9月4日
それまで、曇り空の多い夏の間には、あまり夕焼け空を見ることはなかったのだが、数日前、西の空に、見事な色彩変幻の舞台が繰り広げられた。
それは、思わず”茜(あかね)屋”と声をかけたくなるほどに、天空を背景にして、夕焼雲がまるで歌舞伎の”みえ”を切っているような舞台だった・・・。
西の空から全天球にかけて、茜色から夜のとばりへと、漸次(ぜんじ)夕焼け色を減じていく、壮大な自然の中での舞台だった。
こうした、巻積雲や高積雲が現れる秋の空こそが、夕焼け空を楽しむ最もいい季節なのだ。
暦(こよみ)の上からだけではなく、確かに秋が来たのだ。
その後、北海道への直撃が心配された台風も、大きく東の方へとそれて、いくらかの風が吹いただけで、穏やかな秋の日々が続いている。
朝の気温は、ついに10℃を切るようになり、今朝は8℃にまで下がり、草花にはいっぱいの露の玉が光り輝いていた。
そうなれば、蚊やアブも少なくなり、いかに”あぶはち取らず”のじじいとはいえ、動かないわけにはいかなくなる。
身支度を整えては、実に2か月もの間放っておいた庭の草刈りに、今頃になって精を出しているのだ。
しかし、そこでは、ぐうたらに怠惰(たいだ)に過ごした夏の日のつけが回ってくる。
30㎝以上にも伸びた草は、半ば倒れて、特に午前中は湿っていて、草刈り鎌(かま)で切っていくのは一苦労になる。
額に汗を浮かべながらも、日ごろからたいした運動もせず、ましてや2か月もの間、山にも登らず、ぐうたらにものぐさで、放縦(ほうじゅう)な生活を続けてきた体は、何と3㎏も体重が増えて、体は”おきあがりこぼし”状態のまま、”どっこいしょ”と声を出さなければ、立ち上がることもできない体になり果て、そんな時に、これこそが”天の声”であり、前回書いたように、昔の偉い人の言葉、”人は働くにしくはない”という声が聞こえてきて、はっと気がつき、その教えの通りに、今は老体にムチ打っては(あへー)、庭仕事に励んでいるのであります。
目を上げれば、青空の中、シロチョウの仲間やヒカゲチョウの仲間が飛び交っているのだが、いずれもこの冷え込みですっかりその数が少なくなってしまった。
さらには、前回あげたオニユリの花はもう20数輪余りも咲いていて、そこだけ華やかな色彩にあふれているのだが、そこには、相変わらずにカラスアゲハやキアゲハなどが集まってきていて、いずれももう翅(はね)がボロボロになっていて、哀れなくらいなのだが、それでもこのいっぱいの日差しの中を、最後の生きるひと時をと、何も考えずにただ夢中になって蜜を吸っているようにも見える。
それぞれに、それぞれの命の限りに飛び回っているのだ。
こうした、有無を言わさぬ本能の力こそが、生きるということなのだろう。
若き日には、その活力気力のあふれるままに、自分で決めた道をひたむきに、ただ走り続けていけばいいのだが、やがて年を取れば、途中で休むことを覚え、また自分にも行くことのできる別の道があることを知り、そこでそれまでの道にしろ、新たに見つけたもう一つの道にしろ、これからは、今の自分の体力気力に合わせて、分相応に歩いていけばいいのだろう。
ただ言えることは、今さら高望みをして、できもしない誰かの道をうらやんだところで、何になるというのだ。
自分には、自分が選んだ、この静かなか細く続く道があるのだから。
「少しは不便でもいいから、もっとのんびりさせておいて貰(もら)いたい。」
(『虫も樹も』尾崎一男 講談社学芸文庫)
そこでさらに思い出したのは、今までに何度もここで取り上げたことのある『徒然草(つれづれぐさ)』の中の一段にある文章である。長くなるが、以下に引用してみると。
