2月16日
上の写真は、十数年前の同じ時期に、扇ヶ鼻(1698m)から見た九重主峰群(右から久住山、中岳、天狗ヶ城、星生崎)の眺めである。
それは、風雪が吹き荒れた翌日の、見事な青空が広がった一日だった。
当時はまだデジタル・カメラではなく、中判フィルム・カメラを愛用していて、それだけに手当たり次第にシャッターを押すわけにもいかず、フィルム枚数を気にしては、ここだと自分の気に入った所だけで、落ち着いて一場面2,3枚ずつ撮っていたものだった。
それで、昔の方が上手に写真を撮れていたとかいう話ではなく、相変わらず写真には向いていないと言われる真昼間の順光の中で写真を撮っていたし、それでも今にしてみれば、それぞれの場所での写真が、かなりの時間距離を隔てて撮られているから、ここぞと思った時にだけシャッターを押していたのがよくわかる。
それはもちろん、写真の出来の良し悪しではなく、その時の自分の思いが伝わってきて、なるほどと思うだけのことだ。
写真は、やはりいいよなあ。
もちろん、写真だけで、その時のすべてを写し取れるものではないが、その時の一部だけを大きく映し出し、さらには周りの環境や思い出さえもよみがえらせてくれるからだ。
この後、私は足跡もない急斜面をひとりラッセルして、星生崎(ほっしょうざき、1720m)に上がり、そこから久住山(1787m)の姿を撮った。
(その写真を、今回の記事の末尾に入れておくことにする。)
どうして、こんな十数年前の九重の山の写真を取り上げたかというと、もしかして今年の冬の九重のシーズンは、もう終わりになるかもしれないと思ったからである。
毎回書いていることだが、今週も雪の降った後の晴れの天気が土日に重なった。
もう毎週ごとにお見事と、ほほ笑むしかないほどの天気のめぐりあわせだったが、そういうこともあるものだよという、神の片寄りのない采配(さいはい)のようにも思えた。
”おまえは、今まで、もうたっぷりと冬の九重の素晴らしさを味わってきたのだから、これからは若い人たちに譲りなさい。”と・・・。
私は、けなげにも手を組み合わせ、空を仰ぎ見ては答えるのだ。”はい、御心のままに。”
てなこと書かれてその気になって、こんなクソじじいの言うことなど信用しちゃあきまへんで。
どだい腹黒のタヌキジジイのこと、たんに自分がぐうたらになって、動きたくないから行かなかっただけの話で。
特に土曜日など、おそらくこの冬一番の終日快晴の日で、山々もくっきりと見えるような日だったのだから、何としてでも行くべきだったのに、本人は家にいて、”ひねもすのたりのたりかな”だもの。
ま要するに、”何事も当人の熱意次第ですな” と少し突き放して様子見をする、目上の人たちの言葉は、その意味でも正しいと思えるのだ。
そして昨日から、暖かくなり始めて、気温は12度にまで上がり、庭の日蔭に残っていた雪も溶けてしまい、さらに今日は朝から5度近くもある暖かさで、真冬には見られないような深い霧に包まれていた。少し離れた木々が、まるで白い影に覆い隠されたようにかすんでいる。
こんな濃い霧は、暖かい空気と冷たい空気がせめぎ合う春先ならいざ知らず、2月半ばの今頃からもう春のきざしを感じるなんて。
そういえば、先日行った大きな街の郊外では、すでにもう黄色い菜の花が満開になって咲いていたくらいだから、確かに春は近いのだろう。
ということは、厳しい冬の景観を見せてくれる、今年の九重の冬山シーズンは、もう終わってしまったのではないのだろうか。
つまり今年は、先月と今月初めに1回ずつ、それも半日の雪山を楽しんだだけになると考えて、今までに行った九重の雪山の写真を見返していたというわけなのだ。
さらにちょうど、例のごとく昔のフィルムのスキャン作業をしていたこともあって、年寄りらしく昔は良かったと感慨にふけったりもしていたのだ。
年寄りである私たちは、未来にはそう多くのことは望めないとしても、こうしていつでも呼び戻せる、過去の思い出の引き出しを幾つも持っているのだ。
