6月17日
数日前に、久しぶりに山に行ってきた。
青空と雪と、新緑の樹々と咲き始めた花々と、その中で過ごすことのできた、素晴らしい一日だった。
だから、生きていることは、ありがたいことだと思う。
しかし、前日、明日山に行こうと、はっきりと決めてはいなかった。
天気が良ければ、できれば大雪山に登るために、表側の旭川側からか(それは途中にある亡くなった知人の家へのあいさつも兼ねてのことだが)、あるいは、家からはいくらかは近くなる、裏側の層雲峡側から行くことにするかと考えたのだが、いずれもクルマで行くには登山口まで3時間以上もかかってしまう。
つまり、若い時にはそれほど苦には思わなかったことが、年寄りになると大きな負担に感じてしまうからだ。
それでは、近くの岩内の金竜山(466m)への足慣らしハイキングにするかと思い、眠りについたのが、翌朝、いつもはぐうたらに5時過ぎに起きていたのだが(日の出は3時半)、何と4時には目が覚めてしまった。
ネットで天気予報を見ても晴れる予報だし、大雪山のライブカメラを見ても、少し雲はあるものの青空が広がっている。
これは、千載一遇(せんざいいちぐう)のチャンスだと、大慌てで支度をしてクルマに乗って家を出た。
十勝平野はすべて重たい曇り空の下にあったが、糠平(ぬかびら)の山間部に入るあたりから、切れ切れに雲が取れてきて、ウペペサンケ山(1835m)や二ペソツ山(2013m)も見えてきて、三股の広大な盆地に入るころには、西側半分以上に青空が広がっていた。
そして、三国峠のトンネルを抜けると、青空の下に残雪豊かな大雪山の山々が横たわっているのが見えていた。
何十回通っていても、この山の姿には、いつも思わず声をあげてしまう。
そして、高原温泉分岐手前の高原大橋は、それまでの架橋からもう新しい橋に架け替えられていたが、この橋のたもとから見る緑岳(2016m)から赤岳(2078m)に至る長々と伸びた山体が、まるで背伸びしている猫のようなやわらかさな線を描いていて、どうしてもクルマを停めて見てしまいたくなる。
そして、黒岳の登山口になる層雲峡ロープウェイ駅に着く。
紅葉時には、この広い駐車場が満車になり、他の第二第三の駐車場に回されるほどになるのに、まだ夏のシーズンにもなっていないためか、クルマは数台だけで、8時前のロープウエイには、観光客が二人と営林署のおじさん二人が乗っているだけだった。
車窓からは、新緑の山麓斜面と残雪の黒岳(1984m)から桂月岳(けいげつだけ、1938m)、凌雲岳(りょううんだけ、2125m)、上川岳(1884m)に至る山なみが、青空の下に見えていた。
さらにリフトに乗り換えて(写真上、リフト乗り場付近からの黒岳)、青空とダケカンバなどの新緑の樹々を見ながら上がって行くのだが、朝のすがすがしい空気の中、久しぶりに山に来たという実感が湧いてくる。
リフトの下の刈り分け斜面には、栽培された白いチングルマや赤いエゾコザクラの花々が咲ている。
そして、いよいよ6合目の登山口から歩きだすのたが、すぐに雪道になる。
ジグザグに登る夏道は雪に隠されていて、雪上の足跡は、そのまま雪の斜面を直上していた。
雪渓大好きの私としては、願ってもない雪の道になるが、これが5月のころだと、凍りついた斜面になっていて、アイゼンとピッケルは必携になるのだが、今の時期だと雪がゆるみ始めていて、雪に慣れていない初心者には危険だが、キックステップでしっかり蹴り込んでいけば、かなりの急斜面でも登り下りができるが、やはりそこはそれ、足取りおぼつかないこの年寄りにはと、用意してきていた6本爪の軽アイゼンを取り付けて、冬用ストックを手にして登って行く。
振り返る向こうには、天塩岳(1558m)から、いつもの層雲峡を隔ててのニセイカウシュペ山(1879m、写真下)、平山(1771m)、さらに支湧別岳(1688m)からニセイチャロマップ岳(1760m)、屏風岳(1792m)、武利岳(1876m)、武華山(1759m)、そしてクマネシリ山群なども見えている。
とは言っても、久しぶりの登山の上に、この雪の急斜面ですぐに息切れして、立ち止まるのもたびたびだった。
ただありがたいのは、登山者が少ないことで、本来の山の静寂を味わえることだった。
出会ったのは、上からもう戻って来ていたロープウエイの調査員の女の子と、若い外国人、それに下から私を抜いていった若い男の子だけであり、あとはウグイスの声と、意外に多かったルリビタキのさえずりの声が聞こえてくるだけだった。
いつもは、今頃は高原温泉から緑岳へ行くことが多く、その最初の登りのところで、このルリビタキの鳴き声を聞いては、ああ初夏なのだと実感していたのだが、この黒岳斜面の方が数としても多いくらいだった。
雪の急斜面の直登とトラヴァース(横断)を繰り返して、マネキ岩の見える9合目辺りから夏道が見えてきて、ショウジョウバカマやイワハタザオにエゾイチゲなどの花が咲いていたが、最後に一つ、40度ぐらいにもなる雪の急斜面の直登があり、はるか下までその斜面は続いていて、少しビビる所だが、夏スキーにはもってこいの斜面かもしれない。(帰りにロープウエイ駅まで戻ってきた時、これから行くのかスキーを担いでいる人がいたが、白鳥千鳥の雪渓がある北鎮岳まで行くのは遅いから、あの斜面で滑るつもりだったのかもしれない。)
さてそこを登り切って、あとは雪の融けた夏道のジグザグの後、石の階段を上がって、やっとのことで黒岳の山頂に着いたのだが、何と2時間10分もかかっていた。
ネットで見ると、夏スキーに来た人が55分で登ったというから、もう話にならない体力の差を感じてしまう、年だわ!
