、他人の善意を受けるものが、口にすれば意味が変わってしまう。
「こんな状況で仕事しているのは、お前だけじゃないだろ」
現場の管理権限をもつ役職者でありながら、
自分の職務を理解していないような言葉だった。
「あくまでも、ボランティアのような善意を期待したものであって、
上司としての命令ではないということでしょうか?」
「もし仕事ではないのでしたら、
今後は、無視してもよろしいと言うことですね」
このような反論を予想していなかったのか?
戸惑ったような表情を浮かべていた。
そこで、はっきりと気が付いた。
この人は、これまでにも場当たり的な言動で、
恫喝するようなことをしてきたのだろう。
おそらく事業所の問題点や改善策などは、何も考えてこなかったのだろう。
「お前、何を言っているんだよ」
「仕事なんだから、仕方がないだろう」
感情的で、かなりの大声だった。
激昂しているのは分かった。

もう若いとはいえないような年令ではあったけど。
自分より年配の人物で、3つも役職が上にある上司から、
大声で威圧されるのは苦しいものがあった。
それに、このような問答には慣れてもいなかったが、
ここで打ち切らせることはできなかった。
ほとんど反射的に、大声で返していた。
「それでしたら、課長は、部下に“タダ働き”しろと言うのですね」
この確認するような言い回しに怯んだ気配があった。
「そうは言っていないだろう」
よっぽど面白くないと思っているのが表情で分かった。
「そうですよね。期待してよろしいのですね」
ここが“落としどころ”だと伝える意味もあった。
声を落として伝えた。
しかし、彼の目線には、ゾッとするような“もの”が含まれていた。
憎しみが感じられる目だった。
それまでの社内での会話や態度から、
この人物の性格には、独善的なところがあるのを感じていたけど。
このような目ができる人物とは思っていなかった。
この状況が、かなりの緊張感を、周囲に与えているのも気付いていた。
それでも目線は外さなかった。



内線電話が鳴り、同僚の1人がとった。
「あの、そろそろ交代に入っていただけませんか?」
別シフトの人員から、
いつまでも交代が来ないことへの不満を伝えるものだった。
「課長との大事な話が終わっていないので、
まだ交代できないと伝えていただけますか」
この言葉に耐えらなかったのか、彼は目線を外した。
追い打ちをかけるようだったが、ハッキリさせておく必要があった。
「課長、私の休憩はどうしたらよろしいでしょうか?」
「分かった。手当をつけておく」
何か“わだかまり”が残ることとなり。
しかも、その日は“飯抜き”になってしまった。
(2021年7月加筆訂正:続く⇒)
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かたり、たかり:弐

(前回の続き)
物事には、直接的な原因とは、別に“遠因”とも呼ぶものがあり。
それが解決されないため、
同じようなことが繰り返されるものも少なくない。
直接的な原因よりも、遠因の方が悪質で、
解決や対応も困難なものがある。
このような問題点を明確にしていくのは、かなりの労力が必要となり。
しかも、それだけでは終わらない。


この事業所での仕事は、交代制のシフトが組まれ、
それぞれのシフト毎に休憩時間や持ち場が固定されていた。
別の人員が交代してくれなければ離れることもできない持ち場もあり。
10人以上で、交代制が組まれた職場であっても、
1人でも所定時間がズレたら、
そのまま休憩時間に入れないものがでる状況だった。
しかも、休憩時間にまたがるような事案は、かなり多く。
余計な手間が増えるのを嫌がってなのか?
他の同僚たちは、同僚の業務や案件を引き継いでくれることもなかった。
5分や10分程度のシフトオーバとは言え、
毎日ともなれば、面白くもない話だった。
もちろん休憩時間にまたがるような業務があった場合には、
その時間に応じた超過勤務(残業)扱いとなることが、
就業規則か雇用条件にもあった。
部署移動して、3カ月ほど経ち、
一通りの事案や書式にも慣れてきただけに確認することにした。
手の空いたところで、直属の上司に相談したところ。
妙な反応があった。
「ちょっと分からないから、現場長に聞いてくれないかな」
そこで事業所の責任者である現場長(課長)に、
少し時間を割いてもらえるようにお願いした。
現場長の男性は、当時、50代前半だった。
年令より、若々しく、知性的にも思える印象があったもの。
決められたルーチンワーク以外にできることもなく。
結局は、本社や親会社の言いなりでしかないような人物でもあった。
毎日のように、大声で…、
「こんな仕事は、契約外じゃないかぁ!」
「本当なら、契約を受けたところが片付けるべき仕事だろう!」などと…。
本社への不満を叫び、強気な態度を見せてもいたので、
本人は、現場の救世主を気取っていたのかも知れない。
頭の中を整理して、言葉を選びながら状況を説明していくことにした。
たびたび休憩時間にまたがる事案が起こり、
それで休憩時間を割かれることを伝え、
その分を、超過勤務(残業)として請求することは、
出来ないでしょうかと相談したところ。
表情が変わっていった。
「お前、何を言っているんだよ」
「人の善意はお金には代えられないと言うだろ」と、
かなり感情的な言動で怒鳴りつけられた。

