ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

『揚げヒバリ』とカタツムリと『アリアドネ』

2013-04-07 11:42:25 | Weblog
 

 4月7日 

 花に嵐のたとえ通りに、強い南風の後は強い北風(何と雪まじり)と二日も吹き荒れて、満開になるばかりのわが家のヤマザクラも、かなりの花を散らしてしまった。
 その花びらは仕方がないとしても、哀れなのは、つぼみのまま、あるいは花の咲いたその房ごと、吹き飛ばされて地面に点々と落ちているものたちである。

 とはいえ、季節は春であり、晴れた日が続くと、日一日と次第に春の陽気に満ち溢れていくのが分かる。
 「秋の陽は、つるべ落とし」というけれど、春の日は、何に例えたらいいのだろうか。
 心地よい暖かさの中で、咲き競う花々、そよ風が吹き、鳥たちのさえずりが聞こえる・・・。
 「春の日は、揚(あ)げひばり」。ふとそんな言葉が頭に浮かんだ。

 ヴァイオリンがソロで奏でるメロディーが、空高く舞い上がっていく・・・時は、まさに春。
 その、ひばりが鳴きながら中空に舞い上がっていくところを描いた、ソロ・ヴァイオリンと管弦楽のための曲「揚げひばり」は、あのイギリスの国民的作曲家、ヴォーン=ウィリアムズ(1872~1958)による作品である。

 彼は9曲の交響曲の他にも、イギリスの古い民謡の旋律をもとに、幾つかの美しい管弦楽曲を書いているが、そのいずれもがまるでイギリスの田園風景を思わせるようである。
 人によっては、それを通俗的な標題音楽にすぎないと評する人もいるようだが、私のようなミーハー的なクラッシック音楽愛好家には、深く考えずに、ただ心地よく耳に響いてくる曲はすべてが、自分の好きな曲になってしまうのだ。
 思えばそれは、若き日のヨーロッパ旅行での、イングランドからスコットランドへとたどった数日間の旅の景色と重なり、さらに同じイギリスのあの田園風景画家、ジョン・コンスタブル(1776~1837)の幾つかの絵画も思い浮かんでくる。

 レコードの時代、この曲で私がよく聴いていたのは、マリナー指揮、アカデミー室内合奏団によるものだった。
 その輸入盤レコード(Decca,argo)のジャケットの絵が、まさに曲のイメージ通りに、コンスタブルの『とうもろこし畑』だった。(写真上)
 田舎道には群れになった羊たちがいて、その羊を追っていた少年が、小川の流れに腹ばいになって水を飲んでいる。傍では、牧羊犬のボーダーコリーが飼い主の少年の様子を見ている。高い木々の間からは、穫り入れ時を迎えたとうもろこしの畑が広がっている。、
 春の風景ではないけれども、何と心なごやかな初秋のイギリスの田園の光景だろうか。

 このレコードに収められているのは、「タリスの主題による幻想曲」「揚げひばり」「”富める人とラザロ”の五つの異版」「グリーンスリーヴスによる幻想曲」であり、いずれもが甲乙つけがたい美しい曲ばかりだが、この中で、イギリス風景を思わせる他の3曲に比べて、「富める人とラザロ」だけがその題名からして少し異質にも思えるのだが、その曲調は他の3曲に相通じるものがあり、さらにいや増して素晴らしい曲なのだ。
 あの聖書における有名なラザロの話から作られた古謡を、今によみがえるべく鮮やかに編曲していて、その美しいオーケストレイションの昂揚(こうよう)感は、いつ聴いても私の心に訴えかけてくるのだ。

 確かにあの「揚げひばり」におけるアイオナ・ブラウンのソロ・ヴァイオリンの美しさは比類のないものであり、あえて言えば、リムスキー=コルサコフの「シエラザード」でのソロ・ヴァイオリンの美しさに匹敵するものかもしれないが、ヴォーン=ウィリアムズからの一曲として選ぶなら、私は「富める人とラザロ・・・」の方を選ぶだろう。