頂上での風は強かったが、青空と残雪の大雪山主峰群の眺めは素晴らしかった。
そこで10分ほど休んで、石室(いしむろ)小屋に向かって下りて行くと、その南西斜面には、もうイワウメやミヤマキンバイ、ミネズオウ(写真下)などの花が咲き始めていた。
そこで、後ろから来た背負子(しょいこ)に大きな荷物をくくり付けたボッカ(荷揚げ)の3人の若者たちが、元気に私を抜いて行った。
そして、ポン黒岳から降りたコルのその先は、広く一面の雪原になっていて、まだ春遠しという感じだった。(写真下)左から北海岳(2148m)間宮岳(2185m)北鎮岳(2244m)。
石室小屋の前で、小屋明けの準備に来たという先ほどの若者たちと言葉を交わし、私はそのまま桂月岳へと登って行った。
去年の秋にも登ったくらいで(2018.9.17,24の項参照)、今の私には無理しなくてよい距離の所にある山なのだ。
途中の斜面の道のあちこちには、キバナシャクナゲが咲いていた。(写真下)
その桂月岳の岩頭の頂上で休み、昼食をとって15分ほどいて下りて行き、小屋の前を通って雪原からポン黒岳への登り返しで、先ほどからやっとの思いで歩いていた私の体は、もう限界になっていた。
息が苦しくて胸が痛くなり、20歩ほど歩いては岩の上に腰を下ろすことを繰り返していたが、わずか1分ほど休むと息苦しさは治まり、また歩き出しまた休むという始末だった。
今までに、これほどまでに苦しくなったことはなかったのだが、症状から疑われるのは狭心症だろうが、今回はさらに他のことも重なったからであり、つまり、登山間隔があいていて2か月ぶりの登山だったこと、ぐうたらな年寄りになって体重が増えていたこと、明らかに年寄りになって体力が落ちていたことなどが、積み重なって、”あわや”と思わせる状況にまでなったのではないか。
こんな体では、これから予定している内地の山への遠征登山など、到底無理であり、やめるべきではとも思うのだが、一方では、あの憧れの山の姿や花々が見られるのなら、そこでぽっくり逝(い)ってもいいのではないのかとも思うし、そうなれば多くの人に迷惑をかけることにもなるし、私の心は千々(ちぢ)に乱れるばかりで。
山々の上空には、風の強い時に現れるレンズ雲が幾つか見えていたが、まだ十分に晴れていて、ひと時この誰もいない黒岳からの眺めを楽しんだ。
そして、何といっても下りは楽だし、急斜面の所では緊張することもあったが、十分にステップの跡が刻まれていて、そこをなぞって行けばいいだけだし、余裕ができると尻セードで滑り降りて行ったりもした。
さらに、時々景色を楽しんでは座り込み、アイゼンの締め直しなどをして、ゆっくりと下って行き、1時間半かかってリフト乗り場に降りてきた。
そこでは、にぎやかな声の中国語が飛び交い、観光客たちが雪景色や山々にスマホカメラを向けていた。
リフト、ロープウエイと乗り継いで、駐車場に戻ってくると、さすがにもう数十台のクルマが並んでいた。
今日は、途中で胸が痛くなるという異変あったにせよ、青空の下で残雪の山々と咲き始めた花々を見ることができたし、その雪のおかげでヒザが痛くなることもなく、無事に下りてくることができたし、生きている間の大切な一日を、こうして満足して過ごすことができて、何という幸せなことだろうかと思う。
さて、まだまだ家までの長い距離が残っているが、途中で、久しぶりに友達の家を訪ねて、家族のみんなとも話すことができて、さらに満ち足りた気持ちになって、家路を急いだ。
長い間、会っていなくても、目の前でお互いの顔を見て話していれば、それぞれの時はつながり埋まって行くものなのだろう。
前にも取り上げたことのある、フランスの哲学者アラン(1868~1951)の言葉より。
” 悲観主義は気分に属し、楽観主義は意思に属する。”
” わたしたちはなにもしないでいると、たちまち、ひとりでに不幸をつくることになるから・・・退屈が何よりの証拠である。”
(『幸福論』アラン 白井健三郎訳 集英社文庫より)