ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

ワタシはネコである(206)

2011-12-18 17:56:27 | Weblog


12月18日

 うーっ、寒い。飼い主にドアを開けてもらい外に出る。こんな時間なのに外が明るいのは、そうか雪が積もっているからか。ワタシは庭の片隅で、雪と枯葉をかき寄せてトイレをすませる。
 ベランダ側に回り、少し開けてあったドアから家の中に入り、とっとっとと速足で、部屋のストーヴの前に行く。そこに座りこんで、飼い主を見てひと鳴きして、体をなでてもらい、それから少し毛づくろいをする。まったく、この寒い季節になると、トイレに行くのも一苦労なんだから。
 もっとも、飼い主から聞いた話では、北海道の家は、トイレが別の離れたところにある小屋にあって、冬の大雪の時期には、朝まずスコップを持って外に出て小屋までの道を開けながら、やっとたどり着いて、それも暖房もない隙間風だらけの小屋の中に座ってするんだから、大変なんだと言っていた。

 さらには、あの亡くなったおばあさんから聞いた話だが、田舎の昔の家では、ポットン式便所で臭うから、離れになっているか別棟になっているかで、子供の時には、夜トイレに行くのがそれはそれは怖かったそうだ。
 寝ぼけていて、その便器の穴から下のウンチ溜めに落ちて、大騒ぎになったこともあったそうだ。それでも洗っても洗ってしばらくは臭いが取れず、他の皆はその子に近づかなかったそうだ。
 ともかくそんな具合だから、便所へは子供同士で行くか、母親についていってもらうかしたそうだが、それも小学校低学年ぐらいまでのこと、それから先は一人で行かねばならずガマンして、だから昔はオネショする子が多かったそうだ。
 少し前にはやった『トイレの神様』の歌を昔の子供たちが聞いたら、「そんなもんおらへんわ、”便所のお化け”ちゃうんか」と口をそろえて言っただろうに。

 つまり時代は変わり、話も変わっていくということだろうが、ワタシたちネコの世界ではそんなふうにちゃんと新しいトイレの恩恵にあずかれるのは、子供の時から家でしつけられたネコちゃんだけで、ワタシみたいなノラネコ上がりや、多くのノラネコたちは、相変わらず外で用を足している、トイレノラなのだ。
 昨日、飼い主のそばでワタシもテレビを見ていたのだが、被災地の動物たちの現状が映し出されていて、飼いイヌやネコがノラ化して、助けに来た人間たちのそばに近づかないだけでなく、餓死したものさえもいたのだ。
 人間たちの過ちのつけが、何の関係もないイヌネコにまで及んでいることを知らされ、思わずワタシも怒りに駆られて、肉球をぐっと握りしめたほどだった。
 あのイヌネコたちと比べれば、暖かい部屋で十分なエサをもらってこうして寝ているワタシは、何と幸せなことか。ありがとさーん、ニャーオ。


 「1週間ごとに強い寒波が来て、すっかり冬になってしまった。日中に降った雪が、一面に白くなるほどに積もった。このところ、朝はマイナス4度くらいまで下がり、日中も気温は上がらずプラスの3度くらいで、暖房効率の悪いこの家の中ではなおさら寒く感じられる。
 ただし、その前に数日続いていた晴れて暖かい日に、私は外での仕事をほとんど終わらせていた。一部がはがれていた鉄平石のモルタル貼りに二日かかり、家の庭の高い生垣や、カイヅカイブキなどにハシゴを立てかけて、刈り込み作業をするのにさらに二日かかり、後は枯れ葉切り枝を集めて燃やして、なんとか一件落着した。
 とはいえ、日ごろのぐうたらさがたたって腰は痛くなり、体はクタクタに疲れてしまった。しかしそうして働いたおかげで、毎日朝までぐっすりと眠ることができた。思うに、人間の体とは、日々労働するように、そしてその疲労と回復のバランスを取るべくできているのだ。 
 
 労働こそは安眠の母であり、考え過ぎるだけの毎日に安らかな眠りはない。さらに言えば、あのブリューゲル(1525~1569)の『怠け者の天国』の絵にあるように、怠け者の戒めをしっかりと心にとめて、毎日を送るべきなのだ。
 つまり毎日、適度な労働に励み、適度な思考の時間を持ち、適度な食事をとり、孔子が言うように、何事にも矩(のり)をこえずに生きて行くことが大切なのだ、と自らに言い聞かせなければならないほどに、私は、そうではない毎日送っているのだ。
 たまに働くだけだから忍耐力もなく、あちこち体が痛くなり、どうでもいいようなことを考え悩んてはあきらめて、無駄な時間を過ごし、毎日同じような簡単な食事ですませ、まんじゅうでも食べながらテレビを見ては、ひとり馬鹿笑いをしている。
 そんな私を、ミャオがじろりと見る。