 CDの時代になって、私は他の演奏者によるものも聴いてはみたのだが、やはり帰って行く所は、マリナーとアカデミーによる演奏のものであり、デッカ原盤のCDをあらためて買ったことは言うまでもない。 
 特に北海道の家にいて、この4曲が収められたCDを聴く時には、まさにその響きがふさわしい場所にいると実感するのだ。

 その北の家に帰る日も近いのだが、それまでに、この九州の家でもやっておかなければならないことがいろいろとある。
 冬の間に枯れたり折れたりしている枝などを、集めては燃やし、(いつもならそのたき火の傍に、ニャーと鳴いてミャオが寄って来ていたのに)、それからあちこちで目立ち始めてきた庭の草取りをして、さらに小さな畑の土起こしや植えつけ作業も残っている。
 もっとも畑の方は、いくら植えつけをしても、監視の目が行き届かずにすぐにシカに食べられてしまうから、何かシカが食べないものを植えるようにしなければと思うのだが。

 というふうに少しずつ、庭仕事を始めたのだが、その庭の一角には一本のヤマザクラの木があり、咲き始めから満開になるまで、毎日今日はどうかと見上げるのを楽しみにしていたのだが、あいにくの嵐だ。
 ところで、その数日前のことだが、暖かい日が続いて、ヤマザクラの花が咲き始めたころ、根元のあたりの、他の木々のために日陰になっている枯葉の上に、白っぽい丸いものが二つ見えた。

 近寄ってみると、何とそれは二匹のカタツムリだった。(写真)

  

 一匹のカタツムリだけなら、別に珍しくもなくいつも普通に見ているのだが、向かい合わせにいるのを見たのは初めてだった。
 なるほど、この春の暖かさの中で、彼らにも恋の季節が来たというわけなのだろう。

 そこで、小さなデジカメを持ってきて写真に撮ってみた。しかしその時に、薄暗い所で彼らを驚かせないようにと、フラッシュ禁止にしていたのが間違いだった。
 写した2枚とも、かなり大きくブレていたのだ。まさしく初歩的なミスで、私にはよくあることだ。
 記録として残すだけならそれでもいいのだが、自分だけで見るにしてもブレた写真はやはり見るにたえない。

 前にも書いたように、今、ヒマな時を見ては少しずつ、昔の中判フィルムのデジタル・スキャン作業をしているのだが、そこでも、よくブレた写真が見つかるのだ。
 というのも、初心者にはありがちな、フィルム代をケチって基本的にはワン・シーンでワン・ショットしか写していないから、最高の眺めだったのにブレた写真しかないということもあるのだ。
 しかしそれは、そうなるだろうことを承知した上でのことでもある。

 つまり、今までの長い山登りの人生の中で、私としては、まず山に登り頂きをめざすことの方が重要であり、写真はあくまでもその時の記録を残すためのものであって、はなから芸術写真などを取るつもりはないのだから、なるべく手早く写しては、急いで次の地点へ、頂きへと向かうことの方が大切だったからだ。
 そうであれば、当然面倒な三脚は使わないから、シャッター・スピードを上げて手持ちで撮るか、ストックや岩などに固定して撮っていくことになる。だからブレる写真が出てくるのは、仕方のないことなのだ。

 こうして私は長い間、写真よりはまずその山に登ることが第一という考えを、ブレずに押し通してきたのだが、今、年を取ってきて、山登りにかかる時間が、コース・タイム通りかそれ以上になってきて、はたと気づいて、その考え方を変えるべく思ったのだ。
 いつかは、長い距離の登山はできなくなってしまう。それでも山を見たいという思いは変わらないだろうから、短い時間で登れる山にするか、あるいは下から眺めるだけにして、三脚を使ってゆっくり時間をかけて写真を撮っていけばいいのだと。
 車もワゴン車にして、そこで寝泊まりして、日本中の山々を見て歩き、写真を撮っていく、そんな放浪の旅に出てみたいと・・・。

 そして、いつの日か、あの西行法師(さいぎょうほうし)の花と月への思いになぞらえて・・・”願わくば、雪の下にて冬死なむ、その如月(きさらぎ)の山白き頃”・・・とは思うのだが。

