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今は、ただ怒りの声を…。:あるブログへのコメントがわり


先日、大阪ミナミで起きた刺殺事件の記述が、
ブックマーク登録しているブログ上にあった。
「人を殺せば、死刑になれると思った」と言うのが、警察発表による犯行動機。
こんなフザケた話。
自分の身に起こったことでもないので、取り乱すようなことはなく、
醒めてはいるのだが…。
正直、憤りを覚えて、言葉に詰まった。
そのブログにも、加害者への怒りと被害者への悼みが記されていた。
何かコメントを送ろうとしたが、言葉がまとまらなかった。

以前にも記したけど。
「何故、人を殺してはいけないのですか?」
こんな質問に答えられなかったときがある。
「もちろん、自分が殺されたくないからだ!」
これが分かりやすい解答の1つ。
しかし、これは”自分の命”の重さすら、感じられないバカには通じない。

追記:
先日、テレビでニュースを見ていたとき。
カルト教団に所属していた20代の女性が指名手配者となって、
それから逃亡生活を17年も送っていたことに対して、
ほんの一瞬、同情しかけた”とき”があった。
(関連する記事、ね)
「弁護士一家殺人事件」「松本サリン事件」「地下鉄サリン事件」。
ほとんど思い出すこともなかったが、
絶対に忘れたことはなかった数々の凶悪事件。

罪人とは言え。
「国が法律のもとで、人の命を処断する」
法律家なら、この事実に不安を感じるのも分からなくもない。
しかし、世の中には…。
罪の重さを、量刑の重さで、ようやっと感じられるバカもいるのも事実。

「人の命を奪った殺人者の命も、殺人者に奪われた人間の命も、等しく尊いのです」
「悪人とは言え、彼らも、また社会的な弱者なのです。」
「彼らに必要なのは”救済”なのです。」
…などと言う輩がいるから、世の中はおかしくなってくる。
悪人、正確には、悪事が社会に露見した罪人。
彼らが、社会に対してするのは、償いであって、まず必要なのは、”裁き”。
それに救われるべきは、罪人ではなく。
まず、被害者。
”それ”が、一番おざなりにされている。




さらに追記:
この記事をアップしながら、テレビを点けたら、
最後の指名手配者でもある男性が都内のマンガ喫茶で逮捕されていた。
やっと・・・、だね。
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