ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

ヒダカイワザクラと剣山

2012-06-10 18:58:13 | Weblog
 

 6月10日

  天気が良くなれば、太陽の光があふれて気温が一気に上がり、林の中のエゾハルゼミたちが耳を聾(ろう)せんばかりに鳴きたてて、いかにも初夏の北海道らしい感じになるのだが、このところ肌寒い曇り空が続いていて、今日は日中でも12度くらいまでしか上がらず、6月半ばになるというのに、薪(まき)ストーヴに火をつけるほどだった。
 別にそのことで、余分な燃料代がかかるわけではないし、お湯も沸かせるから、それはいいのだけれども、ただこうも天気が悪くて、朝夕の霧雨状態のまま終日湿っていては、あまり外での仕事はできないから、お天気屋な気分の私は身を持て余してしまうのだ。

 「小人(しょうにん)閑居(かんきょ)して悪をなす」ほどではないにしても、根がグウタラな私は、こんな時には、ぬれ落ち葉みたいにまとわりつく相手もいないからいいようなものの、トドのごとき巨体をこっちにゴロゴロあっちにゴロゴロとして、全く情けない姿ではある。
 あの昔のサーカスの悲しげな曲が流れてきて、番台に座った弁士が語り始める。・・・「あーあ、親の因果が子に報い、哀れこの子はこの年にして、食っちゃ寝、食っちゃ寝の毎日で、いつしか体はダルマさん、風に吹かれて、あっちにフラフラこっちにフラフラ、行方(いくえ)定めぬ旅の空、いつかは切れる凧(たこ)の糸、明日の命をたれが知る。」

 こんなことではいかんと心に言い聞かせて、まずは体からさっぱりとするべく風呂を沸かそう考えた。ここに戻ってきて初めて、自宅の五右衛門風呂(ごえもんぶろ)に火をつけたのだ。
 今は、街に買い物に出たついでに銭湯に行っているのだが、元来風呂好きな私は、九州の家にいた時には毎日入っていたのに、すべてに金をかけていないこのボロ家では、そう簡単に風呂には入れないのだ。
 いつも干上がるのを気にしている浅井戸から水を入れ、それも冷たいので二、三日前から入れておき、そして夕方前から薪に火をつけ、1時間以上かかってやっとぬるめのお湯に湧き上がるというあんばいだ。

 しかし、そうして苦労してお湯を沸かしてこの五右衛門風呂に入る時ほど、幸せに思うことはないのだ。
 窓を開け放った風呂小屋から見ると、あたりを新緑の木々の緑が包み、ボロイけれどもしかし私のお城たるべき家があり、その前には今が盛りのレンゲツツジの花が咲いている。

 とその時、家のほうから、「おまえさん、お湯のかげんはいかがですか」と声が聞こえる。そして浴衣姿に白いえりあしを見せて、小股(こまた)の切れ上がったいい女が近づいてくる。
 「おう、ありがとよ。背中でも流してくれるかい。」と答えて・・・。

 あー、たまらんと思った瞬間、キャオーンと鳴いて、頭に木の葉を乗せたキツネが一匹、林の中へと走って行った。

 現実は、狭い風呂釜の中にひとり、もう四日も風呂に入っていなかった汗臭いオヤジが、くたびれた顔をしてぼんやり外を見ていただけの話だ。まあ、とても人様にお見せできるような姿でないことだけは確かだ。
 それでも、と気を取り直して私は考えた。この自然の風景があるからこそ、私はここまで生きてこられたのだ。数日前、私は久しぶりに山登りに行ってきた。


 それは、日高山脈の前衛峰の一つである剣山(1205m)である。この山は、東京での仕事を辞めて北海道に移り住み、ここに一人で家を建てて、さてこれからはと思い、最初に登った山だったのだ。
 この春先の長い登山ブランクの間を経て、私は憧れの日高山脈の原点である山に帰ってきたのだ。

 日高山脈の山々は、登山口に着くまでには、長い砂利道の林道を走らなければならないことが多いが、この山は、佐幌岳(1060m)、ペケレベツ岳(1532m)、アポイ岳(810m)などとともに、舗装道路を走って登山口の駐車場まで行くことのできる山でもある。
 これらの山に共通するのは、標高が低い上に短い時間で気楽に山歩きを楽しむことができるので、人気のある山だということだ。事実、この時には、平日であるにもかかわらず私は8人もの登山者に会ったのだ。
 ただ忘れてはならないのは、ヒグマの存在である。前回、4年前にこの山に登った時、私はそのヒグマに遇(あ)っている。(詳しくは’08.11.14の項参照。)

 朝、家を出たのが遅かったのだが、それは夜中眠っている時になぜか足がつって、半分眠ったままでその足を伸ばそうと痛い思いをしたが、朝になっても、まだふくらはぎにその痛みが残っていて、とても山に行くのは無理だったからだ。
 しかし、前にも書いたように、衛星写真で見ると、十勝平野は広い雲に埋まっていたが日高山脈は黒くなって見えている。つまり、山の上では晴れているということだ。
 ここで前回と同じように、またいろいろと注文を付けていては山には行けなくなってしまう。幸いにも足の痛みも大分おさまってきて、出かけることにした。
 もともと、今の時期ならもっと高い日高山脈の主峰群に登るのだが、何しろ、ちゃんとした山登りにはもう何か月も行っていない。冬の間九州にいた間に登った山は、前回のハイキング登山(5月13日の項)も含めていずれも楽なものばかりだったから、とりあえずは、日高山脈の簡単に登れる山にしたのだ。