 さて、いつもの私の悪いクセで話がそれてしまったが、元に戻ろう、カタツムリの話である。
 二匹のカタツムリは、お互いの体に触れ合いじっとしていた。
 調べてみると、いろいろと面白いことが分かった。

 カタツムリ(蝸牛)は、陸生の巻貝の仲間であり、一般的に言えばナメクジとの差は、その体と一体化した殻(から)があるかないかであり、その語源は、”笠つぶり”からきているのではないかとのこと。
 カタツムリは、デンデンムシとも呼ばれ、その語源は、貝の中に閉じこもっている時に、”出て来い、出て来い”と呼びかけたからではないかと、そしてマイマイとも呼ばれる語源は、同じようなはやし言葉の”舞え、舞え”からであり、あの昆虫のマイマイカブリは、そのマイマイにかぶりつくから名づけられたのだということ。
 さらに、カタツムリは雌雄同体(しゆうどうたい)であり、互いの生殖機能を持っていて、交接相手が見つからない場合には、自己生殖を行うが、弊害が多いとのことである。(以上、ウィキペディアより)

 してみると、この二匹は、神聖なる生殖行為を行おうとしていたところなのかもしれない。
 私は写真を撮った後、そっとしておいてやるために、その場から静かに離れた。

 私は、若いころに、愛する彼女と二人でいた時のことを思い出していた。

 何をしなくても、二人でただじっとやさしく抱き合っていれば、それだけでもう十分に幸せだったこと。
 何の心配もなく、お互いの心とからだを任せられる相手がいるということ、そんな何ものにも代えがたい思いがあったこと。
 その時に、世界に異変が起きたとしても、二人に死が迫っていたとしても、何も怖くはなかった。
 数多くの小説や戯曲に書かれたり、あるいは実際の出来事としてあったこと、その死を賭けてまでの一途な恋の話は、ある時は余りにも痛々しくも感じられるのだが、年を取った今になったからこそ、思い出と相まって胸を打つのだ。

 あの心満ち足りた、二人だけでいることの安らぎの時間・・・私がもし若き日の、ある時に戻りたいとすれば、それはただむき出しの若さをひけらかしていただけの、いたずらに時間を浪費していたその青春時代にではなく、あの二人だけでいたひと時にこそ、それも一つではない幾つかのそれぞれの思い出の時々に・・・。

 ・・・と、さすがに我ながらあきれるほどの、彼女たちには申し訳ない自分勝手な思いなのだが、それも今ではこの老い先短い年寄りの、繰り言(くりごと)ゆえに、その思い出だからと許してくれるだろうか。
 そこで、最近NHK・BSで見た、あの去年のザルツブルグ音楽祭でのオペラ、リヒャルト・シュトラウスの『ナクソス島のアリアドネ』についていろいろと書くつもりだったのだが、またいつものようにあちこち話が飛んでしまい、ここまでに余分なことばかりを書き連ねて長くなったから、ともかく以下は簡略化して書くことにする。

 リヒャルト・シュトラウス(1864~1949)は、クラッシック音楽、後期ロマン派の、というより現代音楽へと移行する時代に現れた、最後のロマン派音楽の名残りとでもいうべき作曲家であり、管弦楽曲や歌曲など、特にオペラの分野において輝かしい足跡を残している。
 そのオペラの中でも、最高との評価が高い『ばらの騎士』(’10.1.3の項参照)や『影のない女』(’11.8.23の項参照)については、すでに今までもそうして取り上げてきたのだが、さらにまたこうして別なオペラについて書きたくなるのは、つまりは、彼のオペラにひかれているからなのだろう。
 それは、弦楽のための『メタモルフォーゼン』や、歌曲の『四つの最後の歌』などを聴く時も同じように心に響いてくるのだが、『ばらの騎士』の元帥(げんすい)夫人のアリアやこの『ナクソス島のアリアドネ』のアリアドネのアリアのように、その時代の終わりの、あるいはそれぞれの人生の終わりに近い、夕映えの中のわびしいきらめきを感じるからなのだろうか。

