ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

慣れていくこと

2016-01-04 22:34:12 | Weblog



 1月4日

 前回書いたように、、暖冬気味のこの冬の暖かさは、年が明けてもまだ続いている。
 確かに、寒い時には、朝-5度くらいにまで冷え込むこともあったのだが、その寒さはすぐにゆるんで、最低気温でもプラスになり、日中には10度を楽に超えてしまう暖かさになっているのだ。
 それは、秋の終わりか、あるいは春先のころの気温である。
 写真は数日前に、いつもの1時間以上かかる散歩(というよりロング・ウォーキング)に出かけた時に撮ったものだが、青空に浮かぶ筋雲を見ていると、紅葉が終わった後の晩秋の風景か、あるいは新緑の前の春先の風景と少しも変わらないように思えるし、それに吹く風の何という心地よさ・・・。

 いつも言うように、古くて寒い家に住む年寄りにとっては、もちろんこの暖かさがありがたいのだが、一方では冬の雪景色が好きな、山岳鑑賞を趣味にしているこのじじいにとっては、余りありがいことではない。
 雪が降ったのは、もう3週間も前の話で、その時に山に登ったきりで(’15.12.21の項参照)、ライブ・カメラで見る九重山牧ノ戸峠の駐車場付近の光景も、正月休みでクルマがいっぱいなうえに、どこにも白い雪景色が見えず、ただの冬枯れの山があるだけで、とても行く気にはならない。
 ということで、いやそうでなくても、稀代(きだい)の”なまけもの”であり、”でぶしょう”な(出不精でありデブ症でもある)私は、暮れから正月にかけては、家の周りの散歩以外に外に出ることはなかった。

 負け惜しみでもなく強がりでもないのだが、それで、寂しくもなく、退屈することもなかった。
 今まで、例えばあの北海道は日高山脈の山の中で、誰に会うこともなく、たった一人で二日三日と過ごしたことがあるが、その時でさえ寂しいと思ったことはなかったし、下山してようやくクルマを停めている登山口に戻って来た時に思ったのは、不便な山から人里に帰ってきたというよりは、ようやくヒグマの心配をしないですむ所に戻って来た、という安堵感のほうが大きかったくらいなのだ。
 だから、この一週間は、ましてそんな不便な山の中に閉じこもっていたわけでもないし、食べるものは十分にあり、普通に生活できる環境はととのっていて、読むべき本や雑誌は周りにあり、見たい時にすぐに見ることのできるテレビやビデオがあり、パソコンでいつもの山の写真を見たり、ネット情報を調べて回る楽しみもあり、何も困ることはなかったのだ。

 つまりは、ひとりならば、すべて他の人たちのやっていることに合わせてやっていく必要もないのだということ。
 それでも、社会の中に生きる一人としては、普通の社会規範の中にあることを忘れずに、自分だけの小さな楽しみを見つけて、生きていくことができれば、それだけでも十分にありがたいことなのだ。
 そんな、自分だけの”神の固き砦(とりで)”にいられるようにするには、周りのすべてのことに、”慣れてしまう”ことだ。
 強い苦しみや悲しみの中にある時はもとよりのこと、逆に大きなきな喜びや幸運のさなかにある時ですら、それがすぐに過ぎ去るものだということにも、”慣れ”ておく必要があるのだ。
 つまり、”慣れる”ことは、苦しみや悲しみを時間とともに和(やわ)らげてくれ、あるいは備えとしても和らげてくれる、自分だけでできる唯一の同化方法なのだ。

 そこで思い出したのは、あの誰もが知っている、サン=テクジュペリの『星の王子さま』の一節である。

 「・・・ キツネが現れたのは、そんなときだった。
 「こんにちは」キツネが言った。
 「こんにちは」王子さまはていねいにあいさつして、ふりむいた。だがなにも見えない。
 「ここだよ」 声だけがする。「リンゴの木の下」
 「きみ、誰?」王子さまは聞いた。「きれいだね、きみ・・・」
 「キツネだよ」キツネが言った。
 「おいで、ぼくと遊ぼう」王子さまは声をかけた。「ぼく、今すごく悲しいんだ・・・」
 「きみとは遊べない」キツネが言った。「なついていないから」
 ・・・。

(『星の王子さま』 サン=テクジュペリ 河野万里子訳 新潮文庫)