もちろんそこには、美しく楽しい思い出ばかりではなく、前回に書いた子供の時の思い出のようにイヤなものもあり、そうした哀しいつらい思い出も含めての、様々な記憶が蓄えられているのだ。
「私たち老人が、追憶の絵本を、体験したものの宝庫を持たなければ、私たちは何であろうか? どんなにつまらなく、、みじめであろうか。
しかし私たちは豊かであり、使い古された身体を、終末と忘却に向かって進んでいくだけでなく、私たちが呼吸している間は、生きて輝いているあの宝の担い手(にないて)であるのだ。」
(『人は成熟するにつれて若くなる』 ヘルマン・ヘッセ 岡田朝雄訳 草思社文庫)
そうした思い出の数々は、何かをきっかけにふと思い出されることもある。
あの子供時代の辛い思い出が、前回書いたように、アイドルグループ”乃木坂46”が歌う歌、「君の名は希望」を聞いていて鮮烈によみがえってきたように。
私は最近では、こうしたAKBグループの女の子たちの歌う歌ばかりを聞くようになってきたが、それでも長年聞いてきた他の音楽を全く聞かなくなったわけではない。
特に、数十年にわたって聴き続けてきて、ある時は私が生きていくうえでの大きな支えの一つにもなっていたほどの、クラッシック音楽への愛着心がそう簡単に失われるわけではないのだ。
例え方は悪いが、長年連れ添ってきた古女房の良さは、ちょっとした気の迷いで手を出してしまった若い女の子たちぐらいには、かなうはずもないということか。
というのも最近相次いで、私の気になるクラッシック音楽のコンサートがテレビで放映されたからだ。
まずは、いつものNHK・Eテレ「クラッシック倶楽部」から、室内楽特集とでもいうべきシリーズがあって、その中でも、あのゲヴァントハウス弦楽四重奏団による、CDなどで組み合わされることの多い弦楽四重奏曲の定番曲である、ハイドンの「皇帝」とモーツァルトの「不協和音」の演奏。
私がレコードで聞いていた時代の、ゲヴァントハウス弦楽四重奏団のメンバーとは顔ぶれが大きく異なってはいるが、あの伝統あるライプツィヒ・ゲヴァントハウスの重厚な響きを残しているかのように、安心して聴くことができた。
もう一つは、弦楽四重奏ではなく、ピアノを交えたカルテットのフォーレ四重奏団の演奏会から、ブラームスの「ピアノ四重奏曲ト短調」。
名前は知っていても初めて聴く、フォーレ四重奏団。ドイツ人演奏家たちによる、フランス人音楽家フォーレの名をいただいた、珍しい常設のピアノ四重奏団、それもリーダーたるべきヴァイオリンが女性奏者でと、様々な興味深い思いを抱きながら聴いたのだが、これが予想以上に素晴らしかったのだ。
普通ピアノ三重奏、四重奏、五重奏などというと、普通の弦楽四重奏団のメンバーと、外から招いたピアノの名手との組み合わせが多く、演奏の良し悪しは、多くの場合ピアノの出来いかんに負うところが多かったのだが、ここでのピアノは、あまり大きく前に出ることもなく、四重奏団としての枠の中での旋律を支えており、むしろヴァイオリンの彼女が情感豊かに曲調を作っているようにも思えた。
本来は、クラッシック音楽の中でも特に室内楽が好きな私としては、今度CDショップに立ち寄った時には、このフォーレ四重奏団演奏の、ブラームスとモーツアルトのCDを買いたいものだと思っている。
そして次なる二つは、昨日から今日にかけて放送されたもので、まだ録画して編集のために早送りで見ただけなのだが、久しぶりにわくわく気分になってすぐにでも見たいほどなのだ。
それは、ドレスデン管弦楽団の演奏会、去年の年末に”ジルヴェスター・コンサート”として公演された、演奏会形式のオペレッタ「チャールダーシュの女王」であり、ティーレマンの指揮のもと、あのソプラノのネトレプコとテノールのフローレス他の組み合わせによる舞台・・・それがちゃんとしたオペレッタの舞台であろうがなかろうが、この組み合わせで悪かろうはずがない・・・キャイーン、ワンワン、と雪降る庭を駆け回るイヌの気分なのだ。
