ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

紅葉の終わりと黄葉の始まり

2013-11-04 17:53:52 | Weblog
 

 11月4日
 
 この秋、いい季節なのに10月中に、私は一度も山に登らなかった。
 いろいろと理由はあるのだが、すべては年寄りになってきて、日々ものぐさになってきたからである。
 毎年の恒例にもなっていた、紅葉の、さらには新雪の北アルプスへの遠征登山へと出かけるタイミングを失い、さらにいつもの大雪・十勝岳連峰への新雪登山でさえも、体調不良で出かけることができなかったのだ。

 つまり、週に一二度買い物で街に出かける以外は、じっと家にいたというだけのことだ。
 まあそれはいつものことだし、取り立てて私がふさぎ込んでいるとか、引きこもりになっているとかということではなく、ぐうたらな性格そのままに、家にいてのんびりと毎日を送っていただけのことであるが。

 ただそうして無為に時間を過ごしたことが、大切な残り少ない人生の無駄な時間の過ごし方だったとも思わないのだ。
 つまり、ひとりで家の中にいても外にいても、ここでのやるべき仕事はいくらでもあるからである。
 ただしそれは誰かに強制されるものでもなく、また時間を区切ってどうしてもやり終えなければならないものでもないから、自分に甘くなり、ぐうたらに過ごしては物事がいつまでも終わらないという弊害(へいがい)も出てくるのだが。

 秋から初冬にかけての、北アルプスなどの山々の景色を見逃した代わりに、その紅葉に時期にこうしてずっと家にいたから、おそらくは今年初めだてと言っていいくらいに、家の周りの紅葉の移り行きを毎日見逃すことなく見続けることができたのだ。
 というのも、いつもはそうした内地への遠征の山旅や、大雪十勝岳への二三日の山旅で、家に戻るとすっかり紅葉の盛りを過ぎていたことがよくあったからだ。

 前回にも書いたように、今年は黄色は鮮やかだったのだが、赤が今一つだと思っていたのだが、さらに季節外れの雪の影響もあって、何本も木が折れたり倒れたりして、寂しいものになるだろうと思っていたのだが、そこはそれ、雪の被害もなく元気に生きのびたモミジやカエデもたくさんあって、それらが日ごとに赤くなってくれたのだ。
 今までで一番の色合いにはなってくれなくとも、青空に映える紅葉はどれもきれいなものだ。私は毎年のことながら、楽しい気分になってこの秋の記録の写真を撮って回った。(写真上)

 しかし、こうした紅葉の林の楽しみの他に、根雪になる雪が降る前にやっておかなければならない仕事もあった。
 前回書いたように、あの季節外れの大雪で倒れ曲がった木々を片付けておかなければならないのだ。
 まずは、50年にもなるカラマツの大木から取りかかなければならない。それはまだ緑だった葉の上に積もった雪に耐え切れずに、何と根元の所から折れ曲がっていて、さらにそれは周りのモミジやミズナラにホウノキなどを巻き添えにしていたのだ。
 
 大きく曲がっているだけに反発力が強いから、チェーンソーで反対側に切れ込みを入れた後、木が裂けるのを注意深く見ては少しずつ切っていく。いつでも逃げられるように身を構えながら。
 最後のほうでは、チェーン自体が切り口に食い込みとれなくなることもあるから、さらなる注意も必要だ。
 バリバリと音を立てて、他の木も巻き込んで倒れたかと思うと、あちこちで枝葉が引っ掛かり倒れない。皆伐(かいばつ)ではない間伐(かんばつ)の時のむつかしさがそこにある。
 仕方なく、幹の途中にロープをかけて左からそして右から力いっぱい引いてみる。もう汗だくの作業だ。
 そして、何とか他の木々も倒しながら、カラマツの大木は倒れた。

 さらにここからが一仕事だ。幾つも分かれた大きな枝葉を切り払い、幹を大体6尺(1.8m)くらいの長さで切っていく。
 それで10本になったから、つまり20mほどの高さの木だったことがわかる。
 さらに巻き添えになった木々も合わせて、枝葉を払いながら、小分けに切っていく。
 これだけで2時間余りかかってしまった。(写真)

 