 ここにあげた文章の末尾、「なついていないから」という訳語は、フランス語から英語訳では”tame"だが、日本語訳の場合、他にも様々に訳されていて、「飼い慣らされていないから」とか、あるいは「慣れていないから」と訳されている場合もあり、いずれの訳も間違いではないのだろうし、私が今問題にしている自ら”慣れる”という言葉の意味には、それぞれに近いものを感じるのだ。
 それは、両方の側から見て、親しくなつくことであり、親しく飼い慣らされることであり、親しく慣れていることだからでもある。
 
 さらに、ここでキツネは、王子さまからの”なつく”ってどういう意味かと尋ねられて、答えるのだ。

 「・・・それはね、”絆(きずな)を結ぶ”ということだよ・・・」

(同上。これは、他にも”つながりを持ったり絆を結んだり”と訳されている場合もあり、英語訳では、”to create ties or form a bond"とある。) 
 
 つまりここで、私が問題にしてきて、自分に言い聞かせたかったこととは、起きている出来事に対して、それが良かろうと悪かろうと、よく理解して、”慣れていくこと”が必要ではないかということだ。 
 
 ところで私は、北海道では、自分の家の周りだけでなく、山の中でもたびたびキタキツネに出会っている。
 その中で、特に印象的だったのは、今から15年も前のことだが、すべてが雪に覆われた10月下旬の、初冬の十勝岳(2077m)で、この日は他に登山者もなく 私一人だけだったのだが、向こうから歩いてきたキタキツネにばったりと出会ったことである。
 ボロボロにすり切れた夏毛ではなく、ふさふさとした冬毛に覆われたきれいなキタキツネだった。
 私たちはお互いに対峙(たいじ)して見つめ合った。私は、持ってきていた食料の少しを取り出して、キタキツネにエサをやるつもりはなかった。
 彼も私を見て、そうもの欲しそうではなかった。四足で立ってこちらを見ている彼の姿からは、この大自然の中で生きているのだという、ゆるぎない信念のようなものさえ感じた。(写真下)
 


 私は、まだ長い距離が残る頂上への雪の斜面を登って行った。
 キタキツネは、その私が通った道と交差するように、山腹の斜面を横切って行った。

 このまま、雪氷に覆われたこの日の十勝岳登山について書いてみたい気もするが、とまれ、始めは、年末からこの正月にかけて読んだり見たりした、雑誌やテレビことについて書いていこうと思っていたのに、”星の王子さま”から十勝岳のキタキツネへと話がそれてしまったのだ。話を元に戻そう。

 まずは、いつものように暮れに買ってきていた、3冊の1月号の雑誌のことだが、いずれもその付録目当てに、一年のうちのこの新年号だけを買っているだけで、毎月買うほどの熱心な読み手でもない。
 『レコード芸術』 は、若いころからずっと毎月買っていた雑誌なのだが、10年ほど前から、それほどクラッシック音楽ニュースにこだわらなくなり、ただ毎年発表されるクラッシック音楽の”レコード・アカデミー賞”だけは知りたいし、さらには年間クラッシックCD発売のカタログとしての、別冊付録”レコード・イヤーブック”がついてくるので、それ欲しさに新年号だけは買っているようなものだが、しかし今回”レコード・アカデミー賞”の本文を読んではみても、もうどうしても欲しいと思うほどのCDは見当たらなかった。

 それもそのはずで、毎年購入していたCDが少しづつ減ってきていて、とうとう今年は春先に買った昔の録音のセットもの一点と、新しい録音の一枚だけになってしまったのだ。
 それは、クラッシック音楽への興味が薄れてきたというよりは、もう今ではおそらくは1000枚近いCDコレクションがあるし(それと同じくらいのレコードもあるし)、それはもう、死ぬまでにそれらの全部を聴きなおすことができないほどの数だし、もうこれ以上買う必要もないのだ。
 むしろ逆に、これらのCDレコードの整理”終活”を考える時期に来ているのだろうとさえ思ってしまう。

 次は『山と渓谷』で、これもまたその付録”山の便利帳”が欲しいからであり、特にこの厚い冊子の大半を占める、ルート時間図と日本のすべての山小屋詳細案内は、私たち登山愛好家には欠くべからず情報だともいえる。
 新年号本誌のほうの特集記事は、”わたしの好きな山”であり、まあ読者層からして毎年同じような内容にしかならないのだが、むしろ年間を通じて時々興味ある特集が組まれることもあり、この時以外にも二三回買うこともあるくらいだ。