 こんな毎日ではだめだと、寒い外に出る。庭にある雪をかぶったシャクナゲの葉の間に、つぼみが一つ(写真)。それは、寒さに耐えて冬を過ごし、半年後には清らかな薄紅色の花を咲かせるだろう。
 かつては、私もそうした高い思いを持って、明日を夢見ていたのだ。
 
 アンドレ・マルロー(1901~1976)やヘミングウェイ(1899~1961)の小説、さらにはあのT・H・ロレンス(1888~1935)の伝記本などに触発されて、いつかは世界へと乗り出してやると、『ああ玉杯に花うけて』(旧制一高寮歌)の歌にあるように『栄華の巷(ちまた)低く見て、五寮の健児、意気高し』というほどに鼻息荒く、小生意気な夢を掲げていたのだが。しかし、そのなれの果てが、今のこのぐうたらな生活を送る自分であるとしても、確かにあの頃の私は、明日に花咲かせるべく大きなつぼみを持っていたのだ。

 たとえばマルローについては、今までにここに何度も書いてきたが(4月23日の項参照)、こうした行動主義的な問題になると、どうしてもまず最初にマルローの言葉が思い出されるのだ。

 『自己を世間から切り離す者が最も信じることのできる武器、それは勇気である。
  人生を何らかの済度に役立つものと考えている人間どもの“思想の屍(かばね)”が、いったい何になるだろうか?
  人生に一定の目的性を与えないことが、一つの行動の動機となり条件となるのである。』

 (『王道』小松清訳 筑摩書房より)

 さらに、この本の後記に書いてある解説者、佐伯彰一の言葉、『マルローのうちにある、ニーチェ風な烈しい単独者の姿勢・・・』は、実は思い返せば、前回まで書いてきた、加藤文太郎と植村直己の二人の単独行者への思いともつながっていくのだ。

 こうして、自分の来し方を、思い起こし理解すること、それは今の自分とはまったく違う小生意気な若き日の自分を、まるで他人事のように興味深く観察し、見直すことができるからである。
 もちろんこうした、過去の思い出に浸ること自体が、すでにもう年寄りの領分であり、上にあげたマルローの言葉を借りれば、『自己を世間から切り離す年寄りたちがもっとも信じることのできる武器、それは思い出である。』ということになるのだが。

 さて、話はさらに、前回書いたアドラーの心理学とも関連することになる。つまりアドラーの言う補償行動こそが、行動主義作家たちの冒険となり、ましてやあの二人の登山家たちの単独行になったのではないのかと・・・。

 ここで、話は現実的なことになるが、私は、ここ当分の間、大型書店のあるような大きな町へ行く予定はない。ということは、読みたい本もそう簡単には手に入らなくなるということだ。
 それで、遅ればせながら、初めてネットで買い物をすることにした。もちろんそれは、知らない店舗や個人相手との金銭物品のやり取りではなく、有名書店との代引き配送による書籍の購入だったのだが、何の問題もなく、三日後には手元に3冊の本が届いた。何とありがたいことだろう。苦もなく、読みたい本がすぐに手に入るのだ、送料もかからずに、本屋で買うのとたいして違わない値段で。
 ただし、あの大きな本屋に行って、何時間もかけてあちこちの書棚をのぞき、一冊一冊手にとって吟味していく喜びはなくなるが。ともかく、こんな田舎に住む人間にとってこそのネット通販、何とありがたいことか。こうして私は、何年も前からネット通販が世間の常識だったのに、まことに遅ればせながら、今になってその便利さを知ったのだった。
 
 それはアドラーの心理学についての2冊と、グルジアの画家、ピロスマニについて書かれた本である。このピロスマニの映画については、前にも何度も書いてきたのだが、ぜひもう一度見たいと思っているのに、DVDは廃盤になっていて、中古市場に出回っている値段は、べラボ―なもので、お金が惜しいというよりは、そんなにしてまでオークション的なセリ値で買いたくはないからだ。
 後は、そのDVDが再発売されることを、さらには私たち名作映画ファンの味方であるNHK・BSで放送してくれるのを、待つばかりである。」

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