「同僚が困っているのだから、助けるのが、当たり前だろ。」
この回答と態度には納得できなかったが、
それ以上の相談は控えることにした。
職場の社則や規定には…、
「上司にへつらえ」とは記されていなくても、
通常、上司(要職者や役職者)には、
職場において、立場は認められている。
事業所の責任者である上司への配慮も必要だと考えたからだ。
「困ったときは、お互い様だろう」
「お前だって助けてもらっているだろう!」
それで会話は、打ち切られることになった。



「人の善意はお金には代えられない」
これは、彼の口癖というより、
お気に入りの言い回しのようなものだった。
「他人が善意で行うのであれば、対価は不要(いらない)」
それならば…。
「お前が善意で(勝手に)やったことだろう!」とすれば、
余計な手間もいらない。

・・・と考えての言い訳だったのだろうか?
しかし、シフト制の仕事において発生する、
交代時の“つなぎ時間”での業務を考えることもなく。
“他人の善意”を期待して、仕事を進めていくなど。
前提条件として無理があり。
さらに、休憩時間に割り込まれた人員へのフォローも行わなければ、
職場内の士気(モチベーション)は下がるだけとなる。
お金と仕事の問題から逃げ回るための、
小さな言い訳が、すでに大きなものにもなっていた。
このような“善意”を期待する言葉は、“善意の強要“となっていた。
これと張り合う訳でもなかったけど。
当時、(NA)は「社会的な信用は、カネでは買えんのじゃ!」と、
ふざけた言い回しを用いて、同僚たちの助けを(ちょっと強引に)借りて、
事業所の業務を覚えていった。

その後、お互いに違う意味で、
自分たちの言葉を証明していくことになり。
かなり皮肉な結末になっていく。
(2022年3月加筆訂正:続く⇒)
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かたり、たかり:逸


「強い憎悪は、もはや感情ではなく、意思」というのは、
TVアニメのセリフだけど…。
フィクションであるTVアニメなどでは、
物語の“落としどころ”として悪役の存在も必要になる。
フィクションの世界とは異なる現実の生活においても…。
“不都合な事実”に対して、
身勝手な物語や悪者を必要とする人間は少なくない。
だから、本当のことを、ちゃんと伝えられているのかは分からない。
それでも、一言…。
「お前は、人の善意というものが、どのようなものか分かっているのか?」
そう問いただしたい相手がいる。


一般的な社会人であれば、「自分の仕事」が、
会社や組織を支えているという想いは、自負であり、やりがいとなる。
それに、職場内での業務経験も長く、
問題も起こしていなければ、社内で期待もされてくる。
まあ、煩わしくても、昇進などを考えていくことになる。
そんな雰囲気を感じてきたとき、部署移動の話があった。
仕事は、グループ会社が所有する商業ビルでの管理業務だった。
どうにも妙な感じはあったけど、
時期的に都合がよかったようにも思えた。
あれこれと手間取っていたら、正式な辞令が届き、
バタバタと、新しい部署へと移動することとなった。
そんな移動先は、ゴミ箱がひっくり返ったような事業所だった。
まず気付いたのは、
ディスプレイ前に雑然と積み上げられた書類やファイル。
せまい卓上には、クリップボードにはさまれた書類がいくつもあり。
クリップボードを取ってみると、ホコリまみれ。
ちゃんとしたマニュアルどころか資料や備品もなく。
これまでとは、書式や案件も違う。
ゴミ箱もあふれて、床もホコリまみれ。
このように自分たちの職場も片づけられてないのだから、
関係者からの印象がよいハズもなく。
すべて手探りでの仕事となっていった。



