ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

飼い主よりミャオへ(88)

2009-11-01 17:41:52 | Weblog

11月1日
 拝啓 ミャオ様

 朝の気温は2度、昼前まで冷たい雨が降っていた。北海道の北部や東部では、雪が降っていて、旭川の積雪は11cm。そのまま気温は余り上がらずに、寒い一日になった。
 窓の外には、もう半分ほど葉を散らしたカラマツの木が、悄然(しょうぜん)と立ち尽くし、周りの小道や庭の一面に、そして小屋の屋根に、すべてのものの上に、その黄色いカラマツの葉が降り積もっていた。遅い秋が、去っていくのだ。

 昨夜、帰ってきたばかりで、誰もいない家の中は冷え切っていて、今日は一日中、薪ストーヴを燃やして家を暖めた。なんという焚(た)き火の暖かさだろう。そして、登ってきたばかりの、雪の山での寒さを思った。
 四日前のこと、私は、青空の下、北アルプスは唐松岳の頂上に、ひとり座って、周りの山々を眺めていたのだ。
 
 ミャオ、長い間、連絡もせずにいて、悪かったと思う。前に知らせていたように、今の時期の、私の恒例(こうれい)になった、初冬の北アルプス登山に行っていたからだ。
 それは、何度も言っているように、たとえて言えば、オマエにとっては、小さな生魚のアジを食べることが、一番の喜びであるように、今の私には、美しい山を見ることが、何よりもの楽しみの一つなのだ。
 
 思えば、生きていくこととは、そうした大なり小なりの、様々な楽しみを持ち続けることなのかもしれない。人は、己の地位や身分、境遇や貧富の差にかかわらず、誰でも、何かしらの楽しみとなる、心の宮殿を持っているものなのだ。
 それは、具体的なものを得る喜びであったり、精神的な充足感に浸る喜びであったりするだろう。そして、他人にとっては、取るに足りないものでも、その人にとっては、唯一無二の楽しみになるのかもしれない。ただし、その喜びは、いつまでも続くものではない。それだから、人は更なるものを目指すことによって、自らが生き続けていくべき、日々の糧(かて)としてきたのだろう。
 燃え盛る火の車の車輪を、さら駆り立てて、きらびやかな宮殿を目指し、走り行く人たちもいれば、己だけのささやかな宮殿である、小さな庵(いおり)を目指して、自分の足だけで、ゆっくりと歩み続ける人もいるだろう。そこに幾つもの運不運を織り交ぜて、これまで人々は、生きてゆきまた死んでいったのだ。
 そういうふうに、一つとして同じではない、様々な人生があったのに違いない。もし努力の甲斐あって、さらなる運にも恵まれ、その宮殿にたどり着いたとしても、何を誇ることがあるだろう。それは、巨大な天空の領分からすれば、すぐに滅びゆく砂上の楼閣(ろうかく)にしか過ぎないものだからだ。
 一方で、もし、努力の甲斐もなく、さらに不運に見舞われて、目指す宮殿へたどり着けなかったとしても、何を嘆くことがあろだろう。そこまで来ることができただけで、その過程こそが、もう十分な己の領分だったからだ。

 今回の山旅は、自分なりの思いで、自分なりの山に登ってきたというだけのことなのだが。それはまた、私の山を思う心を十分に、満たしてくれる素晴らしい、山行になってくれたのだ。

 私の望むべき山行の条件とは、ただ一つ、晴れてくれることだけである。本州への山旅の計画には、いつも一週間ほどをあてている。そのうちの二日間でも晴れて、その時に山々を眺めて山歩きができれば、後は山小屋で停滞しても、あるいは麓で過ごしたとしてもかまわない。
 今年の、本州への山旅は、夏の飯豊連峰や、この秋の槍・穂高への計画が、悪天候のために変更を余儀なくされたり、あるいは断念したことについては先にも書いていたのだが(7月29日、10月11日の項)、今回もまた同じように、中止することになるのかと心配していた。
 それは、季節外れの台風が来ていたからだ。私とすれば、ずっと前に、早割などの安い航空券を買っているから、天気の日を選べないし、天気が悪ければ中止するしかないのだ。

 一週間前、私は、台風の余波で雨が降っている、東京は羽田空港に降り立った。当初の計画は、雪が降ったばかりの南アルプスの山に登るつもりだったのだが、その台風の影響が及びそうであきらめて、出発前になって、より台風の影響が少ないだろう北アルプスに行くことに決めた。
 ただし殆どの山小屋は、紅葉の終わる10月中旬には閉まっていて、開いている山小屋は少ない。そこで、ゴンドラとリフトで比較的容易に上がれる所へ。あの白馬の八方尾根から、まだ開いてる唐松山荘をあてにして、唐松岳(2696m)に登り、できればさらに五竜岳(2814m)へと向かい、遠見尾根を下って戻るつもりだった。
 インターネットのライブカメラでは、出発する二日前までは、頂上付近が白くなった白馬三山(白馬岳、杓子岳、白馬鑓ヶ岳)の姿が見えていた。

 東京から、新幹線で長野に行き、バスに乗り換えて白馬へ、そこで一晩泊まって、次の日に八方尾根から、唐松岳に向かうつもりだった。ところが、翌日の天気も、雨交じりで風も強い。しばらく待ってみたが、天気は変わらず、とりあえず、ゴンドラとリフトを乗り継いで、寒さに震えながら、八方池山荘に入る。
 風雨の中を登って行くつもりはなく、そのまま泊まることにする。登山客は、他に同年輩の男の人が一人いて、その彼と北アルプスの山小屋の話や、共通の趣味でもある読書の話などをした。
 そして、六畳の部屋に戻って、ゆっくりとひとりで寝ることができた。普通でも3人から6人が寝て、繁忙期には、さらにスシ詰め状態になるのだろうが、こうした季節外れに行くと、山小屋の本来の良さが味わえるのだ。
 二重窓を少し開けてみると、暗闇の中から、雨交じりの風が吹き付けて来る。ただ、明日は晴れるという、天気予報を期待するだけだ。山小屋ではなかなか眠れない私も、ひとり部屋の気楽さから、いつの間にか眠りに落ちていった。


 そして、翌朝、私は幸運にも、雲ひとつない空の下、朝日に赤く染まる、新たな新雪に被われた、白馬三山の姿を目にすることができたのだ。(写真)


 次回に続く。
                       飼い主より 敬具


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