10月1日
数日前、東北の山に行ってきた。
今回目指したのは、東北の宮城、岩手、秋田の三つの県境にまたがってそびえている栗駒山(くりこまやま、1626m)である。
もちろん、紅葉の時期をねらってのことなのだが。
しかし、天気が安定せずに、今年は紅葉が一週間早いという情報とともに、じりじりとした思いで晴れの予報が出るのを待っていたのだが、ようやく平日に天気予報で晴れマークがついた日があって、それに合わせて出かけることにしたのだ。
というのも、その後に台風が来ることが予想されていて、強風が山の紅葉を散らす前に、何としてもその紅葉が盛りの山に登りたいと思っていたからだ。
しかし、そうした私の思いとは裏腹に、天気予報も安定はしなかった。
数日前の、一日だけの晴れマークの予報から、次の日には、快晴マークの後に次の日も晴れマークが続く二日続いての好天の予報に変わり、思わず声をあげて喜んだのに、出かける前日には、一日だけの雲の多い天気マークになってしまったのだ。
普通なら、そのぐらいの予報では出かけないのだが、それでも、飛行機、宿の予約を含めて、今さら変えるわけにはいかない。
もう後は、運を天に任せる他はないのだ。
”南無観音大菩薩(なむかんのんだいぼさつ)様、並びに八大竜王(はちだいりゅうおう)様(幸田露伴『五重塔』参照)なにとぞ雨降りだけはおやめください”と祈るばかりだった。
というのも、私の数十年近くにも及ぶ、長い山行歴の中では、それは"百名山”などを意識して登って来たわけではなくて、その時その時に自分が行くことのできる山に登ってきただけのことであるから、かなり偏った志向になっていて、九州の九重山、本州の北アルプスに北海道の大雪山、日高山脈が主な領域であって、それぞれに二三十回は登っているだろうが、もちろん日本の山はそれだけではなく、多様な山岳景観に満ち溢れているのだからと、ある時、今さらながらに気づいて、まずは、まだ登ったことのない世評に高い名山と呼ばれる山々に、登っていくことにしようと思ったのである。
そこで遠征して登って来た山は、このブログで書いてきたように、富士山、屋久島、白山、御嶽山(おんたけさん)、飯豊連峰などであり、もちろんそれは、深田久弥氏の”百名山”に選ばれた山だからという山選びではなく、今までテレビ雑誌などで見てきたものを、あくまでも、自分なりの基準に当てはめた上で選んだ山々である。
そして、実際に登って来たそれらの山々は、確かにすべて名山に値する山ばかりで、私はこれからも自分の年齢を重ねていきながら、さらには老いゆくと体力の衰えを感じながらも、次なる遠征の山旅を続けていきたいと思っている。
さらには、まだ登っていない名山と呼ばれる山々だけでなく、前に登ったことがあっても、季節を違えて、特に積雪期を意識して行った山がいくつもあり、これもこのブログで書いてきたことだが、八ヶ岳、立山、唐松岳、燕岳(つばくろだけ)大天井岳、伯耆大山(ほうきだいせん)、蔵王山、八甲田山などは、まさにその雪の景観を眺めるために出かけて行ったのだ。
そして、それらのすべては、天気のいい日を選んで出かけて行ったからこそ、晴天の空の下での、美しい山々の姿を眺めることができたわけであり、併せて私の登山の第一の目的である、周囲の展望にも恵まれて他の山々の姿も見ることができたのだ。
もちろん、それまでの長い登山経験の中には、悪天候の中、登った山もあったけれども、年を取るにつれて考えるようになってきたのだ、せっかく山に登るのに、天気の悪い時に登っては意味がないと。
雲に包まれて山頂からの展望がない、何も見えない天気の悪い日に登っただけでは、その山の良さを正しく評価をできるはずがないし、心から山を楽しむこともできないのだから。
若い時ならば、それが悪天候時の訓練にもなるのだからと言えるのだろうが、年寄りになった今、そんな山の景観もろくに楽しめないような天気の悪い日に行って、これが山行の訓練になるのだからと、のんびりと構えていられるだろうか、もう大した余生もないというのに。
こういうところに、自分のごうつくばりじじいの本性が現れるのだろうが。
ともかくここで、ハイデッガーの『存在と時間』をあげるのは飛躍しすぎかもしれないが、”残りの時間を意識して生きる”ことが、まさに”人間として生まれた自分のための、時間を享受する”ことになるのではないのだろうか。
私が、年を取るにつれ、山登りにぜいたくな注文を付けるようになったのは、一つには”ぐうたら”で”欲深い”性格があるからかもしれないが、一つにはその残り少ない”存在と時間”を意識しているからでもあるのだが。