さて…。
通常、企業社会には、平社員より1つ上の役職は、“主任”になり。
その上に、係長代理、係長、課長という感じになっている。
この事業所において、主任に相当する責務を負っていたものが2名。
その上にあたるものが1名。
係長に相当する役職者が2名。
現場(事業所)のトップは、課長にあたる“現場長”(1名)となっていた。
しかし、職務経験が長いだけで、現場の責任者になったものも少なくなく。
ほとんど決まりきったようなルーチンワーク以外は、
何もしていないのが実情だった。
“明確な取り決め”や“線引き”がなされていないことで、
次々と起こるトラブルやクレームに対し、
改善案や打開策も思いつかないのか。
不都合なことは、「お前(部下)が悪い」となるか、
「仕方がない」となっていた。
それは、現場長の実力不足や知識不足が原因でしかなく。
本社にも人員を評価できるだけの基準もなかったからだった。
だから、カンのいい社員などは、
こんな事業所への移動を、やんわりとかわしていたのが実情だった。
…とは言え、紙ベースのマニュアルは存在しないが、
一部の役職者やベテラン社員の指導力は、決して低くなかった。
とにかく四苦八苦していくこととなった。
(2021年7月加筆訂正:続く⇒)
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メインキブン、サブイデー?


いつの頃からか?
電気街だった秋葉原は、
サブカルチャーの発信地のようになっている。
どこかおかしい。
そう思っていても、言い表せなかった。
言葉が足りない…とも違う。
そんな言い表せないことの正体がハッキリすることになった。

ある日、機動戦士ガンダムの作画監督としても知られる安彦良和さんが、
テレビ番組に出ていた。
北海道の生まれで、北海道開拓に携わっていた家系にあるらしい。
近年は、マンガ家としても活躍されているのは知っていたけど。
どのような人物なのかを知らないことに気付かされた。
そこで番組へと意識が向いた。
番組の中では「今の時代、サブカルが図々しくなっている」との言葉があった。
サブカルチャーが“サブ”ではなく、
メイン(主流)のようにふるまっている。
どこかおかしい。

この言葉には、ちょっと圧倒されるものがあった。
それを聞いて「自分が言い表せなかったのは、“これ”だ!」とは思ったけど。
とくに満足感はなかった。
考えなければならないことが明確になっただけのこと。



こんな記事をアップしていたこともあったけど。
(長い夜、楽しみたい番組:アニメ編)
“誰か”の受け売りでしかないような知識や言葉でしか語れないのは、
10年前から変わってもいない。
それでも自覚できるようになっただけ。
マシになったのだろうか?

もうすぐ京アニの放火事件から
1年(昨年、2019年7月18日から)になる。
それを思って書き出した文面が違うものになってしまいました。
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ネガティブで野暮な気分なとき


2~3週間前、区役所内は、人だかりの状態。
政府主導によって、3密を避けようと叫びながらも、
コロナ(伝染病)の感染よりも、
熱中症で倒れる人たちが出そうだな…と思えたほど。

7月にもなっても、テレビをつければ、
感染者の数だけを伝えてくるニュースばかり。
まあ社会の問題点を伝えるのが報道機関。
…でも、目新しいことを言ってくれるのでもなければ、
代替案を提示してくれるわけでもなく。
正しい事実を伝えたいという意識より、
どこか危険性を煽っているだけにも思えてしまう。
それに…。
「コロナウイルスに感染した方々は、どうなっているのか?」
「回復されている方はいるのか?」
それらの実情も伝えるのが、
報道機関の仕事だろう!とも思ってしまう。




そんな気分で、テレビをつけたところ。
テロップに“熊本豪雨”と入った番組があった。
あわてて画面を注視すると、
今年2月に訪れた人吉市が被災地となっていた。
正直、落ち着かない気分である。
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