 もうこの年寄りには、その後の作業を続ける元気はない。
 ツナギの服を脱いで、長靴を脱いで家の中に入り、お茶を飲みながら何かをつまんで食べては、録画した番組なんぞを見ていると、もう外に出たくはなくなり、それで今日の外での仕事は終わりといった具合だ。
 誰も助けてはくれない代わりに、仕事が少ないといって誰かにとがめられることもない。まあ結構な、ご身分なのだ・・・。

 しかし、次の日にはその残った仕事をやってしまう。
 まず昨日切ったカラマツ丸太を、まとめて運び集めなければならない。直径32㎝で1.8mの丸太を林の中からどうして運び出すか。
 50㎏位の中ほどのものなら抱えて運べるが、下のほうの100㎏位あるものになるともう動かすのがやっとだから、片方を持ち上げて反対側に倒すいわゆる”尺取虫”方式で移動させるしかない。
 ただしこれは持ち上げて立てるまでに重さが腰にくるから、また腰を痛めてしまう恐れがあり、これも注意が肝心だ。
 そうして汗だくになって丸太を運び、残りの雑木も運び集め、切り払った枝などをさらにナタで切りまとめて一か所に集めて、これでようやく林内もすっきりと片づいたことになる。
 そしてすべては1,2年後に、さらに細かく切り分けて、ストーヴで燃やすための薪(まき)になるのだ。
 ここまで2時間半余り、これで今日の仕事は終わりだ。

 さて、林の隣にある豆の収穫が終わった畑の向こうには、午後の遅い光を受けて、黄金色に色づいたカラマツ林が並んでいる。(写真下)
 やがて数日もたてば、強い北風が吹いて、カラマツ葉の黄色い雨が降り続き、一夜にしてカラマツは寒々しい姿になり、そして冬を待つだけになる。
 カラマツの黄葉は、秋の終わりを告げる、季節のカーテンなのだ。
 つかの間のその色鮮やかな黄色いカーテンが消え去ると、やがて冬の白いカーテンに代わるのだ。緑の兆(きざ)しを受けて変わりゆく春の時期まで・・・。

 家に戻って、録画しておいた番組を見る。
 ”ジョルディ・サヴァールのヴィオラ・ダ・ガンバのリサイタル”
 名にしおうあの古楽器演奏者の第一人者であり、かつ古楽器演奏グループ”エスペリオンXX"や”ル・コンセール・デ・ナシオン”を率いる指揮者でもあるスペイン人のサヴァールだが、最近クラッシック音楽界の動向にすっかり疎(うと)くなった私は、彼がこの秋ひとりで来日していて、東京で演奏会を開いていたなんて全く知らなかったのだが、それはともかく、こうしてテレビの大きな画面でその演奏を楽しめるだけでも良しとしよう。

 17世紀のバロック音楽の時代によく使われていた”膝(ひざ)に挟んで弾くヴィオラ”という意味の6弦のヴィオラ・ダ・ガンバは、むしろ6弦のリュートと4弦のチェロとを合わせたような楽器だといわれていて、その名演奏家としてサヴァールの名はつとに高く、私もあのマラン・マレの「ヴィオール曲全集」などの何枚かのCDを持っているのだが、今回のソロ演奏も、プログラムの組み立てが実に面白く、最後まで通して1時間近くを見てしまったが、できれば演奏会場でホールの音を感じながら聴いてみたかった。
 バッハをはじめとして、アーベル、サント・コロンブ、マレ、ヒュームなどの同時代の作曲家からの小品や組曲内の一舞曲をとって組み合わせては、一つの曲のように演奏していたのだ。
 
 それぞれに”祈り””哀惜””人間の声””音楽の諧謔(かいぎゃく)”というタイトルが付けられていて、それらを通してまるで”バロック時代組曲”とでも呼びたい見事な音楽の流れになっていた。


 「秋の風の ヴィオロンの 節(ふし)長きすすり泣き 

  もの憂き哀しみに わが魂を 痛ましむ・・・」
 
 (ヴェルレーヌ「秋の歌」より 『月下の一群』堀口大学訳 新潮文庫)

 このサヴァールのヴィオラ・ダ・ガンバの音色こそは、秋の日の遅い午後に、ひとり音楽を聴き入るにはふさわしかった。
 ひとり奏(かな)でるヴィオラ・ダ・ガンバの音色は、またひとりの私の心にも合い和するように響いていたのだ。

 
 「時の鐘 鳴りも出(い)づれば せつなくも胸にせまり

  思いぞ出ずる 来し方に 涙は湧く・・・」(同上)


 

 
 

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