今回、栗駒山を選んだのは、それまでに、たとえば東北の冬の山は、樹氷で有名な蔵王と八甲田にはぜひとも行かなければと思っていたから、それぞれに好天の日を選んで、その氷雪の芸術の世界を満喫することができたし、次に紅葉の時期にはと言えば、他にもいろいろ有名な山はあるが、まずは世評にも高い栗駒山の紅葉をと思っていたからである。
しかし、今回は、天気予報が定かではなく、雨は降らないにしても雲の多い天気になるのではと、かなり出かけるのをためらったのだが、雨の確率は低いし、曇り空のままならば、今回の山行が、山々の展望というよりは、紅葉景観がその最大の目的であるのだから、”えーい、ままよ”と運を天に任せて、家を後にしたのである。
ところで、私たち北海道の道東に住んでいる人間にとって、実は東北に行くのには、かなり不便な思いをしなければならないのだ。
つまり、飛行機で行くには直通便がないから、まず東京に出て、そこから東北新幹線に乗って半分ほど戻らなければならないし。
それ以外の方法では、列車で行くにしても、在来線特急を乗り次いでやっと函館北斗駅まで行って、そこで新幹線に乗り換えるということになり、運賃が高くなるのはともかく、時間が12時間以上もかかってしまうことになるし、一番安上がりなクルマで行くにしても、苫小牧まで行ってフェリーに乗って八戸か仙台まで行き、そこから目的地の登山口まで行くことになるが、それだけでも疲れるうえに、一日以上もかかるし、さらにそこから山に登るとしても、山頂往復しかできずに、山頂をつないでの縦走などはできないし、全く不便極まりないのだ。
結局、東京集中の日本の交通体系では、どこの山に行くにせよ、地元の人はともかくとして、東京に住んでいる人たちが、一番交通の便がいいということになるのだろう。
(余談だが、昨日の台風の影響で首都圏の電車などが大混雑していて、各駅で渋滞の行列ができているニュース映像が流れていたが、もし大きな災害が起きて、何日も交通機関がストップしたら、この大都会はどうなるのかと心配してしまうのだが。便利さと不便さは、どこにいても付きまとう”もろ刃の剣”なのかもしれない。)
さて、乗り込んだ飛行機は、通路側の席だったうえに、ずっと雲と上空の青空との境目辺りを飛んでいて、外の景色どころか、乗ってる時間の半分以上は、下の悪天候に合わせて機体が大きく揺れ続けていた。
羽田から東京に向かい、そこで東北新幹線に乗って、夕方前には、小雨の降り続く宮城県の”くりこま高原駅”に着いた。
近くにあるビジネスホテルに泊まって、翌朝早く起きて外を見ると、雲が多く、目指す栗駒山の姿も山腹辺りまでしか見えなかった。
ただ、東西の方向には青空が見えていて、昨日よりはずっと良く、天気が回復しつつあるように思えた。
ともかくそこで、タクシーを呼んでもらって、宮城県側の栗駒山登山口である”いわかがみ平”まで行ってもらうことにした。バスは土日にしか走っていないし、レンタカーで行けば、山への往復コースしか取れないし、ということで高い運賃を覚悟でタクシーで行くことにしたのだ。
しかし楽しみもある、着くまでの1時間余りを運転手と二人でずっと話していたからだ。
年が近いこともあって、お互いの人生模様が、いくらか垣間見えて、さらには、彼はこの山の周辺で大きな被害を出した宮城内陸地震(2008年)と、東日本大震災(2011年)被害の当事者でもあって、今年、北海道胆振(いぶり)東部地震によって大停電の被害を受け、その前には九州での熊本地震の揺れを経験した私としても、他人事ではなかったのだ。
そして彼は、着くずっと前の所でメーターを倒してくれた。ありがとう。
いわかがみ平(1100m)の駐車場には、かなりのクルマが停まっていた。
明日からは、この下の駐車場からのシャトルバス運行になるし、さらには、この後台風が来ることを知っているからこそ、みんな今が盛りの紅葉を見るために、今日という日にやってきたのだろうが。
頂上へのコースは、すぐの所で二つに分かれている、一つはメイン・ルートの中央コース、もう一つは東栗駒コースであり、前者は、スニーカーでも登れるほどに登山道が整備されていて、コースタイムも1時間半と短い登りで頂上に着くことができるが、もう一つのコースは、ほぼ小沢の中を行くので道は悪く、時間も2時間かかるが、ただし東栗駒周辺の紅葉が素晴らしいとのことで、私はためらうことなく、後者の道を選んだ。
それは、確かに道というよりは、粘土状の小さな沢ともいうべき所で(ズボンのすそが汚れるのでスパッツ必携)、始めは、両側にブナやミズナラやシラカバなどの木が生い繁っている、ゆるやかにたどる流れの道だったのだが、先に行くにつれて梢が低くなり、少しずつ展望が開けてきて、振り返って見ると南側の方にはかなりの青空が広がっていた。
いいぞいいぞ、と心の中で繰り返す。
