ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

飼い主よりミャオへ(101)

2010-05-24 21:55:51 | Weblog



5月24日

 写真は、家の林の中にあるコゴミの群落である。コゴミはシダの一種で、クサソテツとも呼ばれ、若葉の時に山菜として食べられる。ワラビほどアクが強くなく、適当なヌメリがあり、ポリフェノールの含有量が高いと言われている。
 そのコゴミを、いつも夕方になるとハサミを持って行って、何本かを切り取ってくる。軽く湯通しして水にさらし、カツオブシをかけておひたしとして食べる。熱いご飯に、これだけでもう十分なくらいだ。

 元来、私は、貧しい子供時代を送ったせいか、食べ物に関しては、それほど執着はしない。まずは、十分に食べられるだけの量があれば、それだけで十分であり、おごちそう様でしたと感謝する気持ちになる。
 ここ北海道にいても、ミャオと一緒に九州にいる時でも、殆んど外食はしない。かといって、自分で料理を作るのが好きだというわけでもない。
 つまり、あり合わせの物で、例えばサカナの干物と、野菜一皿があればそれで十分だ。

 今の時代の、食べることにこだわりを持った人々と比べれば、まさしく食の貧者と呼ばれても仕方がない。おいしいラーメン屋があるからとか、おいしいどんぶり屋さんがあるからと行って出かけたり、まして幾つ星かのついたレストランになどは、これからも決して行くことはないだろう。

 そこで、ミャオ、プッと吹き出すんじゃない。確かに、私が背広姿でかしこまって、ナイフとフォークを使っている姿なんか想像すれば、恐ろしくておかしくて、とんだ場違いに映るだろうだろう。
 今ではもう、あの”北の国から”の五郎さんのような風体をしている私、こと鬼瓦熊三(おにがわらくまぞう)にとっては、そこいらの山菜でも取って食べているほうが、ずっと様になっているのだ。

 しかしこんな私でも、かつての若き日に、あの東京にいたころには、ちゃんとスーツを着て、銀座のレストランで、偉い先生方と食事をしたりしていたものなのに。
 ああ、なんという落ちぶれようだ・・・親が見たならば、さぞや、せつない涙に暮れるだろうに、今やその親もなく、ただひとりの身内のミャオは遠く離れた九州に、思えば何の因果(いんが)か因縁(いんねん)か、草を食(は)んでは野に叫ぶ、野人の意気を我は知ると、ひとりいきまく浅ましさ。
 と、なにやらどこかの歌の寄せ集めのようになってしまったが、言うほどには、深刻に考えているわけではない。
 むしろ、ノーテンキに毎日を送り、天気の良い日に山登りを繰り返している、ただのぐうたらオヤジに過ぎないのだ。

 ただし、そんな男でも、この山菜のとれる時期には、あのどんぐり眼(まなこ)が星の輝きを映したように、キラリと光るのだ。
 沢沿いの斜面に目を走らせては、目ざとくアイヌネギ(ギョウジャニンニク)を見つけ、枯れたササの間に伸びてきた、若いウドを根元から切り取り、枯れ木のようなタラの木の先に、タラの芽を見つけては手を伸ばす。

 先日、それらのアイヌネギ、タラの芽、ヨモギなどを、天ぷらにして食べた。私は、キャビアもフォアグラも、北京ダックも食べたことがない。しかし毎年、味わうことのできるこれらの山菜をおかずにして、北海道の米、”おぼろづき”の温かいご飯にのせて食べれば、もう他に何をかいわんやである。
 田舎での、貧しい生活を送ることの幸せ、金持ちになれなかったことの幸せを、心から感じることのできるひと時なのだ。幸福とは、そういうものなのだろうと思う。


 このところ、曇りがちの天気が続いている。昨日も今日も海側からの冷たい空気が流れ込み、霧雨が降っている。気温は8度くらいまでしか上がらず、まだまだ、薪ストーヴを燃やしている。

 そこで録画していたテレビ番組の幾つかを見た。まずは、22日の深夜にNHK・BSで放送された『ハムレット』である。
 余りにも有名なこのシェイクスピア(1564~1616)の作品を、伝統あるあのロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの劇団が、いかに演じているか、期待していたのだが、冒頭から、もう戸惑うことになってしまった。
 古い建物をロケ地にして、ドラマ仕立てにしたことには、何の異論もないのだが、またしても、最近流行(はやり)の背広姿の現代劇化された舞台なのだ。
 例えば、あの亡霊として現れる、ハムレットの父、先王の姿が、古い時代の武具をまとった姿であることには、逆に違和感があるし、さらに、あの清純無垢なイメージのオフィーリアが、兄の旅立ちのカバンの中にコンドームを見つけて、兄をとがめるシーンなど見たくもなかった。

