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かたり、たかり:誤

(前回の続き)
「本社の人間は聞きたいことしか、聞かない。
だから、都合の悪いことを伝えることもなく。
本社が聞きたいことだけを伝えてきた。
そして、自分のそばには…、
何の疑問も感じないまま、
考えようともしない人間(イエスマン)だけとなれば、
事業所は私物化できていた。
お前さえいなければ…。」

…とでも言っているのだとしたら、
物語(創作)のエンディングとしては、ちょうどいいけど。
これまでの文章は、多少の脚色と誇張はあっても、ほとんど本当のこと。
今も、収まりのつかない気持ちがあり。
この一連の記事には、何度も訂正を加え、加筆してきた。
それに、当時は気付いていなかったが…、
「人の善意は、お金に換えられない」という、
彼の対応(言動)は、単なるトリックワードで済まされないものだった。
何故なら、自分たちの仕事を評価していないと、突き付けただけでなく。
仕事上において評価されるべき行動を、
学校教育や社会道徳で用いる“善意”という言葉で奪っており。
明らかに職業倫理を伴ってなければ、“やさしさ”もなく。
かなり罪深いものだった。
おそらく自覚もなく、口にしていた言葉だったのだろう。
もう6年以上前のことで、
実際には、それほどスマートな対応ができてなく。
この事業所で関わっていく、
「従業員をたぶらかした親会社社員」 ⇒
「親会社の社内ニート」 ⇒
「高齢採用された素行不良社員」 ⇒
など、
以前、記事にしたような問題は解決できないまま部署移動になり。
当初、期待していた昇進もならなかった。
これらの問題は…、
事業所の責任者が、自身の職務を果たしていれば発生することもなく。
彼の存在は、諸問題の遠因だったとも言える。
こんな上司たちは根絶されることを願っているけど。
簡単にはいかない。
(この記事の最初へ「かたり、たかり:逸」⇒)



蛇足:
日〇テレビ系のドラマ「ハケ〇の品格」の再放送において、
ニュースサイトのレビューには…、
「この13年間で働き方は大きく変わり、
派遣社員に対する“いびり”や“いじめ”も、
今の世の中では許されません」…とあった。
残念ながら、このレビューは正しくないかも知れない。

他人を理解するには、その人物と同じ“もの”を得なければ、
難しいときがある。

だから、他人への嫉妬や憎悪、悪意のようなネガティブな感情を、
強く持つことで、ようやっと理解できるようになったこともある。
世の中には良心のない人間がいる。
自分の痛みと、他人の痛みは、別のもの。
同じように思えても、同じものではない。
長い間、それを受け入れることができなかったけど、
今は違う。
そして、こんな感情を理解できるようにしてくれた人物へ、
強い憎悪をもっていることを、今、やっと自覚している。
それは、色々な意味でも望ましいことではなく。
正直、己を恥じている。
(2021年7月加筆訂正)
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