ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

一匹の働きアリ

2021-06-26 21:02:18 | Weblog



 6月26日
 
 前回の記事の後の、この一か月ほどの間に三度も山に行ってきた。
 それも、同じ山に続けて三度も行ってきた。
 あまり自慢にはならない。
 というのも、その山は九重の山の中でも比較的簡単に登れる、扇ヶ鼻(1698m)だからである。
 牧ノ戸峠の登山口からだと、コースタイムで1時間半くらいなのだが、もちろん年寄りの私は、そこを2時間半近くかかって歩くわけだから、その遅さは推して知るべしというところだ。

 ともかく、それら三回の山の記録を書いておかなければならない。まずその一つ目だが、前回の鶴見岳から一か月半ほども空いた、5月下旬に、久しぶりに九重山に登ってきた。
 今年は、春先から気温の高い日が多かったので、九重名物のミヤマキリシマツツジの花々も早めに開いているだろうからと、平年よりは少し早めに九重に行くことにしたのだ。
 それでもネットで調べると、それほどに開花情報は上がって来ておらず、意外にも少し遅めだという。
 それならば、標高の低いところを目指すしかないと、選んだのは扇ヶ鼻(1698m)の南にある同じ溶岩台地の岩井川岳(いわいごだけ、1522m)である。
 去年初めて、ミヤマキリシマの時季にこの山にまで足を延ばして、その静かなたたずまいがすっかり気に入ったからでもある。

 この台地の花の規模は、あの名だたる平治岳(ひいじだけ、1643m)や大船山(たいせんざん、1786m)の斜面を埋め尽くすほどの、豪華絢爛(けんらん)たる錦織なすがごとき広がりはなく、さらには他の山々の、例えば扇ヶ鼻や星生山や三俣山、そして中岳や稲星山や白口岳などのような、一部の群生地の美しさもない。
 ただ、それぞれの花の株が散在するだけの風景だが、この山が平原であることから、ある種の庭園のごとくに花の株が配置されているようにも見えるし、背景には阿蘇山に祖母・傾の山々が並び立つ展望の山にもなってる。
 例えばそれは、あの深田久弥の「日本百名山」の中には、峻険(しゅんけん)な穂高岳に槍ヶ岳、剱岳、大きな富士山などとともに、広大な草原からなる美ヶ原(うつくしがはら)が選ばれているのだが、そこは北アルプスを眺めるには絶好の位置にあって、百名山の一つにそうした展望の山を入れたくなるのはよくわかるし、同じ意味合いからも、私は九重の中でも静かなこの展望の山が気に入っているのだ。

 この山に登るには二つのルートがあって、一つは熊本県側から直接登る道で、1時間半ほどのコースタイムだが、植林地の中を通り、展望が開けるのは頂上近くになってからというのが、少し残念な気もする。
 もう一つの大分県側からだと、駐車と登山者で混雑する標高の高い牧ノ戸峠(1330m)を出発して、展望のきく尾根通しに歩いて、まず扇ヶ鼻に登り、そこから岩井川岳に標高差180mほど下ることになり、コースタイムでも2時間ほどかかるし、帰りはそのぶん登り返して戻ってくるしかないのが難点だ。(二人以上で二台の車があれば、それぞれの登山口にクルマを置いて、縦走することもできるのだが。)

 さて、いつもの登山口から歩き始めるが、年寄りには、この舗装された遊歩道の道がこたえる。
 さらに、この前の山、鶴見岳に登ったのは一か月以上も前のことであり、その時はヤマザクラを見に行ったのに、今はもう九州の初夏の山の名物である、ミヤマキリシマのツツジの季節になってしまったのだ。
 この遊歩道の終わる沓掛山の前峰にかけては、いくつかのツツジの花の株が見えていて、こんもりと茂るアセビの、黄緑や薄紅色の新緑の葉の色が鮮やかだった。(写真上、遠く雲仙岳)
 天気は晴れていても、高い所に薄雲が広がっていて、十分に日は差してはいないが、そのぶん涼しくて良いし、何しろ空気が澄み渡っていて、九州中央部のほとんどの山がくっきりと見えている。