 そして最後に『アサヒカメラ』だが、これも付録の岩合光昭氏による”猫にまた旅”カレンダーが欲しくて買ってしまうのだ。
 この岩合光昭氏によるNHK・BSでの『世界のネコ歩き』は、いつも楽しみにしている番組だが、それとは別に、こうして本来の写真家である岩合氏の作品を見るのも楽しいし、ワンショットにおさめた猫たちの姿と、その背景にある場所の表現にはいつも感心させられる。
 今回のカレンダーでは、表紙の背景の戸棚の前に座る黒猫もいいが、スナップ・ショットとしての3月の項の一枚、羊と猫と農家のおばさんの視線空間。さらに静物画としての7月の項の一枚、古い開拓時代の家のベランダで横になり、こちらを見ているトラ縞の猫。
 はい、生きているということは、こうしたいいものを見せてもらうということなのです。
 
 次に、去年の暮れからこの正月の一週間に見たテレビ番組から。
 12月28日、地デジNHK『プレシャスブルー”美しきハンター、シャチとの交流”』 。
 私は言うまでもなく、数十年にも及ぶ根っからの登山愛好家であり、海派と山派に分ければ、その少数派である山派であることに間違いはないのだが、そんな私が、思わずこの海のドキュメンタリー映像に引き込まれてしまったのだ。
 私は、実は泳ぎが得意であり、あまり波の高くない海ならば何キロでも泳ぐことができるほどであり、毎年海が好きだった母を連れて、夏だけでなく他の季節にも近くの海辺に行っていたのだが、十数年前に母を亡くしてからは、すっかり海からも足が遠のいているのだ。
 そうして。相変わらず山だけには登っているのに、こうした番組を見ると、もう一つの大自然である海はやはり素晴らしい、と思わせる1時間15分ほどの番組だった。
 
 酸素ボンベなしで6分間も潜っていられる、というだけでも驚異的なことだが、その上に水平潜水距離の世界記録を持っているという女性ダイバーの彼女は、海の生態系の頂点に立つシャチにひかれ始めて、どうしても一緒に泳ぎたいと思っていたのだが、そんなシャチの群れを識別観察している女性海洋学者がニュージーランドにいると聞いて、彼女はやってきたのだ。
 私たちが映像などで知っている”海のギャング”シャチは、サメに至るまでのすべての魚を食い荒らし、浜辺で横になっているアシカやアザラシでさえ襲って食べるという凶暴さだけが印象に残っているのだが、一方では、群れで行動している彼らは家族間の絆が強く、その群れの皆で狩りをして獲物を追い込んでいく様子からは、高度に知能的な集団としての姿も見えてくるのだ。
 外洋を渡り歩く群れほど、その凶暴性が強く、人間のダイバーが近づくのは危険だということで、この女性海洋学者の研究対象でもあり、地元のニュージーランド北島沿岸を周遊していて、今まで何度も触れ合ってきた実績があり、安全だろうとの判断で、彼女は、その特定のシャチの群れに近づき、初めて相手の目を見ながら一緒に泳いだのだ。
 青い海の中で泳ぐ彼女と大きなシャチの姿、彼女の夢がかなった美しい一瞬だった。

 30日、TBSの『レコード大賞』。やけど跡が治りきっていない”ぱるる”島崎遥香も出演して、皆と一緒に必死に踊っていた、AKBの『僕たちは戦わない』は、2連覇を成し遂げた"三代目J Soul Brothers"の前に今年も破れ、”たかみな”高橋みなみ卒業のはなむけ受賞にはならなかったのだが、まあそれなりに、この業界にも、裏事情がいろいろあるのだろうとは思うのだが。
 (今では国民のだれもが知っているであろう、AKBを代表する名曲の「恋するフォーチュンクッキー」が、2年前にもなぜ”レコード大賞”をとれなかったのか・・・。)