 もし現代劇にするのなら、背広姿だけではなく、セリフも今の時代に合うように書き改めて、すべて今様に演技するべきだろう。
 日本でも良く知られていて、評価の高い演出家であるというグレゴリー・ドーランの演出方法には、私はむしろ、今の時代にありがちな陳腐ささえも感じていた。(オペラの現代劇化については、3月18日の項、参照。)

 さらに配役のすべての人間がそれほどまでに、善悪はっきりと分けて描かれているわけではなかった。つまり、今の時代にいるような、上流階級の中の悪意を隠した穏やかな人たちに見えたのだ。
 それだから、主役ハムレットの激情的な演技が、ひとり浮き上がって見えた。。
 さらに、あのハムレットの愛するオフィーリア役の女優も、イギリスのどこにでもいそうな娘にしか見えなかった。
 誰かが言った言葉だが、「ひとりの美しい娘と、ひとりの若者がいれば、ロマンスが生まれる」と、つまり、誰でもそこで一幕の愛のドラマを見たいのだ。
 やはり私の脳裏には、舞台ではないが、あのローレンス・オリビエと美しさの盛りにいたジーン・シモンズの共演による、1948年の映画が思い浮かんでくる。(ローレンス・オリビエのシェイクスピア映画については、4月19日の項参照。)

 それでも私は、3時間余りのその舞台(映画)を見続けた。それは、こうした現代劇化の目的を、探ってみたかったからでもある。
 そして、配役の面々を見ていて納得できたのだ。あの、メトロポリタンでのロッシーニのオペラ、『シンデレラ(チェネレントラ)』を見た時に感じたように・・・。それ以上は言うことはできないのだが。

 さらにもう一つ、現代劇化とは関係のないことだが、最後の場面になって、私は、眼からウロコのシーンを見つけたのだ。
 それは、毒を塗った剣で切られて死を迎えるハムレットが、ホレイショーの腕に抱かれて、今はの際(きわ)で話した最後の一言である。それは、今まで私が読んで知っていた訳文では、次のように書かれていた。

 『・・・もう、何も言わぬ。(ハムレットは死ぬ)』
 しかし、今回の日本語訳として流れた字幕には、
 『・・・もう、沈黙だけが。』、とあった。

 私が戯曲として読んでいた訳文が、間違っているとは思わない。それは、死の間際のハムレットの言葉の流れからの、適宜(てきぎ)な選択、意訳だったのだろう。
 しかし、私たちが死を考える時、生の果てにある死の世界が、沈黙であろうことは、容易に想像できるし、まして、前回(5月20日の項で)、静寂と沈黙について、少し書いたばかりだったから、私には、今回の訳語に、素直に反応したのである。

 言葉は、お互いの理解の基であるが、またお互いの誤解の元にもなる。あのサン=テクジュペリの『星の王子さま』の中で、キツネが王子さまに言うのだ。
 『すべての誤解は、話すことから生まれてくるんだ。』

 さてその他にも、今月は、またしてもNHK・BSで、メトロポリタン・オペラの2007~2008シリーズの再放送があって、なかなかに魅力的なラインアップだった。
 まだ全部は見ていないのだが、今回のシェイクスピアの関係付けで言えば、あの『アヴェ・マリア』で有名なフランスの作曲家、グノー(1816~1893)による『ロミオとジュリエット』は、私には初めてだったのだが、何しろ、ロミオが当たり役のあのロベルト・アラーニャと、ジュリエットのアンナ・ネトレプコの二人に文句があろうはずもない(若くはないけれども)。その上に指揮は、何とプラシド・ドミンゴである。
 さらに、舞台中央の回り舞台はともかく、衣装にセットと、時代を十分に意識して作られたものだから、安心して見ることができた。
 この『ロミオとジュリエット』を、原作、舞台、映画、オペラとそれぞれの視点で考えてみたいと思うが、それはまた別の機会にしたい。

 ミャオ・ジュリエット、ごろにゃん、もうすぐしたらオマエの、クマみたいなロミオ様が会いに行くからね。まあ、お互い年寄りの、”じじお”と”ばばえ”の対面なんて、絵にもならないだろうがね。


                      飼い主より 敬具


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