わずか1時間足らずの道で、もう数人の若い人たちに抜かれてしまったが、気にすることはない、初めての山だもの、じっくりと楽しんで登って行けばいいのだからと、年寄りの負け惜しみの言葉を自分に言いきかせる。
そこで道は少し下り、はっきりとした沢(新湯沢)に出て、見事なナメ滝がゆるやかに流れ落ちている。
それは日高山脈、エサオマントッタベツ岳(1902m)への登山路となる沢のナメ滝の登りを思わせた。
沢靴を履いて、ナメ滝の浅い水の流れの中をひとり歩いていく楽しさ・・・もっとも当時は周りにいるだろう、ヒグマの気配が気になってそれどころではなかったが・・・。
ナメ滝の歩行はほんの100mほどで終わり、張られたロープに導かれて対岸に渡り、その灌木帯を抜けると、四方の展望が一気に開けてきた。
素晴らしい、紅葉風景だった。
すぐ隣り合わせにある、中央コースの尾根の東斜面が、今を盛りの紅葉に覆われていたのだ。(冒頭の写真)
何枚もの写真を撮り終えて、さて眼前に見えている東栗駒山の登りに向かおうとした次の瞬間、左足の靴の下がペタついた音を立てていた。
見ると、登山靴のゴム底が半分はがれていたのだ。
今まで、山の雑誌などで、そうした事故例がいくつも起きていることは知っていたのだが、まさか自分の靴で起きるとは思っていなかったから、一瞬うろたえてしまった。
いつもなら、中型ザックの裏に応急用のガムテープを張り付けたり、緊急用の細いロープを持ってきていたりするのだが、今回は時間も短いしと、ハイキング用のデイパックだけで来ていたから、それらを持ってきてはいなかったのだ。
ただ、打ち身捻挫用の貼り薬は何枚か持ってきていたから、それで代用しようとしていたところ、ちょうど上の方から下りてくる人がいて、声をかかけてみると、彼は心配して立ち止まってくれて、すぐに自分のストックに巻いていた(いいアイデアだ)ガムテープを差し出してくれた上に、持っていた粘着性の強い医療用のテープ一巻きまでも、これを使ってと差し出してくれた。
彼は、自分も同じように登山靴のゴム底がはがれたことがあり、以後いつもテープを準備して持って行くことにしているのだと言っていた。
山スキーが好きで、蔵王も八甲田も好きだという彼は、私になるべく早く下山してくださいと言い残して、足早に下りて行った。
うかつにも名前を聞くことを忘れてしまい、何のお礼もすることはできなかったが、30代半ばくらいの好青年だった。
もし、今私に嫁入り前の娘がいたなら、ぜひうちの娘の婿になってくれと言いたくなるような・・・。
さて、”地獄に仏”の見知らぬ登山者のありがたみを感じながら、テープを巻いて補修した靴で再び歩き始めた。
低い灌木帯には、サラサドウダンツツジ、コメツツジ、ウラジロコヨウラク、ウラジロハナヒリノキなどの赤色に、ミネカエデの橙色、ミネヤナギの黄色、ハイマツの緑と彩られて続いていた。
そして、すぐ先に小さな岩頭の東栗駒山(1439m)の頂きが近づいてきた。(写真下)
その、東栗駒山の山頂では風が吹きつけていて、私は着ていたフリースの上に雨具のジャケットを羽織った。
そして、そこから先の道は、栗駒山本峰基部までゆるやかに続いていて、まさに紅葉の中の楽しいプロムナードになっていた。
そして何よりもありがたいことに、行く手には雲の取れてきた栗駒山の頂きが見えていたのだ。(写真下)
道をゆるやかにたどり小さな沢を渡り(先ほどの新湯沢の源頭部)、最後の栗駒山の登りにかかる。
ところどころ日が差していて、東栗駒山の斜面が一面、紅葉のモザイク模様になって光を浴びていた。(写真下)
上空には、ヘリコプター一機が飛んできて、繰り返し東栗駒山の紅葉斜面を撮っているようだった。
やがて、整備された階段状の道になり、すぐに左手から上がって来た中央コースの整備された道と一緒になり、もう頂上に立つ人々の姿が間近に見え始めて、最後の一登りにかかり、ようやく頂上(1626m)に着いた。
登山口からのコースタイムで2時間のところを、3時間余りもかかっていたが、道はゆるやかだったし、たいして疲れてはいなかった。
頂上は三、四十人ほどの人でにぎわっていた。
いつもの中高年登山者がいるのは当然のことだが、うれしいことには、半分以上が若い人たちだった。あの石川の白山登山の時も感じたことだが、こうして若い人たちが地元の山に登っているのは何ともうれしいことだ。
苦しさに耐えて、自分に打ち克ち、さらには自然の大きな懐の中で安らぐことができる場所として、山は偉大なる教師であるとともに、偉大なる母でもあるのだから。”(前々回に書いた地理学者センプルの言葉から)
ここまでで、すっかり長くなったので、後半は次回に書くことにする.
ともかく、栗駒山の紅葉は、世評にたがわずに素晴らしいものだった。
そのさまざまな色が織りなす色合いといい、その途切れなくえんえんと続く広さといい・・・。