 翌31日のNHK紅白。期待していた乃木坂46の「君の名は希望」 は悪くはなかったのだが、ただしショート・バージョンで歌われていて、この歌の良さは全体の歌詞にあり、それが大半カットされていては、とうていあの歌の本当の良さは伝わらないだろうにと思えたのだが・・・。
 そして朝ドラ主題歌の、例の「365日の紙飛行機」は、リードボーカルの”さやねえ”山本彩とNMBメンバーによる単独チームの形で歌われていて、AKBはメドレーとしてAKBを代表する曲でもある「フライング・ゲット」「ヘビーローテーション」「恋するフォーチュンクッキー」を歌うことになったのだが、”びっくりぽん”の”サプライズ”として、冒頭から当時の絶対エースだった卒業生の”あっちゃん”前田敦子が現れ、さらに次には「ヘビロテ」のセンターであり今は卒業生の”ゆうこ”大島優子が飛び出してきて、最後は今年で二人と同じように総選挙二回目の1位になった現役の”さっしー”指原莉乃がセンターになって、卒業する”たかみな”を囲んで、みんなで「フォーチュンクッキー」を歌っていて、その4人が並んだ姿は、AKBファンにとってはまさにお宝ものの、感動的なシーンだった。
 これからも1年に1回くらい、こうした卒業OGと現役とが一緒になって歌うようなコンサートをやってもらえないだろうか。
 何よりも、舞台で踊る卒業生の”あっちゃん””ゆうこ”の楽しそうな笑顔と、その二人によって、さらに華やかになったその舞台・・・。

 その後の深夜枠での、年明けのTBSの生放送『カウントダウンTV』では、その”たかみな”が抜けた後のAKBと、その他のSKE,NMB,HKTそして乃木坂46のメンバーたちがが元気に歌っていた。
 人々が案ずる間もなく、時は流れゆき、新しい年になり、また新しい道が作られていくのだろう。

 そして、2日と3日のCS無料放送で、何と若き日によく聞いていた”プログレッシブ・ロック”界の、有名グループであるあの”ジェスロ・タル”と”イエス”による8年ほど前のライブ演奏が放映されたのだ。
 彼らが全盛期のころから、もう40年近くもたっているし、メンバーもそれぞれに年老いて、しかし元気なおじさんたちのままであったのだが・・・。
 ”ジェスロ・タル”のイアン・アンダーソンのフルートは、相変わらずの変幻自在で、その昔最初に聞いてひかれた、あのJ・S・バッハ の「リュート組曲ホ短調 ブーレ」からの編曲による演奏が素晴らしかった。
 さらに、それまでに再結成を繰り返していた”イエス”の、これが最後のオリジナル・メンバーによる演奏だったのかと思うとなおさらのことだし、まして特徴的なハスキー・ボイスのジョン・アンダーソンの声は、今も変わらずに確かに”イエス”そのものだったのだ。
 この両者については、いまだに手元に残しているレコードがあるくらいで、書きたいこともいろいろとあるのだが、しょせん年寄りの昔話になってしまう。

 ただし、私たちは、まさにロック・ミュージックの百花繚乱(ひゃっかりょうらん)という良い時代に遭遇(そうぐう)し、それらのさまざまな演奏スタイルを比べ合い楽しむことができたのだと、今になってありがたく思うし、そうしたプログレッシブ・ロックからジャズそしてクラッシックへとつながっていく、当時の音楽シーンの幾つにも出会えたこと自体が、つくづく幸せなことだったのだ。
 去年夏の、あの鹿島槍・五竜の山旅で、ある若者と出会い、こうしたロック・ミュージック全盛の時代の話になって、二人で盛り上がったことを思い出した。(’15.8.10の項参照)
 ものを知っているということは、ものを経験しているということは、また一方では、それだけの時間と失ったものも大きいという場合があるのかもしれないが、入り口にも入ろうとしないで何もしなかったことよりは、少しでも近寄って垣間(かいま)見ることができたからこそ、得られたものも多くあり、後になって初めて、それが自分の音楽観や人生観の成長のために、いかに必要なものだったことかと気づくものなのだろう。

 年寄りになっていくのは、そう悪いことではない。どこかのキャラメルの宣伝文句ではないけれど、一粒(ひとつぶ)で二度、いや三度でも、おいしく味わえるものなのだろう。昔のことだからこそ・・・。
 長く生きていればいるほど。それが生きることの、一つの意味になるのかもしれないのだが。 

 


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