 そして、きつい階段の遊歩道を終わり、縦走路となる沓掛山への稜線をたどって行くと、右手には阿蘇山が見えてくる。
 岩峰になった沓掛山頂上からは、新緑の尾根越しに、おなじみの三俣山と星生山が見える。(写真下)



 その岩場を下ると、ゆるやかな高原状の尾根道になって、のんびりと写真を撮りながら歩いて行く。 
 そして、後ろに物音が聞こえると、すぐに端に寄って道を譲るのが習慣になってしまった。
 登山口からここまで、もう何人もの人に抜かれてしまった。
 ”老いては子に従い”ならぬ、”老いては若きに譲り”ということか。
 それで良いのだ。人それぞれに、年相応の歩き方があり、生き方があるということなのだから。

 左手に、深い沢を隔てて星生山(ほっしょうざん)が立ち上がっている。
 その雄大な姿を眺めながら、分岐点から右に小尾根を上がって行くと、正面に扇ヶ鼻北面の花の大斜面が見えるのだが、時期的にも早すぎて、ちらほらと二つ三つの株が咲いているだけだった。
 最後の急斜面を登って行き、頂上岩頭を目指して、扇ヶ鼻に着く。
 数人が休んでいるだけの頂上から、西の肩のはるか下の方に岩井川岳の台地が広がり、点々とツツジの株が見えている。
 良しとひとり納得して、一部ヤブ状態になっている道をたどり、やがてヤシャブシ、ノリウツギ、ヒメシャラなどの低い林の急斜面を降りてゆくと、ゆるやかになり、明るくて広いササ原に出る。
 
 上空の高い薄雲が流れて、時々青空も広がってきた。
 途中一人二人と出会っただけで、何よりも静かだし、ミヤマキリシマの株が点々と咲いていて、この草原の果てには、阿蘇(写真下の上)と祖母・傾連山(写真下の下)が見えていて、私の望むべき山の光景の一つとして、申し分なかった。





 もちろん、花園としての大きさや花の数などから言って、同じ九重の平治岳や大船山などとはもちろん比べるべくもなく、他にも星生山、三俣山、中岳、白口岳、稲星山などの、まとまった花の群生地などと比べてみても寂しいもので、閑散とした風景ではあるが、その庭園ふうの花の株の配置と、辺りの人けない静けさが、変態じじいである私にはたまらないのだ。
 その静かな岩井川岳の、ササ原台地の細い踏み跡をたどり、その広大な花園の中を、私は1時間余りも写真を撮りながら、ゆっくりとさ迷い歩いた。
 疲れて低いササの上に腰を下ろすと、踏み跡の土の上を一匹のアリが歩いていた。
 こんなところに、どんなエサがあるというのか、たまたま昆虫などの亡骸(なきがら)に出会うことがあるだろうから、それだけをあてにしているのだろうか。それとも登山者たちがたまに落としてくれる、食べくずをあてにしているのだろうか。

 そういえば、先日家の中に入ってきたアリを、かわいそうだとは思ったが、つぶしてしまった。
 というのも、前に台所の砂糖入れにアリがいっぱいたかっていたことがあって、そのアリの列は家の外にまで延々と続いていて、それを駆除するのに手間がかかったことがあったからだ。
 そういうことがあって、苦しむアリの姿を見るのは避けたかったので、力を入れて一思いにつぶした。
 あわれなアリは、苦しむ間もなく、一瞬ののちにゴミになってしまった。
 外でエサになるものを見つけて、多くは仲間がつけた大きなエサへのルートをたどり、大きな行列になって巣に運んできて、また外に探しに出るという繰り返しの働きアリの一生。

 そんなアリの一匹が、人間につぶされてしまっても、巣の中の他のアリたちは、あの働きアリAが死んだとは気づかないだろう。
 ただ現在の巣を維持するために、エサを探しに外に出かけ、あるものは幼虫たちを育てていくために、またあるものは巣を広げていくだけに手いっぱいであり、それぞれの仕事が彼らの生きることなのだ。
 死んだほかのアリは、巣の中で生きる彼らにとっては、ゴミかエサの一つにしかならないのだろう。
 何という、死と生の厳然とした区別。