そして後半は、前に放送されたティーレマンとドレスデンによる”ブラームス・ツィクルス”第3弾としての、今やピアノの巨匠たるポリーニの「ピアノ協奏曲第2番」と、「交響曲第2番」なのだ。
さらにもう一つは、最近話題のブレーメン、ドイツ・カンマー・フィルによる、パーヴォ・ヤルヴィ指揮の「交響曲第1番」と「ピアノ協奏曲第1番」というブラームスづくしでまとめられているのだが、これらは折を見て一つずつ聴いていくつもりだ。
ということで、最近放送されたクラッシック音楽のテレビ番組について書いてきたのだが、いつもならこのあたりで、去年一年で私が買い入れたクラッシックCDの、ベスト10なるものを書いていたのだが、今では次第に購入枚数が減ってきていて、ベスト10がベスト5になり、ついにはベスト3や2にまでなってしまい(’13.1.28、’14.2.3の項参照)、今年ここであげる対象になるCDはと言えば、わずか2点だけ。
もう”ベスト”などと言えるはずもなく、ただそのCDの名前だけをあげておくことにする。
1: バッハ 「ゴールドベルク変奏曲」「平均律クラヴィーア曲集」 グレン・グールド SONY MUSIC (5CD) 2090円
(もちろんこれは、伝説のピアニスト、グールドを代表するCDであり、すでに古い国内盤を持っていたのだが、余りの値段の安さに買い替えることにしたのだ。)
2: フォーレ 「室内楽全集」 カプソン兄弟、ダルベルト他 WARNER ERATO (5CD) 1990円
(このフォーレの室内楽全集は名盤が多く、ユボー他のERATO盤、コラール他のEMI盤と持っているのだが、日本レコード・アカデミー賞を受けているのにこの値段というのに驚いて、買い入れてしまったのだが、演奏は素晴らしく、私としてはこれからはユボー盤とどちらか迷うほどになるだろう。)
こうして、クラッシック分野では、何とも情けない購入数になってはしまったが、今までに買い集めたCDはゆうに数百枚はあり、考えてみればこの年寄りに、それらすべてを聞きなおすだけの時間が残されているかどうかも分からないのに。
もっとも、それ以外にも去年購入したCDがあるのだ。
恥ずかしながら、御存じのとおり、あのAKBの中古CD3点であります、はい。 「BEGINNER」「UZA」「SO LONG」、その購入については、去年の11月24日の項参照。
そこで私としては、このCDを含めて、テレビ番組も入れて、去年から今年にかけて最も多く聞いたAKB系の曲のベスト3をぜひとも書いておきたいと思ったのだ。
1: CD付属のミューシック・ビデオによる「UZA」
(今のAKBではできないだろう、AKBとしては異質な先鋭的音楽づくり、振り付け、映像、すべてにいまだにしびれるほどで、私にとってのAKBベスト1だ。去年の11月24日の項参照)
2: 去年、夏のテレビ”FNSうたの夏まつり” での「ダンシング・ヒーロー」
(荻野目洋子、AKBの高橋みなみ、HKTの指原莉乃による歌とSKEメンバーによるバックコーラスとダンス、全く何度繰り返し見ても一緒に踊りたくなるほどだが、じいさんには無理か。去年の8月25日の項参照。)
3: 去年4月のNHK”乃木坂46SHOW”の中での一曲、「君の名は希望」
(このところ、毎日一回はあのピアノの出だしを聞きたくなるのだ。5分に及ぶフルコーラスであの秋元康の歌詞を聞きたいし、やはり胸が熱くなる哀しくやさしい曲だ。YouTubeでの生田絵梨花のピアノ弾き語りにもひかれるが、ネットのLTE接続では消費量が多くて、たまにしか見られないのが残念だ。あの名曲「でもでもの涙」でも同じことが言えるのだが。前回2月9日の項参照)
こうして、じいさんのさすらいの音楽の旅は続くのでした。
”八丈島のきょん!”(意味のない”こまわりくん”のかけあい言葉。)
とはいっても最後に、やはり最初に書いていた通りに、私の好きな冬の九重、その久住山の写真を一枚。