 登山口に着いた頃には、もう8時にもなっていた。日の出は4時前だから、ずいぶん遅い出発になる。他にクルマが二台停まっていて、登る途中の上のほうで、それぞれにもう下りてくる彼らに出会った。
 ともあれ、誰もいない静かな登山道を、キビタキやルリビタキのさえずりを聞きながらゆるやかに登って行く。新緑のヤチダモやミズナラの林が美しい。足元には、今の時期には他の日高山脈の山々でも見られるオオサクラソウが点々と咲いていたし、何とシラネアオイの群落さえ見られたのだ。
 そういえばこの山に登るのは、雪が来る初冬の頃か、春先にまだ残雪がたっぷりある頃かで、今まで花の時期に来たことはなかったのだ。
 このオオサクラソウとシラネアオイは、かなり上のほうまで見ることができたし、さらに上にはミヤマキスミレも咲いていた。そして林の下には、咲き始めたミヤマツツジの鮮やかな赤色が目を引き、さらには頂上間近の岩稜帯の岩場では、私の好きなヒダカイワザクラを見ることができた。
 花は、いつもの場所に咲く花に会えるのもうれしいが、やはり予期しない所で出会う花のほうが喜びは大きい。

 『北海道の高山植物』(梅沢俊 北海道新聞社)によると、分布は日高、胆振(いぶり)地方の尾根や沢沿いの岩地となっているが、あの有名なアポイ岳はともかく、私が見たヒダカイワザクラの多くは、このように日高山脈の十勝側の山々であり、かなり高い主稜線にも咲いていた。
 だからこそ、その鮮やかな桜色に出会うとうれしいのだ。

 サクラソウの仲間は、数多くあり、高山植物として有名なのは、雪渓の溶けた跡に咲くハクサンコザクラであり、その名の通り白山や北アルプス白馬大池付近で大規模な群落を見たことがある。同じような北海道種では、あのエゾコザクラがあり、特に大雪山の至る所でその群落に出会うことができる(’11.8.12の項参照)。
 他にはユキワリソウやユウバリコザクラなどの近縁種もあり、さらに大ぶりな(エゾ)オオサクラソウやクリンソウ、そして一般種としてのサクラソウに、栽培種としての西洋サクラソウ(プリムラ)などがある。

 ヒダカイワザクラは、そんな様々なサクラソウの仲間の中でも、茎の長さが短く、花びらが比較的に大きいから、まるで岩の間に張り付いた鮮やかな紋章のように見えるのだ。沢登りをしていた時に、あるいは稜線のハイマツをかき分けた時に目についた、あの桜色は忘れることができない。
 
 亡くなった母が好きだったサクラソウの花は、その栽培種が九州の家の庭の片隅に植えてある。そして、ミャオの墓にもその花を供えた(5月7日の項)。さらに、今までこのブログで何度も取り上げてきた、私の大好きなフランスの詩人、フランシス・ジャムには『桜草の喪』という詩集がある(同じく5月7日の項)。


 さて、この日の天気は快晴だった。久しぶりに十勝地方が晴れ渡り、山の上からも平野部の大きな広がりを見渡すことができた。その分暑く、さらに久しぶりの山登りで、やっとの思いで頂上にたどり着いた。若いころには2時間余りで登ることができたのに、その日はコース・タイムの3時間いっぱいかかってしまった。
 しかし、岩塊がむき出しになった頂上からは、北の佐幌岳から南の広尾岳までの日高山脈の山々を眺めることができたし、北側には、少しかすんできた十勝岳連峰と大雪山の白い山並みも見えていた。今年の冬は雪が多かったというのに、途中の登山道はもとより周りの高い山々の残雪も少ないように思えた。

 西に見える芽室岳(1754m)から、東に派生した尾根上にある手前の久山岳(1412m。’11.6.2の項)を含めて、この三つの山のうちで、最も多くの山々を見ることができるのは、最東端にあるこの剣山である。
 それらの山の中でも、特にエサオマントッタベツ岳(1902m)の二つのカール(氷河時代の名残りの圏谷)の眺めが素晴らしい。(写真下、北カールとジャンクション・ピークとの間の東カールの両方に、残雪模様によって堆石帯モレーンの形がわかる。左は札内岳。)
 
 頂上では、一人っきりで1時間以上過ごすことができた。そして一人が登ってきて、さらに下る途中で一人、さらに頂上下のハシゴの点検に行くという二人、さらに下でこれから登るという御夫婦らしい二人にも出会った。休日の混雑を避けて山登りする私だが、平日の日高山脈の山でこれほどの人に会ったのも珍しい。
 それほどこの山は、地元の人々に親しまれている山だということができるだろう。

 往復、5時間余りの行程であるが、登山復帰した私にはがんばれる精いっぱいの距離だった。つった足の痛みもひどくはならなかったし、ともかく、久しぶりに日高山脈の山並みを間近かに見ることができてうれしかった。
 しかし、たったこれだけの登山で、その後二日間も筋肉痛になってしまった。もう年だというよりは、登山も日ごろから登り続けることが大事であり、日々のトレーニングを意識することがいかに重要であるかいうことを、今更ながらに思い知ったのである。

 今年は、内地遠征の山の計画が三つもある。無理をせずに歩き通すためにも、しっかりと準備をしておかなければならない。誰でも、山で死ぬことは、人が言うほどには決して本望なんかではないはずだ。
 山に行くのは、広大な自然の中を歩くことにあり、そこからの景色を楽しむためにある。生きているからこそ、元気に歩くことができるからこそ、楽しむことのできる山なのだ。


 

 



 

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