 人間だけが、自分たちの思いの中にあるべく、幻想の中で死者を生き返らせ、魂の存在を信仰する。
 しかし、現実は、アリの死と同じで、そこに生きる形として存在するかしないかというだけのことだ。
 それゆえに、私たちにとって大事なことは、自分で知ることもできない死後の世界に執着するよりは、生きている今の時を大切に過ごし、自分の生きる糧(かて)になる蜜を楽しく吸うことにある。
 もちろん、人間社会の一員として、社会の規範を守りながらのことではあるが。
 つまり、周りに迷惑かけないようにして、後はできる範囲で、残りの人生を自分の好きなことに使えばいいということだ。
 そして死ぬときはと言えば、前にも良寛和尚(りょうかんおしょう)については何度も書いたことがあるが、災難を逃れる妙法(みょうほう)はないものかと問われた時に、答えたその良寛の言葉は・・・”災難にあう時節には災難にあうがよく候(そうろう)”・・・ということなのだ。

 もっとも、そうは思っていても、死ぬ時には魂の不滅さえも信じたくなるだろうし、相当にじたばたすることにもなるのだろうが。

 見上げる空に青空が見えていたし、山は美しく、花は鮮やかだった。(写真下、岩井川岳より扇ヶ鼻と久住山)



 あくせく生きて思い悩むことはない。今のこの景色が私の目の前にあることだけで十分ではないのか。
 さて帰りの登り返しが待っている。何度か立ち止まり休んで、扇ヶ鼻に戻って来たが、上空にはまた雲が広がってきていた。
 今度は、この扇ヶ鼻のミヤマキリシマの花が咲きそろうころに来たいものだ。
 帰り道はほとんどゆるやかな下り坂で、途中で沓掛山への上り返しがあるにしても、なぜかそれほどにはきつく思えなかったが、次第に疲れが出てきて、やっとの思いで牧ノ戸の駐車場に帰り着いた。
 無理もない、今日の山行は休み時間を入れて8時間にもなり、コースタイム上では往復4時間半ぐらいのところだが、年寄りの私には長すぎたのだ。
 次の日から二日間、やはりふくらはぎと太ももに筋肉痛が出てしまった。
 
 そしてこの後、日を置いて同じ扇ヶ鼻に続けて2回も行ってきたのだが、その時の山の記録は、なるべく早いうちに書いてしまうつもりだ。

 今回は、まだミヤマキリシマの満開前だったから人も多くはなかったが、それでもマスクしている人も目についたし、私もつけたりはずしたりを繰り返した。

 コロナ・ワクチン接種は、やはり自分のためだけでなく、周りの人への影響も考え併せて打つことにした。
 しかし、接種券到着後、病院に予約電話を入れたのだが、なかなかつながらず、やっと2か月先の集団予定になってしまった。
 それが今月末で、二回目が来月中下旬とのことで、一か月前に北海道の友だちと電話で話したところ、もう二回目もすんだと言っていた。つまり同じ年寄りでも住んでいる所によっては、接種時期に2か月もの差があるということだ。
 まあ今まで、全国民に注射するなんていうことがなかったわけだから、政府も各地方の行政機関も大慌てで、あちこちで様々な問題が起きるのは、仕方のないことかもしれない。

 さらには注射後のショック症状という、貧乏くじを引くかもしれないという心配もあるのだろうが、万が一そうなったとしても、年寄りである私が後悔するには及ばないということだ。
 つまり、この年まで生きながらえさせてもらって、自分の人生を振り返ってみれば、ここまで本当に楽しさ半分、哀しさ半分のトントンでおさまってくれたのだから、残りの人生は、その日が来るまでの、おまけ袋の愉しみとしてもらったようなものだろうし。

 ”花に嵐の例えもあるさ、さよならだけが人生だ。”(井伏鱒二による漢詩の日本語訳)

 

 


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