”高倉院(1181年崩御)を祀(まつ)った法華堂で修業をする一人の僧侶が、ある時ふと鏡で自分の顔をのぞいては、その容貌(ようぼう)が余りにもひどく見えて、情けなく思い、その後は鏡を恐れて見ることもなく、さらには人前に出ることもなくなって、お堂にこもっては読経などの勤めに励んだということであるが、私(作者)には、それが近頃まれないい話であるように思えるのだ。” (年老いた自分、誰あろう鬼瓦権三の顔を見れば、他人ごとではない話だが。)
「賢げなる人も、人の上をのみはかりて、己をば知らざるなり。
我を知らずして、外を知るという理(ことわり)あるべからず。
されば、己を知るを、物知れる人というべし。
かたち醜くけれども知らず、心の愚かなるをも知らず、芸の拙(つたな)きをも知らず、身の数ならぬをも知らず、年の老いぬるをも知らず、病の冒(おか)すをも知らず、死の近きことをも知らず、行う道の至らざるをも知らず、身の上の非を知らねば、まして、外のそしりを知らず。
ただし、かたちは鏡に見ゆ、年は数えて知る。
我が身のこと知らぬにはあらねど、すべきかたのなければ(どうするのかわからなければ)、知らぬに似たりとぞ言わまし。
かたちを改め、齢(よわい)を若くせよとにはあらず。
拙(つたな)きを知らば、何ぞ、やがて退(しりぞ)かざる。
老いぬと知らば、何ぞ、閑(しず)かに居て、身を安くせざる。
行(おこな)いおろかなりと知らば、何ぞ、これを思うことこれにあらざる。
・・・。
・・・、いわんや、及ばざる事を望み、叶わぬ事を憂(うれ)い、来たらざる事を待ち、人に恐れ、人に媚(こ)ぶるは、人の与える恥にあらず、貪る(むさぼる)心に引かれて、自ら身を恥ずかしむるなり。
貪ることの止まざるは、命を終うる大事、今ここに来たれりと、確かに知らざればなり。」
(『徒然草』兼好法師 西尾実・安良岡康作 校注 岩波文庫、なおここでは、分かりやすくするために、文章ごとに段落をつけている。)
これは、今の私の生活信条の規範となるべきものであるのだが、悲しいかな、今もその幾つかにさえも及ばないのが実情である。
ただその中でも、唯一、間違いなく今の私の心持に当てはまるのが、”老いぬと知らば、何ぞ、閑かに居て、身を安くせざる(歳をとったと分かったならば、静かに暮らして、心安らかにいるべきなのだ。)”という一節なのだ。
茜色の空は、少しずつその色を変えてゆき、いつしか怪しげな葡萄酒(ぶどうしゅ)色になっていた。(写真下)
見上げた空は、気がついた時には、天空の中ほどまで夜の闇が忍び寄っていた。
夕焼けの華やかな舞台は終わり、夜が来るのだ。
それにしても、目の前に大平原が広がり見える所だから、こうした光景を心ゆくまで楽しむことができる。
まして、厳冬期の朝な夕なに、大雪原の彼方から昇ってきてはそして沈んでゆく、赤い太陽が照らし出す風景の素晴らしさは、言葉に尽くしがたいほどだ。
もっとも同じように、大海原を目の前にしても、同じように色彩の舞台を見ることができるのだろうが、それは平原の場合以上に、海面を鏡にして上下に反映する、あの万華鏡に見るような眺めとして、楽しむことができるのだろうが、それでも私は、こうして今いる場所を、地平の彼方に日高の山々が見える場所を選びたいのだ。
私は、日々眺めることのできる、この十勝平野の広がりと、彼方に連なる日高山脈の山々に、そして、ここにいることができることに、ただただ感謝するばかりである。
広い所が好き!
八丈島のきょん!(昔のギャグ漫画『こまわりくん』に出てくる意味のない感嘆詞)