 この『ナクソス島のアリアドネ』においても、愛する人に置き去りにされたアリアドネの嘆きが、いつしかあきらめへと変わっていく寂しさが感じられるのだ。
 しかし、深く悲しんでいるそんな彼女を見て、その劇中劇の中での道化師仲間の踊り子、ツェルビネッタは、アリアドネとは対照的にそんな一人の男にこだわらずに、何度もの恋愛をして自分の人生を楽しむべきだと語りかけるのだ。

 ホフマンスタールが書いたこの話は、観衆側から見れば二重に仕組まれていて、つまり舞台では、あの17世紀のフランスの喜劇作家モリエール(1622~73)が書いた『町人貴族』という芝居をやっているのだが、その劇の中でオペラ『ナクソス島のアリアドネ』が上演されることになり、さらに驚くべきことには、成り上がり者で町人貴族ぶるこの家のご当主の命令で、お気に入りの道化バレーの一座がそこに加わることになったのだ。

 それは、劇中劇の中のもう一つの劇ということになるのだ。つまり、この複雑な話のオペラは、モリエールの皮肉いっぱいの芝居『町人貴族』を見て笑い、一方で対照的なギリシア神話に題材をとった『ナクソス島のアリアドネ』の悲劇のオペラを見て(最後はハッピーエンドになるのだが)、その間をつなぐかのような道化師バレーも楽しむという、まさに一度見て三つ楽しいという、どこかのキャラメルのうたい文句のような、当時のオペラ界からすればまさに意欲的な出し物だったのだ。
 しかし当時は、興業的には失敗して、その後シュトラウスは仕方なく、『ナクソス島のアリアドネ』だけを切り離して単独でオペラとして上演したということであり、私が知っているのもそのオペラだけのものだったのだ。

 今回上演されたものは、初演時の原典版ということであり、第一幕の『町人貴族』の場面は、すべて俳優たちによる演技だけの舞台劇であり、歌のないオペラの違和感はあったが、演技者はそれぞれに達者であり十分に喜劇として楽しむことができた。
 そして第二幕のプロローグから『ナクソス島のアリアドネ』のオペラも始まり、悲劇のヒロイン、アリアドネ役のエミリー・マギーの抑えた深い響きの声と、そこにからめて挿入された踊り子役、ツェルビネッタのエレーナ・モシュクの超絶技巧のコロラトゥーラの歌声も見事だったのだが、何といってもそれまでの喜劇めいた舞台の雰囲気を、一気にオペラの世界に変えてしまったのは、あのバッカス役ヨナス・カウフマンの登場によってであった。

 このオペラについて、さらにリヒャルト・シュトラウスについてなどまだまだ書きたいことは幾らでもあるのだが、もうすっかり長くなってしまい、このあたりで終えることにしよう。それにしても、様々な示唆(しさ)を含んだ興味深いオペラだった。

 話をはじめに戻してまとめれば、二匹のカタツムリのめぐり会いの恋と、私の若き日の恋の安らぎのひと時の思い出と、『ナクソス島のアリアドネ』での、アリアで対比された二つの恋による生き方について・・・こうして、それぞれをただ提示しただけで終わるのも、何か決まりがつかない気持ちになるのだが。

 そこで、この年になって思うのは・・・長い短いはともかくとして、誰でもが心の青春時代を過ごしてきて、幾つかの恋をしてきて今があるわけであり、そこにはそれぞれの生き方があり、どれが良くてどれが良くなかったいうわけでもなく、そうした出会いがあったことに感謝するべきだと。
 そして、後になってそれは、誰しもの心の中に一瞬光り輝く思い出となって残り続けていくのだから、それだからこそあの青春のひと時をいとおしく思うのだろうと・・・。

「・・・もう空はたそがれはじめて、夢のように、二羽のヒバリがかすみたなびく空に昇っていく・・・」。

(リヒャルト・シュトラウス『四つの最後の歌』より「夕映えの中で」)

「いのち短し、恋せよ少女(おとめ)
 朱(あか)き唇(くちびる)、褪(あ)せぬ間に
 熱き血潮(ちしお)の、冷えぬ間に
 明日の月日はないものを・・・」

(『ゴンドラの歌』吉井勇作詞 中山晋平作曲 松井須磨子歌)

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